第50話:貴き日の巫女 今では忌み子 暦は霜月 今宵は霜つき ならば死持って命尽く
新たな短冊を発見した直後水瓶の中へと頭が浸かってしまい、動揺していたからか何も対処する事が出来なかった。いくら暴れても水瓶が倒れる気配はまるで無く、中から絡みついてくる何かはますます奥へと引き込もうとしていた。
何が起きてる!? 底の方から何かの妖気が出てたがそいつがやってるのか!? まずいこのままじゃ体が上手くうごか
「雅ちゃん」
百さんからポンと肩を叩かれた。何故か目の前には自分が引き込まれそうになっていた筈の水瓶があり、体を見てみると頭も腕もどこも濡れていなかった。
一体何が起こったのかと困惑していると、百さんは肩に手を置いたまま水瓶から離れさせる様にして引っ張った。水瓶と壁の間には先程見た短冊が挟まったままになっており、アタシを離れさせた百さんはその短冊を手に取った。
「やっぱりこれが……」
「あ、あの百さん? 今アタシ……」
「……うん。私が助けたんだ。間に合って良かったよ」
「助けたって……どうやってです? 百さん昔から何で力の事教えてくれないンすか?」
百さんは答えにくそうに口を噤んで短冊を読み始めた。そこに書いてある和歌はやはり先程と変わっていないらしく、その形式は通常の和歌からは少しずれた自由律と呼ばれるタイプのものだった。
「『親殺しは お人好し 水底覗いて 皆そこ覗く それも能わず 哀れ泡吹く』……」
「百さん、教えてくれないンすか?」
「……ごめんねぇ雅ちゃん。私の力は本当は無闇に使っていいものじゃないんだぁ」
何故この人は自分の力を隠すのだろうか。日奉一族の人間は共に行動する時は必ずと言ってもいいほど自分の力を説明してくれる。そうしなければいざという時に判断が遅れたりするからだ。しかしこの人は昔から教えてはくれなかった。紫苑ですらもその力を知らないらしく、恐らく知っているのは本人と姉さんだけだと思われた。
「それよりこの和歌だけど、これってやっぱり雅ちゃんの事でしょう?」
「……そうっすね。アタシは……自分の親を殺しました」
「雅ちゃん、気にしちゃダメだよ?」
「大丈夫ですよ。もう受け入れるって決めたンで。……それで今気になったンですけど、ここおかしくないですか?」
自分が気になったのは『皆そこ覗く』の部分だった。確かに何か気になる妖気が出ており、それが何なのか分かれば全員に見せるつもりではあった。しかしそれはあくまで脳内で思っていた事であり、一度も口に出して「誰かに見せる」とは言わなかったのだ。
「その詩歌って奴は、あの中にあるものを見られたくなかったンじゃないですかね?」
「じゃあもしかして……」
「この和歌を作るのに使う呪物でも入ってるとか……?」
それを聞いた百さんは小屋の外から石を一つ持ってくると、それを水瓶へと叩きつけた。するといとも容易く割れ、溜められていた水が一気に零れ出した。それと同時に長い藻の様なものも床の上へと流れだし、どうやら腕に絡みついていたのはそれらしかった。そしてその藻を杖で除けてみると、そこには白骨化した右手が転がっていた。
妖気の正体が分かり、ひとまずこれを封印しようと外を探索していた翠と紫苑を呼ぶ。入って来た翠は白骨化した右手に驚いていたが同じ様に妖気を感じ取ったのかすぐに封印の準備を始めた。
「本当に封印でいい訳?」
「どういう意味、紫苑ちゃん?」
「こいつ、明確な悪意を持って攻撃してきたんでしょ。前の『コトリバコ』みたいに機械的な呪いじゃない。明らかに人の意思が加わってる呪いじゃん」
「紫苑ちゃん、お姉ちゃん言ったでしょ? 例え相手が悪意を持ってても殺したりするのは無しって……」
「……そうやって甘い事言ってるから菖蒲がああなったんじゃん」
「……」
百さんと紫苑の妹である菖蒲は未だに意識が戻らないらしい。話によれば既に五年は意識不明の状態であり、何とか延命措置は続けているらしいがあまり長く意識が戻らないのは危険な兆候らしかった。特に彼女はまだ10歳らしく、幼い体にはその状況はあまりにも過酷だった。
「あの時あたしは戦った。でも姉ちゃん何もしなかったよね?」
「それは……」
「博愛主義もいい加減にしたら? あのバカ女に絆されて、家族の一人も守れてないじゃん」
「違うの……」
「もうやめろ紫苑。今はこっちに集中しろ」
「……あんたの事も嫌いだからねバカ雅」
紫苑はいつも以上に苛立った様子で小屋から出て行った。百さんには心を許していると思っていたが、実際には愛情以上に憎悪も持っている様子だった。翠は悪くなった空気のせいか少し怯えた顔を見せていたが『四神封尽』の準備を終えてすぐに封印を開始した。
意外な事に何の超常現象も起こらず簡単に右手は発光しながら姿を消した。妖気もしっかり消え去っており、完全に封印出来た様だった。
「お、終わったよ……」
「ありがとう翠。百さん、あんまり気にしない方がいいですよ。紫苑も気が立ってただけっすよ」
「あ、ありがとね雅ちゃん。でもあの子の言う通りなんだ~……私はあの子を助けられなかったからね……」
「何があったンすか。アタシらがとやかく言える事じゃないかもですけど、怪異を相手にするなら今だけでも紫苑とは仲良くしとくべきっすよ」
「うん、うん……そうだねぇ。紫苑ちゃんもね、悪い子じゃないんだよ」
それは自分も分かってはいた。あの子は愛想が悪いしぶっきらぼうで口も悪いが、決して悪人ではない。それは百さんといつも一緒に居る事から見ても明らかであり、更に翠からあだ名を付けられても怒らない辺り、根はいい子の筈なのだ。しかし彼女と百さんの間では、自分達では計り知れない軋轢が存在しているのだ。
「紫苑ちゃんの所に行ってくるねぇ?」
そう言うと百さんは外へと出て行った紫苑を追って小屋から出て行った。
「みやちゃん、これからどうするの?」
「まずは雌黄からの情報待ちだな。これで終わったんならこれ以上被害者は出ない筈だ」
「そっか……。それにしても百ちゃん達何があったんだろ……」
その時、外から紫苑の名を呼ぶ百さんの叫びが聞こえた。慌てて声の聞こえた方へと向かってみると、そこには頭部から出血して倒れている紫苑とその傍で狼狽える百さんの姿があった。どうやら林に立っていた木の幹が腐っており、そこに風が吹いて紫苑の方へと倒れてきたらしかった。魂に触れる紫苑は怪異相手には優位に立てるが、こういった物理的な現象に対しては年齢相応の反応しか出来ないのだ。
「しーちゃんっ……!?」
「紫苑ちゃん起きて!! お願い!!」
「落ち着いてください百さん! さっきアタシを助けてくれた時みたいに出来ないンすか!?」
「そ、それは……」
「アタシには百さんの力がどんなものなのかは分かりません。でも助かる可能性があるなら、やってください」
「……う、うん」
百さんが自らの額に手を当てて唸り始めた中、倒れた木の下に落ちていた短冊に目が留まり拾い上げる。
『日の申し子は 毒舌家 毒の舌持ち 木々の下敷き 頭砕けて 姉は呆けて』
まさかあれだけじゃ封印しきれてないのか……? 最初はあの和歌の内容のせいもあって右手が呪いの和歌の発生源だと思ってたが、他にもあるのか……?
そう考えているとスマホに着信が入る。出てみると雌黄であり、どうやら他の場所でも新たな被害者が出ており、更に調査の結果によると温湖詩歌はバラバラ死体となって発見されたらしい。検死も行われていたらしいのだが何故か突如消失し、未だに行方不明になっているそうだった。
「今回の被害者は駅のホームから転落して撥ねられました。日本の時勢もここまで悪くなったのですね感動的です」
「冗談じゃねェよ……その場所に短冊があったから連絡してくれたンだろ?」
「ええ。こう書かれてましたよ『身を撥ねて 羽生え天に 果てようと 心は跳ねず 面も栄えず』」
「完全に犯行予告だな……」
「悪趣味グランプリ決勝戦といった感じですね。ボクなら金賞を差し上げるところです」
「それで……遺体の件だが」
「ええ、検死記録にアクセス出来ましたのでコピーを送信しておきますね。それでは」
雌黄はノイズと共に消え、代わりに画面上に検死ファイルが表示された。それによると温湖詩歌の遺体は何らかの刃物の様なもので六つのパーツに切断されていたらしい。頭部、胴体、両腕、両足という分かれ方らしかった。元々こういった古い記録は紙面にしか残っていない筈なのだが、どうやら事件の異質さからデータ上にも過去の事例として記録されているらしかった。
記録に目を通していると翠の驚く声が聞こえ、顔を上げてみるとそこには紫苑が無傷で立っていた。百さんは紫苑が無事で済んだ喜びからか泣きながら抱き付いており、紫苑は困惑しながらも鬱陶しそうにしていた。
「無事だったか」
「ちょっとどうなってんのこれ……! ああもうウザい!」
「だって紫苑ちゃんが死んじゃったら私……!」
「あたしが死ぬ? 馬鹿言わないで、自分の事くらい自分で守れる」
「いや、何言ってンだよ。お前ェさっき倒れてきた木で頭打ってたンだぞ?」
「……は?」
どうやら紫苑はその時の事を覚えていない様だった。木は間違いなくそこに倒れており、彼女が頭を打ったのは間違いない筈だった。
「そ、そうだよしーちゃん! そこで頭から血を出して倒れてて……!」
「何言ってんの? 確かに木は倒れてきたけど姉ちゃんがあたしを突き飛ばして……」
紫苑のその言葉を聞いて自分の中で一つの答えが出た。何故百さんがアタシや紫苑を助ける事が出来たのか、今の言葉で合点がいった。百さんは聞かれたくない事を話されたからか口をパクパク動かして何か言おうとしていたが、動揺しているのか何も言えてなかった。
「……百さん、教えてください。あなたのその力、何なンすか」
「い、いやいや何でもないよほんとぉ……」
「日奉一族には何か特殊な力を持ってないと勧誘されないンです。お願いです百さん、何を隠してるンですか?」
「……それは……」
「……姉ちゃん、あたし隠し事されるの嫌いなんだけど」
「わ、分かったよ……」
紫苑の言葉がトドメとなってようやく百さんは自らの力について話した。彼女が持っていたのは『時間遡行能力』だった。つまり時間を遡る事によって過去へと干渉し、現在へと変化をもたらすという力だった。しかし、彼女のその力はあくまで一分前までしか戻れないらしく、戻るのも精神だけのため遡行中の肉体は完全に無防備になってしまうという欠点が存在するらしかった。それを踏まえて考えると『コトリバコ』の時に突然紫苑が尻餅をついた状態になり、百さんが代わりになるかの様に箱に触っていたという現象にも納得がいった。
「そ、そんな能力持ってたんだ……」
「そうだよ翠ちゃん……でもこの力は危険なものなんだぁ。過去を変えると何が起こるか分からないしね……」
「待ってよ……じゃあ何で菖蒲を助けてくれなかったの……? あの時にはもう使えたんでしょ……?」
「私だって、私だって何回もやったよ。何回も戻り続けて何回も助けたよ。でもダメだったんだ……私が何をしても何回助けても、菖蒲ちゃんは怪異の影響を受けた。運命は変えられなかった……」
「アタシと紫苑は助かったじゃないすか」
「それは二人には死ぬ運命がまだ来てないって証拠だよ。でもあの子は違ったの。呪われる因果からは逃げられなかった……」
つまり百さんの持っている能力は過去改変も可能だが、運命で決定づけられている事は変えられないという事なのだろう。もしあの時死ぬ事が決まっていたのなら、百さんが何をしてもアタシはあそこで溺死していたのだろう。
「黙っててごめんね紫苑ちゃん……言ったら絶対怪異の事余計に嫌うだろうと思って……」
「とっくに嫌ってる。でも……あたしも、疑ってごめん……」
「ありがとね紫苑ちゃん……お姉ちゃん頑張るからね」
「だったらさっさとアイツ叩きのめすよ。どうせまだ消えてないんでしょ?」
「ああ、さっき雌黄から連絡があった。新しい犠牲者が出たらしい」
スマホを紫苑へ渡し、百さんにも見てもらう。すぐに見終わると翠へと渡された。
「どっか他の場所にも体が散らばってるって事?」
「そういう事だろうな。多分同じ様に妖気を放ってる筈だ、近付けば分かると思う」
「じゃ、じゃあ私はさっきみたいに封印していけばいいの?」
「ああ、翠は封印に専念してくれ。何かあったら守る」
「それじゃ探そうかぁ……」
こうして雌黄から新たな情報を得たアタシ達はお互い離れない様にしながら残された体の部位を探す事にした。何故温湖詩歌が何の関係も無さそうな一般人まで狙っているのかは分からなかったが、今はこの異常な和歌を止める事が何よりも優先するべき事だと感じた。狙いが何であれ、止めてしまえばそこで終わりなのだから。




