第66話:『永久の脇役』と『招く者』
目の前に立つ何の特徴も無い顔をした人物、それはかつて碧唯さんと共に封印を行った七紫野権平だった。『口裂け女』がこちら側へと出てきた事から想定は出来ていたが、悪意も敵意も放っていない彼の姿は酷く不気味に見えた。
「それにしてもまた会えるなんて思ってませんでしたよ。何か急に変な所に行っちゃってて」
「七紫野さん、貴方は……」
「いや~でもあれはあれで良かったですよ? だって色んな人と知り合いになれましたからね。ところで昔友達になった人と連絡がつかないんですけど、何か知りません?」
彼は自分達の力によって封印されていたという事には気が付いていない様に見えた。しかし、彼の知り合いになっていた人々が消失してしまったという点には気付いているらしく、更に新たな知り合いを増やしている様子だった。あらゆる人物の人生に介入し、さもその人物と知り合いだったかの様に振舞う事で認識を歪めてしまう力を持つ彼をあちらに送ってしまったのは、やはり間違いだったのかもしれない。今の彼は既に多くの怪異との間に繋がりを作ってしまった危険人物なのである。
「……分からないすね」
「そうですかぁ……うーん……。そういえばそちらの翠さん、腕どうかされたのですか?」
「えっ!? えっと……」
「怪我してるだけっすよ」
「そうですか?」
離れた所で爆発音が聞こえた。音がした方向を見てみると建物の向こうからは煙が上がっており、一瞬、空を飛んでいる鳥の様な生物の姿が写り込んだ。音は七紫野にも聞こえていたらしく、同じ方向を見ていた。
「見えました?」
「……七紫野さんにも見えるンすか」
「ええ。さっき言った不思議で変な場所で出会ったんですよ。確か名前は……『波山』でしたかね」
『波山』。日奉一族の資料にも記されていた存在だった。真っ赤な鶏冠を持った鳥の姿をしており、口からは火を吹くとされていた。しかしその火には物を燃焼させる様な力は存在しておらず、バサバサと音を立てながら空を飛び、木の燃え残りなどを捕食するらしい。そして音を聞いた人間が外を見てみても、どこにも『波山』の姿を確認する事が出来ないという事だった。
「あ、あの! おかしいって思わないんですか!?」
「おかしい? 何がです?」
「だ、だって七紫野さんが行った場所って……多分妖怪みたいなのが居た筈です!」
「あーそういう意味ですか。別に僕はおかしいと思いませんでしたよ?」
「……何でっすか?」
「だって姿がどんなのでも関係ないじゃないですか。誰にだって『主役』になる権利はあるんですから」
やはり彼が持っている異常性は何一つ変わっていなかった。人間だけでなく、妖怪の様な怪異の人生の中にまで介入し、様々な現象を引き起こす。全ては主役を引き立てるためなのだろう。碧唯さんの改変されたメモに残されていたあの記述を見るに、彼は自分が『脇役』でいる事には不満は無いのだろう。七紫野権平は究極の引き立て役なのだ。自分が目立とうなどとは微塵も考えていないのだろう。
「七紫野さん、貴方は……どこで生まれたンすか」
「僕も詳しくは知らないですけど、幼少期に住んでいたのは芽建町端谷区ですよ」
きっとこれも彼の偽装された経歴の一つなのだろう。碧唯さんの調査によると七紫野の過去は全て存在しないものだったらしい。当時の彼の事を知っている人間はいくつも居るにも関わらず、どれだけ調べてもそれを立証する物的証拠がどこにも無かったそうだ。彼の過去は人々の記憶だけで構成されている。それに気付いているのかいないのか、七紫野は当然の様に嘘を喋っている。
「……分かりました七紫野さん。それで、今起こってる事、理解してますか?」
「さぁ? 何かあったんですかね? 誰も居ない様な気がするんですけど……」
はぐらかしているのだろうか。彼はまるで邪気の無い顔でキョロキョロと周囲を見渡し始めた。その言動がこちらを騙すためなのか、それとも本当に自身の力に気付ていないからなのかは不明だったが、いずれにしても彼が未だに人生に介入する能力を発動させている以上は、何とかしなければならなかった。
「翠……」
「え?」
「一時的なのでいい。アイツを封じてくれ。物理的にだ」
「い、いいの?」
「ああ……」
七紫野に聞こえない様に小声で伝えると、翠はまだ動かす事が出来る右手で折り紙を取り出すと一気に放った。相変わらず七紫野は何が起きているのか理解出来ていないらしく、あっという間に物理的な遮断を行う『亀甲の陣』の中へと閉じ込められた。翠は折り鶴の入った瓶を胸元に抱き寄せる様にしながら力を送り続けており、彼が結界から出られない様子を見るに実体が存在しているのは確認出来た。
「翠さん? これは一体……」
「悪いんですが七紫野さん、そこで大人しくしててください」
「いや……知り合いを探しに行かないといけないんですが……」
「……アタシらがやりますから、動かないでください」
それ以降も出して欲しいと訴えかけてきたが、その言葉を無視して夜ノ見町へと歩き始めた。翠の結界の能力にはある程度射程距離が存在するため、あまりにも距離が離れすぎると自動的に解除されてしまう。そのため彼を封じ続ける事は不可能であり、こちらの世界に存在している限り更に知り合いを増やし続けるのは目に見えていた。こちらと黄昏街が繋がってしまった以上は、彼を完全な形で封じ込めておく方法は消失したという事になる。
「み、みやちゃん、そろそろ結界が……」
「分かってるよ。あくまで時間稼ぎだ。アイツみたいなタイプはアタシらじゃどうしようもない。ある程度騒ぎが収まってから姉さんに頼もう。あの人なら対処出来るかもしれねェ」
どこまでも人気の無い道を歩き続けていると、歩みを進めるごとに少しずつ人の数は増え続けた。避難勧告が出ている筈であり、道端には雌黄が見せてくれた映像に映っていたのと同種のトラックが停車しており、その近くの街灯にはロープで首を吊っている男性の姿があった。それにも関わらず周囲を歩いている人々はそれを気にする様子も無く、助けようという素振りすら見せなかった。
「どうなってンだこれ……」
「みやちゃん、おかしいよ……何で皆避難してないの……?」
「まずい……誰かは知らンが、何かやってるな……」
少し見渡してみれば、誰がそれをやっているのかは明白だった。人が行き交う道の真ん中には、ボロ布をまとった一人の男性が正座で座ったまま目を瞑り茶を啜っていた。明らかに異様な風貌であり、年齢は不明だったが白い髪や髭を見るに老年の人物なのであろうと推測出来た。
「アイツか……?」
「ど、どうする?」
「……一応話をしてみよう。説得出来るならその方がいい」
不意打ちを仕掛けられる可能性もあったため警戒しながら近付いていったが結局何も起きる事は無く、現状異様な事と言えば目の前の老人と避難していない人々くらいだった。
「あの……」
「来おったか」
「え、え……?」
「汝らは日奉の者であろう。再度我を捕らえに来たのだな」
「……貴方は誰なんですか?」
「元は何者でも無かった。名を付ける必要も無き者だった。されど汝ら人間は我に名を付けて意思を与えた」
老人はゆっくりと閉じていた両目を開けた。左目は鉄で出来ていると思しき義眼が嵌められており、存在しているのは右眼球だけだった。
「……我の名を忘れたか」
「すみませんが分かりません。人を集めてるのは貴方なンすか?」
「如何にも。かつて汝らが我に与えた役割であろう」
「あ、あのっ……出来ればやめて欲しいんです! 悪い事しようとしてる人が居て!」
「汝らが言う悪事とは……現世と常世を混在させる事か」
「……ええ。この世界の正常性を守るのがアタシらの仕事です。怪異は創作であり続けなければいけません」
「自分達で創っておいてそれは些か我儘が過ぎぬか」
その言い分はごもっともだった。言い方を変えれば勝手な都合で産んでおいて子供の世話もしない親と同じである。しかし、それでも日奉一族の一人としてこの現状を放っておく訳にはいかなかった。もしこのまま放置しておけば、何らかの別の怪異によって大量の死者が出る可能性があるのだ。例えどれだけ理解出来る理論だったとしても、それを呑み込む訳にはいかなかった。
「……さて、それで、我をどうするつもりか」
「封印します」
「最早それでは不可能という事は理解しておるのだろう。鬼共がこちらと繋げたと聞いておるぞ」
「……翠」
「う、うん」
先程の結界が既に解けているらしい翠は虎を模した折り紙を取り出すと、目の前の老人を取り囲む様に配置した。相手の持つ力を一時的に弱体化出来る『威借りの陣』であれば、この老人の持つ力を抑え込めるのではないかと考えたのだろう。実際指示を出した自分自身もそう考えており、完全な封じ込めは不可能であるが一時的な状況の緩和は行えるのではないかと思ったのだ。
「そこで大人しくしててくれますか……」
「若しやとは思うが、これで我を封じられると?」
「思ってませんよ。でも今はこれしか出来ない」
「お、お願いだからじっとしてて下さいね……?」
「我が動く理由など無い」
なるべく目を離さない様にしながら距離と取り、まずは夜ノ見町へと辿り着く事を最優先にして歩みを進め始めた。しかし、そんな自分達に彼が放ったある言葉のせいでその足はピタリと止まった。いや、止めざるをえなかった。
「我が名は荒波々幾」
「……今何て?」
「汝らが我に与えた名だ。そして役割が終わる事など無い。客人は増え続けるであろう」
彼を放置する事は出来なくなってしまった。通常の怪異であれば簡単に抑え込む事が出来る。しかし目の前に居る荒波々幾を名乗る老人は神格存在である。通常の怪異からは大きく逸脱した力を持っており、場合によっては数人がかりでようやく抑え込める様な相手なのである。そんな神格存在が今ここに居座っている。
彼を殺すのはそこまで困難ではないのだろう。しかし、遥か昔から存在している神格を殺害した場合に何が起こるのかは誰にも想像が出来ないのだ。更に今再び日奉一族による殺傷が起きれば、怪異達はますます人間に対する敵意を増す。自分達だけではどうしようもなかった。
このままでは何も出来ないと考えた自分は、ポケットに入れているスマホへと手を伸ばした。




