第60話:きんえん
翠と賽からの救難信号を受けて二人が通っている高校へと歩みを進めた。町中は相変わらず何一つ何の変哲も無い日常が広がっていた。紫苑が重傷を負い、翠と賽が襲撃を受け、更に自分達の家にも侵入されているという日奉の人間としては非常事態とも言える状態だったが、世界はそんな事など知った事ではないといった風に進んでいた。
「場所は?」
「三階トイレだって」
「……分かった」
冬場という事もあって早くに日が沈み始める中、目的地である高校へと辿り着いた。丁度部活動の時間の真っただ中という事もあって、まだグラウンドには生徒達が居り正面から侵入するには危険かと思われた。しかし、翠もそれを危惧していたのかよく見てみると玄関口に一人の女子生徒が立っており、その手には亀を模した黒い折り紙が乗せられていた。その生徒はゆっくりとグラウンドを横切って中央まで来ると、そこで折り紙を手放した。するとその折り紙達は校門から玄関口を繋げる様に通路の様な結界を作り出した。
「行こう」
「平気なの?」
「ああ、これは『玄武ノ陣』だ。アタシ達日奉一族の人間か怪異みたいな特殊な力を持った奴しか入れない」
「……ん、分かった。行こう」
折り紙を運んできた生徒はふと自我を取り戻したかの様にハッとするときょろきょろと周囲を見渡すと校舎の中へと入っていった。恐らく賽が何かしたものと思われたが、どのようにして遠隔操作の様な事をしたのかは自分には分かりそうになかった。
結界を通り校舎へと入ると折り紙達はすぐさま後を追う様にして中へと入り、再び校舎内で結界の通路を作り出した。その人除けの力を持つ結界のおかげでアタシと縁、そして美海は誰にも遭遇する事なく目的地である三階の女子トイレへと辿り着く事が出来た。
「翠?」
「……居るなら返事して」
なるべく周囲には聞こえない様に小声で尋ねてみると奥の個室から小さく扉をノックする音が聞こえてきた。そっと近寄り扉を引いてみると中で隠れていた二人と再会する事が出来た。しかし何となく察していた通り、賽は首筋に怪我を負っていた。手で押さえている奥から少量であるが血が流れだしており、翠を庇った際に負傷したものと思われた。
「オイ大丈夫か……!?」
「ご、ごめんなさい雅さん……ありがとうございます」
「みやちゃん、私っ……」
「謝らなくていい。三瀬川、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……そんなに深くないっぽいんで……」
美海は心配そうに一鳴きすると縁の頭からひょいと飛び降りると賽の肩に乗り、傷口をペロペロと舐め始めた。すると、完璧にではなかったが傷口が少し塞がり、出血が抑えられた。縁は美海を抱き上げると出入り口の方へと顔を向ける。
「……それで? 誰にやられたの」
「それが、私にもよく分からなくて……多分違う学年の人だったのかな……」
「み、みやちゃん、これってやっぱり……」
「ああ、あの映像が絡んでる。実は、紫苑もやられた」
「しーちゃんが……!?」
翠が驚くのも無理はなかった。今まで重傷を負う様な事が無かったあの紫苑が不意打ちで、なおかつ直接的な暴力だったとはいえ負けたというのは自分にも少し驚きだったのだ。相手がどういった形で攻めてきているのかが分からない以上、自分達がいつやられるかも分からないというのは恐怖だった。
「とにかく今はこっから出るぞ。ここじゃ人が多過ぎる」
「でもどこに行くんですか……?」
「まずは家だ。上手くいくかは分からねェが、家に上がり込んでるあれを封印出来ないかやってみよう」
「う、うん……」
合流出来たからか多少は落ち着いた様子の翠と賽を連れて校舎から出るとグラウンドへと出てみると四人程の学生が集まって円を組んでおり、あの歌を歌っていた。
「……ヌカーナス 上ぬ家 乗りゅとゥい ハイユヌカーナス」
「みやちゃん……」
「翠、結界を張っとけ」
円を組んでいた生徒達はこちらに気が付くと一斉に走り寄ってきた。危うく暴力を振るわれそうになったが翠の結界の方が速かったため、その拳がこちらに届く事は無かった。何度もこちらを攻撃しようと殴る蹴る等をしてきたが、そのどれもが結界を貫通する様な事は無く、高校の敷地から離れて少しするとそこで諦めたのかグラウンドの方へと帰っていった。
「さ、さっきの人だった」
「居たのか?」
「う、うん。三瀬川さんと私に攻撃してきたの、あの人だった……」
「そうだね、あの人だった……」
「三瀬川、君はどう思う。アイツらは死人か?」
「どうでしょう……ちゃんと触った訳じゃないから分からないですけど、多分生きてる人達だと思います」
一体どういう事なんだ……生きてる人間なんだとしたらどうしてアタシ達に攻撃を仕掛けてくる? 昔封じた怪異に恨まれて復讐されるなら分かるが、普通に特殊能力も無く生きてる人間から恨まれる様な事をした覚えは無いぞ……?
何とか家へと辿り着いてみると、住み慣れた家は凄まじい妖気に包まれていた。相変わらず縁側向こうの居間の隅には男児が立っており、影で顔が見えないにも関わらずこちらを見てニヤニヤと笑っているのが伝わってきた。下手に近寄ろうとすると手足が痺れる様な感覚に襲われ、只者ではない何かがそこに居るというのが直感で感じられた。魔除け歌によって体の中に怪異を封じている賽にも影響が出ているらしく、顔色が悪くなっており口元を押さえていた。
「ハイユヌカーナス うとゥじゃ達にゃ うぎなり ハイユヌカーナス」
「み、みやちゃんこれって……」
「何なんだこいつは……」
「賽、下がって……」
「ご、ごめん」
男児が歌を歌うごとに妖気は強くなっており、最早近寄る事すら危険な状態だった。しかしその時、ふとある人物の事が頭に浮かんだ。
そうだ……教授だ。完全に部外者で関わった怪異も知ってる限りは『ゾーン』だけだった。それにあの映像についても調べてくれてる。民俗学に詳しいあの人なら、何かいい案を出してくれるかもしれない……。
そう思い浮かびスマホを取り出すとボイスメモを起動し、男児が歌い続けているあの歌を一節記録してすぐにメールで送った。その歌詞は「ハイユヌカーナス かたいたな 寄りゃまい ハイユヌカーナス」というものだった。
「みやちゃん、何して……」
「今頼れるのはあの人だけだ……」
返事は意外にもすぐだった。まるで最初から準備でもしていたかの様に長い文面が並んでおり、一番下には地図が添付されていた。それは彼らが何者であり、そして今何をしようとしているのかを示していたが何故自分達の事を狙ってくるのかは未だに不明だった。
「分かったぞ……」
「え?」
「行くぞ……」
今にもこちらを飲み込もうとしてきた妖気から逃れる様にして敷地から出ると急いで山を降りると、今一番必要になってくるであろう人物に電話を掛ける。
「ほいほーい」
「桔梗さん……」
「おーみやっち~何かぶちヤバい事になっとるなー」
「そっちもですか……実は頼みたい事があって」
「頼みたい事ぉ? オラ大人しゅうせんかいぶち転がすぞ!! ……めんごめんご、何じゃったっけ?」
「沖縄に……宮古島に連れて行って欲しいンです」
「また今度にしてくれん? 今ウチ、いてこますぞコラ!! ……今忙しいんよ」
「冗談とかじゃないンです……」
教授から送られてきたメールによれば、彼らが歌っているあの歌は宮古島に伝わる子守歌らしかった。元々呪術的な力は何も持っていない歌だったが、彼らによってその歌詞に後から呪術的な意味を持たされたのではないかとの事だった。子守歌はその名の通り子供を寝かしつけるために使われる歌だが、歌の中には世間への皮肉や恨みなどが含まれているものも散見される。そのため呪術の依り代にするにはうってつけの素材となるのである。
教授から受け取ったメールの内容を簡潔に伝えると、理解してくれたのか数秒後に目の前に大きな裂け目が現れた。
「よっ。迎えに来たで」
「ありがとうございます……ほら翠行くぞ」
「え、えっ? でも、いいの?」
「家に居たアレは『四神封尽』でも倒せねェ……あっちは本体じゃねェンだ。今はアタシを信じて来てくれ」
「う、うん!」
翠は桔梗さんに手を引かれて裂け目へと入っていき、アタシは残った二人へと目を向ける。
「私はどうすればいいの」
「君と三瀬川はここに残ってくれ。大丈夫だ、アイツらの狙いアタシらだ。あの時三瀬川が怪我したのも咄嗟に庇ったからだ」
「よく分かりませんけど、ここは任せてください。もし何かあったら私が……」
「……そこまでする必要無いと思うけど?」
「その通りだ。もし、もしも危なくなったら逃げろ。なるべく早く済ませてくる。それと……美海を頼む」
そう告げると裂け目の中へと足を踏み入れて桔梗さんに運搬を頼んだ。彼女がこの裂け目をどのようにして他の空間へと繋いでいるのかは不明だったが、アタシと翠の手を引いて泳ぐ様にして移動していた桔梗さんはやがて模造刀を抜くと新たな裂け目を作った。顔を出してみるとそこは波が打ち寄せる砂浜であり、そこにはタンポポに似た紫の花やパイナップルを思わせる果実をつけた木、そしてもう暗くなり始めているというのに咲いているアサガオの様な花まで咲いていた。
「ほいじゃウチは暴れとるあいつらぶちのめしに戻るわ。三十分もありゃ足りるかの?」
「それぐらいには終わらせるつもりです」
「りょーかい。ほんじゃ頑張ってなー」
砂浜へとアタシと翠を降ろした桔梗さんは裂け目を閉じてその場から姿を消した。これで逃げ場は無くなった事になったが桔梗さんには別の場所での仕事があるため、これ以上付き合ってもらう訳にはいかなかった。
「行くぞ」
「う、うん」
浜辺の花から放たれている凄まじい匂いに包まれながら歩みを進めて整備がされていない山の中へと入っていく。それは教授から貰った地図に描かれていた通り道であり、その地図を頼りに歩いていくとやがて一軒の家が姿を現した。それはあの映像に映っていたものと全く同じ家であり、その家の前にはやはり映像に映っていたのと同じ鳥居が立っていた。それを見た翠があっと声を上げる。
「みやちゃん、あれ!」
「ああ、映ってたのと同じだな」
「そ、それもだけど、あの鳥居に付いてる注連縄!」
指差された注連縄に目を凝らし、何故彼女がそこまで動揺しているのかが初めて分かった。あまりにもさり気なく、自分一人では気付けそうにない代物だった。
本来注連縄は左縒りに編む事によって不浄なものを祓ったり清めたりする力を発揮する、一種の結界の様な役割を持っている。場所によっては逆向きに編む事もあるらしいがそれもまた神聖な意味があるそうだった。しかしその注連縄は左縒りの物と右縒りの物を丁度鳥居の真ん中で強引に結び付けられていた。更にそこから垂れている筈の紙垂は火で焙られたかの様に焼け焦げており、綺麗な形で残っている紙垂は一つも無かった。
「どうなってンだこれ……」
「し、注連縄は結界を表してる……入って来ない様にっていう阻む結界なの。それなのに向きが反対のを結び合わせるなんて……そ、それに紙垂もこれじゃあ……」
「……何を意味してるンだ?」
「多分だけど……こっちと向こうの世界を繋げようとしてるんだと思う。岡山にあった『境界』よりも危ないかも……」
『境界』よりも危険であるというのは納得が出来た。本来神聖な意味を持つ物を意図的に穢し、更に逆の意味になる様に細工をするという事は即ち、その神聖な力を真逆の呪力へと変換するという意味なのだ。『コトリバコ』の底に隠されていた四隅を燃やされた祝詞もそれによって作られた物だった。あれと全く同じ手法が目の前の鳥居に使われていたのである。
「じゃあアイツらは、これを使ってこっちに来たって事か……」
「でもあの人達は生きてる人なんじゃないの? 三瀬川さん、そう言ってたよ……?」
「そこが引っ掛かるな……異常性を持ってる訳でもなく死者でもないンだとしたら、彼らはどこから来た存在なンだ?」
もしも彼らが死後の世界からやってきた者なのだとしたら、何故彼らが日奉一族を狙うのかが分からなかった。日奉の使命はあくまで怪異や異常存在の封印であり、殺害ではない。つまり対処した存在は大抵が封印先の空間で生きているのだ。賽の言う通り彼らが生者なのだとしたら、何故その異常性を使ってこないのかという疑問があった。
「ど、どうするの? ここ、危なそう……」
「行くしかねェ。教授の調べが正しいなら、あの少年の本体はここだ」
何か危険な香りがしたため鳥居の下は潜らずに横を通り抜けて家の方へと向かった。しかし鳥居を通り過ぎた瞬間、突然複数の人間によるものと思われる笑い声が一斉に聞こえ始めた。周囲を見回してみたもののどこにも人影は無く、声がどこから発されているのか位置が掴めなかった。ここはもう彼らの領域という事なのだろう。
「ハイユヌカーナス ゆがたい話ぬ 出きょすよ ハイユヌカーナス」
家屋の中から歌が聞こえてくる。大声で歌っているという風ではないにも関わらず、その声ははっきりと耳へと届き、ますます笑い声が大きくなっていった。
「時間が無い、急ごう」
「うん……!」
玄関前に立ち呼吸を整えると引き戸を開け放った。
廊下に立っている女はケラケラケラケラと笑っていた。




