第35話:協力者と潜伏者
七不思議事件の翌日、並行宇宙が関連している可能性があると知り、大学の図書館でその理論に関する様々な文献を読み漁っていた。しかし専門外の知識であるため理解するのはなかなか困難そうだった。専門の学者の間ではある程度の理論に基づいたものらしいのだが、現代科学で立証出来ない以上はその存在を観測する事は不可能そうだった。
そんな慣れない論文に頭を悩ませているとマナーモードにしていたスマホがブルリと震えた。まだ午前中であり、翠であればまだ授業を受けている最中の筈だった。誰からだろうかと見てみるとそこに表示されていたのは百さんの名前だった。しかし、文面を見るにどうやら電子機器に弱い姉さんが百さんに代わりに送ってもらったものらしかった。
『碧唯が職場に出勤していない様です。故郷の村に向かった可能性があります。出動可能ですか?』
メールには画像ファイルも添付されており、それを開いてみると大分県別府湾の海上に浮かんでいる雨竜島という島を写した地図の画像だった。姉さんの話によれば、碧唯さんが生まれ育った蒼乃宮村の住人は碧唯さん一人を除いて全員失踪してしまったらしい。当時当主だった紅葉という人物が調査を行っていたらしいが、何らかの事象に巻き込まれたのか行方不明になり、発見されたのは腕だけだったのだという。
ここからだとそれなりに時間が掛かるな……それにアタシ一人で行っても対処が出来るかも怪しい。まずは翠の授業が全部終わるまで待って、その後姉さんに船か何かを手配してもらった方がいいかもしれない。
日奉一族と裏で関係を持っている人々も一部いるらしく、そういった人々は怪異の存在が表沙汰にならない様に協力してくれているのだ。
『翠の授業が終わり次第向かいます。船の手配を』
そう返信をして、失踪事件に関連する資料でも読もうかと席を立つといつの間にかそこには化生教授が立っていた。眼鏡の奥でこちらを見透かすかの様な瞳がじっと見つめてきた。
「お久だね~ヒマちゃん」
「……何すか教授」
「碧唯さんってのはお知り合いかな?」
「覗き見ってのは趣味が悪いと思いませんか?」
「知的好奇心って最強だと思わない?」
よりにもよって教授にメールの内容を見られてしまっていた。自分一人では記憶の消去は不可能である上に、教授はまるで行動の先読みをするかの様な言動があるためどう言い訳を考えればいいのかも分からなかった。
「船って書いてたね~どこ行くの?」
「教授、プライベートな話っすよ」
「本当にそうかな? 君の普段の立ち振る舞いからするに、どっちかっていうと仕事って感じがしたなぁ?」
これ以上ここに居ればボロを出してしまう可能性があったため、すぐに外へと出ようと足を動かした。しかしこちらの動きを予測していたかの様に立ちはだかると、腕を掴んですっと椅子に座らされた。空いている片方の手にはいつもの様にペンが握られており、机を周期的に突き始めた。
「どこに行くのかな~」
「……どこでもいいでしょう」
「ふぅん……じゃあ私が当てちゃおうかな。……大分県」
自分でもドクンと心臓が跳ねたのを感じた。まるで頭の中を覗かれたかの様にピタリと言い当てられたからである。教授の目元は嬉しそうにニヤリと動き、こちらにずいっと顔を近づけてきた。
「っははは……当たったね?」
「……」
「大分で船を使って行く場所……沢山あるよねぇ。ふぅむ……どこだろ」
「教授、アタシ忙しいんで」
「あっあ~♪ 待って待って待って」
一度ペンの動きがピタリと止まったが少し経つと再び動き始めた。リズムを刻む様な動きではなく不規則な動きだった。
「へぇ……あーはいはいここねぇ~」
「……」
「っはは。私分かっちゃったよヒマちゃん~。君もやっぱり学者肌だね~」
ペンは教授の胸ポケットに仕舞われ、掴まれていた腕も解放された。机の上にはいつもの様にインクで出来た染みが出来上がっており、教授は得意げにその染みを指でなぞった。
「……失礼します」
「うん。呼び止めちゃってごめんね~」
アタシは持っていた本を脇に抱えて本棚へと足早に返しに向かい、逃げる様に図書館から出て行った。教授はそれ以上追及してくる様な真似はしなかったが、チラリと見た時には机に出来た染みをスマホで撮影していた。不可解な行動だったがこれ以上は関わるのは危険であると考えて触れるのは止める事にした。
さっきのは一体……何でバレたんだ……? 地図は見られた可能性があるが島の所在までは見られていない筈だ。その島は失踪事件以降誰も住んでいない上に誰も向かわない様な場所だ。いつから見られていたのかは分からないが、立ったままの姿勢であんな小さい画面の地図を読めたのか……?
教授がいかにして頭の中を読んできたのかは不明だったが、とにかく今は講義を終えて翠の授業後に合流するしかなかった。すぐに行動に移せる様に翠にもメールを送り、次の講義の場所へと足を進めた。
その日翠と合流出来たのは17時を過ぎてからだった。姉さんからの連絡も百さんを通じて来ており、どうやら関係者の一人によって船も手配してもらえたらしく、夜ノ見町にある港へと既に待機してもらっているとの事だった。
翠と共にショルダーバッグに荷物を詰め終えると縁に事情を伝えた。縁は他に行く当ても無いため、元に戻す方法か死ぬ方法が分かるまでは家に居ると約束してくれた。そのため家の留守を縁と美海に任せて急いで家を出た。もう11月という事もあってか外は暗くなり始めており、今から島へと向かえば恐らく到着は夜中になると思われた。
「あ、碧唯さん大丈夫かな?」
「そう思いたいが、あの人の力は戦闘が出来るもんじゃねェからな」
「うん……でもどうして急に……」
「七紫野の件がまずかったンだろうな……アタシらの判断ミスで大勢の人間が消えた。多分それであの人は……」
過去の失踪事件は碧唯さんにとってトラウマになっていた筈だ。その時に当主だった紅葉さんもその村で行方不明になって、罪悪感もあったかもしれない。そんな状態で七紫野による集団消滅が起こったとなれば、ますます過去の真相を解明したいと思うだろう。
日が沈む中、港へと辿り着いた。もう暗くなる時間帯という事もあってほとんどの船が戻ってきている様で、誰も船の周りをうろついてはいなかった。そんな中、一人だけ一隻の漁船の前に立っている人物が居た。
「日奉雅様、翠様ですか?」
「はい。えっと……」
「日浪凪と申します。この度、茜様のご指示により馳せ参じました」
日浪と名乗ったその人物は短くまとめた黒髪が美しい女性だった。声は男とも女とも取れない中性的なものであり、声だけ聞けば性別を間違えてもおかしくなかった。日浪さんは船に乗る様に手で促し、それに従う様に急いで船へと乗った。
乗り込むとすぐに船は出港し、闇夜の中波を割いて進み始めた。厚着をしてきたもののやはり風が強く、冷えた潮風で顔が痛んだ。
「日浪さんは、いつからこういう仕事やってンですか?」
「私の先祖に日奉一族の方と協力してた人が居るそうなのです」
「じゃあその時から?」
「正確な時期は存じませんが、その際に目を掛けて頂いて今に至るそうです。私もこれで三回目です」
「じゃ、じゃあ昔からお付き合いがあるんですね」
「ええ。……?」
日浪さんは突然後ろを振り返ると海上で船を停めてアタシ達が座っている船尾の方までつかつかと歩いてきた。そのまま船尾から海の方を覗き込むと何かを掴んで引っ張り始めた。見てみるとフックの付いたワイヤーの様な物が引っ掛かっており、やがて引き上げられたワイヤーの先には大きめのクーラーボックスの様な物が引っ付いていた。
「日浪さん、これは……」
「お下がりを……」
日浪さんはそっと蓋に手を掛けると素早くそれを退けた。それによってクーラーボックスの内部が船の照明に照らされて明らかになった。あまりにも目を疑った。
「おっと~バレちゃったか」
「教、授……」
「あ、この人……」
「お知り合いですか?」
「……うちの大学の教授です」
「ども~化生明子。よろしく」
教授はまるで最初から乗せてもらっていたかの様にクーラーボックスから出て隣に腰掛けてきた。腰には見た事のない機械をぶら下げており、日浪さんに操舵室に戻る様に手で促した。
「教授、どういうつもりですか」
「どういうって……手伝ってあげようと思って」
「……アタシ何も言ってないっすよ」
「っはは。私に嘘は通じないんだな~」
「嘘なんて……」
「大分県別府湾雨竜島、集団失踪、蒼乃宮村、日奉碧唯、日奉百……当たってるでしょ?」
思わず硬直してしまった。今回の一件に関わっている人物や場所を完璧に言い当てられた。特に村の名前についてはメールにも書いておらず、口に出した覚えもないため教授が知るタイミングなどある筈が無かったのだ。
「化生様でしたか? 申し訳ございませんが貴方をお連れする訳には参りません」
「ん~決めるのは君じゃないよね? ねぇヒマちゃん?」
「……日浪さん、まずは向かってください」
「……雅様がそう仰るなら」
日浪さんは教授の事を警戒しながら操舵室へと戻り、再び島へと向けて走り出した。
「教授」
「うん?」
「貴方は……何なんですか? どうしてそんなに付きまとうんです」
「……私も君らと同じだからかなぁ」
「お、同じ……?」
「そそっ。そうだよ翠ちゃん。君らと同じ」
「どういう意味っすか?」
「そのままの意味だよ~。君達日奉一族と同じで不思議な力を持ってるって事」
正直この発言を聞いて納得する事だらけだった。今まで教授が見せてきた先読みや読心の様な技も全て持っている能力で行ってきたのだと思えば得心がいった。縁や賽の様に先天的、後天的に能力が発現して一般社会に溶け込んでいる者も居たのだ。超常的なものを引き寄せやすい夜ノ見町で大学教授をやっている彼女が能力を持っていないとは言い切れなかったのだ。
「じゃあ『くねくね』の時も……」
「そっ。尾路支山だったんでしょ。口に出さなくても分かっちゃうんだな~」
「あ、あのあのっ、教授さんはどんな力を持ってるんですか?」
「ん~まあ私だけ二人のを知ってるってのはフェアじゃないか~」
「そこまで知ってるンすね」
「っはは! 見えちゃったんだよ~ごめんごめん」
教授は腰掛けている台を指でトントンと叩く。
「私はね、昔から波形が目に見えるんだよ~」
「波形?」
「そそっ。音波、光波、電波、その他諸々色んなやつが見えるんだよ」
「そ、そんなものが見えるものなんですか?」
「うん。例えば耳栓をして完全に音をシャットアウトしても、私には君達が話してる内容が分かるんだよ~。声が音の波形になって見えてくるからね」
「……ちょっといいすか? じゃあ何でここが分かったんです? メールを送った時の電波から読み取ったんですか?」
「っはは。私も流石にそこまでは出来ないかな~。あれはさ、ほら、こうやったんだよ」
そう言うと教授はいつもの様に腕を掴んできた。そしてその状態で指でトントンと再び叩き始めた。
「人に触れば脳波も見えるんだよね~」
「……まさか」
「そっ。ペンでトントンしてたでしょ? あれはあの時のヒマちゃんの脳波を再現したものなんだよ~。それをこの機械で解析すればいい訳」
「そんな機械聞いた事が……」
「私専用のやつだからね~。あくまで私が見てる波形を元に解析してくれる機械だし、一般に売りに出しても役に立たないよ」
その説明であの時、染みの写真を撮っていた理由が分かった。アタシの脳波の波形を染みとして残して、それを消す前に記録に残していたのだ。それを機械で解析して、次にどういう行動をとるのかを予測してここに来たのだろう。恐らくこの人は足音の区別も出来る筈であり、それを元にどの船に乗るのかを特定されたのかもしれない。
「ま、そうやって君の行動を予想して動いてた訳。御理解頂けたかな?」
「そうっすね。何か頭の中見られてたのかと思うと気持ち悪いっすけど」
「っははは、心配しないでよ~別に誰かに話したりしないよ~」
実際、これまでに教授が原因と思われる秘密漏洩は発生した事がなく、彼女がやろうと思えばいつでも出来た事から、恐らく本当に日奉一族に関する情報は守られているのだろうと感じた。
島まではまだ少しあり、教授は目を瞑ってじっと大人しく座っていたが、そんな教授に翠がふと話しかけた。
「あ、あの教授さん」
「化生でいいよ~。何かな?」
「え、えっと化生さんは、どうしてこの世界に入ったんですか?」
「この世界っていうと?」
「みやちゃんのお話だと『くねくね』の事も探ろうとしてたみたいですし、そういうのを調べたりしてる人なのかなって……」
「あ~。うん、まああれだね、母親がさ、そういうのを調べたりしてる人だったんだよ」
それを聞いて教授から資料を見せてもらった時に見つけた『化生伝書』という書物の事を思い出した。明らかに教授が書いたものとは思えない程古い書物であり、今の話が事実なのであれば教授の母親、あるいはそれよりも遥か昔の代から書かれてきた本なのだろう。
「化生家は昔から怪異を解明する任を与えられた一族だったんだって~。お母さんも当然そうだった」
「教授、もしかしてあの本は……」
「おっ。覚えてたんだ? そそっ。お母さんも含めた化生家が残してきた記録だよ~」
「じゃあ化生さんも?」
「ん~私はちょっと違うかなぁ。そういうのはヒマちゃん達みたいな専門の人に任せる事にしたんだ~。今はあるものついて専門だね~」
「あるもの?」
「うん。『ゾ~~ン』ってやつだねぇ」
教授は空中に指で円を描く。
「詳しい条件は分かんないけどねぇ、この世界には不可思議な現象を引き起こす領域『ゾ~~ン』っていうのがあるんだよ~」
「ゾーン?」
「普通は見えないけど私には見えたんだよね~今まで一回しか見た事ないけど」
「教授、不可思議な現象っていうのは?」
「……お母さんは私を庇って下半身が消し飛んで死んだ。私は見ての通りこんな風になっちゃった」
教授は口角を上げて笑いながら自らの髪を見せてきた。この夜闇の中でもはっきりと分かる程真っ白な髪だった。アルビノとは違う何らかの色素異常だと思っていたが、それとは全く関係ない『ゾーン』という領域によるものだった。教授の表情は親が亡くなったという事を語っているというのに悲しそうな雰囲気はどこにもなく、まるで自分の現状を楽しんでいるかの様な笑みにしか見えなかった。
「私ね~これはお母さんが私に残した課題だと思ってるんだ~。『ゾ~~ン』を解明して君達に後は任せる。それが私の人生だってねぇ」
「教授……貴方は……」
「っははは! 心配しないでよ~君らの力は誰にも話さないし、足は引っ張らない様にするよ~」
ヘラヘラと緊張感なく笑う教授を見て、僅かではあるが寒気を覚えた。単に生まれつきおかしい人なのか、それとも目の前で母親を亡くして狂ってしまっているのか、いずれにしても教授は一般的な人間と比べるとまともではないのは確かだった。
「雅様、翠様! 間もなく到着します!」
日浪さんが声を張り上げたのを聞き、前方を見てみると暗闇の向こうに島のシルエットが見えてきた。誰も立ち寄らない場所という事もあってか、夜だといのに灯台の灯りは点いていなかった。周囲には他の島は無く、この島だけが孤立するかの様に立っているため誰もここを通らなくなっているのだろうと直感した。
船は島に近付くにつれて少しずつスピードを落としていき、やがて人の気配が一切無い港へと停泊した。よく見ると港には船が複数台放置されており、碧唯さんが乗って来た船もどこかに泊めてあるのだろうと思われた。
「お気を付けください。人の手が離れて久しいと聞いております」
「ありがとうございます。ほら、翠気をつけろよ」
「う、うん。みやちゃんも気をつけて。私が先に上がるね」
翠は船から桟橋に降りると手を引いて引っ張り上げてくれた。教授は波による揺れも全て見えているからか、全くバランスを崩す事なく船から降りた。
「日浪さんは?」
「私はここで待っております翠様。何かあった時にすぐに出港出来ます様に備えておきます」
「いえ日浪さん、一緒に来てください。アタシらにも何が原因で失踪が起きたのか分かってないんです。一人になるのは危険です」
「ですが私が付いていくとお邪魔になるかと」
「大丈夫です。一緒に行きましょう」
「雅様がそう仰るなら」
日浪さんはエンジンを切ると船に積んであるロープで船が離れない様に、桟橋にある杭と船を係留した。船から全員降りたのを確認するとショルダーバッグから懐中電灯を取り出して真っ暗な島の中へと入っていった。




