第58話:きえ
電車を乗り継いでようやく家へと帰ってきた時にはもう既に日を跨ぎそうな時間になっていた。家へと上がって見ると電気は全て消してあり、居間を見てみると縁と賽が一緒に眠っていた。今までずっと冷たい反応の多かった縁だったが、自分達が出掛けている間に何かあったのか賽に引っ付かれているにも関わらず、抵抗した様な痕跡は見られなかった。しかしそれでも完全に心を開いた訳ではないのか、賽に背を向けて胎児の様な姿勢で寝息を立てていた。
「仲良くなれたんだね……」
「ああ。そういやァ雌黄達の方は大丈夫か……?」
カメラに映っていたという謎の人物の追跡はどうなっているのか気になり、机の上に置かれていたパソコンを台所へと運んで電源を点ける。翠は電車の中で少し眠っていたのかあまり眠そうな様子は無く、共に台所へと来ると夜食を作り始めた。
ファイルを色々と開いて確認してみたものの新たに追加された様なデータは存在しておらず、まだ何も進展が無いという事が分かった。何も見るべきものは無いと電源を落とそうとした時、突然消えていた筈のテレビがパッと点いた。かなり画質の悪い映像であり、どこかにある鳥居を映している様だった。そこには注連縄が掛けてあり、何らかの結界的な意味を成しているものと思われた。
「翠……」
「何ー?」
「ちょっと来てくれ……」
急にテレビが点くという現象から何らかの怪異が絡んでいると感じ翠を呼ぶ。同じく異常な何かを感じ取ったのか翠はテレビから少し離れる様にしてテレビを見つめた。
「みやちゃん、これ……」
「分からねェ……でも気をつけろ」
テレビに映っている鳥居は上下の揺れと共に近付いて来ており、恐らくハンディカメラを使って撮影した映像だと思われた。鳥居の周囲は林の様になっており、ゆっくりとしたペースで鳥居を潜っていった。
「今の……」
「どうした?」
「いや、気のせいかな……注連縄が何か変だった気がする……」
「どう変だった?」
「分かんない……一瞬だったから気のせいかも……」
自分では気付けなかったが、結界についてある程度は勉強している翠には何か引っかかる点がある様子だった。しかし勝手に流れ始めたその映像を止める事は出来ず、やがて一軒の家が映し出された。昔からよくある日本家屋であり、特にこれといって変わった点などは見当たらなかった。カメラは急に横へと視点を移し、隣に居たと思しき男児を映し出した。ランドセルを背負っている事から小学生と思われ、撮影者らしく人物と会話を始めたが、まるで逆再生でもしているかの様に何を言っているのか聞き取れなかった。
「撮ってる人、女の人……?」
「声はそれっぽいが……翠、姉さんに報告頼めるか?」
「う、うん」
翠を玄関にある黒電話へと向かわせて映像の続きを見る。撮影者と男児が家の中へと入ると、一瞬画面にノイズが走り、場面が変わった。机の上に置かれたケーキが映されており、その奥には椅子に座っている男児とそれを囲う家族と思しき人々の姿があった。撮影者や家族が逆再生で歌った後、男児は蝋燭の火をふっと吹き消した。するとそれを見ていた人々は笑顔で両手の甲を叩き合わせる様な動きをして拍手を行っていた。
今のはどういう事だ……? 手の甲で拍手するっていうのは『裏拍手』って呼ばれる行為だ。死者の拍手って呼ばれてて縁起が悪い動きってされてるが、この人達は一体何でそんな事を……。
「みやちゃんっ!」
「どうした?」
「そ、それが……あか姉の所や百さんの所でも同じ映像が流れてるって……」
「他の所でも……?」
テレビへと視線を戻してみるとそこには一つの和室が映っていた。その中央には顔面が酷く変形した先程の男児の姿が映っており、こちらに笑顔を向けながら裏拍手を行っていた。そのリズムは一定のものであり、何らかの歌や曲に合わせて拍を取っている様に見えた。やがて男児は拍手を止めるとこちらへと近寄るとガタッという音と共に視点から外れた。恐らく撮影者と抱擁しているものと思われた。
「っ……」
「翠、無理に見るな」
「だ、大丈夫……でもこれ何で急に……」
「『コトリバコ』の時と同じやつかもな。アタシらの一族だけを狙ってるのかも……」
再び画面にはノイズが走った。映し出されたのは同じ和室であり、中央には男児が布団を掛けた状態で寝かされており、それに寄り添うかの様に一人の女性が座っていた。その女性はゆっくりと顔を上げるとこちらを見つめながら笑顔を見せた。何の変哲も無い笑顔であるにも関わらず妙に不気味に感じられ、背筋が寒くなっていくのを感じた。しかしそんな彼女よりも更に不気味な物があった。それはその部屋の各所にある不可解な部分だった。
男児に掛けられている布団は上下が逆になっており、その頭部の方に置かれている屏風も上下が逆になった状態で置かれていた。足元には小さな木箱の様な物が置かれており、それを縛っている紐は縦の蝶結びになっていた。
突然スマホへ電話が掛かる。
「姉さん?」
「雅、無事ですか?」
「うん……それより、そっちでも映ってるんでしょ?」
「ええ……我々に対する敵意の様なものを感じますね……」
「今映ってるのって『逆さ事』だよね?」
「ええ、明確な意図を持ってやっているのでしょう」
『逆さ事』とは古くから日本で行われてきた慣習の様なものである。日本では常世と現世は真逆の存在として考えられており、通夜などでは故人を向こうの世界へと送るために作法として逆さ事を行う。しかしそれをこうして映像として残すというのは不自然な行為であり、あまり縁起が良くない様に思えた。
「誰かが電波ジャックしてるの?」
「雌黄に現在対応に当たらせています。ひとまずは注意をしていてください」
「分かった。黄泉川達にも伝えておく」
「恐らく彼女に被害は無いと思いますが、お願いします」
いつもより早口になっている様子の姉さんから聞きたい事を聞けたアタシはすぐに電話を切り、画面へと視線を戻す。場面はいつの間にか変化しており、畳の上に置かれた茶碗を映していた。中には透明の液体が入っており、隣には急須が置かれていた。すると何者かによって急須が持ち上げられると茶碗の中に入っている液体へと湯が注がれた。すぐに内容物は零れていったが何故かその行為が止まる事は無く、畳の上へとどんどん染みを作っていった。
「み、みやちゃん、これまずいんじゃ……」
「……居間に行くぞ。雌黄に任せよう」
影響は無いと思われたものの、もしもの事を考慮して居間へと向かってみると先程と同じ様に寝息を立てていた。近くで寝ていた美海も何か異常な雰囲気を感じ取ったのか目を覚ましており、二人に呼び掛ける様に鳴き声を発していた。しかし、二人を起こそうと声を掛けたり揺すったりしたものの、何も反応は無くただただ眠り続けていた。
何が起きてる……さっきの映像が原因か? アタシら日奉一族をターゲットにしてるのは間違いないっぽいがどうしてこの二人が起きないンだ。
「あっ、みやちゃん!」
そう声を上げると翠は自らのスマホの画面をこちらに向けた。そこには雌黄が映っており、画面上に所狭しと様々なテレビ番組を表示していた。
「雌黄! どうだ?」
「……腹立たしいです」
「え?」
「このボクの力を以てしても特定出来ません。どこかから電波を飛ばしているのであれば必ずボクのネットワークに引っ掛かる筈です、それだというのに該当するものがどこにも無いのです」
「え、えっと、じゃあ誰かがテレビ番組を乗っ取ってる訳じゃないの?」
「その様ですね奇妙な事ですが……。ボクが確認した限りだと日奉一族全員がこの映像を見ている様ですね何が悲しくて他人のホームビデオなど見なくてはならないのでしょうか」
「君にも見えてるのか?」
「ボクのデータの中にいつの間にか入り込んでいました、見るつもりはありませんでしたがデータに組み込まれた以上は勝手に記録されるので嫌でも見る羽目になりますね」
どういう事だ……雌黄の力を使ってもどこから発信されてるかが分からないなんて、そんな事有り得るのか? 他に考えられるのはあの世からの送信だが、そんな事が現実に可能なんだろうか。こっちと向こうとじゃ何もかもが違う筈だ。こっちの電波に乗せる以上は何らかの形で電波の形に変換する必要がある。雌黄のネットワークに掛からない方法があるのか……?
その時ふと何かの気配を感じて顔を上げる。すると部屋の隅に人影があった。背丈は低く、丁度映像に映っていた男児と同じくらいに見えた。暗いせいで顔までは見えなかったが何故かこちらを見て笑っているのだけは理解出来た。
「誰なんだ、君は……」
「な、何が目的なの……!?」
「恐らく会話は通じないでしょうね我々を攻撃しようとしているのですから。例え知能が残っていてもこちらの言い分は通らないでしょう。…………ええ、分かっていますよ透。貴方には関係ない事象です」
その後アタシ達はその場から動こうとしない男児から目を離さずにじっと相手の出方を待ち続けた。しかし男児は一切の行動を見せずに笑顔を保ち続けており、朝日によって部屋が明るくなり始めるといつの間にかその姿を暗ました。しばらく警戒していたが結局その後何かを仕掛けてくるなどという事は無かった。
縁や賽が目を覚まし始めたのを見てふっと緊張が解け、机にもたれる。
「ふぁあ……あ、雅さん、翠ちゃんもお帰りなさい……」
「……ああ、ただいま」
「あっそうだ! えっとですね!」
寝起きすぐだというのに賽はすぐにいつもの様子になり、ここを留守にしている間に出たという怪異について話し出した。どうやらその怪異は既に魔除け歌によって賽の中に封じられたらしく、話を聞くにそこまで危険性の無いものである事から彼女に任せても大丈夫だろうと感じた。縁は起きてすぐは寝惚けていたのかぼやっとしていたが、意識が覚醒するとサッと賽から離れていた。
「……ねぇ、何かあったの?」
「ああ、おかげで寝れなかった」
翠はアタシに気を遣ってか二人に何があったのかを説明してくれた。その後雌黄によって再現されたその時の映像を二人に確認してもらったものの、有益な情報は何も得られなかった。調査を進めるべきではあったものの何も詳細が分からず、今日が平日であるためひとまずは各々学校へ向かう事にした。現状縁を家に一人にしておくのは危険だと感じたため、大学を見学させるという名目で連れて行く事にした。また、美海や人形を依り代にしているメリーさんも放っておくと何をされるか分からないため、共に大学へと向かい怪異に対処出来る様にした。
念のため追加調査を行うと告げた雌黄はスマホの画面から消え、碧唯さんの所へと戻っていった。翠と賽を高校まで送り届けると、周囲に警戒しながら大学へと歩みを進めていった。町の様子はいつもと何も変わっておらず、あの不気味な映像自体が夢だったのではないかと感じる程に平和な雰囲気だった。
「さっきの」
「ん?」
「さっき言ってた映像って、雅達しか見てないの?」
「ちょっと待てよ……」
もしもを考えSNSを開いてみたものの、トレンドにはこれといった妙な言葉は見当たらず、その他の投稿も簡単に調べてみたが何も奇妙な投稿などはされていなかった。
「……大丈夫みたいだな」
「ん……まぁ貴方達みたいな仕事してたら怨みも買うだろうね」
「何も言い返せねぇな。実際封印された奴のほとんどが恨んでるだろうよ」
自分達がやってものではないとはいえ、縁が自分達を恨んでいない事に感謝しながら日常に包まれた町を歩いていった。




