第36話:FORBIDDEN SIREN
懐中電灯の僅かな灯りを頼りに進んでいて最初に目に入ったのは漁港にある様々な道具類だった。魚を入れるための魚倉やバケツ、捌くための包丁や作業台などがあったものの、まるで時でも止まったかの様にその場に放置されていたのである。何か騒ぎがあったという様な様相ではなく、まるで瞬間的に人間が消失したかの様な状態だったのだ。
そこから奥へと進んでいくと村役場へと辿り着いた。目の前には交差点もあったが当然の様に人気はなく、赤信号が点滅して道を照らしているだけだった。扉を引いてみると簡単に開き、役場の中へと入る事が出来た。やはり漁港と同じで様々な備品がそのまま放置されていた。パソコンはデータを入力している途中で止まってしまっており、ここの人間も急に消えてしまった様だった。
「争った痕跡もねェな……」
「う、うん。急に消えちゃったみたい……」
「……少し宜しいですか?」
日浪さんは起動したままになっているパソコンの方を見ながら尋ねてきた。
「この島で失踪事件が起きたのは10年以上前ですよね」
「そうですね。碧唯さんが子供の時の話らしいですし」
「では何故パソコンがこのまま点いているのでしょうか?」
言われてみればその通りだった。物にもよるかもしれないが、こういったパソコンは一定時間操作されていないとスリープモードに入る様になっている。更に言えばまだ電気が通っているというのが不思議だった。本州から離れた離島である上に誰も住んでいないのであれば、何故未だに電気を通しているのだろうか。
「……確かに妙っすね」
「あーあーちょっといいかな~?」
「ど、どうしたんですか化生さん?」
「やっぱりここは普通じゃないねぇ~。今ヒナちゃんが言ってた電気だけど、普通じゃないね~」
「ヒナちゃん……? あの、失礼ですが何かお分かりなのですか?」
「これさ~停滞してるんだよ~」
そう言うと教授はマウスを適当にぐりぐり動かしたりキーボードをカチャカチャと滅茶苦茶に叩いたりした。それにも関わらず何故か画面上のカーソルや数値は一切変化していなかった。試しに自分でも近くにあるパソコンで同じ事をやってみたもののやはり変化はなく、ただただ同じ画面を映し続けていた。
「どうなってンだ……?」
「だから停滞してるんだって~。画面に見えてる電気の波がまるで変化してないんだよねぇ~普通は多少なりとも変わる筈なのにさぁ」
「原因は分かりますか?」
「まだサンプルが足りないね~」
教授は部屋から出てそのまま役場からも出て行った。一人にしない様に急いで後を追い、やがてアタシ達は民家が並んでいる集落へと辿り着いた。教授は一切の遠慮なく近くにあった民家の扉を開いた。入ってみるとまるでつい先程まで人が住んでいたかの様に電気が点いていた。更に卓袱台には失踪当時の朝食と思しき料理が並んでいた。それは誰が見ても不可思議なものだった。
茶碗に盛られた白米からは湯気が立ち上っており、どう考えても食品が当時のまま残っているというのは不自然だった。教授は白米一粒を指先に掬って口へと入れた。
「ふぅん……炊き立てっぽいねぇ」
「みやちゃん、何か変だよ……」
「ああ……まさか島民を認識出来なくなってるだけか……?」
「うん、それは無いね~」
「化生様、何かお分かりに?」
「これも単純な話だね~。さっきの役場と同じ。熱という波が停滞してるんだ~」
今までそこまで意識した事は無かったが、確かに熱にも波は存在するだろう。自分の力はその波を自在に操れる能力だと言える。しかし、自分の場合は一度加熱を終えてしまうと熱源は消失し、特定の温度を長時間保ち続けるのは相当な集中力が必要だった。それほど熱を保ち続けるというのは困難な事であり、その状態を維持し続けているこの食品群は明らかに異常だった。
「それともう一つ」
教授は玄関へと目を向ける。
「さっきから虫の鳴き声とかも聞こえなくない~?」
「で、でももう11月になるんですよ。だったら虫が鳴かないのも……」
「いえ翠様、いかなる鳴き声も聞こえないというのは確かに妙かと思います。これは一体……」
「……おや?」
そう言うと教授は一人でふらりと屋外へと出た。
「どうしたんすか」
「……音だぁ。誰か居るねぇ~」
一人で勝手に進み始めた教授を追ってアタシ達は島の更に奥へと進んでいった。どれだけ進んでも人の気配は一切せず、ただ日常のまま切り取られていた。小さな商店街の様なものもあったりはしたが、動物や虫の鳴き声一つ聞こえず、店のシャッターも閉まったままだった。しかし長い間放置されているにも関わらず信号や一部の街灯だけは何故か機能しており、暗闇を虚しく照らしていた。
教授は時折興味深そうに見回していたが、その足は止まる事なく進み続け、ついには島内にある小さな山に建てられた鉄塔へと辿り着いた。恐らく島全体に情報を共有する時に使われるものなのだろう。その鉄塔に下に碧唯さんが立っていた。
「発見~」
「碧唯さん!」
「雅ちゃん!? 貴方達ここで何して……」
「あ、碧唯さんも何してるの!? 危ないよ!戻って!」
「碧唯様、お戻りください」
碧唯さんは何かを読んでいたのか手元にはファイルの様な物を持っていた。服装は私服だったが、こういった場所に来るためか動きやすそうな物を着ていた。胸元には小型の携帯用ライトを身に付けていおり、完全に島の探索に来たといった風貌だった。
「ごめんなさいね。ここは、私の故郷なの。どうしても……私が調べないといけないのよ」
「ん~ちょっといいかなぁ?」
教授は碧唯さんの話を遮る様に近寄ると鉄塔に手を触れて頂上を見上げた。
「貴方は……?」
「夜ノ見大学民俗学部教授、化生明子。よろしく~」
「すみません碧唯さん、気付いた時にはもう付いて来てて……」
「ねぇ~碧唯って言ったかなぁ。君さぁ~ここに何しに来たの~?」
「部外者には関係ない話でしょ」
「関係あるんだなぁそれが。君が持ってるそれ、失踪事件をまとめたファイルでしょ~? 何か共通点……探してるんじゃないかな~?」
「……そうね」
ぴたりと当てられたのか碧唯さんは自分の意見を話し始めた。
集団失踪は世界中で確認されている事象であり、場所によっては意図不明の謎の落書きが残っていたり、ここと同じ様に消失する直前までの人間の動作が確認出来る物品が残っていたりしたらしい。そして一番彼女が重要視しているのが、島に伝わるある掟だという。それは『サイレンが鳴ったら、必ず海辺へと逃げる』というものだった。話によると事件当日、碧唯さんはそのサイレンの音で目が覚めたのだという。急いで家族を探したがどこにも姿は無く、いざ海辺に行ってみてもそこには誰も居なかった。その後も一人で探し続けたが誰も見当たらず、交番から電話を掛けたという事だった。
「きっとあのサイレンには何かある。鳴ってるとしたら、この鉄塔からの筈よ」
「興味深い風習だね~。いつから続いてるか分かる?」
「これ以上貴方には話せないわ」
「いやいや話さないとダメでしょ~? だってこの島、停滞し続けてるんだからさ」
「停滞?」
「碧唯さんも気付きませんでしたか? 電化製品が全部動いたままなんですよ」
「それは私もおかしいとは思ったわ。でも追跡は出来なかった。匂いも足跡も突然途切れたみたいに消えていたのよ。海へ逃げてる様な痕跡も無かった」
島の風習が何を意味しているのかも気になるが、サイレンが鳴ってたのに誰も逃げた痕跡が無いってのはどういう事なんだろうか。こういった場所に住む人達は掟に厳しい印象がある。例えそれがどんなに奇妙な風習でも、古くから続いているという理由で意味が分からなくても続ける筈だ。それなのに何で逃げなかった? その時はサイレンが鳴らなかった……?
「碧唯さん、そのサイレンが鳴ると、どうなっちゃうんですか……?」
「私にも分からないの。でも皆が消えたのに何か絡んでる筈……」
「本来漁村で流れるサイレンは仕事始めや仕事終わりの合図として使用されます。他には津波を知らせるなどがありますが……」
「それは私も考えたわ日浪さん。でもこの島ではそういう使われ方はしてなかったの」
碧唯さんが話している中、教授は聞いているのかいないのかウロウロと歩き回っていたが、やがて更に山の奥へと続く道を見つけると立ち止まり、じっとそちらを見つめ続けた。
「こっちの先はさ~何があるのぉ?」
「そっちは祠よ。この島で事故で亡くなった人達を供養するためのものなの」
「…………私達以外は居ないんだよねぇ~?」
教授がそう言った瞬間、突然鉄塔の頂上から大きなサイレンが響き始めた。普通のサイレンと比べるとかなり重々しい音であり、ズンと体に圧し掛かるかの様な音だった。教授はその視線を鉄塔の上へと向ける。
「そんな……こんな時に……」
「これさぁ~……声、だよねぇ?」
「教授?」
「サイレンというより唸り声、そんな感じの波形だよねぇ~。それに他に見えてるこの波って……」
「碧唯様! これ以上は危険です! 一度撤退を!」
「……そうね。雅ちゃん、翠ちゃん、逃げましょう」
「ええ」
「は、はい!」
四人で急いで海辺まで避難しようと動き出したが、教授は祠があるという方向を見つめたまま動こうとしなかった。サイレンの音は次第に大きくなってきており、何が起こるのか分からない以上は逃げる他なかった。それだというのに教授は立ち止まったままであり、やがて今まで彼女からは聞いた事がない程の大声で笑い始めた。
「教授! 何してんすか! 早く!!」
「ッハハハハハ!! そうか! そういう事だったんだね~! それが正体かぁ! それが『ゾ~~~~~~ン』なんだね!?」
「何してるの!!」
碧唯さんは素早く駆け寄ると教授の手を掴んで無理矢理引っ張って逃げ出した。連れられている最中も教授はずっと笑っていたが、商店街辺りに到着すると碧唯さんの手を振り払った。未だにサイレンは鳴り続けており、危機は去っていない様に思われた。
「け、化生さん!」
「大丈夫だよ~あれが来るにはまだ時間が掛かるから」
「何を言ってるの!」
「見えちゃったんだよ。『ゾ~~~~ン』は確かに存在する。今まで原因不明だったけどようやく分かったんだねぇ~」
教授は『ゾーン』なる領域の正体について歩きながら語り始めた。それは無念の死を遂げた者達の霊魂が集まって出来た『群霊』なる存在らしい。本来人間は死後適切に処理されて、その霊魂も成仏出来る様に儀式を行う。しかし中にはそれでは成仏出来ずにこの世に残ってしまう者達も居るらしい。そして細かい原因は不明ではあるが、そういった霊魂が集まって群霊となったものが『ゾーン』と呼ばれる領域へと変化するとの事だった。
「な、何で分かったんですか?」
「あのサイレンだよ翠ちゃん。さっき言ったけど、あれの音波は人間の声と同じ周波。それと『ゾ~~~~ン』から出てた波は人間から発生する魂の波と同じなんだよね~」
「そのようなものがあるのですか?」
「あるんだよヒナちゃん~あるんだ。人によって個人差はあるけど、ヒマちゃん達みたいな子は普通の人より遥かに強いねぇ~」
確かに自分にも少しだけだが妖気や邪気といったものが見える。教授が言う様に波みたいなものと言えるし、そういったものを見る事に特化した能力を持っている教授なら、普通の人から放たれている魂の波も見えるのかもしれない。
「じゃあ教授、その『ゾーン』からは魂の波が出ていたと?」
「そそっ。それも色んなのが混ざり合ってね~。日本人のだけじゃないよ~色々混ざり合って大きくなってるっぽいねぇ~。私が前見た時より大きい気がするし」
それを聞いて碧唯さんは持っていたファイルを開いた。ペラペラとページをめくり、次第にその顔に動揺が見え始めた。
「まさか……ホヤ・ヴェルデ……メアリー・セレスト……」
「気付いちゃったね~。多分だけど、それも全部『ゾ~~~~~~ン』の仕業だよ。これは予測だけど、この世界には『ゾ~~~~~~ン』の発生するポイントがあって、一部の集団失踪はそれが原因で起きたんじゃないかな~」
もし教授の見解が正しいのであれば、この雨竜島の人達は『ゾーン』の特異性に気が付いていて、それをこれ以上拡大させないために掟を作って封じていたという事になる。しかし、何故かサイレンは起動せずに島民は気付かない内に取り込まれてしまった。そうだとしたら、何故碧唯さんだけは助かったのだろうか。何故紅葉さんは腕だけ残して消えたのだろうか。
「それで提案ね~。私の予測的にはこれ以上の拡大は将来的な人類の死を意味する訳だけど~、どうする?」
「アタシは封印するべきだと思ってます」
「わ、私も。早めにやらないと……」
「お二人に従いましょう」
「で~碧唯ちゃんはどうするのかな~?」
「……やるしか、ないわね」
「決まり~。そんじゃ急ごうか~。私の考えが正しければ、あれに巻き込まれた無機物は停滞状態に入るから、もし船が巻き込まれたらエンジンが動かなくなって詰みだね~」
こうして『ゾーン』の正体が見えてきたアタシ達は急いで船へと向かい始めた。翠は足が悪いアタシを気遣ってか傍を離れない様に走ってくれており、いつでも結界を出せる様にと折り鶴の入った瓶を抱えていた。
もし教授の意見が正しければここで食い止めないといけない。取り込んだ人の数だけ領域が大きくなるっていうのは厄介だ。それこそ取り返しのつかない事になりかねない。『ゾーン』を形成してる群霊が何を思っているのかは分からないが、情けを掛けてはいけない。
事件から時が止まってしまった島の中にただ足音だけが響いていた。




