第40話:日奉翠は城の中
みやちゃんを先頭にして入った藪は薄暗くて何だか不気味な雰囲気だった。心霊スポットとして知られているらしかったが、この雰囲気を見ればそれも納得だった。そろそろ冬になるとはいえ、何故か虫の鳴き声も動物の動く音も聞こえず、その不自然さがここが普通の場所ではないと示しているみたいだった。
三瀬川さんのお友達、どこに行っちゃったんだろう……心霊スポットで事故に遭ったりっていうのはたまにあるみたいだし、もしかしたら崖みたいになってる所があってそこから足を滑らせたりしたのかな……。もちろん何か霊的なものの仕業かもしれないけど、もしそうならどれだけの霊力を持ってるんだろう。今までは『箱入り鏡』のおかげで封じられてたみたいだけどそれが無い今、油断は出来ないよね……。
少し歩いていると冷たい何かが足に触れた。思わず声が出そうになったが、よく見てみると朝の寒さで足元の葉に霜が降りているだけだった。流石にまだ霜が降りるのは早すぎる様に感じたが、ここが妙に寒い事を考えると有り得なくはないのかもしれない。
「みやちゃん、ここ何か寒っ……!?」
突然足が何かにぶつかりバランスを崩して転んでしまう。
「ご、ごめん! 皆大丈……っ!?」
急いで顔を上げてみると間違いなく前方に居た筈のみやちゃんだけでなく、後ろに居た筈の三瀬川さんや黄泉川さんまで居なくなっていた。転ぶ時にも手を繋いでいたというのに、今思い返してみれば何故か誰かを引っ張ったという感覚が無かった。
「みやちゃんっ! 三瀬川さん!? ゆかっ……黄泉川さーん!!」
出しうる限りの大声を上げて呼んでみたものの返事はどこからも返って来なかった。その代わりかの様に木々がざわめき、それによって空から照らされていた木漏れ日が少し大きくなり私の目の中へと眩しく入り込んできた。
思わず目を瞑ってしまい、光が落ち着いた頃に目を開けてみるとそこは藪では無くなっていた。絨毯が敷かれている豪華な床、大理石でも使われていそうな壁や柱、そして薄桃色の照明という似ても似つかない建造物の中へと変わっていた。
嫌な感じがして後ろにあった扉から外へと出ようとしたものの押しても引いても開く事はなく、体当たりをして壊そうにも私の小柄な体ではとても壊せそうになかった。
「みやちゃん……助けて……」
喉の奥が詰まりそうになる感覚を覚える。もう二度と来る事なんて無いと思っていた場所に自分が戻ってきてしまったという事実に体が拒否反応を示していた。他の人からすればこの程度何ともないのかもしれない。しかし私にとってはこれほどの恐怖の対象は無かった。
「ママー見て見て!」
聞き覚えのある声に思わず顔を上げる。綺麗なドレスの様なものを着た少女が天井からぶら下がっているシャンデリアに見とれていた。ママと呼ばれたその人は同じ様に綺麗に着飾っており、少女と共にシャンデリアを見上げていた。
違う……違うんだよ……ここは、あなたが思ってる様な場所じゃないんだよ……。行かないで、行っちゃダメ……。
少女が母親に手を引かれてエレベーターの中へと入っていった。その子はまるでお姫様にでもなったかの様に嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。まだ小学校低学年なのだからそう感じてもおかしくはなかった。小さな頃からお姫様に憧れていたのだから、嬉しくなるのも当然だった。
「ダメ……ダメだよ……」
震える足を必死に動かしながら立ち上がってエレベーターの前に向かうと必死にボタンを連打した。しかし当然そんな事で止まる筈もなく、上部のランプは無常にも上へ上へと昇っていくエレベーターの動きを示していた。
急いで階段の方へ向かって何度も転びそうになりながら上へと上った。もちろんエレベーターに追いつける訳がないのは分かっていた。しかし動かない訳にはいかなかった。
口の中から血の味がする程のペースで上り続け、ようやくあの子が向かった階へと辿り着いた。そこはこの建物の最上階だった。間違える筈が無かった。
「ママ、お部屋こっちじゃないよ?」
幼い声が聞こえる。廊下の奥にある扉の向こうへと彼女達は入っていった。冷や汗が出始める。呼吸が苦しくなり、体温が下がり始めているのを感じた。しかし動かない訳にはいかなかった。理由は上手く説明出来ないが、今動けば変えられるのではないかという奇妙な期待が私の中にあった。
部屋への扉は鍵も掛けられておらず簡単に開き、中へと容易に侵入出来た。部屋の中では母親と手を繋いでいる少女と一人の男性が立っていた。会話は聞かなくても分かった。無論あの子はあまり理解出来ていない様子だったが、何か自分にとって本意ではない会話をしているのは気付いていた。
母親は少女を抱き上げてベッドに座らせた。少女は怯えた様子で母親の手を離そうとはしなかったが、大人の力の前ではその非力な手はあまりにも無力だった。
「やめて、ママ……私……私そんなの望んでなかったよ……」
私の声など届かなかった。男性の手が小さな肩へと触れると簡単にその綺麗なドレスは脱がされた。お気に入りの素敵なドレスだったのに。
ママは「あなたのためよ」と言っていた。私がテレビに映るアイドルに夢中なのを知っていたからだ。あの時の私はキラキラ輝くアイドルにぞっこんだった。「いつか私もあんな風にキラキラ出来たらいいな」なんて漠然とした希望を持っていた。でもそれはこんな事をしてまで手に入れたいものでは無かった。あの頃の私にはこんな事、思いつきもしなかった。光の裏には闇があるなんて思いもしなかった。
「お洋服返して! ママ、このおじさん誰……!?」
ママは「あなたのためよ」としか返さなかった。笑顔だった。私を見て笑顔だった。今なら分かる。あの人は結局お金が目当てだったんだ。後から知った事だったが、有名な事務所だったらしい。結局この人は私を便利な金づるとしか思っていなかった。
「お願い……やめて!」
亀の形に折った折り紙を飛ばして物理的な遮断を行う『亀甲の陣』を展開してあの子を守ろうとした。しかし、何故か折り紙はこちらへと戻り、私の足元に着いた瞬間結界を展開した。まるで細い四角柱の様な結界が出来上がり、私の動きは完全に封じられてしまった。ママはこちらを一瞥すると口角を上げて嫌な笑みを浮かべた。ベッドの上の私は涙を浮かべていた。呼吸がますます早くなり上手く酸素も取り込めなくなる。
覚えてる……あの時初めて力が覚醒したんだ。怖くて、怖くて……誰も信じられなくなって、とにかく一人になりたくて、声を……声を上げたんだ。その後は気を失って、気が付いたら私は瓦礫に囲まれて一人になっていた。まるで全ての物が私を避けるかの様になっていて、ドーナツの真ん中に居るみたいだった。ママもあの男の人も居なくなっていた。居たのは救急隊の人と警察の人、後は野次馬くらいだった。
警察署に連れて行かれた。取り調べをする人も私が何をされそうになったのか察していたらしく、あまり詳しくは聞こうとしなかった。もっともあの時の私は上手く喋る事が出来なかった。声を出そうとすると息が出来なくなっていた。ママがどうなったのか、今なら分かる。私の結界は折り紙を媒介にしなければ、全てを遮断して阻害する結界だった。外へ外へと押しやる結界だった。建物を崩壊させる程のパワーを持つ結界によって弾き出された二人が壁にぶつかればどうなるか、答えは一つだった。壁と結界はプレス機になった。
「みやちゃっ……やだ……やだよっ……!」
どんどん息が苦しくなり声もかすれてくる。
あか姉は取り調べ室の隅で震えていた私の所にやってきた。恐ろしかった。今度は何をされるのか、今度は何が起きるのか、まだ何も知らなかった私にとっては優しいあの人でさえも恐怖の対象だった。
『おいで。大丈夫ですよ』
優しい声だった。それでも私は決して近寄りたくなかった。信じても何をされるか分からない、また傷つけられるかもしれない。そんな可能性が少しでもある限り誰にも触りたくなかった。
『お話は署の人間から聞きました。あなたに何もなくて良かった……大丈夫、あなたは自分の身を守っただけですよ』
あか姉はそっと手を差し出して座り込んでいた私の手に触れた。その時に力を使っていたらしく、あか姉の顔には脂汗が浮かんでおり、苦しそうにしていた。しかしそれでも決して笑顔は崩さずにその手で優しく私の手を包んでくれた。ぽかぽかとしたまるで太陽の様に温かい手だった。震えは止まっていた。
「っ……み……」
脳に酸素が運ばれず視界もおぼつかなくなってきた。それだというのに泣きじゃくる私の声だけは鮮明に脳へと届き続けていた。
どうして、どうして……やっぱり私が悪かったの……? あの時、大人しくしてれば良かったの……? ママの言う通りにしてれば良かったの……? 大人になれば良かったの……? お金があれば良かったの……? みやちゃんに……会っちゃいけなかったの……?
結界の中で崩れ落ちる。もう全身に力が入らなくなっていた。それなのに折り紙達はいつまでも私を縛り続けていた。
そっか……私の力なんて無くても動くんだ……私は、私はただの力の入れ物なんだ……こういう事だったんだねママ……私は、道具……道具……どおぐなんだ。
もう何も考えたくない。




