第81話:日奉る者、異なる者、さりとて敵わぬ者が居て
姉さんと共に如月達と対峙する事になったアタシは胸元に抱いていた美海を地面へと降ろす。美海はこちらを心配するかの様に鳴き声を上げたが、彼女を連れて行く訳にはいかなかった。
「美海、悪いけど翠達を助けてやってくれ。こっちは大丈夫だから。な?」
美海は姉さんの方を一瞥すると小さく鳴き、翠達の方へと軽やかに駆けていった。
「良いのですか? あの猫は確か以前保護したという黒猫でしょう?」
「うん。今は翠達を守ってもらった方がいいかなって。それに姉さんが居てくれれば百人力だしさ」
「ふふ、そうですか。私も雅が居ると心強いですよ」
姉さんは優しくそう微笑むと、一旦この場で待つ様に指示を出して一人で集まり続けている建物の方へと走り出し、そしてある程度近付いた所で、右手をパッと前へと突き出した。すると人型の様に形を取り続けていた建物達が一瞬にして解けてバラバラになって崩壊した。
これが姉さん、日奉一族現当主の能力である『正常化』である。姉さんの体の中心から目には見えない球状の力場の様なものが発生し、その力場に巻き込まれた『異常な存在』は一瞬にしてこの世から消滅する。それが妖怪であろうが超能力者であろうが関係ない。射程内に入ったのであれば容赦なく消滅するのだ。しかしその力は封印や隔離を目的とする日奉一族にとっては過ぎた力であるため、この力が使われるのは余程の時だけである。つまり、今はまさに余程の時という事だ。
「雅!! 見えましたあそこです!!」
姉さんが指差した先には如月と巫女の姿があった。両手で何かを巻き上げる様なポーズを取っていた事から、先程の現象を起こしていたのはやはり如月だったらしい。
これ以上の行動を封じるために地面へと熱源を伝え、そこから二人の方まで走らせる。しかし、それを見ていた巫女が右手をこちらへ伸ばすと、突然熱源のコントロールが利かなくなり自分の方へと移動してきた。姉さんもそれに気が付いたのか再び力を発動させ、暴走していた熱源を消滅させた。
「大丈夫ですか雅!?」
姉さんは守る様にこちらへと戻ると相手の方を睨んだ。
「大丈夫……でもアイツ、何かヤバイよ」
「ええ……先程彼女が力を使った際にとてつもない力を感じました。未だ見た事も無いような……」
「それなんだけど、多分アイツ、神格の力を使ってるンだと思う。邪気も感じないし霊気も感じないのはそういう事なんじゃないかって……」
「現人神……という事ですか」
現人神。それは人間の姿をした神、あるいは人でありながら同時に神であるという存在に使われる呼び名である。日本の歴史においても明治時代に天皇を神とする国家体制が存在していた。しかしそれはあくまで観念的なものであり、その時代にそれを本気で信じていた人は少なかった可能性がある。だが古くより怪異を相手にしていた日奉一族の歴史には、事実そういった人間が実在するという事があったのかもしれない。そして今相手をしているあの巫女は、まさにその定義に当てはまる現人神なのかもしれない。
如月は少しの間こちらを見ていたが突如手の甲を打ち付けて逆拍手を始める。それ合図にするかの様に周囲の建物にめり込む様にして黄昏街で見た長屋などが現れ始めた。あの男児を利用していた母親が起こした現象と同じ事が再び発生しており、彼らを誑かしたのが如月と巫女なのであれば、この手法を知っているのも納得だった。
「まずいよ姉さん……あっちの世界と混ぜようとしてる」
「分かっています。すぐに私が……」
そう言うと姉さんは近くに建っている建物へと近寄ると能力を発動させた。しかし先程とは違い、何故か異常現象が停まる事はなく、どんどん融合が進んでいた。
何故正常化出来ないのかと二人して困惑していると崩壊した建築物の瓦礫を操りながら如月と巫女がこちらに突っ込んできた。何か反撃をしようとしたものの反応が間に合わず、そのままがっしりとした如月の腕に捕まってしまった。
「雅!!」
「まだ死してはおらんかったのだな日奉の仔よ。如何様な技を使ったのだ」
「動かないでもらえますか。我々は対話のためにここに来たのです」
巫女は落ち着いた様子で話し始めた。
「単刀直入に申し上げましょう。この世界を我々にお渡しくださいな」
「……貴方方の様な者へ渡すとお思いですか」
「ではこの子は殺してしまいましょう」
巫女の手が顔の前へと近付く。
「待ちなさい! ……理由は、理由は何ですか」
「簡単な話です。人類の根絶。あるいは我らの復権です」
「より正確に言えば復讐だ。我らを追いやった人類へのな」
「何を言って……」
「ふん……当主だというのにあの話も聞いておらぬのか。都合の悪い事を残すつもりはないという事か」
黄昏街で薊さんから聞いた話、あれはやはり事実なのだろう。かつて鬼と共に暮らしていた人々は自らの利益のために彼らを定住地から追い出した。薊さんの血族であった弥生一族の様に、争いを避けるために出て行った者も居たそうだが、如月一族はそうではなかった。
その時、ふとある憶測が浮かんできた。薊さんから聞いていたあの話に出て来た巫女というのは、まさかここに居る彼女と同一人物なのではないかという考えだった。
「何を言っているのか分かりません……まずはその子を放しなさい」
「ならぬ。そちらこそ今すぐに各地の人員に伝えよ。『任務を中断せよ』とな」
「我々にとっては貴方がどちらを選んでも関係ありません。この子を見殺しにするというのであればそれでも結構。しかし従うというのであれば、解放すると約束しましょう」
「……姉さん! こんな奴らの言う事なんか聞かなくていい! アタシごと早く……!」
「雅とか言うたな日奉の仔よ。貴様に決定権は無い。これは当主たるあの女と我らの取引なのだ」
姉さんが戸惑っているのは無理もない。あの『正常化』の能力には細かい調整が利かないのだ。異常な存在を消滅させる力ではあるが、『何が異常で何が正常か』は自分の意思では決められないそうなのだ。つまり、もし今ここでこの二人を倒そうと発動すれば間違いなくアタシも巻き込まれて消滅する事になる。強力過ぎるが故に制御の利かない、場合によっては諸刃の剣となり得る力なのだ。
両者が睨み合う中、アタシの視界には建物の奥で動く小さな龍の折り紙の姿が映り込んだ。それはまさに、この状況を切り抜けるために翠が放ってくれた奇跡とも言える一手だった。
体の異変に気付かれる前に自らの体表に熱源を発生させると、それを如月の体へと移動させて全身を駆け巡らせながら一気に加熱した。突然の攻撃に怯んだ如月の腕から逃れたアタシは飛び退く様にして姉さんの隣へ立つ。しかし、如月を加熱していた『灯廻』の熱は巫女が手をかざしただけで一瞬にして消滅してしまった。
「成程……これは貴様の相方の技か?」
「……何の事だ?」
「気付かぬとでも思うたか。体の内側から力が湧き上がるのを感じたぞ」
「テメェらがそんな事知る必要なんかねェだろ。どうせすぐに負けるンだからな……」
「まだ何か勘違いしておられる様子ですね。私の前ではこの様な力は何も意味を成さないのですよ?」
「……どうだろうな。あんまあの子を無礼ンなよ。アタシやテメェらが思ってるよりもよっぽど強いぜあの子は」
「では試してみましょう。『ヒトハシラノカミ』とあの子、どちらが強いでしょうね」
巫女がそう言うと突如彼女らが立っている地面が天高く隆起し、向かい合う様に建っていた二つの建物がこちらを挟み込む様に勢いよく動き出した。姉さんの力に頼る訳にはいかないため、すぐさま自分達を取り囲む様にして無数の熱源を作り出し、それを迫ってくる建物へと移して熱で溶解させた。普段であればこれ程大量の熱源を作り出す事は不可能だが、翠が発動させてくれた『龍仙の陣』によって何とか上手くやる事が出来た。
「雅、怪我は?」
「大丈夫。それより翠を守らないと」
「あの子は大丈夫です」
「何でそんな事言えるの? アイツらが次に狙いそうなのは……」
「あの子が今使っているのは、まだ未完成だったあの結界なのでしょう?」
「……うん。あの子がそう言ってた」
姉さんは隆起した地面の行先を見やる。そこには依然として空に寝そべる『ヒトハシラノカミ』の姿があった。
「これは仮説なのですが、もしあの巫女が持っている力が私と似ているものなのだとしたら、今のこの状況は好機かもしれません」
「姉さんと同じ?」
「ええ。……私も自覚した事はありませんし、この様な事を考えるのはおこがましいのですが、私も彼女も雅の言う現人神なのかもしれません」
「それは……」
今までそんな事は考えた事も無かった。しかし姉さんが持っているその力の強力さを考えてみれば、この人が現人神の一種だというのは納得がいった。しかもこの人からは邪気は当然として霊気の様なものも感じた事が無いのだ。今まで一緒に暮らしてきて訓練を受けてからそういったものを感じられる様になったため、慣れから姉さんの気を感じられないだけだと勝手に思っていた。
「先程翠が結界を作った時、彼女が何かしたのは分かったのですが自分の身に何が起こっているのかは感じられなかったのです」
「じゃあもしかして……」
「ええ。あの結界は霊力を高めるものです。私やあの巫女の様に現人神にはそれが適用されないのだとしたら……」
「相手の力はそのままにこっちだけ力を高められる……」
「そうなります。ですがいずれにせよ彼女は危険な存在です。油断はしない様に」
相変わらず『龍仙の陣』は展開し続けているが、それでもあの二人を追跡するのは困難であったため翠と連絡を取ろうとスマホを取り出して電話を入れる。
「あっみやちゃん!」
「悪い翠、助かったよ」
「う、うん。こっちも妖怪とかが暴れてて危なそうだったからあの結界使ったんだ。今は弥生さんが何とか戦ってくれてるけど……」
「今どこに?」
「さ、さっきの場所から動いてない。や、弥生さんは植物がないと力使えないみたいだし……」
「そうか。悪いンだが弥生さんに代わってくれるか」
「う、うん」
数秒後、電話口には薊さんが出てきた。
「今代わったちゃ。どげんしたと?」
「すみません弥生さん。アイツらが『ヒトハシラノカミ』の方に逃げたンです。助けてもらえませんか」
「そーゆう事ね。ちょー待っとって」
その言葉の数秒後、メキメキと音を立てながら二本の樹木がこちらへと伸びてきた。
「そい使っち。下から見える範囲やったら協力出きんしゃーから」
「ありがとうございます。……行こう姉さん」
「ええ」
電話を切って樹木から生えていた枝を掴むと、それに反応する様に上空へと成長し始めた。きちんと掴まり易い様に足を掛ける枝まで生えており、植物に関する事ならここまで出来るという事に驚愕すると共に、如月と同じ様に鬼の血筋が流れているというのにも納得がいった。
町の方を振り返ってみると山の入り口辺りに翠達が残っており、翠は地面に瓶を置いて座ったまま結界を展開し続けていた。薊さんは木に触れ続けており、日守さんは『ヒトハシラノカミ』を観察する様に見上げていた。
やがてアタシと姉さんを乗せた二つの樹木は空に浮かぶ『ヒトハシラノカミ』を越える程に成長し、二人でその巨大な背中に降り立った。そこには如月と巫女の姿があり、こちらに気が付いたのか振り向いた。
「やはりあの程度では死なぬか」
「当たり前ェよ。あんなんで死んでりゃとっくの昔に死んでるぜ」
「……そちらの方、何故鬼であるその者に従うのです。お見受けしたところ、貴方は巫女なのでしょう?」
「やはり貴方は何も知らないのですね。ですがそれも仕方の無き事……遥か昔の事ですから」
「なァアンタ……宮古島の方で親子に変な結界教えたか?」
「おや、やはりあれを崩したのは貴方でしたか。その通りですよ。日奉のそれを超えた自作のものです」
「どういう、つもりなンだよ……」
「どういうつもりとは?」
「アイツらは何にも関係無かっただろうがッ! 特にあの子供は!!」
「あの二人は丁度良かったのです。元より他の民から穢れとして扱われていたのですよ。ならばそれを利用する手は無いでしょう」
これもあの『コトリバコ』の原理と似たものなのだろう。穢れとして扱われていたあの親子を媒体として、現人神である彼女の力を加える。神格の力を穢れさせるのとは逆に、穢れに神の力を加えて更に強力な呪物としたのだ。現人神である彼女からすれば、たかが人間の親子は道具に過ぎないのだろう。
「貴方も巫女でしょう。何故そのような真似が……」
「言葉を返させてもらおう。貴様らもかつて友であった我らを道具として利用し捨てたであろう」
「確かにかつての私は巫女でした。人々は皆私を崇め、畏怖を抱いていました。ですがある日私は気付いたのです。人と妖を別ける事がどれほど愚かしいか。神たる私が妖である彼らを滅する事がどれほど醜いか」
「何を言っているのです! 巫女としての使命があるのならそれを果たさねば!」
「お慕いしたのです」
「……何と?」
「私は彼の事を……如月慙愧の事を存在としてお慕いしたのです」
「そう。人間の身勝手に追いやられた我らを救ってくれたのが、桜なのだ」
桜と呼ばれた彼女は村の人間と揉めていた如月一族と裏で話を進め、表向きには村を救いに来た巫女として振舞い、実際には彼らを黄昏街へと逃がしていたらしい。そしていつか世界を変えるために表の歴史から身を隠し、準備を進めていたそうだ。
「私は気付いたのです。日奉一族の人間として生きる事がどれほど醜い事かを」
「まさか貴方は……」
「ええ。かつての私は光の巫女、日奉桜でした。今や忌まわしき過去ですが」
「嘘をついてはいませんか……? 貴方の名前などどこにも……」
「家系図には書いていないのでしょう。日奉一族からすれば私の様な裏切りを働く人間は記録に残したくなかったのでしょう。何より名誉を重視していましたから」
「そんな筈は……」
「天皇家との繋がりも断っておきました。そうすれば名誉を失くした日奉一族は活動を止めると考えたのです。ですが……貴方の様な例外が生まれていた」
桜は姉さんへと冷ややかな目を向ける。
「使命がどうだのと偽善めいた事を抜かす者が現れた。ずっと黄昏街から見ていましたよ。警察内部で活動する者、人間の子供一人のために群霊に呑まれた者、自らの狂気を糧に弱者を守る者、肉体を捨てて協力する者、時を越えてでも世界を守ろうとする者、憎悪を糧に世界を守る者、価値の無い命のために力を使う者、自らの行いを正当化して戦う者、それに同調して家族のフリをしながら守る者、そして……私と似た力を持ちながら人間に加担する者――」
「もう結構です」
姉さんは辛そうに瞑っていた目を開き、桜を睨む。
「貴方とは……分かり合えないのでしょう」
「……そうでしょうね。ですが安心してくださいな茜。私が勝った暁には差別も何も無い世界にするとお約束します」
「ふざけないでください。貴方のせいでどれだけ被害が出ていると――」
「もういいよ姉さん」
体の底から湧き上がってくるのは結界による霊力などではなかった。
「姉さんの言う通り、こいつらと分かり合うなんて出来ないンだ。どんな言葉をぶつけてもこいつには届かない」
如月が口を開く。
「桜。もう良かろう。彼奴らを殺し、我らの悲願を果たすのだ」
「ええ、そうですね慙愧。終わりにしましょう」
杖から『ヒトハシラノカミ』の背中へと熱源を伝えた瞬間、如月と桜は動き出した。




