第54話:吉備を支配せし者 温羅
上へ上へと登り続けているとようやく鬼ノ城の門が見えてきた。しかしその扉は閉められており、更にその門は綺麗な光沢を放っている鉄によって補強されていた。それを見た桔梗さんは門に近寄り持っていた日本刀の鞘で門を小突いた。するとバチッと奇妙な音が鳴り、一瞬妖気が強くなったのを感じられた。
「桔梗さん、それ……」
「ぶちヤバいわ。何かよう知らんけど結界張りよった。まぁ別にええんじゃけどな」
そう言うと桔梗さんは日本刀を出す時にやったのと同じ様な動きをして空間に大きな裂け目を作った。裂け目の向こう側には虹色の光が揺らめいており、桔梗さんはその中へ片足を突っ込むとこちらに手を伸ばした。
「ほれ、行くで」
「それ、大丈夫なんすか?」
「平気じゃって。手ェ離さんかったらどうっちゅー事無いって」
「……分かりました。翠、しっかりアタシに掴まっとけよ」
「うん……」
桔梗さんの手を握り、引っ付いている翠を離さない様に抱きながら裂け目の中へと踏み込んだ。その中はどこを見ても虹色の光が揺らめいており、上下の感覚が無くなってしまいそうな空間だった。それにも関わらず桔梗さんはその中で何の迷いも無く動き続け、しばらく歩くと再び裂け目を作ってそこを通った。するといつの間にか門の向こう側へと到着しており、門の方を振り返ってみても閉じられたままだった。
「ほい、もうええよ」
「あ、ええ……。翠、もう大丈夫だぞ」
「う、うん……酔うかと思った……」
これがこの人の力なのか……空間に裂け目を作って別の場所と繋げられる能力。あの空間の時間の進み方がどうなってるのかは分からないが、この能力の前じゃどんな封鎖も意味を成さないって事になる。もし『四神封尽』の封印先にも繋げられるんだとしたら、この人がここを任されてるのも頷ける。
辺り一帯を包んでいる妖気の発生源を探そうとしたその時、突然空から一羽の雉が降りてきた。その雉はその身をぐにゃりと変形させると、身長4メートルはあろうかという大男に変化した。
虎の様に鋭い目つきをしているその顔には激しい憎悪が見て取れ、真っ赤な髪や髭は燃え盛る炎の様だった。全身が筋肉質であり、その身長と頭部から生えている二本の角を覗けばほとんど人間と変わりない風貌だった。
「おぉっとぉ? なるほどそういう訳ねぇ」
「お前ェまさか……」
「我の事を忘れたなどとは言うまいな?」
低くドスの聞いた声をしていたその男は桔梗さんの方を真っ直ぐと睨み据えていた。
「まぁ知らんっちゅーたら嘘になるなァ?」
「貴様、吉備津彦命の血を引いておるのだろう……」
「せーかーい。何かよう知らんけど、ご先祖さんがそんな名前じゃったわ」
吉備津彦命は桃太郎伝説の元ネタになった伝承に出てくる人物である。かつてここ鬼ノ城を根城にしていた鬼を退治して平和をもたらした事から、その名を冠した神社もある。今目の前に居るこの鬼の証言が正しいのであれば、桔梗さんはその吉備津彦命の血を引いている人間らしい。
「アンタさん……温羅なんか?」
「如何にも。にっくき吉備津彦によって辛酸を舐めさせられし者よ」
「何じゃ仕返しに来たんか? 確かアンタさん、しっかり供養されて今じゃ守り神の筈じゃろ?」
「フン……愚かな男よ。我があの様な事で根を上げて諦める訳がなかろう」
「桔梗さん、あんま話さない方がいいっすよ。何か狙ってるかもです」
「ほう……今度は供を連れてきたのか。あの男より劣ると見受けられる」
「……ほいじゃ試してみるかァ?」
桔梗さんは素早く抜刀するとその太刀筋で裂け目を作り、その中に侵入する様にして姿を消した。しかしその直後、突然温羅の背後に現れると足に向かって刀を振るった。温羅はそれを読んでいたのか桔梗さんを素早く掴んで壁に向かって放り投げた。幸いにも途中で裂け目を作ってそこへ逃げ込んだため、叩きつけられる様な事態は避けられていた。
「それで貴様らはどうするのだ。逃げるのであれば見逃してやろう」
「……ンな訳ねェってのは分かってンだろ? そっちこそ逃げなくていいのかよ。あっちの世界に逃げて出てこないってンなら見逃してやるぞ」
「笑止! かつての我では無い。そのような無様はせぬ」
「だとよ翠。行くぞ……」
「う、うんっ……!」
「加減はせぬぞ」
温羅は拳を地面に振り下ろして穴を開けると、そこから金棒の様な物を取り出した。正確にはそこから出てきたという感じではなく、抉った地面の一部を金棒の形へと変形させて鉄へと変化させたという感じだった。温羅は大きく振りかぶり金棒を振り下ろしてきたが、翠の方が一手速かったらしく『亀甲の陣』によって阻まれた。
「ほう……貴様、興味深い技を使うのだな」
「お、お願いです……元居た場所に戻ってください……!」
「ならぬ。貴様ら人間は我らを異なる者として追放した。その償いをする時なのだ」
翠が踏ん張る中、結界内に裂け目が出現し桔梗さんが戻って来た。
「おっとぉ……ぶちヤバいね」
「桔梗さん、大丈夫ですか?」
「気にせんでええよ。のォ温羅ァ……マジであっちに戻ってくれん? ウチもあんま手荒な真似しとうは無いんじゃわ」
「戯言を。先程の太刀筋、我を殺すつもりで放ったのであろう」
「いやいや、ちょっと動けん様になってもらおう思っただけじゃって」
「ほざけ……」
温羅はこれ以上攻撃しても結界が破れないと悟ったのか地面に指を刺すと、踏ん張ってアタシ達が立っている地面を抉り返そうとしていた。このままでは逃げ場が無いと気付いた翠は結界を解除したが、温羅はそれを待ち構えていたかの様に素早く金棒を手に取りこちらに振り下ろしてきた。しかし桔梗さんが切り裂く様に刀を振るうと、金棒はまるで竹か何かの様に容易く切断された。
一瞬生まれた隙を突き、桔梗さんは裂け目を作って全員でそこへと逃げ込んだ。
「流石に多少は頭働くんじゃなァ」
「き、桔梗さん……その刀、凄いですね……?」
「ん? あーこれ? これ別に本物じゃないで。模造刀よ」
「え? で、でもさっき……」
「別に本物じゃのうても能力使えば切れるんじゃわ。それにマジの刀持って歩きよったら碧唯さんの迷惑になるじゃろ? ウチ嫌で? そんなしょーもないんで捕まるん」
確かに裂け目を作る能力を使えば本物でなくても可能かもしれない。裂け目を塞いだとしても、一度そこが空間ごと裂けているのは事実であるため、あれだけ硬そうな物でも簡単に切断出来るのだろう。
しばらく裂け目の中を進み続け、桔梗さんは新たな裂け目から顔を出して外を確認すると中から引っ張り出してくれた。そこは城門の屋根の上であり、傾斜がきついため腰を降ろす必要があった。
「さて、ほんでどーする?」
「どうって……何とか封印するしかないんじゃないすか……?」
「で、でもかなり怒ってるみたいだし、じっとしててもらわないと無理だよ……」
「……なァ、あれホンマに封印じゃないといけんのかな?」
「どういう意味です?」
「アイツはウチのご先祖さんが封印しとった訳じゃけど、こうして出てきよった。また封印しても同じ事の繰り返しじゃないかの?」
それは否定出来ない意見だった。伝承によると首を刎ねられ、肉も無くなり骨だけになった温羅がどうやって元通りの姿を手に入れて復活したのかは不明だったが、こうしてかつての姿で戻ってきている以上は普通に封印するのでは無意味な可能性が高かった。
「今度はもう戻って来れん様にしといた方がええと思うんじゃわ」
「戻って来れない様にって……どうやってです?」
「頭だけじゃのうて手ェと足刎ねるんよ。ほんでバラして封印しとけば、また復活する事になっても時間掛かると思うんじゃわ」
「で、でも私達、温湖詩歌っていう人に騙されて……」
「知っとるよ、でもあれはイレギュラー中のイレギュラーじゃろ? あれの名前記録に無かったで?」
「他に方法が無いならそれもありかもしんないっすけど……」
何か他にいい案がないだろうかと考えを巡らせ様としたその時、はらりと肩に一枚の羽根が落ちてきた。上を見上げてみると丁度上空に雉が飛んでおり、こちらに急降下しながら温羅の姿へと変化し始めた。桔梗さんもすぐに気が付いたのか足元に刀を振るい裂け目を作ると、アタシと翠を掴んで屋根をすり抜けるかの様にして門の真下へと着地した。直後ズンと門が軋み、瓦がいくつか落下してきた。それにも関わらず扉そのものはまるで損傷する事なく閉ざされたままだった。
「アイツ自分の城なんに滅茶苦茶やりすぎじゃろ……」
「桔梗さんこの場所だと……」
「わーっとるよ」
門から離れて敷地内へと戻り門の上を見てみると、温羅はこちらに顔を向けてニヤリと笑い牙を見せた。その異常に発達した犬歯は彼が人間ではない存在なのだという事をはっきりと示していた。
屋根から飛び降りズシンと地面を響かせると足や腕の表面を覆うかの様に金属板を出現させ、鎧の様に身に纏った。
「変わった刀を使うのだな」
「ほうで? アンタさんの手ェとか足とか簡単に飛びよるわ」
「面白い。ではやってみよ。あの男の末裔と言うのであれば我を楽しませてくれるのだろうな」
「楽しめんと思うで~? そん前にいてこましたるわ」
桔梗さんは刀を構え、小声でこちらに話しかける。
「みやっち、サポート頼んでもええかな?」
「はい。あの鉄板やればいいンすよね」
「ん~~……ちっとばかし違うかな」
「じゃあ何を……」
「茜さんから聞いとるで、教えてもろうたんじゃろ? みやっちに合うたやつを……」
そう言うと桔梗さんは駆け出し、温羅との戦闘を再開した。温羅は金棒は使わずにその巨体を活かしたパワフルな肉弾戦を仕掛けてきており、どうやら武器を使うよりもそちらの方が手っ取り早いと感じた様子だった。
教えてもらったって何の事だ……? 今まで姉さんに教えてもらった事はかなりの数がある。能力の制御の仕方も怪異を相手にする時の立ち振る舞いも、妖気や霊気の感知方法も全て習ったものだ。その中でアタシに合ったもの……?
桔梗さんの発言が何を指しているのかと考えていると翠はショルダーバッグの中に収めていた折り紙を全て取り出し、自分の周囲に浮かべる事で即座に対応出来る様にと構えていた。それを見た時、ふと自分の中で答えが舞い降りた。人生の中でも訓練を数回、実戦でも一回しか使わなかったあのやり方を示していたのだ。
「翠……」
「な、何みやちゃん? 私、いつでも行けるよ……?」
「『龍仙の陣』を頼む」
「えっ!? でもあれは……」
「アイツは昔話になる程の奴だ。桔梗さん一人じゃジリ貧になる。だったら今使うしなねェだろ」
「でも……あれやったらみやちゃん、倒れちゃうでしょ……!?」
「今ここでアイツやらなかったら余計ヤバイ状況になる。頼む、アタシもなるべくコントロール出来る様にしときたいンだ」
「……わ、分かったよ……」
「この城全域を対象にしてくれ」
翠の手が止まる。
「そ、そんな事したら……!」
「アイツも強化されるだろうな。でもそれでいい。見た感じアイツは力任せな戦い方が多い。技の量じゃこっちの勝ちだ。早く頼む」
「う、うん……」
翠の周りに浮いていた折り紙の中から龍を模した青い折り紙が上空へと飛んでいき、城全体を囲う様な位置へと降下していくのが見えた。そして翠が瓶詰にされた折り鶴に力を送り出すと、『禁后』を相手にした時に感じた様な立ち眩みが一瞬し、体の底から霊力が沸き上がって来るのが感じられた。桔梗さんも温羅も自分の体に何かが起きている事を察したのか一瞬双方の動きが止まったが、すぐにより激しく戦闘し始めた。
「良し……これでいい……!」
「き、気をつけてね……危なくなったら……私が守るから……!」
「ああ……任せるよ」
四つの青い折り紙の亀がアタシの周囲に付き、いつでも『亀甲の陣』が発動可能な状況になった。しかし翠が『龍仙の陣』に集中している以上は、あまり期待しすぎるのは危険に感じた。一番いいのは相手からの反撃を許さずに一気に決着をつける事だった。
日断も放仙火も消耗が激しい上に桔梗さんを巻き込むかもしれないな……どっちも今使うのは危険過ぎる。やるならもっと楽なやつがいい。せっかくだし今思いついたものでもやってみるか……?
温羅を視界の中心に収めながらゆっくり息を吸い込むと、地面を突く様にして杖を突き立てて手元から熱源を地面へと熱源を伝えた。不規則な動きをしながら移動していき温羅の足へと接触したのを確認すると一気に加熱を行い、どんどん温度を上昇させながら頭部へと移動させていく。
温羅はアタシがこれをやったという事に気が付いたのか桔梗さんを投げ飛ばすとこちらに向かって駆け出した。その足が先程熱源が通った場所に差し掛かったのを確認し、一気に力を解放してその経路全てに熱を発生させて自然発火させる。
「なッ……!! 貴様これはッ……!?」
「テメェは見逃すっていうアタシからの警告を無視した。悪いがもう手加減する訳にはいかねェンだよ。こっちも仕事だからな。あの境界を正しく塞いで、テメェを送り戻す」
頭部にまで登りついていた熱源を温羅の体表で縦横無尽に動かしながらどんどん加熱していく。
「『日奉流杖術奥義 灯廻』……」
温羅の体にも火が点き始めた。最早その炎の様に赤い髪も本物の炎に包まれて肉の焼ける匂いを発するだけになり始めていた。




