第8章 1 寝不足の朝
「う…」
静まり返った部屋の中でヒルダは突然目を覚ました。
「え…?ここは…?」
ゆっくりと起き上がり、辺りをキョロキョロと見渡した。
始めは自分が何所にいるのか分からなかった。そしてブランケットが身体の上にかけられているのに気づいたとき、自分がリビングで眠ってしまっていたことを理解した。
リビングに置かれた薪ストーブの火は赤々と燃え、部屋が温められている。
「私…どうしてこんなところで…」
そこまで言いかけて、気が付いた。カミラが仕事から帰宅後、ヒルダはカミラにすがって激しく泣き崩れ…そのまま泣き疲れで眠ってしまったことを。
「そうだわ。私は…カミラに迷惑を…それにノワール様にも…。ところで今何時かしら…?」
ヒルダは壁に掛けられてある時計に目をやった。薪ストーブの明かりでぼんやりオレンジ色に照らされた部屋の中で時刻を見ると2時半をさしている。
「まだ深夜だわ…。部屋に戻って眠り直しましょう…朝になったらシャワーを浴びればいいわね…」
ヒルダは薪ストーブの火の始末をした。そしてよろめきながら自室へと戻って行った。
カチコチカチコチ…
ヒルダの部屋の時計が静かに動いている。
「…」
ベッドに潜りこんだものの、一向に今度は眠れない。目を閉じれば思い出されるのはエドガーの事ばかりだった。
自分の事を心配して、ハリスに内緒で会いにやって来たエドガー。勉強を頑張るように言ってくれた事、そしてルドルフに再び再会できたのもエドガーのお陰だった。
最愛のルドルフを亡くした後、寄り添ってくれた事…領民達から心もとない誹謗中傷を受けた時、本気で彼らに怒りをぶつけたエドガー。
2人でホールで踊った事…そして思いを告げてきた時のエドガー。
そのどれもが思い出すだけで胸が締め付けられそうに苦しくなってくる。
(私は…自分でも気づかないうちに…お兄様を愛していたんだわ…なのに…)
もっと早く自分の気持ちに気付いていれば、こんな事にはならなかったのだろうか?いや、それでもエドガーはアンナから訴えられればその手を取り、自分の元から去って行っただろう。
悲しくて辛くてたまらなかったが、アンナの事もエドガーの事も恨む気持ちは全く沸いてこなかった。
(そうよ…アンナ様は御両親も亡くされて…辛い目に遭っている。私は両親との縁が切れてしまったけれど、まだ生きている…。その気になれば2人に見つからないように会いに行く事だって…出来るのよ…)
それに元々エドガーとアンナは婚約者同士だったのだ。それがもとの形に収まっただけだとヒルダは必死に自分自身に言い聞かせた。しかし、それでも込み上げる悲しさは止める事が出来ない。
「お兄様…お、お兄様…」
ヒルダは身体を震わせながら枕に顔を押し付け…。再び涙を流した―。
****
午前6時―
「…」
カミラは部屋の中に料理の香りが漂っていることに気付き、目を開けた。
「え…?もしかして…」
カミラは夜着のまま、サイドテーブルに置いておいたカーディガンを羽織り、室内履きを履くとリビングルームへ足を運んだ。
すると…。
「あ、おはよう。カミラ」
エプロンを付けて、薪ストーブの上に鍋を置きに来たヒルダと顔を合わせた。
「まぁ、ヒルダ様…いつの間に起きてらしたのですか?」
カミラはヒルダの顔を覗き込み…眉をひそめた。寝不足なのだろうか…ヒルダの目の下にはクマが出来ていた。
「ヒルダ様…ひょっとして寝不足なのではありませんか?」
「あ…ひょっとして分ってしまったのかしら?夜中に目が覚めた後…眠れなくて」
ヒルダは笑みを浮かべて言うが、その声は元気が無かった。
「今日はアルバイトの日でしたよね?お休みした方が良いのではありませんか?私からアレン先生に連絡を入れておきましょうか?」
「いいの、アルバイトには行くわ」
しかし、ヒルダはそれを止めた。
「ですが…」
「あのね…身体を動かしていた方が…余計な事を考えなくて済むのよ…」
「ヒルダ様…分りました。そうおっしゃるのなら…アルバイトに行って来て下さい」
そんな風に言われてしまえば、カミラにはヒルダを止める術は無かった。
そして、ヒルダがアルバイトに行った事で…重大な事件が起こる事になるとはこの時のカミラも、そしてヒルダを心配するノワールも…思いもしていなかった―。




