第52話:彼は誰 誰そ彼と 人は言う 肉付き面は にっくき思いて 夜明けの晩へ 黄昏出でて 死を運ぶ
翠の形成した結界に包まれながら二人で烏丸池の底へと沈んでいった。水質があまり良くはないのか視界は非常に怪しく、一メートル前すらも見えない程濁っていた。結界のおかげで何かが来ても問題無く防ぐ事は出来そうだったが、もし何らかの霊的呪術的攻撃が来た場合はこの結界だと危険なためこの結界を使うのは賭けだった。
しばらく沈み続けていると底面に辿り着き、砂埃がふわりと舞った。そこまで辿り着いて初めて妖気を感じ取った。やはりこの湖の底に骨が沈められているらしく、残りの頭部と胴体のどちらかはここに存在している様だった。
「どこかにあるな」
「う、うん。気をつけてね」
温湖詩歌の残りの体を探すために湖底を歩いていると何度かそこに生息している魚類達と遭遇した。あまり生物学の知識がある訳ではないが、特に異常な性質を持った生物は確認出来ず生態系には異常は来していなかった。
僅かに感じる妖気を基に歩みを進めていくとようやく人骨が転がっているのが確認出来た。結界外の湖底に転がっており、恐らく肋骨の様なものが見える事から胴体の部分だと思われた。
「っ……!」
「大丈夫だ翠。……これ、結界に入れられるか?」
「で、出来なくはないと思う……でもちょっと水が入っちゃうかも……」
「やってくれ。危なくなったらすぐに中止してくれていい」
翠は頷くと結界を形成していた亀を模した折り紙の内の二つを前方へと移動させて少しずつ骨を結界内部へと侵入させた。心配していた様に水も共に内部へと侵入し、靴の裏が水で浸水し始めていた。
半分辺りまで入って来た骨を見ていると何かの気配を感じて横を見る。そこには短冊があり、結界の外壁にへばりついていた。
『水に沈みし 浅き夢見し 昏い未来へ くらくらに 自ら水飲み その日は沈み』
温湖詩歌が攻撃を仕掛けてくる事に気が付き結界を形成している折り紙に目を向けると、その内の一つを魚が咥えているのが目に入った。翠の霊力で強化されてはいるものの、それはあくまで物理的耐久性が増しているだけであり、猫や魚の様な小型動物でも外部から動かせる可能性があるという欠点があった。以前美海を捕まえようとしている時にも同じ様な事があり、魚でも動かせてしまうのは仕方がない事だった。
「翠ヤバイぞ! 結界を崩そうとしてる!」
「えっ!? わ、私はどうすればいいのっ!?」
「……しゃあねぇか。アタシが杖で骨を引っ掛けとく! 翠は百さんに合図を送って結界を張り続けてくれ!」
「わ、分かった!」
翠が内側から縄が結んである折り紙を引っ張り百さんへと伝えると結界はすぐに上へと引っ張られ始めた。その間半分内部へと入っていた胴体の骨へ杖を引っ掛けて、落とさない様に支え続けた。結界は部分的に不安定な形へと変形を始めており、浸水スピードは加速していた。しかし意外な事に完全に浸水してしまう前に結界は湖面から脱出出来、自分にも翠にも一切の怪我は無かった。
「大丈夫だったぁ!?」
「助かりました百さん。それに紫苑もありがとう」
「……」
紫苑は手伝ってくれていたのか、手に持っていた縄を手放した。百さんに手を引かれて何とか陸地へと上がると、翠は折り紙と水面に浮かんでいた短冊を拾い上げた。それを横目に胴の骨を地面に置く。
「胴体、かな?」
「だと思います。頭部は見つかりませんでした」
「……ちょっとアホ翠~あんたじゃないと封印出来ないんだけど~?」
「あっご、ごめんね! すぐ行く!」
翠はびしょびしょに濡れた短冊を置くとすぐに封印の準備を進めた。その間に短冊を拾う。
何か妙な感じがする……温湖詩歌はアタシと翠を溺死させようとした。だがさっきのあの浸水速度じゃどう考えても遅すぎる。あの時アタシは慌てて翠に合図を出す様に言ったが、もしかしたらそれが狙いだったんじゃないのか? もしあの場所にまだ頭部が沈んでいるんだとしたら、それから注意を背けるためにわざとそこで仕掛けてきたんじゃないだろうか。
翠が封印を進めていく中、スマホに着信が入った。出てみると雌黄が画面上に現れ、家系図の様なものも表示した。
「雌黄か、どうした」
「重要な情報が判明しました」
「重要な? 何だ?」
「実は被害者の家系図を追加調査していたのですがどの家系にも必ず温湖家が関わっている様なのです」
「いや被害者は温湖家の人間じゃなかったンだろ?」
「いいですか雅さん、温湖家は和歌の名家です。資産も多く持っており他の名家へ嫁ぐ様な習慣もあるのです、しかしいくら名家と言えどもイレギュラーは存在します。一般人とどこかで交わったり認知していない子供を作る人間だって居ます」
「まさか……」
雌黄が見つけてきた家系図は温湖の血が複数の場所へと分化している事を示していた。しかし正式な家系図という感じではなく、恐らく病院の診療記録などから雌黄が自分で作り出したものらしかった。
表向きの記録に残ってない駆け落ちも含めればアタシ達が思っている以上に温湖の血は広がっている事になる。別にそれ自体はどうって事はねェが、雌黄の情報が正しいとしたら被害者全員を守るのは無理だぞ……人数が多過ぎるし、このままじゃ一般社会に異常存在が露呈する可能性もある。
「そちらの進捗はどうですか?」
「胴体は……ああ、今終わったみてェだな」
「なるほど今少し様子を見ましょう」
「そうだな……悪いが雌黄、君が出来そうだったらでいいから助けられそうな人は助けてくれ」
「ええ、構いませんよ」
新たな被害者が出ない事を祈りながらスマホを切り翠の方を見てみると、どうやら胴体の封印には成功したらしく骨は無くなっていた。しかし何故か結界の中心には一枚の短冊が落ちており、全員の視線がそこへと向けられていた。
「どうしたンだ?」
「あっみやちゃん……これ」
「……ねぇ、これヤバイんじゃないの」
「茜さんに連絡した方がいいかもねぇ……」
その短冊にはこう書かれていた。
『日の光 我が身を照らし その身成す 骨着き 肉付き 運のつき 頭目覚めて 日の身尽く』
何か嫌な予感がして姉さんへと連絡を入れる。姉さんにも何が起きているのかは分からないらしかったが、短冊に書かれている和歌を見るに温湖詩歌の復活と日奉一族の族滅を狙っているのではないかとの事だった。姉さん曰く日奉一族の記録には温湖詩歌に関する情報は載っていないらしく、何故こちらを殺そうとしてくるのかは分からないらしかった。しかし姉さんもあくまで現当主であり、今までの一族の行動全てを知っている訳ではないため、どこかで記録の抜けがあった可能性も考えられた。
「どうしよう……」
「雅、落ち着きなさい。温湖詩歌の頭部は未だ確認出来ていないのでしょう」
「その事なんだけど姉さん……もし温湖詩歌の本当の狙いが封印される事だったとしたら?」
「どういう意味ですか?」
「アタシさ、昔姉さんに聞いた事あるよね。翠の『四神封尽』での封印先は別の空間だって」
「ええ。あの子には他の場所へと送ってもらっているのです」
「それでさ、もしその場所に既に頭部があってさ、そこからじゃ他の体を回収出来ないから、わざと騒ぎを起こしてアタシ達に代わりに回収させたんじゃないかって思うンだ」
何か嫌な予感がしたのか姉さんは一度電話口から離れて何やらがさがさと作業をし始めた。少しすると紙の音をさせながら再び電話へと出たが、何やら慌てている様子だった。
「姉さん?」
「今、他の一族から送られてきた手紙を見たのですが、雅の予想は正しいかもしれません」
「……何があったの?」
こちらを見ている翠達の顔に緊張が見てとれる。
「ある場所で重力の乱れが確認されたそうなのです」
「重力?」
「ええ。その際調査に向かった人員によると異常存在を発見したため交戦し、封印したそうなのです」
「それは……」
「良いですか雅。一族の記録によれば重力というのは別次元にも存在している力であり、どちらでも等しく働いているそうなのです。それが乱れたという事は……」
「……向こうとこっちの境界が曖昧になってる?」
「そういう事になります……翠の封印先とこちらの世界が繋がろうとしているのかもしれません。そして交戦したという存在、自らの体を回収させた温湖詩歌、杞憂であれば良いのですが……もしかするとこちら側に侵攻しようとしているのかもしれません」
その言葉を聞いて納得がいった。温湖詩歌の和歌はこちらへの宣戦布告でもあり誘蛾灯でもあったのだ。温湖の血が少しでも入っている人間を殺して自分の復活をアピールしながらアタシ達に骨を封印させる様に誘導していたのだ。自分も力を持っているからこそ分かる。体が万全であればある程、能力は正確さと火力を増すのだ。
「姉さん、その場所どこ?」
「後で雌黄に位置情報を送らせます。まずは新しい被害が出ないか確認しながら各自戻って備える様に伝えてください」
そう言うと姉さんは電話を切ってしまった。やるべき事を伝えられたアタシはすぐに翠達にその旨を伝えた。紫苑はやはり何かまずい事になったといった表情で溜息を吐き、百さんは予想外の事態に困惑していた。翠は自分のせいで事態が悪化したと感じたらしく泣きそうになっていたが、安心させるために抱き寄せる。
「大丈夫……大丈夫だ翠。相手の方が一手上手だっただけだ」
「で、でも……」
「……何してんの姉ちゃん。行くよ」
「え、行くって……」
「は? 決まってんでしょ。あのバカネの命令に従うなんてムカつくけど、今はそれどころじゃないじゃん」
「あっ、うん……」
百さんは翠を心配しているのか一度こちらに顔を向けて紫苑の後へとついて林へと向かっていった。残されたアタシは翠が落ち着くまで頭を撫で、これからどうするべきか思案していた。
温湖詩歌は翠の結界の特性を理解してた。多分今のアイツは全盛期の力を取り戻している可能性がある。今まで見せていた和歌の力はあくまで偶然を誘発するという形に過ぎなかった。だがもし、それが何でも出来てしまう力へと変わっていたら? 相手が何をしてくるかは大体想像がつく。
「翠」
「ご、ごめんねみやちゃん……も、もう大丈夫、だから……」
「いいンだ。あのな、きっと姉さんが話に出してた場所には現世と常世の境界線が出来てる。それでもしそこから温湖詩歌も含めた怪異が出てきたら、アタシは手加減する訳にはいかなくなる」
「ど、どういう意味?」
「きっとそいつらの中には翠に封印された奴も居る。恨んでるのも居るかもしれねェ。そうなったらいつもの調子じゃ翠を守れねェ」
「もしかしてみやちゃん……」
「……ああ、最悪殺す事も考えてる」
翠は服をぎゅっと掴んで懇願する様にこちらを見上げる。
「だ、ダメだよ! そ、そんなの……」
「分かってるよ。一族の流儀に反するよな。でも手加減出来る自信がねェンだよ。殺す気でやらねェと、今度こそ本当に殺される」
「だからって……!」
「それでだ、翠にしか頼めない事がある」
「え……?」
「もしやばくなったら逃げて欲しい。アタシに構うな」
「どうしてそんな事言うの……?」
もちろんそんな事態にならないのが最善だった。しかし異常存在や怪異相手に『もしも』は通用しない。常に最悪のパターンを想定しなければならない。封印された全ての怪異が反省して改心しているなんて考えはあまりに虫が良すぎるからだ。
「……アタシにとって翠は本当の家族なンだ。絶対に翠だけは失いたくない」
「そんなの……」
「本当にやばくなった時でいい。その時だけは逃げてくれ。いいな?」
「……うん」
納得いかない様子だったが渋々といった様子で頷いた。そんな翠と共に家へと帰るために駅へと向かっているとスマホに着信が入った。どうやらメールらしく、開いてみると雌黄が用意したものと思しき地図と現状報告が表示された。報告によるとその時出てきたのは輪入道だったらしく、問題無く封印に成功したらしい。しかし重力の乱れはまだ観測されているため未だ警戒対象であり、現在一族の一人がそこで見張っているとの事だった。そして日奉一族の合同会議を行う事になったため一同拠点へと戻り、全員が揃い次第作戦会議を始める取り決めになったと通達された。
「翠、この後帰ったら会議だ」
「う、うん。分かった」
「疲れたろ? 駅に着くまで寝ててもいいぞ」
「ううん、大丈夫。……あのねみやちゃん」
「うん?」
「やっぱり私、約束出来ないよ」
ホームへと電車が向かってきている。
「何言ってンだよ」
「みやちゃんは私の事家族って言ってくれたよね。あのね、私もみやちゃんの事家族だって思ってるんだよ」
「あのな翠、お前ェの力は一族にとって必要なものなンだ。その力があればきっと……」
「私は日奉一族の名前なんて無くてもいいんだ。私にはみやちゃんとあか姉達が居ればいい。誰かの役にとかはいらないよ。皆が居てくれればいいの」
「でもな……」
「ねぇみやちゃん、手出して」
言われた通りに右手を出す。すると翠は自らの右手の小指とアタシの小指を絡ませた。
「約束。私は絶対にみやちゃんを一人にしないよ」
「…………ああ、分かったよ翠。そうだな。アタシ達は家族だもんな」
「うん。私の一番のお姉ちゃん」
「大好きな妹だ」
翠は背伸びをして顔を近付ける。
ホームへ入って来た電車のせいで髪が大きくなびいた。




