第76話:真実漏洩、始まりの夜行
もうすぐ夜が近付いてくる中、アタシ達の三人は夜ノ見大学民俗学研究室へと向かった。避難誘導が行われているため校内には人影は見られず、空には相変わらずあの顔の無い巨大な人型が浮かび続けていた。そんな中研究棟へと向かい、教授の研究室がある三階へと上っていった。すると誰かが激しくドアを叩いている様な音が聞こえてきた。恐らく先程電話の向こうで聞こえていたのはこの音であり、これのせいで救援を求められたのだ。
階段を登り切り気付かれない様に廊下の方を覗き込んでみるとそこには誰も居なかった。それにも関わらずその音は響き続けており、研究室のドアは見えない何かからの衝撃を受けて振動していた。
「ポ、ポルターガイストかな……?」
「多分その類だろうな。翠、結界であの部屋に入れない様にしてくれ。『玄武ノ陣』なら出来るか?」
「うん。それならいけるよ」
翠は指示通り亀を模した黒い折り紙を飛ばしてドアの前で小さな結界を作った。するとドアを叩く音はしなくなり、そのまま床の上で折り紙をすり動かす様にして廊下の奥へと結界を移動させた。他に怪異が存在しない事を確認し、翠と縁に中に入る様に目配せして三人でドアを開いて研究室の中へと入った。
部屋の中にはどこで手に入れたのか分からない様々な物品が置かれていた。海外で売っていそうなお面や何を意味しているのか不明なオブジェなど、恐らく民俗学的には非常に価値があるのであろう物がそこかしこで立ち並んでいた。
「……気持ち悪」
「こ、ここにある物は大丈夫なんだよね……?」
「取り憑くタイプの奴が向こうから来てなきゃあな……」
研究室内に存在している教授用の部屋へと繋がるドアの前に立ちノックする。
「教授? 大丈夫っすか?」
「ヒマちゃんかな~?」
「はい。来ましたよ」
「ん~~……君が本物のヒマちゃんだって証拠は~?」
「え?」
彼女の対応は現状を見れば正しいものだった。怪異というのはどれだけの種類が居るのかまだはっきりとは分かっていない。それどころか新しい怪異が増え続けている可能性もあるのだ。人の声を真似して中に入れてもらおうとする怪異というのも今までに何体か確認されているのだ。
「分かりました。じゃあ教授、何か壊れても大丈夫な物を手に持っててください。今からアタシがそれをちょっとだけ加熱します。それでいいっすか?」
「ん~いいよいいよ~。じゃあ……よし、どうぞ~」
ドアノブに触れて熱源を付着させると隙間から室内へと移動させ、感覚を頼りに熱源をすり動かして教授の体を見つけるとそこから腕へと上っていき、手に持っている物へと到達した。その形からして恐らくコピー用紙であり、高温にならない様に少しだけ加熱した。すると数秒後、カチャリと鍵が開く音がしてドアが開いた。
「ありがとヒマちゃん」
「教授、助けてくれるのはありがたいンすけど無茶しないでください」
「まーまーもうどうしようもないんだからいいじゃないの~。えっとそっちの子は~……」
「……」
「前にニュースで少し触れられてた子です。死体が消えたって話の」
「あ~~あの子ねぇ。なるほど君がぁ……」
「……やめて。見ないで気持ち悪い」
「教授、それより有益な情報っていうのは?」
「あ~それね」
教授は本で散らかっている机の上から一枚のコピー用紙を手に取った。そこには手書きで大量の文字が書かれており、いくつもの資料を見て書いたものと思われた。異常な記憶力を持っている教授が本を読むという事自体が珍しいのだが、それだけ彼女が本気で取り組んでいるという証拠とも言えた。
「教授、それは?」
「今空に何かデカいのが浮かんでるでしょ? あれの作り方を私流に考察してみたんだ~」
「あ、あのあの! じゃああれって再現が出来るものって事なんですか……?」
「ん~科学的な根拠は無いよ~。ただ……オカルト的には出来るって感じ、かな?」
「教えてください。他にも止めなきゃいけないのは居ますが、アレもどうにかしないと……」
「んっ、いいよ~」
教授によると、あの顔の無い巨人は大量の人間の魂を生贄として捧げる事で召喚出来るのではないかとの事だった。あくまで憶測らしいのだが、まずは生贄となる共通の願いを持った人間を最低でも二十人は集める必要があるらしい。そしてその全員が水鏡を中心にして円を組んで団子を二つ食べ、強く願いながら酒を口に含んで一斉に水鏡に向かって吹き付ける。これによって儀式が完成するそうだ。
「それは……どういう意味があるんすか?」
「今はそうでもないけど、昔は野辺送り団子っていう風習があった。場所によってはお盆に精霊送りを目的として作られる事もあったんだよ」
「それは知ってます。団子を二つって言ってましたけど……もしかしてもう一個は迎え団子ですか?」
「そ。野辺送り団子とは逆に精霊を迎えるために使われる団子だね~。つまり自分の魂を体から送り出して、別のものをお迎えする儀式って事ね」
もちろん通常であれば、団子を二個食べた程度ではそんな事は出来ない。そういった共通の目的を持った霊力の高い人間が団子を作り、集まる人々も高い霊力を持っており、更には気候の条件などが完全に一致しない限りは再現出来ないだろう。
「あ、あの……お酒は何のために?」
「酒っていうのは昔から神への供物として重宝されてきた品だよ~? それに不浄なものを祓う力もあるって言われてるねぇ」
「そうっすね。ちゃんとした専用の作りじゃないと効かないって聞いてます」
「おっ、ヒマちゃんとこでは教えてもらってるんだねぇ?」
「わ、私聞いてないんだけど……」
「まあ一応酒だしな。成人したらアタシから教えるつもりだったよ」
「それでだね。まず口に含む事で体を清める訳だねぇ。その後鏡に吹き付ける。これで儀式は完了する」
「鏡は昔から見えないものを映す力があるって言われてますね……じゃあ契約のために吹いてる?」
「そそ。生贄の体には既に人ならざるものが入り込んでる。そんな自分とそれを鏡で映して、それに酒を吹きかける、つまり供物として捧げる事で儀式が完了するんだね~」
科学的な根拠はどこにも無いが、教授のその発想は決して有り得ないとは言い切れないものだった。一つ一つであれば害を及ぼさない行為でも組み合わせ方によっては危険な儀式になり得る。今攻めてきている彼らは特にそういった事に詳しい存在、いやそれそのものと言っても過言ではない者達である。仮にこのやり方ではないにしても、それだけの事を起こせる知識を持っててもおかしくはないだろう。様々な怪異が集まる黄昏街は相当昔から存在していたのだから、確認する時間はいくらでもあった筈である。
「とりあえず教授の考察は分かりました。止め方は?」
「そこまでは私にも分からないな~。ただ、あれはいずれにしても神格の一種だと思うんだよね~。そこがポイントだと思うんだけどぉ……」
「そうっすか……分かりました。じゃあそろそろ出ましょう。いつ怪異が暴れ始めてもおかしくない」
「ん~そうだねぇ」
これ以上ここに居るのは危険だと考え、共に研究室から出る。廊下の奥へと目をやってみると既に結界が解除されていたらしく折り紙だけがそこに落ちていた。周囲に妖気の様なものが無い事から先程ドアを叩いていた何かは居なくなったという事なのだろう。
最大限警戒をしながら校内を進み、何とか校門まで到着した辺りでスマホに着信が入る。画面を見てみると自動的に画面が切り替わり、雌黄の姿が映し出された。
「雅さん今大丈夫ですか?」
「大丈夫って言いたいが……どうした?」
「最悪です一般市民及び国家に怪異の存在がバレました、これを見てください」
そう言って雌黄が画面上に映し出したのはヘリから撮ったものであろう巨人の映像だった。誰かがリポートしている様子からして、恐らくはどこかの放送局が撮影したものなのだろう。
「碧唯さんと協力して忌々しいブンヤモドキを捕まえていた時にこれを見つけました」
「もう放送されてるのか……?」
「生放送です、全く腹立たしいですねどうして避難しろと言っているのに言う事を聞かないのでしょうか動物の方が賢いのではありませんかね」
「み、みやちゃんまずいよこれ……!」
「ああ……。雌黄、隠蔽情報は?」
「何とか辻褄を合わせられる様に考えてはいますが現状は厳しいですね。それにもっと最悪な状況が起きてます」
「何だ?」
「これです」
次に映されたのはどこかの海上を映している映像だった。それもやはりヘリから撮られたと思しきものであり、最早報道陣の行動を抑えるのは不可能とも言える状況になっている様子だった。
映像内の海には何か大きな黒い塊の様なものが姿を表しており、巨大な二つの眼球がギョロリとカメラへと向いた。すると突然ヘリのコントロールが取れなくなったのか画面が大きく乱れ、ついには映像そのものが途切れた。
「嘘、でしょ……」
「海にもかよ……」
「そちらには日浪さんと桔梗さんを向かわせました、ですが今の映像も生放送されてましたから怪異による被害が明確に国民の目に晒された事になります」
「マジかよ……」
「大マジです。それで重要なのはここからですが茜さんから言伝があります」
「姉さんから?」
「はい、茜さんと合流した日守さんとの話し合いの結果、雅さんと翠さんはあの巨人を優先する様にとの事です、あそこから非常に大量の霊気が放たれている様ですね。一応茜さんもそちらに向かうとの事ですがなるべく彼女の力を使わずに済む様にした方がいいとボクは思います」
「……分かった。何とか考えてみる」
「お願いしますね、鬼に関しては現在各地の監視カメラで捜索中ですので見つけ次第連絡します。……透、何もしなくていいですから慌てずに」
雌黄のそのメッセージを最後に彼女は画面上から姿を消した。事態は最悪としか言えないレベルで悪化しており、仮に現状を全て解決出来たとしても以前の暮らしに完全に戻るのは不可能に近い状況になってきていた。
「やっぱりあのデカいのが一番厄介っぽいね~」
「雅、早くした方がいいんじゃないの」
「ああ、ああ分かってるよ……行こう」
翠は心配そうな顔でこちらを見ていたが流石に虚勢を張る事は出来ない状況だった。現状あの巨人の対処法が一切分かっていないというのが一番の問題だった。任される事自体はいいものの、前例の無い人為的に作られた神格という事は何をしてくるか一切予測がつかないという事だ。怪異相手にはちょっとしたミスですらも命取りになる。それが神格相手となれば更に死亡率は跳ね上がるのだ。
大学から出た自分の前に見覚えのある人物が立っていた。それは、最近は忙しくなりほとんど顔を出せなくなっていた喫茶店の経営者である茶袋婆さんだった。彼女は開いているのか閉じているのか分からない程の細い目でこちらを見ていた。
「あ、あれ? お婆ちゃん……!?」
「……知り合い?」
「ああ、たまに顔出してる喫茶店の婆さんだ。何で避難してねェンだ……」
「お、行きつけなんだね? 私もたまに行くんだよあそこ~」
腰を曲げたままこちらを見ている彼女の事が心配になり近寄る。
「婆さん」
「あらあら雅ちゃんじゃない」
「あらあらじゃねェよ、何してンだ。避難勧告が出てるだろ」
「そうねぇ。でもお婆ちゃん雅ちゃん達の事が心配でねぇ」
「だ、ダメだよお婆ちゃん! 今はその……い、色々と危ないの! だからえっとえっと……」
「……隠さなくてもいいのよ翠ちゃん。お婆ちゃんもね、もう逃げちゃいけないのよ」
「どういう……」
彼女が言った言葉の意味を聞こうとした瞬間、どこからか馬の嘶く声が聞こえてきた。するとドカラッドカラッという音と共に馬が道路を走ってきた。その馬には頭部が存在しておらず、更に背中には一つ目で二本の角が生えた髭モジャの何者かが乗っていた。その容姿は明らかに人間ではなく、怪異の一種だとすぐに理解出来た。
首無し馬は目の前で止まったものの、敵意を持っている存在なのは明らかであったため婆さんを守る様に前へ出る。
「婆さん下がってろ」
「ほう! これはこれは! 何処ぞで見た顔と思えば茶袋ではないか! 斯様な所で会おうとはな!」
「久し振りだねぇ……あたしもアンタにまた会うとは思ってなかったよ」
「……何言ってンだ? オイ婆さん状況分かってンのか!?」
「いいんだよ雅ちゃん。お婆ちゃんにはよ~く分かっているとも」
「ククク……ハッハッハ! 笑止! 貴様が人の真似事をしていようとはな!」
「……え」
「ごめんねぇ二人共……お婆ちゃんねぇ、人間じゃないんだよぉ」
そう語る彼女だったが、その体からはどこにも妖気の様なものは感じなかった。もしあの毛むくじゃらと同じ存在だというのであれば、何らかの妖気なり邪気なりを感じてもおかしくはない筈なのだ。しかしそんなものは何一つ放たれていなかった。
婆さんはアタシの前へと歩いて出ると馬上の怪異を見上げる。
「なぁ夜行。こんな事をしても何にもならんだろう? アンタは意味の無い事をする男じゃない。誰の指示でやってるんだい」
「忘れたか老いぼれ! かつて人と暮らしを共にしていた鬼の一族よ!」
「……全く、あれから何年経ってるのか分かっているのかい? もう昔とは違うんだ。人間の社会に馴染めないなら、あたしらは陰で生きるしかないんだよ」
「貴様の意見は求めておらん! 貴様らの様な腑抜けのせいで我らの住処が奪われたのではないか!」
婆さんは何も反論をしなかった。その代わり、こちらに少しだけ顔を向けた。
「行きなさい二人共。ここはお婆ちゃんが何とかするから」
「婆さん何言って!?」
「時間が無いんでしょう? 世界を救えるのは貴方達だけよ」
あまりにも理解しがたい情報のせいで脳が混乱し、どうすればいいのか分からなかった。しかし、そんな自分を見てか教授と縁が婆さんの隣に並び立った。
「行きなよヒマちゃん。世界を救うのは若い子って決まってるでしょ~?」
「さっさと行って。こんなデカいだけの奴、何なら私一人でも十分」
「これはこれは! ちっぽけな人間風情が喚いておるわ! 自らの無力さを知らぬとは愚かなものよ!」
「みやちゃんっ!」
翠は強く腕を引っ張り、その場から引き離した。足の悪い自分は何とか足早に歩く彼女に合わせるために必死で杖を動かした。自分にとって大事な人達である三人の方を振り返る余裕すらも無かった。
やがて彼らの姿が見えなくなる所まで離れると翠は歩くのを止めて立ち止まった。
「みやちゃんごめんね……でも、今あそこで足止めされる訳には、いかないでしょ……?」
「だが、教授と黄泉川……婆さんも!」
「……大丈夫だよきっと。化生さんも縁ちゃんもあんなのに負ける訳ないもん。それにお婆ちゃんだって。わ、私だって驚いたけど……でもあの人は私達に味方出来るだけの力があるんだと思う」
「…………分かった。悪い。そうだよな。今こんな所で止まってる訳にはいかねェよな」
「うん! 急ごう」
「ああ」
衝撃的な真実を知り動揺してはいたが、彼女が人間でないというのであれば逆に頼りになる戦力にもなるという事である。『夜行』と呼ばれたあの妖とも見知った仲であるという関係性が垣間見えたため、彼女であれば『夜行』を倒せるのかもしれない。
三人が全員無事生き残ってくれる事を願いつつ、翠と共に家の建っている山へと歩みを進めていった。




