第75話:文屋の『正義』と碧唯の正義
謎の巨人を見た自分達の足はより速く動き、ついに夜ノ見町へと辿り着いた。空にはやはり先程見た謎の巨人が浮かんでおり、まるで町そのものを監視しているかの様だった。その姿勢を見るにうつ伏せの様なポーズであったにも関わらず、何故かその頭部には顔に当たる部分が存在していなかった。目も鼻も口も耳も存在しておらず、まるでのっぺらぼうの様に平坦だった。
町では避難が進んでいるのか人影は見当たらなかったが、既に何らかの攻撃などが行われているのかいくつかの建物が崩壊していた。そしてその内の一つからは小さな子供の手がぐったりと伸びていた。慌てて近寄って瓦礫を除けてみると、そこに居たのは縁だった。どうやら既に息を吹き返しているらしく、こちらと目が合った。
「黄泉川……」
「遅い……」
「どうしたンだ!? 何があった!? 避難は!?」
「そんな事してる場合じゃなかった」
縁を瓦礫から引っ張り出すと、彼女は他の瓦礫を除けながら何が起きたのかを話し始めた。
自分達が黄昏街へと行っている間に賽と合流したらしいのだが、その後賽の同級生を名乗る『文屋千尋』という少女が現れたらしい。彼女は写真を使った念写能力の様なものを持っているらしく、それを使って賽が魔除け歌を使って封印した怪異について知ったらしい。そしてその歌が再び歌われた事によって、封じられていたものが全て解放され、賽は意識を失ってしまったそうだ。その後、碧唯さんと連絡を取った縁は文屋千尋を捕まえるために共に行動していたらしい。しかし突如建物が崩壊し、今に至るそうだ。そしてこの瓦礫の下にはまだ碧唯さんが居るらしい。
それを聞き翠と共に瓦礫を退かし始める。
「どういう事だ……まさか如月の別動隊……?」
「それって鬼の事?」
「ああ。そういう名前らしい」
「だったら違うと思う。あいつ、自分の意思で動いてる感じだった」
「……どうなってるンだ」
三人で手分けして瓦礫を退かしていると碧唯さんの姿が見えた。しかしその頭部からは出血しており、蹲る様な体勢をしていた。その下には高校生くらいの少女の姿があり、恐らくこの人物が文屋千尋だった。
「碧唯さん!!」
「クソ、マジかよ……」
何とか二人を瓦礫の中から引っ張り出す事に成功したものの、碧唯さんのその体からは生気が感じられなかった。頭の打ち所が悪かったのか既に死亡している様子であり、彼女の手首に触れてみても脈は感じられなかった。
「……」
「み、みやちゃん! は、早く救急車! 真白さんの所に!」
「駄目だ」
「…………え」
「もう、死んでる……間に合わなかった……」
ここで何が起こったのかは分からない。しかし建物が崩壊していく中、碧唯さんは容疑者である文屋千尋を守ったのだ。彼女は警官だ。例え相手が怪異に協力する様な危険人物だとしても、その身に危険が迫れば助けるだろう。容疑者死亡となっては然るべき処罰も下せず、また対処も出来なくなるからだ。しかし、そんな彼女の考えは甘すぎた。彼らはこちらの世界に侵攻してくるためならどんな手段も使う。そして縁の話が事実なら、この文屋千尋という少女は完全に独断で行動していたのだ。こういう相手が一番行動の予測が出来ない。
「そんな……何で……」
「こいつに聞いてみよう」
碧唯さんの体をそっと退かすと、その下で倒れていた文屋千尋と目が合った。その手には手錠が掛けられており、もう一方は碧唯さんの手首へと掛けられていた。どうやら確保しようとした所でこのビルが崩壊したらしい。
「おい」
「お仲間さんですか……? 貴方方も裁かれる時です! 自分達がやってきた罪を償うんです!」
「どういうつもりなンだ! 君の目的は何なんだ!」
「全ての真実の公開です。貴方方が隠してきた真実。国が隠してきた真実。歴史が隠してきた真実。皆が隠してきた真実……その全てです」
そう語る彼女の目には一切の邪気が見えなかった。自分の行動を正当化しているのではなく、初めから何も問題ないと考えているかの様な表情だった。彼女の中には善意しかないのだ。悪意など一切ない。どこまでも純粋な正義感。真っ直ぐすぎる狂気的な独善だった。
話を聞いていた縁は足元に落ちていたガラスの破片を握ると、素早く文屋へと飛び掛かり馬乗りになり、首元へと破片を突き付けた。
「よせ黄泉川!」
「……あんた、自分が何したか分かってるの」
「成すべき事をしただけです。誰かがいつかはやらないといけなかった事です。貴方もいつまで隠してるんですか黄泉川縁さん? ご家族が待っておられるのでは?」
「……知った風な口を聞かないで」
「だ、ダメだよ縁ちゃん! お願いだからっ……!」
翠の言葉を遮る様にガラス片はこちらに向けられた。
「黙っててよ。こんな奴……生かしておいても意味がない」
「落ち着け。……そいつをどうこうして収まる問題じゃねェ」
「あの子はっ!!」
彼女の口から発されたとは思えない程の大声だった。今まで一度も聞いた事がない程の彼女の声だった。
「あの子はっ……初めて、友達になれそうな子だった! あなた達二人みたいにっ……お人好しで、お節介で、鬱陶しくて! でも、でも……誰よりも優しくて……こんな私でも愛してくれた! 人じゃなくなった私を受け入れてくれた!」
「縁ちゃん……」
「あの子となら……賽となら、やり直せるって思ったのに……もう一回だけ死なずに生きてみようって思えたのに! こいつはっ!」
「分かりますよ黄泉川さん。文屋もお祖父ちゃんをこの社会に殺されました。だから世界を正しくしようって思ったんです。貴方には文屋と同じ不思議な力があるんですよね? 一緒に世界を変えましょう」
文屋の首を横薙ぎに切りつけようとしたガラス片を杖で弾く。彼女の手から離れたそれは瓦礫の中へと消えていった。
「っ……」
「やめるんだ黄泉川。君はまだ……その一線を越えちゃいけない」
「何で!? こいつのせいで賽は倒れた! あれを歌ったらどうなるか分かっててこいつはやったのっ!」
「分かってる。あの子が封じてたあの藪……あれも何とかしなくちゃいけねェ。だが優先するべき事が他にあるだろ」
「そんなの知らない!! このままじゃ賽が死ぬかもしれない……っ!」
「黄泉川!!」
「……っ」
「……大きい声を出して悪い。でも今はそれどころじゃないンだ。如月もそうだし空に浮かんでるアレもそうだ。……あの子は東雲病院に運ばれたンだろ?」
「ん……」
「だったら真白さんが居る。あの人なら絶対何とかしてくれる。だから一回落ち着いてくれ」
怒鳴られた事で少しは冷静になったのか、縁は不服そうな顔をしながらも小さく頷いた。そんな彼女を未だ右腕しか使えない翠が抱きかかえて引き離した。倒れていた文屋はゆっくりと体を起こす。
「どうしてそこまで真実を隠そうとするんですか? 世界があるべき姿に戻ろうとしているだけなのに」
「おかしいとは思わねェのか。世間じゃ妖怪だとか怪異だとか言われてる存在が一般人の目に触れようとしてンだぞ」
「何がいけないんですか? 彼らは作り物ではなく、命ある生命なんですよ?」
「世界の正常性が崩れる事になる……」
「正常性? そもそも何を基準にして正常とするんですか? 自分とちょっと違うからって異常な存在呼ばわりですか? 未だに人間が戦争をやめられないのはそういう考えがあるからなんですよ? そういう考えがあるから同じ歴史を繰り返してるんです。これは我々人間の忌まわしい思考回路です! いい加減進化するべきだと文屋は思います!」
諦めるしかなかった。彼女を言葉で説得するのは不可能なのだろう。自分の正義をどこまでも妄信的に信じ続けている彼女を説き伏せようというのは無茶だった。きっと彼女と自分達は根本的に分かり合えないのだろう。
まだ自分の意見を語り続けている文屋を無視してこれからどうするかを考える。恐らくあの上空の巨人は姉さん達にも見えている筈であり、今頃対策を練っている最中だろう。百さんと紫苑は自分達の拠点へと向かっている。雌黄がどこに居るのかは分からないが、ここまでの状況になると最早隠蔽は困難だろう。
その時、スマホへと電話が掛かってきた。出てみると予想外の人物の声が聞こえた。
「もしもし」
「あ~ヒマちゃん。無事っぽいねぇ~」
「教授……」
「どもども~何かまずい状況になってるっぽいねぇ」
「……そうですね。危ないンで勝手に行動しないでください」
「や、その事なんだけどさ~ちょっと助けてくれない~?」
「はい?」
電話の向こうから何かが激しく叩かれる様な音やガラスが割れる音が聞こえてくる。
「いや私のとこにもね? 避難誘導の指示が来たんだよ? でもヒマちゃん達の手伝いでもしようかな~って隠れてたんだよ~。そしたらまぁ……こんな事になっちゃった的な?」
「まさか……まだ大学に居るんですか?」
「そそ。私は『ゾ~~ン』専門で協力するとか言っちゃったけどさ~流石にヤバそうな状況だし、選り好み出来ないかな~って思った訳さ」
「何て事を……」
「怒るのも分かるけどさ~有益な情報も手に入れてるんだ~。だから悪いんだけど一回こっち来てくれる? ありがとじゃーね~」
そう言うと教授は一方的に電話を切った。大人しく避難に従わなかった教授に少し苛立ちを覚えはしたものの、彼女なりに協力しようとして何かを見つけたと聞き、そんな怒りをグッと内側に押さえ込んだ。
「みやちゃん、もしかして……」
「ああ……まだ教授が大学に残ってるらしい」
「な、何でそんな!?」
「協力しようと残ったらしい。……とりあえず行こう。放っておく訳にもいかねェ」
「……ちょっと待って。こいつはどうするの?」
縁が指差したのは文屋だった。碧唯さんと手錠で繋がれているせいでその場から立ち上がる事が出来ないらしく、座った姿勢のままだった。彼女自身、自分の力では手錠をどうしようもないという事が分かっているのか、特に暴れたりせずにこちらを見ていた。
「ひとまずそこに居てもらう」
「おや意外です。てっきり捕まるのかと思ってたんですけど」
「それは全部片がついてからだ。今はそこで助けてくれた碧唯さんに感謝でもしてるンだな」
「ふーぅむ……確かに彼女の最期の姿は警官の鏡と言っても良かったかもしれませんね。お姉さんの償いも済んだ事ですし、ここは素直に感謝しておきましょうか」
彼女が表向きには普通に暮らしている人間である以上は迂闊に倒す事も出来ないため、仕方なくアタシと翠、そして縁は大学へと向かう事にした。美海は大丈夫だろうかという不安もあったが、強力な力を持っているあの子であれば大丈夫だろうと自分を納得させて、夜ノ見大学内の化生教授の研究室へと歩き出した。
「……雅」
「うん?」
「……ありがと」
「気にすンなよ。そっちこそ落ち着いてくれてありがとう」
「ん……」
間もなく夜が近付いてきていた。




