習作
蝉の声と体を炒る陽射しに、方向感覚がとち狂う。
触れれば火傷をするかとさえ思う電柱に向かって、目を伏せ百を数え終わり、背後を省みて『もういいかい』と声を張った。
まるで自分がアヒージョにでもなったのではないかと錯覚する様な、ねとつく空気は、蝉しぐれだけが全方位から届けるばかりで、何処かに隠れた子供達の気配を感じ取る事はできない。
ジリと、鬼が一歩を踏み出す。
足下で砂利が鳴り、隠れた者達との距離を、その一歩分だけ狭める。
かくれんぼという遊びの中で感じる本来的な楽しみは、鬼が近付いてくるという事実の実感を得る事である。
上手く隠れ通す事ができた時の優越感程度では、その見つかるかもしれないというスリルには太刀打ちできない。
上手な鬼は、そうした隠れた者達の気配を感じて、隠れた場所を通常入るべき方向とは別の、つまり意識の外から見つけたと演出する。
そうする事で隠れた側としては最大の驚きとスリルを味わえ、鬼はその反応に喜ぶのである。
一歩を踏み出した鬼は、民家のブロック塀の向こうから伸びる、腰を屈めた影を見た。
逆側に回り込むかと考えを逡巡させたが、それでは味気ない。音を立てずにブロック塀に登る事ができれば、彼の者の頭上から忍び寄る事もできるかもしれない。
ブロック塀は趣向として下段付近と上段付近に、それぞれ穴の開いたブロックを配していて、そこに足を掛ければ登る事もできそうだ。
鬼は下段の穴に足を掛け入れ、そのまま跳ね上がる様にブロック塀の上端に手を掛けつつ、足を上の穴にねじ込んだ。
そうしてひらりとブロック塀に登り、影の真上に来た鬼は、驚かすタイミングを測る。
「見つけた!」
しかしそこには誰も居ないかった。
人類最後の一人が、かくれんぼをする話。