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日奉家夜ノ見町支部 怪異封印録  作者: 龍々
第弐拾伍章:落日
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第84話:夜明けず 嘆く瞋恚の 徒花よ 汝忘れじ 日奉る為に

 今の自分には『ヒトハシラノカミ』の背中の上で膝をついたまま体が蝕まれていくのを待つしかなかった。『日爆』によってもたらされる魂の汚染は、爆発範囲に入っている段階で避けようが無い。至近距離で繰り出したとなればますます避けられないものだった。しかし現人神あらひとがみであり、今まで見た中でもトップクラスの力を持っている日奉桜を相手にするとなると、油断した一瞬の隙を突いて自爆覚悟でやる方法しか思いつかなかった。

 しかし、これでいいのだ。地上へと逃走した如月は翠達や姉さんに任せられる。今ここに残っているのは肉体と魂が穢れによって汚染された自分と桜の二人だけ。どちらも迂闊に接触すれば誰かに穢れを感染させてしまう程の状態なのだ。ここで死ぬのは自分達だけでいい。


「……?」


 ふと違和感に気が付く。自分の中から湧き上がっていた霊力の量が急に少なくなったのだ。つい先程まで展開されていた筈の『龍仙の陣』が何故か消えてしまったらしい。自分にこれ以上出来る事はないため問題は無かったが、翠の身に何かがあったのではないかと感じ一抹の不安を覚える。

 その直後、突然自分達の周囲に凄まじい量の妖気が立ち込めているのを感じた。未だかつて見た事がない程の禍々しい穢れの力がここへと集まって来ている。視界も虚ろになってきたためはっきりと確認は出来なかったが、桜は動揺して周囲を見渡す様な動きを見せているため、恐らく彼女にとっても想定外の事態が発生しているのであろうという事だけは理解出来た。


「一体、何を……」

「……知るかよ……っ」


 大量の妖気によって肉体が蝕まれていくのを感じる。桜がこちらに行ってきた祟りとはまた別種の呪いめいたものが肉体へと影響をもたらしていた。更にこの妖気はどうやら『ヒトハシラノカミ』にも影響を及ぼしているらしく、その体を大きくよじらせたかと思うと足元の感覚がゆっくりと消えていくのを感じた。

 何が起きているのかと混乱していると誰かの気配がし、その人物に抱えられてアタシはどこかへと連れ去られた。



「……ほんま、ぶちヤバいわ」

「き……きょうさ……?」

「おう生きとったか。間に合って良かったわ」


 聞こえてきたのは桔梗さんの声だった。先程まで感じていた妖気による浸食は止まっており、残っているのは自分と桜がそれぞれ繰り出した攻撃による穢れだけだった。地面に触れていた手の感触から考えるにどうやら地上へと戻って来ており、桔梗さんがここまで運んでくれたらしかった。

 起き上がる事が出来ず寝そべったまま尋ねる。


「翠……姉、さんは……?」

「みどっちは日守さんらが今運んで来よるよ。茜さんはうとらんけど……はぐれたん?」

「え……運んで……? 何があって……それに、姉さん……」


 翠の身に何かが遭ったというのを知りすぐにでも会いに行きたかったが、翠だけでなく姉さんが何故か桔梗さん達と合流していないというのも不安だった。町で暴れている別の怪異相手に戦っているという可能性もあったが、当主であるあの人が桜や如月を優先せずにそういった行動をするとは思えなかった。

 そうして悶々としていると何かが頬をペロッと舐め、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「雅っ!!」

「姉さん……」


 耳元で「にゃー」と美海の声が聞こえたかと思うと姉さんに頭を支えられ、少しだけ楽な姿勢になった。


「きさら、ぎ……桜は……?」

「如月は心配せんでええよ。それに、あの巫女みたいなんも、一応一緒にこっちに下ろしといたけェ」


 そう言われてぼやけた視界を何とか凝らして見てみると少し離れた所に苦しそうに倒れている日奉桜らしき人物の姿があった。

 正直、少しだけホッとした面もあった。確かに彼女がした事は決して許されない事であり、この町にある山に保管されていた『箱入り鏡』を持ち出したのも彼女、あるいは如月である可能性が高い。そのせいでここまで被害が拡大し、恐らく以前の生活に戻すのは不可能なレベルで怪異の存在が知られてしまう事態となった。しかしそれでも、彼女があのまま死ななかったのは嬉しかった。相打ち覚悟で放った『日爆』だったのだ。それならばせめて、彼女の最期を自分がしっかりと見届けるのが責務の筈だろう。


「雅……本当に良かった……」

「姉さん、ダメ……ア、タシ……穢れが……」

「あーみやっち、その事なんじゃけどな」

「……?」

「いや、何かよう知らんのじゃけど、みやっちとそこの馬鹿助けて下に降りた時にな、そん猫が急にこっち寄ってきよったんよ。そしたら気のせいかもしれんのじゃけど、ち~っとばかし妖気が静まった様な感じがしてな?」

「み、み……?」


 桔梗さんの発言には奇妙な点があった。翠が運ばれているという発言から考えるに、彼女と行動を共にしていたのは間違いない。では何故、美海の事を初めて見たかの様な言い方をしたのだろうか。もし美海が翠達に合流していたのなら、少なくとも翠が何らかの反応をした筈である。


「雅、この黒猫の事ですが……私が木を伝って地上に降りた時にはそこに居たのです」

「え……そんな馬鹿な……」

「最初は私も驚きました。これだけ被害が拡大している状況だというのに臆している様子が見られなかったのです。それこそ翠の所へ行っているものとばかり思っていたのですが……」

「ウチもぶちビビったわ。下降りたら茜さんと猫があのデカブツ見上げよるんじゃもん」

「この子がやろうとしている事に気が付いたのです。ですからもしもに備えて離れない様にと……」


 姉さん曰く、あの時自分達と別れた筈の美海は『ヒトハシラノカミ』を見上げる様に立っていたらしい。そしてあの謎の大量の妖気が発生し始めたタイミングで、急に鳴き声を上げ始めたそうだ。周期的でどこか歌を思わせる様な鳴き方だったらしい。その際、美海からは高い霊力が放たれていたらしく、そんな美海を守るために姉さんはそこに留まったそうだ。


「お、来よったか」


 桔梗さんの声を聞き、その方向へと顔を向けてみると数名の人影が見えた。そしてそれを追従する様な形で樹木を思わせる大きな影が動いていた。そこに誰かが乗っているのが見えたが、恐らくあざみさんだろう。


「翠……?」

「心配しなくてもよろしいですよ雅様。眠っておいでなだけです」

「日守さん、何が遭ったのですか……? 翠は何を……」

「ヒトハシラノカミを消滅させるために結界を張ったのです。この様子を見るに恐らく呪術の反動でしょうなァ……」

「み、どり……!」


 日守さんが放った呪術という言葉が一気に不安を掻き立てた。今まで翠が使ってきた結界の中にそのようなものは存在していなかった。自分達日奉一族が穢れるとどういう危険があるのかは『コトリバコ』の時に学んでいた筈だった。いくら『ヒトハシラノカミ』を倒すためとはいえ、自らの身を犠牲にする様な事はしないで欲しかった。


「心配は無用だと言いましたでしょう雅様。ただ反動で気を失っておられるだけです。思いの外、早く済んだのは少し以外でしたがな」

「あー何かウチもそれは思うたなァ。はっきり数えとらんけど、やっとったの一分ちょいくらいじゃろ?」

「ええ。あたしの計算ではもう少し掛かるかとも思ったのですが、翠様の実力は予想以上だった様ですねぇ。いやはや過小評価でした」


 違う。いくら翠でもあれだけの大きさの神格を一分程度で消せる訳がない。もし仮に一切折り紙を使わない制御無しの最大出力の結界を張ったとしても、それでもここまでの現象は起こせない。あの子がここまでの事が出来たのは恐らく美海のおかげだろう。あの時翠の所へと行かなかったのはこれを予測していたからかもしれない。美海の持つ力にはまだ未知の部分が大きい。時間操作や確率操作だけではない何かがあるのかもしれないのだ。もし美海もまた、自分達が気付いていないだけで神格レベルの力を持っていたのだとしたら、それを使って翠の結界をサポートしたのかもしれない。美海だけでは倒せそうにない相手であったため、翠が繰り出したという呪術結界を利用したのだろう。確率を変えたのか、それとも別の何かかは不明だったがそれを補助する様に自分の力を上乗せした可能性がある。


「そいで、如月はどげんする?」

「そこに居るのですか?」

「木ん中に閉じ込めとう」

「……分かりました」


 姉さんはアタシの頭をそっと地面に下ろすとその場から離れて樹木に乗っている薊さんの方へと向かっていった。どうやら如月も殺されたという事は無く、薊さんの操る植物の中に閉じ込められているらしい。

 美海が頬を舐める中、身動きの取れないまま声が聞こえてくる。


「如月慙愧。聞こえていますか」

「当主の者か……何故儂を殺さん」

「我々の目的は怪異の殺害ではありません。我らの使命は――」

「封印だろう。知っておるわ。だが最早ここまでの事態になれば貴様らにもどうにも出来まい。悲願が果たされる事は無かったが、一矢報いたぞ」

「その事についてです如月慙愧。確かに貴方の言う通り、我々日奉一族は失敗しました。敗北と言っても良いでしょう。一族の総力を挙げてもこの事態を揉み消す事は出来ません」


 数秒、沈黙に包まれる。


「そこでです如月慙愧。貴方には怪異代表として表に立って頂きたいのです」

「何……?」

「恐らく、今日この日は時代の転換期なのでしょう。今まで我々が包み隠してきた全ての真実を、公開します」


 姉さんが下したその決断は日奉一族の使命に背くものだった。いかなる時でも怪異を封印し、市民にその存在を知られない様にする。それが一族が何百年にも渡って続けてきた使命なのだ。正常性を保つために隠蔽する。その筈だった。


「貴方達があの街から放った妖怪や怪異達は最早あらゆる人間の目に触れてしまいました。テレビでも放送されてしまった様です。認めましょう。貴方達の勝ちです」

「く、くくく……何をほざくかと思えば、日奉の当主が聞いて呆れるわ……。我らの悲願はただ一つ、虐げられてきた我らが支配種となる事。それのみよ」

「どうしても……聞き入れて頂けませんか?」

「如何にも」


 そう即答すると如月は倒れていた桜へと声を掛けた。すると彼女は少しだけ顔を上げて頷くとその手を小さく上げる動作をした様に見えた。

 それはあまりに一瞬の事だった。動けない自分や翠だけでなく、姉さんですらも止められない一瞬の事だった。


「何を!?」

「くっ……ぐ、くくく……何を驚いておる? 最早我らの悲願が果たされる事は無くなったのだ……この機を逃したとあっては、我らに勝ち目など無い……っ」

「おいおい何やっとんじゃ!?」

「如月、あんだ……」

「よく目に焼き付けておけ愚かなる日奉の仔よ……っ! そして弥生の血を引く者よ……! 勝負に半端は許されぬ……負けた者は、こうなるしかないのだ……!」


 如月の苦しそうな声が聞こえてきた。


「貴方、達は……知るでしょう……自らが、行っていた事が、どれだけ愚かかを……」

「待ちなさい桜! 何をやっているのです!?」

「忘れました、か……? 私は、現人神あらひとがみと呼ばれた者…………これは、名誉ある死、なのです……」


 自分の体をじわじわと浸食していた筈の穢れが弱まっていくのを感じる。美海のおかげもあるのかもしれないが、それ以上に桜の今の状態が関係している様に思えた。

 自力で動ける様になり体を起こす。視界にははっきりとその場に居る全員が映っていた。


「我らは英雄となる……! 誇り高き、妖を導いた者として……!」

「忘れない事ですね茜……私と慙愧の遺志を必ず継ぐ者が現れます……。どちらかが勝つまでは終わらないのです……和平など、起こり得ない……」


 如月も桜もどちらも苦しそうな声を上げると、声を震わせながら句を詠んだ。


「再びと 返らぬ歳を むつかれど 未だ惜しみて 我が身を焦がす」

「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 夜の日奉」


 辞世の句を詠んだ二人はそれ以降喋らなくなった。如月は木の中に閉じ込められているためどうなっているのかは分からないが、少なくとも桜の方は糸が切れたかの様に動かなくなり、それを合図とする様に自分の心臓は正常は鼓動を取り戻した。

 杖を支えにしながらゆっくりと起き上がる。


「姉さん……今の……」

「……これが、彼らの選択だった様ですね」


 薊さんが乗っていた樹木が枯れ、中から如月の姿が現れる。やはり桜と同じ様にピクリとも動かず、既に命を落としていた。


「ほんなごと馬鹿な真似ば……。やり直しゅ機会もあったんよちゃろうに……」

「これが如月とあの巫女の選んだ答えだったのでしょうなァ。虚しいものです……」


 翠を背負っていた日守さんは自ら死を選んだ二人を哀れむ様に目を瞑った。黄昏街の管理人であり如月とは多少なりとも関わりのあった日守さんからしてみれば、いくら彼が大惨事を引き起こしたとはいえ、それでも憎み切れなかったのだろう。実際彼らの意見も、自分が同じ立場になれば分かってしまいそうなものであったため、自分もまた彼らを完全に憎むという事は出来なかった。


「ぅ……」

「翠?」


 ようやく意識を取り戻したのか翠が小さな呻き声を発した。日守さんは腰を降ろして翠を下ろすと倒れている如月の側へ近寄っていった。

 姉さんは駆け出して翠を抱き締めると、小さく嗚咽を漏らした。


「あ、あか姉……苦しいよ……わ、私上手くやれたかな……?」

「ええ、ええ……よく……よく頑張りました……」

「だってよ翠。頑張ったじゃねェか」

「あっみやちゃん! 大丈夫だった!? な、何か箱みたいなのに閉じ込められたりとかしてたけど……!」

「ああ心配すンな。そんなヤワじゃねェよアタシは」

「そ、そっか! そうだよね! みやちゃんならそうだよね!」

「ああ。それで……えっと、姉さん?」

「ぐすっ……すみません雅、みっともないところをお見せして……」

「ああ、いやうん。いいんだよ別に。えっと……うん……」


 何と言えばいいのか浮かばず、諦めようと思ったその時、桔梗さんが口を開いた。


「察し悪いのぉ茜さんはァ。みやっちは甘えたいんよ。なァ?」

「い、いやそういうんじゃないすけど……てか桔梗さん腕ヤバそうですけど大丈夫――」


 話題を切り替える前に姉さんがアタシを抱き締めた。力強い抱擁だった。


「頑張りましたね……」

「いや、違うからね? 桔梗さんが勝手に適当言ってるだけで……」

「あーいたたたた!! ウチ急に腕痛ぉうなってきたわ!! いかんいかんこれはいかんわー!! もうめっちゃ! めっちゃ腕痛い! 真白ばーちゃーん!! 治してくれぇーーいっ!!」


 下手くそな演技をして大騒ぎをしながら桔梗さんは元気に駆け出していった。見た感じ折れていそうな程腫れているというのに、それを感じさせない元気さを見せていた。

 姉さんの繊細で綺麗な手が頭を撫でた。


「貴方には……今まで無理ばかりさせてましたね……」

「……ンな事ないよ。日奉一族としての使命を果たしてただけ」

「雅は本当に……真面目なのですね……」

「真面目に生きたつもりは無いよ。誰かがやんなきゃいけなかった。それだけだよ」


 翠まで姉さんの真似をする様にピタリと引っ付いてきた。


「そんな事ないよみやちゃん」

「……翠の方が真面目だよ。きちんと勉強も出来るし、優しくていい子だ」


 姉さんは翠にも腕を回し、更に抱き締める力が強くなる。しかし決して苦しくはなかった。むしろその力強さが心地良く、その体から発されている鼓動の音がアタシの気持ちを解していった。


「私にとって……雅も翠も、自慢の家族です……」


 視界に映っていた如月と桜に黙祷を捧げている日守さんと薊さんの姿がぼやけて見えた。足元に温かくふわふわした感触が寄り添う。雨でも降っているのか頬が濡れた。

 その時のアタシは数年振りに、まるで子供に戻ったかの様に声を上げた。

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