第63話:鬼の血脈
身を潜めてどれ程経っただろうか、玄関の扉が開き日守さんが帰ってきた。外から入って来る光は朱色であり、未だに日が沈んでいない事からこの空間が普段自分達の住んでいる世界とは違う場所なのだと改めて感じられた。
「何かありましたかな?」
「ええ……黒い着物の人に気付かれそうになりました」
「ほう、黒い着物……彼女はどちらに?」
「知ってるんですか?」
「当然です。彼女は温湖詩歌。こちらに流れ着いた時には既にバラバラになっておりましたので記憶に残っておりますよ」
その名を聞き詳しく聞いてみると、温湖詩歌がこの黄昏街へと辿り着いた時には殺された時と同様にバラバラになっていたらしい。それにも関わらず意識をしっかりと保っており、日奉一族や温湖家への強い憎悪の念を抱いていたそうだ。日守さんが話を聞いてみると、温湖詩歌は追放された後に何者かによって殺害され、検死が行われている最中にこの町へと転移しており、それを実行したのが日奉一族の人間だと言っていたらしい。
「そ、そんな……誰がそんな事……」
「あたしもそこまでは分かりません。ですが彼女が日奉一族の名を知っていたというのは些か奇妙です。誰かが教えるか本人が名乗るかしない限りは知り得ない情報でしょう」
「日奉の人間がやったとして、何で殺してからこっちに封印したんですかね?」
「あたしの役目はあくまで監視で御座います。そこまでは知り得ませんが、貴方はもしや誰かが一族を裏切っているとお思いで?」
「まァ……可能性の一つして考えただけです」
自分が今まで出会ってきた一族の人間の中で危険だと感じたのは『禁后』となった灰禰と琥鐘くらいだった。それ以外の人々は皆そこまで悪人という印象は無く、少し思考が読みにくい桔梗さんも積極的に殺しを行う様な人だとは思えなかった。そして当然だが、そんな人間は日奉一族から追放される事になる。『禁后』の二人がそうであった様に、追放された人間は日奉を名乗る事は許されない。
「それで日守さん、何か分かりましたか?」
「それとなくではありますが探りを入れてみました。ですが残念ながら何も……疑われている事に感づいているのやもしれませんな」
「そうすか……」
「こちらへの報告無しに何かをやっているのは事実です。問題はそれをひた隠しにする理由でしょうな」
確かにその部分が妙だった。恐らく如月の頭領がやっている事というのはあっちの世界との『境界』を作り出して繋げる事なのだろう。しかしもしそうなら何故隠す必要があるのだろうか。日守さんの話が本当なのであればこの町に居る者のほとんどが現世への未練を持っていない。それなら恨みや未練のある者だけでも連れてさっさと攻め出せばいい。しかし現在確認されているのは囮にされた輪入道と温羅だけである。
「どうしたもんか……」
「如月の者からは何も聞き出せませんでしたが、弥生の者であれば何ぞ知っておるやもしれません」
「弥生?」
「ええ。かつて如月と双璧を成した鬼の血脈を持つ者達です。今や人の血が混ざりかつての力は失っている様ですが」
「あ、あの……その人達は会いに行っても大丈夫なんですか? 私達を憎んでる人達も居ると思うんですけど……」
「顔を隠す他ありますまい。お貸し致しましょう」
そう言うと日守さんは箪笥を開けると中から二つのお面と黒いローブの様な物を取り出した。どうやらここでは魂の波が不定形になるため、顔が見られない限りは正体がバレる事は無いらしい。また、監視役である日守さんが探りを入れる様な行動を取ると察知される可能性があるため、あくまで自分達で行くしかない様子だった。
弥生家への道筋を教えてくれた日守さんに礼を述べると家を出て様々な者が行き交う道を歩き始めた。先程見かけた黒い着物を着た温湖詩歌の姿はどこにも無く、既に別の場所へと移動してしまったものと思われた。
「バ、バレてないよね……?」
「翠、あんましビクつくな。堂々としてりゃバレねェよ」
いつまでも日が沈み切らない黄昏の町を歩き続けていると、ある一件の店の前へと辿り着いた。そこは日守さんから教えられた弥生家であり、どうやら様々な植物を取り扱っている花屋を経営している様だった。店先に並んでいるどの花も見た事がない品種であり、何らかの異常特性を持っている可能性があったためなるべく触らない様に中へと入っていった。
しかしそれらの植物に気を取られていると突然一人の女性の声が聞こえてきた。
「お客しゃんやか?」
「っ……えー、そうすね。ちょっと見に来て」
「ふーん……なんのご入り用やか」
店の奥から現れた和服を着たその人物は訛りの強い日本語を喋っているにも関わらず、妙に色白な肌をしており顔の左半分を長い髪で隠している異様な出で立ちの人物だった。年は翠と同じくらいに思えたが、何故か遥かに年上であるかの様な印象を受ける不思議な雰囲気をまとっていた。
「えっと……わ、私達その~初めて来たばっかりで、ご挨拶とかをしようかなって……」
「別にそげな事気にせんでもよかとに。いつん間にか増えてくる。ここはそーゆう場所たい」
その女性は緩慢な動きでこちらに近寄ると、近くにあった植物にさっと手を触れた。すると、まるで意思でも持っているかの様にその植物は体を逸らせ、こちらの体に触れない様な方向へと向いた。
「そげん気にせんでも、ここん植物は悪か事はせんちゃ……気になるならこうしておくばってん」
「あ、ああどうも……えっと……」
「……言わなくてもよかよ。じぇんぶがとかっちるから。しゃい入っち」
そう言うとその人はゆらゆらと体を揺らしながら店の奥にある扉を開いて中へと入っていった。彼女が敵か味方かも分からないため警戒を保ったまま後を追ってみると、そこには至る所に蔦が絡まった和室が広がっていた。女性が蔦に触れると意思を持った様に動き出し、急須を取り出したりし始めた。
座る様にと手で促されたため腰を降ろし、何があってもいい様にそれらの動きから目を離さない様にしていた。
「悪しゃはせんっち言うたろーがぁ。あんだ達如月ん事ば調べに来よるんやろう?」
「えっ?」
「うちに隠し事は通用せんちゃ。日奉雅しゃん、翠しゃん」
畳の上に置いていた杖へと咄嗟に手が伸びる。
「やめなちゃ。争うつもりなんて、無かからしゃ」
「……貴方は一体……」
「はぁ~~……ん~、うちは弥生薊。もう何百年もここで暮らしとる、しのなか花屋ばい」
「何で分かったんすか……?」
「昔は白鬼だなんやっち呼ばれよったしね。ちょろっと心ん中の見えるんばい……」
昔少しだけ見た事がある。白鬼や黄鬼は心や執着心などを表す存在であるとされており、もしその記述が正しいのであれば、今目の前に居る彼女もまたそういった力を持っているという事になる。つまり、嘘などは無意味だ。
薊さんは面倒くさそうに頭を搔くと、近くを通った蔦に触れてお茶を淹れさせ始めた。
「……如月ん頭ば倒そーっちしとるんやろ? 弱点かなんか知りたくて来よるっち訳やろう?」
「何もしないならこっちもどうこうするつもりはありません。ただ、外の世界で未知の『境界』が観測されてます。まだ確定しませんが、彼らが関わっているのではないかと」
「いいつらならやっちてもおかしくなかねもね。うちらっちは違っち封印しゃれた身やし」
彼女の発言には引っ掛かる点があった。今の発言をそのまま受け取ると如月家とは違い、弥生家は封印された訳ではないという事になるのだ。自分から自主的にこの場所にやって来る存在は日奉一族かその関係者くらいである。
「あ、あのぉ……弥生さんは封印された訳じゃないんですか……?」
「……うちらは忘れ去られてしもたんばい。村の発展しゅるにつれて居場所の無くなりよった。一緒に住んでた人間も、皆うちらん事ばいつしか忘れてしもたんやね」
「忘れ去られた? それがどう関係してるんです?」
「ふぅ……なんばっちぼけとうと? ここは黄昏に沈む忘却ん町。いつかは辿り着く場所なんやちゃ。もう向こうにうちらん居場所なんて無かんばい」
忘却の町……? そんな話は聞いた事が無い。翠の『四神封尽』はあくまで別の空間へと送り込んで封じるだけだと聞いていた。あくまで一般人から隔離するための場所で、こんな特性があるなんて誰も教えてくれなかった。皆知らなかっただけなのか? それとも……。
薊さんは自分達の前へと運ばれてきた湯飲みを持つとゆったりと啜り始めた。
「そ、そんな……私そんなの聞いて……」
「はぁ……あんだ達の作った場所やろ? 誰かから聞いやないんかいな」
「な、何も聞いてないです……」
「まぁ、そげな事もあっけんんかいな。外ん世界も変わったんかいなぁ……」
薊さんはお茶を飲み干すとほっと息を吐いた。
「そいで話ば戻しゅばってん……如月ん事の知りたくて来よるんやろう? 教えていげるちゃ」
突然天井の板が外れるとそこから蔦が姿を現し、木箱を天井裏からそっと下ろした。その蓋が蔦によって外されると中に入っていた巻物が畳の上へと広げられた。そこには筆で書かれた文字がズラリと並んでおり、時折鬼の姿を表していると思しき絵も描かれていた。
「元々……うちらは一つん血脈やった。ばってんいつん間にか、似た肌色や力ば持っちいる者でがとかれ始めた」
彼女達の歴史は人間的と言えるものだった。肌の色などで分家という概念が発生し、如月や弥生という名字を持っている者達になっていった。読心術や植物操作に長けていた弥生一族は共生していた人間とも仲良く生活していたらしいが、村が発展していくにつれて外部からの入居者も増え、彼らの事を怖がる様になったらしい。心が読めた弥生一族は、自分達を良く思ってくれていた村の人々さえも鬼の存在を良く思わなくなっているという事に気が付くと、諍いが起こらない内に静かに村から姿を消したのだという。
「何でそんな……」
「……人ん心は移ろいやしゅいからねぇ。しょんないちゃ」
「じゃあ貴方達は自分からこの町に来たって事すか?」
「来よるっちゆうか、気の付いたら来よったっち感じやろか? まぁうちん生まれる前ん話やし、うちの物心ついた頃にはもうここにおったちゃ」
「相当前の話って事ですね?」
「そー……これば見るに、如月も同じ頃に離れていったのごたぁやねぇ」
巻物に書かれている事によると、如月一族は非常に高い建築技術を持っている鬼の血脈だったらしい。村の発展に大きく貢献したのは彼らであり、その大きな体を活かした力仕事でも頼りにされていたそうだ。しかし彼らもまた弥生一族と同じ様に村から追い出される事となった。弥生一族とは違い読心術を持っていなかった彼らには、裏切られたという感覚が強かったのだろう。怒りに任せて暴れている所へ外からやって来たという巫女に何人かが封じられ、残りの者達はどこかへと逃げ出していってしまったらしい。
「如月んモンは人一倍、頭に血の上りやしゅいばってんくさあったんよ。きっち許しぇなかったんやろうねぇ……はぁ……」
「その後は?」
「載っちなか。こん巫女は日奉ん人間やろ? ここに住んどる如月んモンは多かし、ほっちんど送り込まれたんじゃなかかいなぁ」
恐らく強い怒りに駆られていた如月一族は日奉一族の誰かに封印されてしまったのだろう。そうであれば彼らが外の世界への出入り口を作っているのも納得がいく。再び外へと出て復讐を果たすつもりなのだろう。今はっきりと分かっているだけでも、如月一族、温湖詩歌、宮古島に封じられたあの一家から明確な敵意を向けられている。恐らくだが『口裂け女』も恨んでいるだろう。如月の頭領は彼らを引き連れて日奉一族へと復讐をするつもりなのかもしれない。
「なんか役に立ちそーな情報あったんよ?」
「い、いえ……何とかして話し合いで収められる様に、まずは冷静になる様に説得しないと……」
「翠、気持ちは分かるが多分アタシらとは根本的な思考回路が違う存在だぞ。下手に話しかけても火に油だ」
「うちっちしてはどっちばってんよかよ。ここで生まれ育ったんやし、こんまま暮らしゅんも悪くなかっち思っちるちゃ。だけん、なしても手助けの欲しかなら……」
薊さんがそこまで言ったところで誰かが店先から呼ぶ声が聞こえた。静かにしている様にとジェスチャーをすると扉を植物で覆う様にしながら外へと出て行った。何か有益な情報は得られないだろうかと畳の上を這う様にして近付き扉へと耳を当てた。
「どげんした? 誰ちゃそん子」
「家の周りをウロウロしてたの……私を騙せるとでも思った? 貴方、あの時の子でしょ?」
「~~~っ!!」
薊さんの声の他に聞こえてきたのは四十代程と思しき女性の声と、口を無理矢理押えられている様な紫苑の声だった。




