第55話:斬鬼剣
地面に残された熱源の移動した痕跡から発される熱はどんどん上昇していき、自分の皮膚すらもひりつかせる程になりつつあった。温羅はまるで炎の縄に縛られているかの様に焼かれており、咄嗟に思いついた『灯廻』という技が自分が想定していた通りの技としてしっかり機能しているらしかった。しかし温羅の体は突然みるみる縮み始め、炎を隠れ蓑にするかの様にしてその姿を隠した。
「みやちゃん!」
「クソ……逃げたな……」
温羅が死亡した訳ではないのはすぐに分かった。この鬼ノ城や温羅から放たれている妖気がまだ消滅していないからである。これ以上『灯廻』を使い続けるのは無意味な上に体力的に危険であるため一時的に解除した。しかし翠の結界はまだ展開されているらしく、そのおかげかすぐに力が湧き上がって来るのを感じた。桔梗さんはこちらに駆け寄ると周囲を見渡し、刀を収めようとはしなかった。
「やっぱりそういうのが出来るんじゃな。ぶちヤバいわ」
「っ……桔梗さん、アイツはどこに?」
「うちの記録に残っとった情報によると温羅は変身能力があるらしいわ」
「変身……」
翠は不安そうな顔をしてこちらを見ていたが、視線を向けるとこちらに来ようとはせずに結界を展開し続けた。恐らく温羅の力もこの結界で強化されているものと思われたが、今ここで解除するのは危険だった。結界の力のおかげで『灯廻』の様な強力な技が使えて温羅に対抗出来ていたのだが、もしそれが無くなれば圧倒的な力を持つ温羅にやられてしまうのが目に見えていた。だからこそ、翠には結界を保ち続けてもらわなくてはいけなかった。
「しっかし妙な感じじゃわ。なしてアイツの姿が見えん様になったんじゃろ?」
「何か見えないもの……もしくは地面のそのものに化けてるとかじゃないすか……?」
「うーん、ほうじゃったら記録にも残っとる筈なんよ。ウチの予想じゃけど、アイツは生き物にしかなれんのじゃないかなァ」
何に変身すればこの場から気付かれずに逃げられるのだろうかと考えていると、僅かに妖気の流れが変わったのを感じた。桔梗さんも同じものを感じたらしく、二人して門の方へと向く。その時一瞬だったが、重い何かがズンと着地する音が聞こえてきた。
「逃げるんかァー?」
「あの野郎……逃げないとかほざいてたのに結局じゃねェかよ……」
「うーん……返事無しかァ。のうみやっち、悪いんじゃけど後追ってくれんかな?」
「いいすけど……桔梗さんは?」
「うん。ウチはここで待っとくけェ。こっちに誘き寄せてくれんかなァ? 大方アイツ、あの境界んとこ行きよるんじゃろうし」
「何か考えがあるンですね? 境界の場所は?」
「門出てから下って途中にある分かれ道を左。多分デッカイ足跡残っとるよ」
桔梗さんの考えてる案が何なのかは分からなかったが、いずれにしても温羅を放置する訳にはいかなかったため、一旦結界を解除させて翠と共に解錠した門の外へと出て後を追った。桔梗さんの想定通り、地面には大きな足跡が残っており、どこに行ったのか丸分かりだった。変身をわざわざ解除しているのを見るに、『龍仙の陣』から出た事で強化されていた力が無くなってしまったという事なのだろう。
「みやちゃん、大丈夫……?」
「あ、ああ……心配すンな。前程消耗しちゃいねェよ」
足跡を追って道中に見えた分かれ道へと入ると、そこは獣道になっていた。舗装されていない道にも関わらず温羅は迷いなく進んでいったらしく、地面には点々と足跡が残っていた。木々の向こうからは鳥達の悲鳴の様な鳴き声が聞こえ、奥から数匹の鳥がバサバサッと真上を飛び去って行った。
慣れない道を踏み外さない様に進んでいると、途中にある地蔵を通り過ぎた瞬間周囲の景色がガラリと変わった。今まで見えていた木々は大量の千本鳥居に隠される様にして見えなくなり、舗装されていなかった足元は石畳の通路へと変わっていた。そしてそんな石畳を覆い隠すかの様に銀杏の葉が散らばっていた。
「ここが、境界か……?」
「た、多分そうだと思う。何か、変な感じだね……」
まるで神の領域に迷い込んだかの様な奇妙な雰囲気だった。あまり長時間居れば戻れなくなりそうな不思議な感覚がする場所であり、ここが本来人が足を踏み入れていい場所ではないのは一目瞭然だった。
銀杏を踏みしめながら歩みを進めていくと、やがて通路の真ん中で立ち止まっている温羅の姿が目に映った。見てみると奥にも千本鳥居が続いている様子だったが空間が僅かに歪んでおり、そこが話に出ていた『境界ろ-3』らしかった。
「よお、逃げねェンじゃなかったっけか?」
「……やはり追ってきたか」
「それで? どうすンだ? マジでそのまま逃げて二度とこっちに来ねェってンなら見逃してやるぞ」
「その必要は無い。吉備津彦の血を引く娘が来ないのは予想外だったが、ここに来るのは初めから決めていた事なのだ」
「へぇ?」
「ここでは互いに逃げる事も出来まい。この一本道……勝つか負けるかでしかないのだからな」
そう言うと温羅は一直線にこちらへと体当たりを仕掛けてきた。翠はすぐに折り紙を展開し結界を作ろうとしたが、相手の方が一手速かったらしくアタシはその大きな手に捕まれて境界の方へと投げ飛ばされた。中がどうなっているのか分からなかったため、何とか入らない様にするために杖を握っている左腕を限界まで伸ばして鳥居の柱の部分へと引っ掛けた。止まる事自体は出来たものの、かなりの力で投げられたからか肩に大きな負担が掛かり、危うく肩関節が外れそうになった。
翠は結界のおかげで何とか攻撃を免れていたが、このままでは力負けしてしまうのは間違いなかった。
「翠っ! 自分の役目を忘れンなっ!」
「で、でもっ……!」
「ほう、向こう側に行ったかと思うたが耐えたか。しかし理解しただろう。貴様らでは勝てんと」
「ああ、アタシも馬鹿じゃねェからな。それは分かってるよ。だから攻撃はしない事にしたンだ……」
「諦めるという事か。やはり人間というのは我らよりも遥かに脆弱な生き物よのぉ」
「その通りだな。だから任せるよ、翠」
「……うんっ!」
自分が何をするべきなのか理解したのか翠は自分を守るために展開していた『亀甲の陣』の結界を一度解除すると、折り紙を境界の辺りまで飛ばすと、そこで再展開して一気に自分自身の方へと折り紙を移動させ始めた。それによりアタシと温羅は結界の壁に巻き込まれて翠の方へと引き寄せられるかの様に移動し始めた。
「馬鹿なッ! 貴様何をッ!?」
「言っただろ。攻撃はしねェってな。今のアタシらの役目なんてのは守るだけで十分なのさ」
ぶつかりそうになった翠を抱き止めると、そのまま結界に巻き込まれながら来た道を戻り続けた。温羅は暴れてこちらを攻撃しようとしていたものの、翠は更に内側に結界を作り自分達だけが守られる様にして防いでくれた。
アタシ達は翠の思うがままに結界によって移動させられ、とうとう鬼ノ城の門前まで戻って来た。門の前には桔梗さんが立っており、こちらを確認すると刀で大きな裂け目を作った。アタシ達は何も出来ないまま結界ごと裂け目の奥に広がる空間へと引き込まれ、次に何をするつもりなのだろうかと考えていると、別の裂け目から外へと連れ出された。そこは鬼ノ城の真上であり、どうやら空中へと放り出されたらしかった。
桔梗さんが落下を始めた結界の内部へと姿を現すとアタシと翠の手を掴んで、グイッと引っ張りながら結界に裂け目を作って脱出させた。温羅が逃がすまいと手を伸ばしてきたものの、一瞬杖の先に触れただけでそれは叶わなかった。
「悪いのぉ」
桔梗さんは門の屋根と空間を繋げたのか、空中に瓦屋根を出現させるとそこに自分達を引き上げて落下していく温羅を覗き込む。見てみると鬼ノ城の地面には大きな裂け目が作られており、どこに落ちても必ずあの空間へと行ってしまう様な形になっていた。
これ以上は無意味と翠が判断したのか、結界が解除され折り紙がこちらに戻り始める。温羅はそれを掴もうと腕を伸ばしたものの、その瞬間隣に居た筈の桔梗さんが温羅の目の前に現れた。
「やっぱし抵抗したのォ。抵抗せんかったら捕まえるだけにしよう思うたんじゃけど」
桔梗さんの腕が鞘に納められている刀の柄に触れたかと思った瞬間、その姿は消えて隣に戻って来ていた。いつの間にか抜かれていた刀を静かに鞘へと納めていく。
「『我流 慙愧剣』……なんつって」
鍔が鞘に当たりカチリと音が鳴ると同時に温羅の体は微塵切りにされたかの様にバラバラになり、この世を呪う様な絶叫が城中に響き渡った。桔梗さんはそんな声を一切意に介さない様子で再び飛び降りて裂け目を経由して地面に降り立つと、刀を地面に突き刺して城全体を隔絶するかの様に走り出した。やがて一周走り終えると、先程まで見えていた城の敷地は一瞬にして消え去り、アタシと翠が立っていた瓦屋根も消失した。しかしそれも予測していたのか、桔梗さんはすぐに裂け目を通ってアタシ達を安全な地面へと送ってくれた。
「こういう事っすか……」
「そっ。あっちに送り返しても多分諦めんじゃろうし、じゃったらウチがずっと管理しといた方が安心かのー思うて」
「で、でもここどうするんですか……? 上からお城が消えるところ見てましたけど、不自然ですよこれ」
翠の言う通り、桔梗さんによって裂け目の奥へと消された場所は七色の光を放つ不可思議な場所へと変わっていた。上空から見れば一目瞭然な不自然さであり、流石にここまでのレベルになると情報操作や隠蔽を得意としている雌黄でも難しそうな状態だった。もし任せれば嫌味の一つでも飛んできそうだった。
「あー心配せんでも……お?」
桔梗さんの視線を追ってみると恨めしそうな叫びを上げながら一匹の蝶がひらひらと裂け目の奥から舞い上がってきた。どうやら温羅はバラバラにされた頭の一部を変身させて逃げ延びようとしているらしかった。しかし、そんな事が無駄なのは自分が一番よく分かっていた。あの時温羅は巻き添えにしようとこちらに手を伸ばし、杖に触れたのだ。無駄な足掻きをしなければ助かったというのに、彼は自ら墓穴を掘った。
能力を使い加熱すると蝶はバランスを崩し、悲鳴を上げながら七色の光の中へと落下していった。どこまでも続いている空間のせいか、やがてその叫びも聞こえなくなっていった。
「うっわ、エグイ事しよるわ」
「殺す様な火力じゃやってないっすよ」
「あはは! ウチが言えた事じゃないか」
「それで、どうするンです? 雌黄に言ったらネチネチ言われますよ」
「心配せんでもええわ。ウチはこの辺を任されとるんで? 地質もよう知っとるし、どこを掘れば危のォてどこを掘れば安全なんかは頭に入っとるんよ」
桔梗さんの説明よると、様々な場所から地面を埋めるための土を少しずつ持ってきてそれで埋めるという算段であり、そしてある程度埋めると水を少しずつ送り込んで湖を作って隠蔽するつもりらしかった。地理学に詳しくない自分からすればそれで大丈夫なのか不安ではあったが、もし何かあっても空間を繋げたり切り離したり出来る彼女ならば何とかなるだろうと信じるしかなかった。
「そうですか……。アイツは……温羅はもう大丈夫って事でいいンすよね?」
「ほうじゃなァ、念のためにバラしといたし、多分大丈夫じゃと思うで? まぁ何かあったらまたバラすわ」
桔梗さんはこういった事に慣れているのか、鬼とはいえ生き物を切ったというのにヘラヘラと笑っていた。怪異に対して明確に敵意を見せる紫苑と比べると、腹の内で何を考えて行動しているのか分からない桔梗さんが自分には少し恐ろしく見えた。
「え、えっとみやちゃんどうする? あか姉に電話とかした方がいいのかな?」
「あ、ああそうだな。すいません桔梗さん、ちょっと電話してきます」
「おう、ええでええで! ウチは境界の方見てくるわ」
一旦桔梗さんから離れるとスマホを使って姉さんへと電話を掛ける。気を張っていたのかすぐに受話器は取られ、電話が繋がった。
「姉さん」
「ああ雅! どうでしたか?」
「うん、何とかこっちはいい感じだよ。温羅っていう鬼が出て来てて、多分最初に出てきたっていう輪入道は囮だったんだと思う」
「温羅ですか? 妙ですね……」
「どうしたの?」
「いえ、確かに温羅は封印されたという記録が残っているのですが、かなり厳重に封じられた筈なのです。あれが脱出出来るとは……」
「……封印された先で力を付けて脱走したとか?」
「分かりません。こちらでも調査は進めてみます。それで境界についてですが……」
姉さん曰く、境界を完全に塞ぐというのはあまり得策ではなく、そもそも塞ぐ方法も確立されていないため綻びを結んで強固にする他ないらしかった。その方法というのが地蔵を決まった配置で置くというものだった。あの時自分が確認出来た地蔵は一体だけであったため、その数を増やせば境界を安定させる事が出来そうだった。
「地蔵は境界などに置かれる事によってその真価を発揮します。道祖神としての側面もありますから道を守護してくれるでしょう」
「そっか、じゃあ地蔵があればいいんだね? どこで用意すればいいの?」
「それについては私から依頼をしておきます。そういった物を納品してくれる協力者が居るので彼らに頼もうかと」
「分かった。じゃあアタシらはどうすればいいの?」
「二人は一旦夜ノ見町へ戻ってくれますか? あまりあの場所を空けておくのは危険でしょう」
「そうだね。じゃあそうするよ」
報告を終えると電話を切って境界のある場所へと向かった。桔梗さんはあの不思議な空間で境界を眺めていたが、こちらに気が付くとヘラヘラとしながら振り向いた。
「おう終わった? どうじゃった?」
「姉さんによると地蔵を置く必要があるみたいです」
「地蔵~? もう置いとるじゃろ?」
「多分数が足りなくなってるんだと思います」
「え、えっとですね? 結界を使う私からすると、少なくとも後三つは必要だと思うんです」
「え~どんな感じに?」
翠を先頭に地蔵がある場所まで戻ると、どこに地蔵を置けばいいのかを説明してくれた。普段から結界を使っている彼女にしか分からない細かい部分などがあるらしく、アタシにはその違いがさっぱりだった。桔梗さんもよく分からないらしかったが、翠の自信を持った説明に納得してくれたらしくその通りにすると約束してくれた。
姉さんから教えてもらった情報を全て話し、近い内に業者によって地蔵が運ばれてくる事を伝えると別れの挨拶をして帰路についた。桔梗さんは駅まで見送り来ると姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「ふぅ……」
「みやちゃん大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。あんなデカブツ相手したの初めてだったから疲れただけだ」
「そ、そうだね。あっちの世界にはあんなに凄いのが沢山居るのかな?」
「どうだろうな……少なくとも『四神封尽』で封印された奴らは居るだろうけど、他の奴らがどんな力を持ってるのか調べといた方がいいのかもな……」
緊張が解けたからか急に体が気怠くなったのを感じた。まだまだ問題は完全に解決した訳ではなかったが、ひとまずの対処は出来たため取り合えず一息つけた。そんな様子を察したのか、翠は膝の上に乗せていたショルダーバッグを腰の横へと置く。
「みやちゃん、いいよ」
「ん……悪い……」
もう人目を気にするのも面倒くさくなり、翠の膝に頭を降ろす。小さく柔らかい、そして優しい体温が頭部へと伝わってきてアタシの意識は一気に微睡み、すぐに温かい眠りへと誘われた。




