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日奉家夜ノ見町支部 怪異封印録  作者: 龍々
第弐拾壱章:てうぶく
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第61話:しんに

 薄暗い廊下に立っているその女はこちらを向いて笑顔を向け続けていた。その顔はあの映像に映っていた母親らしき人物であり、こちらが土足のまま廊下へと上がっても何もしてこなかった。ただそこで笑い続けているだけで攻撃も防御すらもしなかった。試しに熱源を床から伝えてみたものの、目の前に見えているその体へと登る事は出来ず、どうやら実体はそこには存在していない様子だった。

 壁を背にして目線を外さない様にしながら横を通り過ぎ、ボロボロの障子紙が貼られている障子を開けると、そこは最後に映っていた居間だった。その風景は映像の中と同じ様に様々な部分が逆さ事を表す形になっており、畳のある一部分には拳程の大きさをした穴が開いていた。近くに急須が置かれている事から、恐らくこの場所は湯飲みが置かれていた場所だと思われた。


「ここだ……この穴から妖気が出てる……」

「どうしてこんな所に……」


 誰かがクスクスと笑う声が聞こえてくる。子供の様な高い声であるためあの男児ではないかと思われたが、ここに来てからは一切姿を見ていないため確証までは持てなかった。


「み、みやちゃん、これが本体なの?」

「まだ……まだはっきりとは言い切れねェ……だがここにあるのは確かだ。さっきのは間違いなくあれに映ってた母親だった。家の構図も同じだし……教授の考察が正しいならここしか考えられねェ」


 教授の調べによると、この島にはハンセン病患者のための診療所があるらしく、その施設から逃げ出した人間が過去に居たらしかった。確認されている限りでは一人だけであり、その一人というのが当時小学生だった少年らしいのだ。確保するために調査隊が派遣されたそうだが結局見つける事は出来ず、そのまま行方不明になっていた。


「あの子は、病気だった筈だ。当時まだ治療法が見つかってなかった病気だ」

「病気?」

「ハンセン病だ……酷い症状になると顔の形が変わったりする事もあるって言われてた。アタシも詳しい訳じゃねェがな……」


 家から軋む様な音が聞こえ始め、更に畳の上に置かれていた縦結びで封をされた小さな木箱の中から何かの鳴き声が聞こえ始めた。するとシュルシュルと紐が独りでに解け、見えない何かが居るかの様に蓋が開けられた。そうして顔を出したのは、一人の胎児だった。胎児の鳴き声は次第に笑い声へと変わっていき、周囲を包む笑い声の中へと溶け込んでいった。


「翠、物は試しだ。その穴を頼む……」

「うん……」


 『四神封尽』の折り紙達は穴を取り囲んでいつもの様に別世界へと追放しようとしていた。しかし何故かいつもの様な発光は発生せず、溢れ出ている妖気の流れは一切変わっていなかった。廊下からはギシギシと誰かが歩いてくる音が響き、天井からは誰かが走り周っているかの様な音がドタドタと響きだした。


「ど、どうなってるの!? な、何で……!?」

「まさか……完全に向こう側なのか……?」


 あの時危険そうだという理由で鳥居を迂回する様にしてここへと入って来た。恐らくその判断は間違っていなかったのだろう。しかし、異常な量の妖気が溢れ続けている穴や聞こえ続けている笑い声、廊下に立っている笑顔の母親、笑う胎児、その他全てが異常であるこの空間が自分達の普段住んでいる世界ではないと考えればどうだろうか。施設から逃げ出した少年が何故見つけ出せなかったのかを考えれば納得がいく。そもそも存在する世界が真逆なのだから、そういった知識の無い人間からすれば見つけられないのは当然なのだ。


「ハイユヌカーナス 海老がんじゃんどゥ 脱皮ゆちゅ ハイユヌカーナス」


 ついにあの歌が聞こえてきた。その声は廊下からであり、声色から恐らく母親が発しているものと思われた。教授から受け取ったメールを開き、その歌詞がどういった意味を持っているのかを再確認する。ハイユヌカーナスという部分だけを抜いて一番から並べるとこういう意味になるとの事だった。『佐良浜のハイミャ蟹よ 下の道の目高蟹よ 下の家上の家があるよ 潮が干けば下の家へ 潮が満ちたら上の家へ 上の家に乗っている 親せき同士が集って 親しい者が寄り集まって 昔の話ができるよ 海老ですら脱皮するのに』、そしてこれにはまだ続きの歌詞がある。一番最後に残っている節がまだ歌われていなかった。


「……翠廊下のアイツを頼む!」

「えっ!? う、うん!」


 廊下で歌い始めた母親を翠へと任せ、本体と思しきものを探すために部屋の中を探し始める。今までこの件によって現れたらしき人間は全員ぱっと見普通の姿をしていた。あの中で唯一通常と違う顔をしていたのはあの男児だけだったのだ。つまりあの男児の肉体、あるいはその代わりをしている物を見つける必要があった。

 箪笥や襖の中を引っ掻き回していると箪笥内の服の間に挟まる様にして一冊の日記帳が入っていた。表紙は薄汚れており、字体を見るに母親が書いたものの様だった。最初の方は特にこれといって不可解な記述は無かったものの、途中から内容に異質な点が確認出来た。


「みやちゃん! だ、ダメ! 出来ない!」

「分かった戻って来てくれ!」


 慌てた様子でこちらへと戻って来た翠にも日記帳を見せ、その異質な部分から内容を確認していった。笑い声はますます大きくなっていた。


『三月十七日 逃げた』

『三月十八日 家を提供される 何者?』

『三月十九日 秘術を教わる 巫女様』

『三月二十日 結太と一緒に編む』

『三月二十一日 完成 巫女様が去る』

『三月二十二日 力は本当だった 誰も見つけることはできない』

『三月二十三日 やっと安心して暮らせる 結太も笑ってた』


 この日記の記述が正しければ母親が息子を施設から脱走させ、その際に巫女様なる何者かから家とあの鳥居の結界を提供してもらったらしい。次のページを見てみるとまた平穏な日常が記されていたが、しばらく捲っていると皺の入ったページへと行きついた。その日付は九月へと入っていた。


『九月十九日 わたしにはうつっていない 医者はうそつき』

『九月二十日 容体悪化 顔が変わる』

『九月二十一日 鏡を見ると顔色が悪くなっていた 巫女様と連絡つかず』

『九月二十二日 結太が血を吐く 顔が歪む』

『九月二十三日 でられない 見えないかべがある 結太は笑ってた』

『九月二十四日 みこさまとれんらくつかず えがおの私とめがあった』

『九月二十五日 うそをつかれた』


 それ以降のページは滅茶苦茶に破り取られており、日記はそこで終わっていた。


「あの人達は騙された……? でも一体誰が……」

「み、みやちゃん、おかしいよ……あんな結界、普通の人じゃ作れないもん。相当な知識を持ってないと……」

「ああ、この巫女様とかいうのがやったンだろうが……こいつは一体……」

「と、とりあえずこれにもやってみるね」

「ああ……」


 翠が『四神封尽』を試している間、思考を巡らせる。

 巫女様って事はそういう専門知識を持ってる人間って事なのは確かだ。でもそこまでする理由は何だ? 確かにこの人はハンセン病の息子を施設から脱走させた。だからって結界に閉じ込める程なのか? いくら当時は誤解されてた病気だからって、何もそこまでする必要は無かったんじゃないのか? 怪異でも何でもないのに……。

 その時、ある考えが浮かんだ。それはとても信じたくないものであったが、もしそうなのであれば彼らが自分達を狙う理由にも説明がつくものだった。


「みやちゃん、やっぱり出来ない!」

「……」

「みやちゃん……?」

「翠……他の部屋を探そう」

「う、うん」


 廊下へ出ると彼女はまだ笑っていた。そこでようやく気付けたのだ。楽しいから笑っている訳でも、精神がおかしくなったから笑っている訳でもなかった。それは怒りを表していた。何かの本で読んだ事があった、本来笑顔というのは威嚇を表しており人間はそれをコミュニケーションを円滑に進めるための技術へと変化させた。だがもしそれらの必要が無い人間が居たとしたら、コミュニケーションを最初からとるつもりの無い人間が居たとしたら、そして彼らが持っている感情が怒りだったとしたら、答えは今のこれなのだろう。

 廊下の奥にあった引き戸を開くとそこは洗面所だった。そこに入った瞬間、何か異質な雰囲気を感じた。先程から感じている妖気の気持ち悪さではない、全く違う何かだった。


「ハイユヌカーナス 我んから脱皮 んちゃにゃん ハイユヌカーナス」


 最後の一節が歌われた。それを合図にするかの様に居間の方から凄まじい量の妖気が放たれいるのを感じる。しかし、今は振り返っている猶予など無かった。やるべき事は本体の破壊、それ一つなのだ。最早封印では対処しきれない。

 洗面所から繋がっている風呂場のドアを開ける。そこに彼は居た。浴槽の中に丸まる様にして膝を抱えた彼の姿がそこにはあった。丁度目線の高さである浴槽の上に置かれた黒ずんだケーキを見ながら彼は笑っていた。


「そこに……居たのか」

「こ、この子っ……!」

「ああ……相当長い間放置されてたンだろうな。こんなになってもまだ生きてる……」


 その男児は僅かだが肩を上下させて呼吸していたのだ。この異常な結界がそうさせているのか、あのケーキに異常があるのか、あるいは彼自身が特異な存在だったのかは分からないが、とにかく彼は未だに生きていたのだ。


「みやちゃん後ろっ! 人がっ人が出て来てる!」

「分かってる……あっちの世界と繋がったンだな」


 男児の側頭部へと指を当てて熱源を流し込む。


「えっ!? ふ、封印は……!?」

「出来るだろうな。でもきっと何回でも同じ事をやってくるだろうよ。一回向こうからこっちに来る方法を学習したンだ。次が無いってのは楽観的すぎる」

「で、でも……!」

「流儀に反するな。でも、これしか無いならアタシはこうする。アタシが代わりにケジメをつける」


 彼の体が熱と炎によって崩壊するのはすぐだった。既にほとんどミイラ化していたらしく、体組織はあっという間に崩れ、骨すらも砕ける様にして浴槽の中で散らばった。そしてその体が完全に崩壊した時、背後から感じていた妖気は嘘の様に消えてなくなり、黒くなっていたケーキは風化したかの様に消滅していた。


「み、みやちゃん、本当に良かったの……?」

「……悪いがあれしか浮かばなかった。それより、確かめたい事がある……」

「え?」


 誰も居なくなった静かな家の中を歩き居間へと入ると、スマホを取り出し姉さんへと繋げる。出てくるまで間に日記帳を開いていた。


「はい。雅、終わったのですね」

「うん。それよりも聞きたい事があるんだ」

「何ですか?」

「……昔、宮古島に派遣された人、居なかった?」

「どうしたのです突然? 私が覚えている限りでは居ませんが……」

「本当に?」

「雅、何を見つけたのですか? 急にどうしたのです」

「……いや、何でもないよ。こっちの方で昔似た様な事件とかあったのかなって思っただけ」

「はぁ、そうですか。終わったのであれば桔梗を向かわせますが宜しいですか?」

「うん、お願い」


 電話を切ると日記帳を拾い、鞄の奥に隠す様に入れる。困惑している様子の翠に手招きして砂浜まで出て桔梗さんを待つ事にした。砂浜に咲いていた数々の花は全て枯れていた。


「ね、ねぇ。本当にどうしたの……?」

「……後で話すよ」


 今ここで話す訳にはいかなかった。いつ桔梗さんが現れるか分からなかったからだ。もし彼女に聞かれて姉さんへと伝わったら、きっとこの日記帳の事を知られてしまう事になる。もちろん姉さんが何かをやったと考えている訳ではなかった。あの人はまだ歳は若く、この日記が書かれた時代にはまだ幼かった筈であり、そして何よりあの人がそんな事をする人だとはどうしても思えなかったのだ。

 その後迎えに来た桔梗さんに家まで送り届けてもらうと、あの男児の姿はどこにも無くなっていた。賽の家に電話してみるとどうやらあれ以降何も起こらなかったらしく、もう暗くなっているため今日は縁も美海も彼女の家に泊まっていく事にしたと報告された。

 桔梗さんが帰ったのを確認すると鞄に入れていたメリーさんをいつもの位置へと戻すと、棚に入っている資料を全て引っ張り出した。


「ね、ねぇみやちゃん、そろそろ教えて……どうしたの?」

「あの日記に書かれてた巫女様ってのは……多分同じ一族の人間だ」

「……え」

「アタシらの知ってる人間じゃないかもしれねェ」

「で、でもどうしてそんな事する必要があるの……!? あの人達はただ病気だっただけで……」

「…………これかもしれねェ」


 開かれた資料のある一ページを指差した。そこに書かれていたのは、古くから続いていた忌まわしい思想だった。かつて『穢多えた』と呼ばれている人々が居た。穢れた存在であるとされていた人々であり、それ故に古くから穢れという概念を嫌う日本では彼らに獣皮の加工などを行わせていた。そして教授のメールに書かれていた行方不明になった男児の名字は『皮田』だった。これは『穢多』の別称としても使われていた名字だったのだ。


「そんな……で、でもこんな事……」

「昔の事ではある。でもアタシらは日奉一族だ。話によれば昔は皇族に仕えてたらしいじゃねェか。それだけ歴史があるって事は、その時代を生きた一族の人間も居ただろうさ」

「じゃ、じゃあその人はこの『穢多』の人達を一つの怪異として見てたって事……?」

「本人に聞かない限りは分からんが、そういう考えをする人間も居たかもしれねェ。いくら日奉一族っつっても十人十色だ。『禁后』の時もそうだったろ、計画を強行しようとして破門された灰禰はいね琥鐘こがねが居たじゃねェか」


 もちろん彼ら自身が気付いていないだけで、何らかの超常的な力を持っていた可能性はある。だがもしそうなら封印せずに話し合ってバレない様に暮らしてもらう事も、力の制御方法を教える事も出来た筈なのだ。だが『巫女様』とやらは騙す形で彼らを封印した。真の目的は不明だったが、一族が恨まれるのも納得だった。


「ただまァ……多分その人間はとっくに死んでるだろうさ。告発は無駄だろうな、そいつの勝ち逃げだ」

「じゃ、じゃああか姉には言わないの?」

「……もしもに備えて秘密にしておく。姉さんは絶対違うとは思うが、一応な。今一族の中で一番信用出来るのは翠くらいだよ」

「わ、私もみやちゃんは絶対違うって思うよ!」

「そりゃそうさ。アタシが犯人ならわざわざこんなの見つけねェよ」


 これ以上現段階で調べられそうな事は無かったため、資料を元の場所へと戻す事にした。その際、日記を隠すために本棚の奥に立て掛ける様に起き、それが見えなくなる様に資料を並べていった。見つけようと思えば簡単に見つけられる配置だったが、自分達以外の人間が取り出そうとすれば確実に手間が掛かり不自然な動作になる構図だった。


「ふぅ……まァ今はこれ以上調べようがないし、飯でも食うか」

「そ、そうだね。何か食べたいものある?」

「特に無い。何か適当にあるもん食べよう」


 今日一日大変な目に遭った翠にあまり負担を掛けたくはなかったため、二人して冷凍庫に入っていた適当な食品を解凍し、少しだけ胃の中に入れた。疲れのせいかあまり食欲が湧かなかったのもあったが、紫苑の負傷や翠への不意打ちなど精神的にも疲れる事案だったため今日はもう眠りたい気分だったのだ。そのため風呂にも入らず居間へと戻ると翠と共に布団を敷いてすぐに横になった。同じ様に疲れていたのか翠はすぐに寝息を立て始め、寝返りを打ちながらこちらへ引っ付いて来た。背中を優しく叩く。

 今日はギリギリと言ってもいい戦いだった。風呂場に居たあの子が本体だとすぐに気づかなかったら、きっと被害はもっと増えてたかもしれないな。彼岸と此岸しがんを繋ぐ呪術、一度あれを完成させたという事はやり方は既に確立されてるって事だ。あれを知ってるのがあの人達だけとは思えねェ。他の高い知性を持った怪異にも伝わってるとしたら、かなりまずい事だ。あの呪術は多分生まれ変わりの技だ。向こうの存在からこっちの存在になるための一種の儀式だ。

 翠の体温を感じながらゆっくりと意識を落としていく。あの呪術が他の者に伝わっていない事を祈る事しか今の自分には出来なかった。教授のメールに書かれていた歌詞の最後の一節の意味は「私たちも生まれかわれないことはない」だったのだから。

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