第73話:おんりえど
翠の展開している『亀甲の陣』のおかげで接近してくる『ケサランパサラン』からの攻撃は何とか防げていたが、それでも空から降り注ぐ異常な量の彼らは次から次へと結界の周りに集まって来ており、少しずつではあったが結界を展開するのに使う折り紙の逃げ場も無くなってきていた。このままであれば先程の様に折り紙の温度が急激に低下し割れてしまう事になるだろう。
「まずいぞ翠……数が多過ぎる……!」
「みやちゃん、もう亀さんの逃げ場が……!」
このままであればジリ貧になって全身の体温を奪われてしまうのが確定していたため、何とか彼らの標的を変えさせる方法を模索する事にした。
何かないだろうかと周囲を見渡してみると、結界に張り付いている『ケサランパサラン』の隙間から一台の車が見えた。避難した住民が乗り捨てていったものと思われ、それを見てある対処法が頭に浮かんだ。
「翠、ちょっといいか……」
「な、何……?」
「あそこに車があるのが見えるか?」
「う、うん。見えるけどどうするの?」
「あそこまで行ってエンジンをかける。それだけだ」
自分が考えている方法を理解してくれたのか、翠は結界の動く方向を車の方へと変化させて共に移動し始めた。その間も『ケサランパサラン』は群れを成してこちらを鈍足で追跡してきたが、少し速足で歩いているからか先程よりは距離を取る事が出来た。
何とか車まで辿り着くと、一時的に結界が解除された。『亀甲の陣』は物理的な阻害を行う結界であったため、結界外の物に触るには解除するしかないのだ。
後ろから『ケサランパサラン』がゆっくりと迫ってくる中、急いで運転席側のドアを開けるとまだ鍵が刺さったままになっていた。急いでそれを回すと車が小さく振動し始め、エンジンでの燃焼が始まった。あまり人の物を勝手に弄るというのはいい気持ちではないが、あのまま追い詰められて凍死するよりかは幾分かマシだった。
「翠頼む!」
「うん!」
指示を出すとすぐに結果が再展開され、それによって何とか『ケサランパサラン』からの接触を避ける事が出来た。彼らはこちらを無視する様に隣を通り抜けると、一直線に車の方へと浮遊していった。雪に擬態している個体も綿毛の様な個体も両方ともエンジンが発する熱に反応してボンネットの辺りに群がっていた。
「う、上手くいった……?」
「多分な。さあ早く行くぞ」
エンジンが起動している間に急いでその場を離れると再び夜ノ見町へと向かって移動を開始した。まだ空からは彼らが降り続けており、定期的に似た様な方法で引き剥がす必要があったが、それでも追跡してくる総数を減らす事は出来た。
途中何度か止まっている車のエンジンを起動させるという方法を繰り返しながら進んでいると、やがて彼らの姿は消えていた。どうやら先程まで居た一定の領域内にのみ降っているらしく、そこから出れば追跡をしてこなくなった。
もう追跡してこない事を確認すると翠の手によって結界は解除された。折り紙達は空中を飛ぶ様にしてショルダーバッグの中へと戻っていった。
「もう大丈夫かな……?」
「ああ。しかし妙だな」
「妙?」
「伝承によるとアイツらは幸運をもたらすンだろ? でもさっきのアイツらはとても幸運なんてもんからは程遠い存在に見えた。どこで勘違いが起きたンだ? いや……伝承に残ってるケサランパサランとは別物なのか……?」
「う、うーん……えっとね、もしかしたらなんだけど」
翠は歩きながら自らの仮説を話してくれた。
彼女の立てた仮説というのは、そもそも今伝わっている伝承そのものに意図的に虚偽が混ぜられているのではないかというものだった。彼らには最初から幸運をもたらす力など存在しておらず、あの温度を捕食する力を知っていた人間がわざと虚偽の情報をばら撒いたのではないかと考えているらしい。そうすれば、何も知らない嫌いな人間に「幸運をもたらす存在」として送る事が出来るし、それで相手がじわじわと体温を奪われて殺されたとしても一般的にはただの凍死としか判別出来なくなる。つまり、一切手を汚す事なく狙った相手を殺せるという事である。
「有り得なくはねェが……それだとここ最近姿を消してたってのは妙じゃねェか?」
「うん、そこなんだよね……誰かが封じたにしても、それだったら記録に残ってる筈だし……」
恐らく彼らに敵意などというものは存在しないのだろう。ただ自分達の本能に従って捕食活動を行っているだけに過ぎず、誰か明確な悪意を持った人間のせいで利用されているのだ。もし彼らを封印したのが自分達と同じ日奉一族の人間なのだとしたら、あの夜テレビをジャックしてきたあの男児達を封じたのと同じ人物の可能性がある。あの日記に残されていた記録によると巫女様なる人物は彼らにあの奇妙な結界術を教えた。しかしそれは悪意ある行為であり、結果的に彼らは日奉一族に敵意を向ける存在へとなっていたのだ。
「なァ翠、この日記の事覚えてるか?」
鞄の奥に入れたままになっていた日記帳を取り出す。
「あっ、それって……」
「これに書かれてた巫女様って奴だが……」
「あ、あれだよね。もしかしたら同じ一族の人かもしれないって……」
「ああ。もしかしたらアタシは勘違いしてたのかもしれないンだ。今までずっとこの巫女様はハンセン病患者を怪異として見ていただけだと思ってたンだ。でも、違うかもしれねェンだよ」
「ど、どういう事……?」
「この巫女様ってのは……最初からアタシら日奉一族を標的にしてたンじゃねェのかって……」
確かに当時ハンセン病を要因とした差別が行われていた。しかし、普段から怪異を相手にしている様な日奉一族の人間が彼らを怪異として見るだろうか。正常性と異常性の違いがついていなければ怪異を相手にする仕事は任されない。あれが怪異ではなく一つの病気だというのは当時の人間でも分かっていた筈である。
「もし、もしもだぞ? 日奉一族に裏切り者が居るとしたら?」
「そ、それは無いんじゃないのかな? だってみやちゃん言ってたでしょ……? その巫女様って人はもうとっくに死んでるんじゃないかって……」
「その前提が違ってたのかもしれねェンだ。もう居ないから死んでるってのは短絡的過ぎたのかもしれん……」
この巫女様なる人物がまだ生きているかもしれないという可能性を考えて、姉さんに報告するべきかどうかと悩んでいると何かがぶつかり合う音が聞こえてきた。嫌な予感がして周囲を見渡してみると、ある建物の上に一人の女性の姿が見えた。その人物はこちらを笑いながら見下ろしており、その両手は手の甲を打ち付け続けていた。その動作はまさに今話していたあの一件で見た人々がやっていたものと同じだった。
「う……そ……」
「クソマジかよ……」
本来であれば何とかして対処をするべきではあったが、これ以上他の怪異に時間を取られる訳にはいかなかったため無視して歩みを進める。しかし、相手は相当こちらを憎んでいるらしく、どんなに歩き続けても間近で裏拍手をされていると錯覚してしまう程、音が響き続けていた。そして後少し歩けば夜ノ見町へと辿り着こうかといった所で、今度は彼が姿を現した。
「何……?」
「えっ……」
それはあの時自分がトドメを刺した男児だった。空中に浮かぶ様な姿で現れており、顔は俯いたままでどんな表情をしているのかは分からなかった。かつて笑顔で裏拍手をしていた筈の彼は表情不明のまま体を一切動かさず、まるで操り人形の様に空中をふわふわと漂っていた。そしてそんな彼を取り囲む様にして数人の男性や女性が現れ、彼を見上げながら笑顔で裏拍手をし始めた。
「ど、どうなってるの……っ!?」
「まさか、アイツ……!」
再び周囲を見渡すと、先程とはまた別の建物の屋上に母親の姿があった。やはりこちらを見て笑い続けており、周囲の雰囲気が急激に変わり始めた。見た目は何も変化していないのだが、凄まじい量の妖気や霊気が発されており、自分達の生きているこの現世と常世が大きく混ざり始めているのが感じられた。
浮遊していた男児の顔がゆっくりと上がり目が合う。その表情はどこか苦しそうなものであり、何か喋ろうとしたのか口を動かした瞬間、引っ張られる様に口角が上がり、不自然な腕の動かし方をしながら裏拍手を始めた。
「テメェ……どういうつもりだ……」
「みやちゃん……?」
「テメェ自身の復讐のためにガキ巻き込んでんじゃねェ!!」
膨れ上がる怒りに任せて怒鳴ったが、母親は聞こえてないのか無視しているのか笑い続け、男児を取り囲む人々もまた笑う事をやめなかった。怨み募る彼らにとっては、最早あの男児は道具に過ぎないのだろう。自分達の怨みで世界を混ぜるためだけの呪物に過ぎないのだろう。
「翠……」
「み、みやちゃん……」
「悪ィがこれだけは放っておけねェ。手伝ってくれるか……」
「……うん。あの子を……助けよう」
杖を握る手に力を込めた。多少の同情はしていたがこればかりは許す訳にはいかない。今ここでアレを始末しなければ、あの少年は永遠に傀儡として利用され続ける事になる。せっかく解放したというのに、永遠に苦しみ続ける事になってしまう。そしてこのまま放っておけば、世界は完全に混ざり合い如月の目論見通りになってしまう。そうなってしまえば、もう自分達が出来る事は無くなってしまう。唯一希望があるとすれば姉さんだったが、あの人の力をなるべく使わせたくはなかった。あの人が出てこなければならない程の事態になるというのは、世界の終焉を示すのと同義なのだから。




