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日奉家夜ノ見町支部 怪異封印録  作者: 龍々
第拾陸章:阯ェ縺ョ荳ュ
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第39話:日奉雅は家の中

 一歩一歩足を踏み出すごとにガサリガサリと草が音を響かせ、木々のせいか太陽の光もまばらにしか届かず藪の中は妙な寒さと薄暗さだった。寒さのせいなのか動物の鳴き声も聞こえず、まるでこの場所そのものが何かの異空間なのではないかと錯覚してしまいそうだった。

 しかし変な感じだな。ここに入ったのが何人だったのかは分からないが、少なくとも二人は居た筈だ。それなのにどうして何の痕跡も見当たらないんだ……? 自分じゃ足跡や匂いを追跡するのは出来ないが、少なくとも人が通った後には草が倒れてたりする筈だ。今見た感じだとそんな様子は無いが……。


「三瀬川、何か見えたりしないか? その子達が死んでるにしても生きてるにしても君なら見えるんじゃないか?」


 返事は返ってこなかった。不思議に思って後ろを振り返ってみるとそこには誰も居なかった。間違いなく手を繋ぎ続けていた筈であり、もし放してしまったのであればすぐに気が付く筈だった。実際、今こうして後ろを認識するまで誰かが手を握っている感覚があったのだ。しかし誰も居なくなってるのを認識した瞬間、翠の手の感触が消失してしまった。


「翠!? 二人共!?」


 慌てて周囲を見渡そうと顔を動かした瞬間、映っている景色が一瞬にして変わった。先程まで居たのは薄暗い藪だったというのに、今自分が立っているのは人工的な建造物の中だった。目の前にはエレベーターと階段があり、後方にはガラス製のドアがあった。まるでどこかのマンションの入り口の様な場所だった。

 ドアに手を掛けて開けようとしても何故かビクともしなかった。試しに鍵へと熱源を伝えて加熱してみたが、どれだけやってもラッチボルトもデッドボルトも全く溶解しなかった。それどころかガラスさえも異常な耐熱性を見せ、いつもであればこれだけの加熱を行えば溶ける筈であるが、それを否定するかの様にドアはしっかりと閉まったままだった。


「クソどうなってる……」


 突然泣き声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。忘れる筈の無い声だった。ガラス部分を拳で殴りつけたり、杖をぶつけてみたりとしたものの、まるでここに封じ込めようとしているかの様にドアは開かず、泣き声は聞こえ続けていた。

 ふざけるなよ……どういうつもりだ……こんな、こんな事を……! 何でこんな場所で……。

 生唾を飲み込んでエレベーターのスイッチに触れる。


「どういうつもりだよクソッ……」


 本来ならばもっと周囲を見渡すべきだったのかもしれない。しかしその泣き声は毎秒耳の中に入って来ては酷く脳を揺さぶった。ただの子供の泣き声だという人も居るかもしれない。だが自分にとっては忌まわしき声であり、何としてでも消してしまいたい声だったのである。

 声はエレベーターの中でも聞こえ続けていた。上部に付いているランプが目的の階へと到着した事を告げる。ゆっくりと開かれた扉から足を踏み出し、見知った廊下へと立つ。

 何も変わっていない。歴史を感じさせる壁や床のシミ、住人の子供が置いていると思しき子供用三輪車、パチパチと点滅する蛍光灯、廊下からの外の景色、そして忘れる筈がないあの表札。声はまだ響いていた。


「……日奉雅だ。アタシはもう……」


 ドアノブに手を掛けると鍵が掛かっていないのか簡単にドアは開いた。マンションの入り口とは大違いだった。そして開けた途端に泣き声は更に大きくなり、もう一人の声も聞こえてきた。忘れられない声だった。アタシの罪の声だった。

 玄関で靴を脱いで上がると短い廊下があった。この散らばっているゴミ袋は誰が片付けるつもりなのだろうか。いや、もう誰も片付ける事は無いのだろう。もっともあの時からずっとそうだったが。

 ダイニングに入っても新鮮味は無かった。シンクには食器が置かれたままになっており、どれだけ洗っていないのか考えたくもなかった。そして最も考えたくなかった、最も見たくなかった光景が目の前に映った。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 小さな女の子だ。泣きじゃくりながら必死に許しを懇願している。顔には傷は無かった。当たり前だ。顔につけたら疑われるのだから。

 そんな彼女の目の前には彼女の母親が立っていた。小綺麗にしているが、今にして思えばこの家庭環境を悟らせない様にするためだったのだろう。だがしかし、その顔は自分には般若の様に思えた。そんな彼女の足は少女の腹を突いた。むせ返りそうだった。


「ごめっごめんなさっ……ちゃんと、するからっ……!」


 知っている。この日は算数のテストだった。彼女は昔から頭が悪かった。いや、正確には数字が絡む事柄が苦手だったのだ。だからこうして悪い点を取るたびに母親から怒られていた。何度怒られても彼女は変わらなかった。変われなかった。


「ちゃんとお勉強するっ……ごめんなさっ……」


 涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。そんな様子がまた母親を苛立たせてますます怒らせる。馬鹿みたいだが、実際そうだった。いつもいつも怒られて、学校では人間の目に怯えてビクビクし、そんな態度が余計に人を苛立たせる。


「お母さん……」


 頬に涙が伝った。こちらを振り向いた母親の左こめかみからは真っ赤な血が流れていた。その周辺の皮膚は火傷でもしたかの様にただれており、時折ピュッピュッと血が噴き出ていた。

 咄嗟に近くにあった椅子を動かして進行を邪魔しようとしたが、すぐさま払いのけられた。足を滑らせ尻餅をつき、手放してしまった杖を掴もうと左腕を伸ばしたがすぐに腕を踏みつけられて動きを封じられた。


「違う……違うんだって……あた、アタシ……そんな事するつもりじゃ……っ」

「ちゃんとする……ちゃんとするからっ……」

「ごめん……ごめ……ごめんなさい……違う。違うんだ……本当に……」


 懐かしい痛みが腹部に走る。


「っぐ……アタシ、知らなかったんだって……だって、だってそんなの本当にある訳ないって!」


 あの子は隅で怯えて泣いているだけだった。こちらを見ようともしなかった。自分の事で精一杯なのだから当たり前だろう。お母さんはこちらを恨めしそうに見下ろしたまま馬乗りになると髪を掴んだ。心臓が止まりそうになる。


「許して……わざとじゃ、ないんだって……」


 一瞬視界が揺らいで大きな衝撃が走った。脳が揺れたのか眩暈がし、体が上手く動かせなくなる。何とか声を発そうとしてもかすれた空気の様な音しか出ず、呼吸もおぼつかなかった。

 いつ頃からこうなったんだっけ……確かお父さんが居なくなってからか。どこに行ったんだ……どうして置いていったんだ……どうでもよかったのか……そうだよな、こんな化け物、好きになれって方が難しいか……。

 両手が首へと掛けられて体重が乗せられる。

 あの時は呼吸を止めた。少しでも長く生きていたかったからだ。そして必死に腕を動かして抵抗している時、右手がお母さんの右こめかみに当たったのだ。それから数秒後、触れた部分の皮膚がぶつぶつと泡立ったかと思うと、突然血が噴き出して倒れたのだ。

 怖かった。お母さんが死んでしまうのが怖かった。だから警察へと連絡したのだ。だが駆け付けた警官達は何度説明してもアタシがやったとは信じてくれなかった。凶器らしき物も無く、更に虐待の痕跡が見受けられたせいで保護が優先された。誰もアタシの犯行を立証出来なかった。

 お母さんは結局死んでしまった。詳しい死因は教えてはもらえなかったが、今なら分かる。恐らくだが熱が脳にまで達して脳細胞を死亡させたのだろう。もしあの時能力を制御出来ていれば、死なせる事は無かったかもしれない。


『貴方のせいではありませんよ』


 初めて会った時、姉さんはそう言った。そんな訳がないと思った。自分がやった事は自分で一番よく分かっていたのだ。幼い自分を安心させようと言っていたのは幼心にも伝わって来た。自分のせいなのだから。

 伸ばそうとした右腕から力を抜いて床へと落とす。

 これは罰なんだ……いつかはこうなると思ってた。罪を犯した人間は必ずどこかでツケが回ってくる。因果からは逃げられない。それが早いか遅いかの違いでしかないんだ……。殺人者は裁かれるべきだ。


「お母さっ……大好きだよ……っ」


 激しい憎悪に満ちた大切な肉親の顔を見ながらその時が来るのを待つ事にした。それが自分に出来る贖罪しょくざいなのだから。

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