第83話:呪祟結界
みやちゃんとあか姉が木に乗って上空に浮かぶ『ヒトハシラノカミ』へと向かってからというものの、私はずっと『龍仙の陣』を展開し続けていた。途中、周囲の建物の瓦礫が空中で寄せ集まって箱の様な物を作り上げていたりもしたが、弥生さんが妨害してサポートをしてくれていた。
途中からは一旦どこかへと行っていた桔梗さんが援護のために戻ってきてくれた。そのおかげで私は結界を張り続ける事が出来ていたが、それでも町中には様々な妖怪や怪異が跋扈し続けており、いくら桔梗さんが強いとは言ってもこのままではどんどん追い詰められていくばかりだった。
「ホンマ性懲りものう出てきよんのぉ……」
「やはりあのヒトハシラノカミをどうにかせねばならんのでしょうなぁ。あれを作るように言ったのは如月ですからな」
「ほんなごと厄介な事ばしとってくれたちゃ。あれば消しゃなかっち多がと終わらんけんちゃ」
私は折り鶴の入った瓶を左腕に抱えながら霊力を流し続けていたが、突然瓦礫や建築物が巨大な塊へと変形すると『ヒトハシラノカミ』へと飛んでいき、一旦停止すると誰かを乗せて地上に降下し始めた。
「あれは如月でしょうな……まさかあれが尻尾を撒いて逃げようとは」
「あれが如月ねェ……ほんじゃあウチがちゃちゃっと仕留めに行こうか?」
「翠しゃん。動きなのら結界は張れる?」
「えっ? は、はい。一応範囲内なら出来ますけど……」
「そんなら今の好機ばい。如月のわざわざ逃げるっち事はなんか想定外ん事の起きよったっち事やろ?」
確かに今回の黒幕の一人である如月を倒すには絶好の機会と言えた。あの巫女らしき人物と共に居る状態であれば何を仕掛けてくるか分からないが、彼一人になった今であれば脅威度は大きく下がる事になる。温羅と一度戦った経験があるため、鬼がどれだけの怪力を持っているのかは理解出来ており、更に如月には建築物を自在に操れる能力があるというのは既に確認しているのだ。今ここに居るメンバーなら倒せるかもしれない。
「行きましょう。何とかなるかもです!」
「ほんなら急ごうや。こんまま逃げられたらメンドイで」
「言っておきますがあたしは戦えませんよ。知識面での補佐しか出来ませんからね」
「そんなん見りゃあ分かるわ。さっきからなーんもしとらんしの」
地上へと降りてきた如月に追撃を仕掛けるために私達は全員で動き出した。如月が逃走したのは恐らく駅前広場の方であり、あれだけの瓦礫の塊を下ろせるのはあそこくらいしか考えられなかった。もし他の場所に下ろそうとすれば住宅や店舗などによって阻まれてしまうだろう。ある程度広い道路が存在するのはあそこくらいだ。
途中何度も様々な怪異から襲われそうになったものの、桔梗さんがすぐさま裂け目を作り出してこちらへと近寄れない様にして防いでくれた。黄昏街との『境界』が完全に開放されてしまったせいで今まで見た事もない様な怪異ばかりが出てきており、恐らく正面から戦えば対処法も分からず一方的にやられてしまうであろう事は容易に想像出来た。
「あ、あそこです!」
駅前広場には地面に崩れ落ちた瓦礫が散らばっており、その真ん中には如月の姿があった。その左足は切断されたのか存在しておらず、地面に這う様にして寝そべっていた。傷口からは出血らしきものは確認出来ず、恐らくはみやちゃんの技による熱で切断されたものと思われた。
「如月。そこに居ましたか」
「日守……」
「日奉一族より管理者としての任を受けた身としてはこれ以上は看過出来ませんねぇ」
「何故だ……弥生よ。貴様も我らの同胞であろう……」
「同胞じゃなかちゃ。そげな昔ん事いちいち引き摺るなんて無意味やし。まぁ、うちはそん時はまだ生まれてなかったばってん」
如月の目には激しい憎悪の感情が見て取れる。自分と同じ鬼の血筋である弥生さんが私達人間の味方をしているという事が許せないのだろう。確かに今まで一方的に封印してきた私達にも責任はあるのかもしれない。しかしだからといって、ここで見過ごす訳にはいかない。ここまで大惨事になってしまった以上は何としてでも止めなくてはならない。
「き、如月さん! 日奉一族としての警告です! こ、これ以上はもうやめてください! 今引き返してくれれば私達も追いませんから!」
「ほざけ日奉の仔め……何百年もの間封じられておった我らの憤怒を知るがいい……」
「そー思っちるんは一部ん奴だけやろ? 現に見当たらん如月ん者もいるばってん」
「ふん……彼奴らは腰抜けよ。かつての貴様らと同じでな」
「如月。管理者としての最終通告ですよ。即座に手下を連れて街へと帰りなさい」
「黙れ日守っ! あのような忘却の街に戻ると思うか……!」
桔梗さんが抜刀したまま如月に一歩近付く。
「のぉ、もうええじゃろ。ぱっぱと殺そうや。何言うてもこういうんには伝わらんわ」
「無礼るなよ人間風情が……!」
如月がこちらに睨みを利かせると駅が凄まじい音を立てながら弾け、破片が再集合した始めた。レールも地面から剥がれ、駅へとまとわりついていく。やがてそれは空中に浮かぶ瓦礫の球体となり、そこに巻き付いたレールはしなる様な動きをしながらこちらへと振り下ろされた。
弥生さんは近くに生えている街路樹へと走り出し、桔梗さんは目前へと迫っていたレールに一閃を繰り出した。その一撃によって空間に裂け目が作られ、レールはその中へと引き込まれていった。
「やめといた方がええよ。ウチに勝てるってホンマに思うとるんか?」
「……如何にも。そのためにヒトハシラノカミが居るのだ」
その言葉の直後、金属が弾ける様な音が聞こえたかと思うと桔梗さんが突然私と日守さんを突き飛ばした。
「桔梗さん!?」
「クッソ……ぶちヤバいわアイツ……」
桔梗さんの右腕は力なくだらりと垂れていた。模擬刀は既に左手に握られており、その表情を見るに腕が折れているらしかった。如月の方を見てみると私達の後方から伸びて来ていた樹木が途中で折れており、幹のその部分には街灯が突き刺さっていた。どうやら先程聞こえてきた金属音はあれが折れた時の音だったらしい。
「貴様らに勝ち目など無い……ヒトハシラノカミが居る限りは、我らの勝利に揺るぎは無い……」
「き、桔梗さん下がってください……」
「みどっち……そん結界、消してや」
「え……?」
「確かにそん結界んおかげでウチも戦いやすうなっとる。じゃけどな、こいつまで強化されとるっぽいんじゃわ……」
「だ、駄目です……止めたらみやちゃんとあか姉が……」
桔梗さんは何も返事を返さず、呼吸を荒くしながら片手で刀を構えた。周囲に建っている建築物は駅へと集まり始めどんどん肥大化しており、私が『龍仙の陣』を停止させない限りは如月のこの能力の強化を止める事も出来そうになかった。しかしここで止めてしまえば、みやちゃんやあか姉まで不利な状況になってしまうのは確かだった。如月と共に居たあの巫女は、上手くは言えないが何か普通ではないものを感じる。この結界を使わなければ止められない程の相手の筈だ。
「翠しゃんやめなくてよか! 如月ば倒しゅにはこれしかん!」
「無駄だ……! 貴様らが何をしようが、天は我らに味方する。我らの悲願がヒトハシラノカミによって果たされる……!」
瓦礫塊は最早一種の巨人と言っても差し付けない程に巨大化しており、一部を腕の様に変形させるとそれを天へと掲げてこちらに振り下ろし始めた。流石にあの大きさの物を裂け目へ入れるのは不可能だと考えたのか、桔梗さんは近くに裂け目を作り出すとそこから撤退するようにと私達へ合図を出してきた。
しかしその行為はある声で止められた。
「舞い給え 謡い給う 夜見の果てに朽ち果てて 海に浮かべて 流しましょう~」
「この声……」
ショルダーバッグの中でスマートフォンが振動する。その歌声を合図にするかの様に瓦礫の巨人は動きを停止させ、その腕も途中でピタリと止まっていた。
「ひ、日守さん、ちょっと代わりにスマートフォンを出してくれませんか?」
「すまーとふぉん? えーと……」
「あの、板みたいやつです……!」
「何だ……!? どうなっておる……!? 何なのだこの歌は……!?」
日守さんが代わりにスマートフォンを取り出すと、その画面にはしおちゃんが映っていた。
「翠さん無事でしたか間に合わなかったらボクの責任問題になるところでしたよ」
「しおちゃん! こ、この歌って……」
「黄泉川縁さんからご連絡があったのです、三瀬川さんの下へ急行して欲しいと」
「浮き給え 揺られ給う 倦みの果てに疲れ果て 逢魔ヶ刻に 流しましょう~」
どうやらあの後、夜行を倒した縁ちゃんは何らかの方法で東雲病院へと向かったらしい。そしてしおちゃんへと連絡を取る事によってこうして協力を要請したそうだ。
「如月慙愧、聞こえていますか。ボクは日奉一族の一人日奉雌黄です、これは警告です早急に攻撃を中止しすぐさま投降しなさい」
「貴様何者だ……貴様の様な者は一度も見た事が……」
「当たり前でしょう貴方の様ないつまでも過去に縋る存在が時代の最先端を行くボクに気付ける訳がないでしょう。それとちなみにですが先程の歌でこの街に居る全ての怪異が封印され貴方の力も一部封じられましたので悪しからず」
歌というのは三瀬川さんが桃ちゃんから受け継いだ『追儺の魔除け歌』の事だ。怪異を自らの中へと封じ込める荒業とも言える技術である。今この町に存在している怪異がどれだけの数なのかは分からないが、それを全て封じるというのは相当な無茶に思えた。すぐに限界が来てかつての彼女の親友、追儺桃ちゃんの様に死亡するのではないだろうかと感じた。
「く、くくく……構わぬ。あれが居る限りは我らの悲願は――」
「已み給え 夜見給う 夜宵の空に散り果てて 暁信じて 流しましょう~」
「ちなみにそれも無駄ですチェックメイトというやつですね、おっと失礼貴方の様な時代遅れにはチェスは分かりませんか」
上空を見上げてみると『ヒトハシラノカミ』の脇腹辺りが塵の様に霧散し始めた。どうやら魔除け歌の対象が『ヒトハシラノカミ』へと切り替わったらしい。
「馬鹿な……たかが歌如きでその様な事が……」
「なァどうなっとるんじゃ……これぶちヤバいんじゃないん?」
「い、いえ大丈夫だと思います……でもこの歌ってここまで範囲が……?」
「ああ言い忘れてましたすみませんボクとして事が。現在、日本中の放送局とテレビとスマートフォンをハック中です、つまり何が言いたいかと言いますとあらゆる液晶機器から歌が流れ、彼女が怪異として標的にした存在はどこにも逃げ場が無いという事です。貴方のおかげですよ翠さん、貴方のスマートフォンに入った際にボクのメインデータをこちらに移動させました、つまり今はこのスマートフォンがボクの本体という事です」
このスマートフォンが彼女にとっての本体になったという事は『龍仙の陣』の結界内に入っているという事になる。電子機器を自在に操れる能力の幅が一時的に上がっているのだろう。だからこそ日本中の放送電波、ネットワークを同時に操れているのだろう。
如月は予想外の事態に動揺しているのか『ヒトハシラノカミ』を見上げる事しか出来ていなかった。
「さて翠さん、ここからは貴方の出番ですまずはこのメッセージをどうぞ」
そう言うとしおちゃんは画面上に化生教授の姿を写し出した。
「やっほ~。えっとヒマちゃんかな? それとも翠ちゃん? ま、どっちでもいっか。あのねぇ~あのデカい奴の対処法なんだけどさぁ、何とな~く分かってきたよぉ」
教授からのメッセージによると、やはりアレは野辺送り団子などを用いて作られた存在であるらしく、まさに神格と言って差し支えないそうだ。しかしそこが弱点になっている。アレは神聖な存在であるため、穢れといったものを嫌う傾向があるらしいのだ。つまりそういった現象を大規模に起こせれば消せるかもしれないという。
「……以上です、貴方なら出来るのではありませんか翠さん」
「なるほど、確かにあれが神格であればそのやり方が効果的かもしれませんなァ。翠様、どうされます?」
「や、やろうと思えば出来るかもですけど……でもそんな事したらみやちゃん達が……」
「みどっち……言うとる場合か? ぶちヤバい状況なんで? みやっちの事が気になるんは分かるけど、日奉のモンとして気ィ張ってや」
街灯のせいで折れていた樹木がそこから大量に枝分かれし、如月を囲う様にして封じ込める。
「翠しゃん急いで! こいつは止められてもありゃうちにはどげんもこげんもなか!」
「…………分かり、ました」
みやちゃんとあか姉が何とか生き延びてくれるのを願い、私はショルダーバッグの中に入れておいた呼びの折り紙を取り出した。まだ何の形に折っていない紙と瓶を地面に置き、折り紙を人型に折り始める。いつもは両手で折っているものの、しーちゃんからの攻撃による不調が未だに続いており、上手く動かせる左手だけで折らなくてはならなかった。
「貴様弥生! ここを開けよ! 何故分からぬのだ! 我らの時代が訪れるのだぞ!?」
「如月、ほんなごとよか加減にしなちゃ。大人しくしてれば殺したばいりはせんから」
「ま……取りあえずは見逃しちゃるわ。変な動きしよったら切り殺すけェよろしく」
「翠さん、貴方が『龍仙の陣』を解除する際にはボクは元の場所に戻りますので」
「う、うん……これで……完成!」
「出来ましたか、それではボクは失礼します。透を待たせていますので」
スマートフォンの画面からしおちゃんが消えたのを確認すると私は『龍仙の陣』を解除し、座ったまま瓶に触れて霊力を流し込む。初めて人型の折り紙を作ったため不安だったが、上手く動かす事が出来た。人型達は空を飛んでいき、上空に浮かんでいる『ヒトハシラノカミ』の周りを囲う様に配置する。かなり遠距離なため相当意識を集中させる必要があったが、今ここでやらなければ倒せないため何とか気を失わない様に注意した。
「のぉ日守さん。あのデカいの倒したらどうなるんじゃ?」
「消えるでしょうなァ」
「……今何て?」
「ですから消えるだろうと申したのですよ。雅様と茜様が上手くお逃げになっていると良いのですがねェ……」
「ぶちヤバいわっ!!」
直後桔梗さんの気配が消える。恐らくみやちゃんとあか姉を助けに向かったのだろう。
「始めます……!」
配置し終えた人型折り紙の腕を操作し、まるで裏拍手でもしているかの様な動きをさせる。そのままの動きを続行させながら更に霊力を流し込み、結界そのものを穢れへと変化させていく。
「ほう……あれは……」
「何をしておる……!? やめろ! やめろと言っているのが聞こえんのか!?」
心臓の拍動が乱れ始めているのを感じる。
「『呪祟結界 魂穿ち』……!」
心拍数が上がっていき、遠く離れた場所で凄まじい妖気が放たれていくのを感じながら、私の体は大きく倒れ、意識も暗闇の中へと落ちていった。




