第34話:『ぶくぶくさん』は七番目 次の被害者██人目
バキバキと嫌な音が響いた。人間二人分の体重に耐え切れず、植え込みはぐちゃぐちゃになってしまった。しかし幸いにも怪我は無く、先に落ちていた縁はアタシと翠が立ち上がるのを待っていた。抱いていた翠を先に植え込みから出すと、手を引いてもらいながら何とか立ち上がった。
「悪い」
「急いで。多分この学校の敷地も対象内だと思う」
この学校の内部構成や七不思議が変化していた事を鑑みると、恐らく縁の推察通り敷地内全てが変化の対象になっている可能性があった。あの階段がそのトリガーになっているのはほぼ間違いないとしても、花子さんに引き摺り込まれた時の事も少し気になった。あの後から校舎内の構成が変わっていた事から、もしかすると花子さんもあの階段と同じ力を持っているのかもしれない。
学校から出るために歩いているとガシリガシリと重々しい音が聞こえてきた。一旦近くの壁に身を潜めて顔を出して様子を伺うと、二宮金次郎の銅像が本へと視線を落としながら徘徊していた。時折何かを探すかの様にキョロキョロと周囲を見渡しては、再び本を読むという動作を繰り返していた。
「なァ、あれは元々どこにあったンだ?」
「中庭だった筈。しっかり見なかったけど、多分そう」
しばらく動向を観察していると二宮は建物の影へと姿を消した。ただ徘徊しているだけなのか、あるいは何らかの目的を持っているのかは不明だった。しかし怪異の一種であり、あの階段や花子さんの様に大規模な力を持った存在である可能性が少しでもある以上は、迂闊な接触は避けるべきだった。
「ど、どうする?」
「一番ヤバイのは階段と花子さんだろうな……」
「……ねぇ、あの動画もう一度見せて」
「ああ」
スマホに保存しておいた動画を再生して縁に渡すと、画面を凝視し始めた。
「……ん、もういいよ」
「どうしたンだ?」
「三人で一緒に階段上ったでしょ。もしまた世界が変わってるなら、七不思議の私はどうなってるのかと思っただけ」
「どうだった?」
「問題ない。顔も服装も別人だったし、今のままなら私の存在は露呈しない」
つまり今の状態で学校から脱出すれば、表向きには行方不明の縁が世間で知られる事はなくなる。彼女の死を隠蔽した連中と同じやり方をしている様で気に食わないが、あれから既に20年も経っており、もし彼女が今の姿で世間に出れば怪異が存在しているという事を立証してしまう事になるため、それだけは避けなければならなかった。
侵入する際に使った抜け道から脱出を試みようとひっそりと進んでいるとヒタヒタヒタヒタと走る音が聞こえてきた。音は少しずつこちらへと近寄ってきており、後ろを振り向いてみると人体模型がこちらへと走って来ていた。足音はとても無機物とは思えないものであり、まるで生きている人間の様な有機的な音だった。縁と翠だけなら逃走する事も不可能ではなかったが、足が悪い自分からすれば逃げるのは困難だった。
熱源を伝えようとした矢先、逃げられない事を悟ったのか翠は亀の折り紙を飛ばして一メートル程前方で『亀甲の陣』を展開した。そのおかげか人体模型は結界にぶつかり、そこで足を止めた。物理的な干渉を妨げる結界であるため、目の前に居るこの人体模型がはっきりと実体のあるものだという事が分かった。
「七不思議の一つだな……」
「う、うん。それに多分……生きてる」
人体模型は結界にへばりつく様にしてこちらを覗き込んでいたが、やがて結界から手を離すとこちらを向いたままどこかを指差した。数秒後にはヒタリヒタリと歩いてその場から姿を消した。
「い、今のって……」
「……あっちにはプールがある」
「プール……?」
縁のその発言を聞いてある推測が浮かんだ。それは七不思議の一つである『ぶくぶくさん』の事だった。いつの間にか動画内からその存在が消されていた七不思議であり、その名前から水場に関係しているのではないかと考えていたものだった。『ぶくぶくさん』が一体どんな存在なのかは依然不明だったが、一つだけ姿を消しているという点がどうしても気になってしまった。
「行ってみよう」
「え、でもみやちゃん、もうちょっとで出られるんだよ?」
「ああ。だが何でアイツだけ動画から消えたのかが気になる」
「水場は霊が集まりやすいって聞くけど?」
「ありゃ迷信だ。霊体が集まるのは水場じゃねェよ、もっとオカルトな要素が絡まってる場所だ」
何かが引っ掛かったため、人体模型が指差していた方向へと向かってみる事にした。道中では二宮にも人体模型にも遭遇する事はなく、すんなりとプールへと到着する事が出来た。
今がもう秋だという事もあってか使用されている痕跡は無かったが水は張ったままであり、そこら中に苔が生えていた。そしてプールの敷地内に立ち入った瞬間、何らかの強い霊気を感じた。妖怪などが発している妖気などではなく、元々人間だった存在が放つ独特な気だった。
「何か居るな」
「う、うん……凄い強いね……」
「気をつけろ。何が来るか分からっ!?」
突如自分の体はズブリと沈んだ。足元を見てみるとプールサイドに立っているにも関わらず、何故か足がめり込む様に沈み始めており、抵抗しようとしても抜け出せなかった。
「みやちゃん!?」
「クソ……こいつっ! どうなってる!」
プールサイドはまるで流体の様に体が沈んでいくにも関わらず、何故かコンクリートとしての硬度を保っているままだった。そのため足を引っ張り出そうとしても全く動かせず、ただただ体を引き摺り込むだけだった。
翠は慌てながら虎の折り紙を取り出すと、アタシを囲む様に配置した。『威借りの陣』のおかげで足元の異常性が僅かに低下したらしく、少しだけ動かす事が可能になった。急いで地面に熱源を伝えると、めり込んでいる隙間から地面の奥へと移動させていった。ある程度まで進めると、そこで一気に加熱して内部のコンクリートを熱で溶かして硬度を緩めて、その隙に脱出した。翠は急いでアタシを結界外へと引っ張るとそのままプールから脱出しようとした、しかしその代わりとでもいう様にいつの間にか縁の姿が見えなくなっていた。
「オイ、アイツはどこだ!?」
「え、あ、あれ!?」
「クソ……黄泉川! 黄泉川!!」
「ゆ、縁ちゃーん!」
「こっち……」
返事があった方を見てみると縁はプールの中にいつの間にか落ちていた。その体は少しずつ沈み始めており、地面だけではなくプール内の水も影響範囲らしかった。翠はすぐに『威借りの陣』を展開しようとしていたが、それを見た縁は制止してきた。
「何もしなくていい」
「で、でもそのままじゃ!!」
「雅」
「何だ、どうすればいい?」
「私は問題無いから。それよりあの動画、しっかり見てて」
「……は?」
「何となくだけど、分かって来た。この学校がおかしいのは事実だけど、また別のも居る気がする」
「他のって『ぶくぶくさん』か……?」
「それを確かめる。しっかり見てて」
その言葉を最後に縁の体は全身が水中へと浸かってしまった。少しの間水面に泡が立っていたが、やがてそれも止まり彼女の息が続かなくなった事を示していた。
心配ではあったが、縁が話していた事が何なのかが気になりスマホを開き動画を再生する。序盤はほとんど同じ構成だったが、そこには再び『ぶくぶくさん』の名前が登場していた。前に見た時にはいつの間にか消えていたにも関わらず、また登場していたのだ。
どうなってる……まさか、また学校が別宇宙のものに入れ替わったのか……? いや、でもそれならもっと他の改変も起こっていい筈だ。
「ど、どうしようみやちゃん! あの結界じゃちょっと弱めるくらいしか!」
「待ってくれ翠……これは……」
動画は屋上の少女のシーンになっていたが、そこで奇妙な事が起こった。突然カメラの前に縁が現れてこちらを凝視していたのだ。撮影者はそれが見えているかの様に慌てて屋上から逃げ出そうとしたが、縁に捕まったのかカメラが床に落下した。その先に映っていたのは屋上に佇む少女が飛び降りる姿と、その横で水死体の様なぶくぶくの死体の首根っこを捕まえている縁の姿だった。
「えっ……何で……」
「この映像……人間が撮ったものじゃねェのか……? この死体みたいなのが撮ってた……? 誘き寄せるためか?」
映像内の縁はカメラの方を一瞥するとパッと手を離して死体を屋上から落とした。すると数秒後には映像にノイズが入り始め、ついには停止してしまい画面には『ファイルが破損しています』と表示された。それを合図にする様にプールの水が一気に引いていき、底には縁が立っていた。それだけでなく、底面には人間のものと思われる骨がいくつか散らばっており、大きさから子供のものと思われた。
「ゆ、縁ちゃ……」
「お、オイ……今のは一体……」
「早く上げて」
「あ、ああ悪い」
全身がぐっしょりと濡れている縁を翠が引き上げる。それを横目に散らばっている骨に目をやった。いくら少ないとはいえ、これだけの数が存在しているとしたら誰も気づかない筈がない。先程よりかは弱くなっているものの未だに霊気は感じるため、今見えているこの骨は霊体の一種だと感じた。
「なァ、どういう事なンだ? さっきのは何をやってたンだ」
「ん……雅が掴まれてる時、私もプールに引っ張られた。一瞬だったけど、何か人の手みたいな感触がしたの」
「アタシには無かったが……」
「多分このプールは小学生くらいの人間を標的にしてるんだと思う。私は20年以上生きてるけど、年は取れないから錯覚したんだと思う」
「え、えっとじゃあ……みやちゃんは本命じゃなかったって事?」
「ん、多分ね。注意を逸らすための囮だと思う。その隙に私を引っ張り込むのが目的」
「いまいち分からンな……あの動画はここの怪異が撮ったものなのか?」
アタシの問いに答えるために縁は続きを話した。
どうやら沈み続ける中、縁は子供達の声を聞いたらしかった。全員助けを求めており、その時点で子供を標的にしていると気付いたらしい。全身が沈んだ後に辿り着いたのはあの屋上であり、飛び降りようとしている別世界の自分を撮影している存在を発見したのだという。それはまさにあの動画に映っていた子供の水死体の様な怪異であり、縁が捕まえようと動くと必死に逃げ出し、捕まると許しを乞いながらも縁に代わりになって欲しいと懇願し続けていたという。
「つまりこういう事か? あそこに一人沈められると、誰か一人が解放される?」
「ん、そういう事を言ってたんだと思う」
「で、でもさっき……」
「ん、代わりになるのは嫌だしそのままでいてもらう事にした」
「……良かったのか? 死にたがってただろ?」
「……ん。一応二人には手伝ってもらったし、ちょっとした恩返しみたいなもの。私が下手に取り込まれたりしたら後始末に困るんでしょ?」
「あ、ああ。そりゃそうだな」
「それより、さっさと封印すれば? 多分一番厄介なのはここでしょ」
「あ、うん!」
翠は『四神封尽』の陣形で結界を張り、プール全体を領域として封印を始めた。プール内に残されていた骨は発光しながらやがて消滅し、プールから放たれていた霊気も完全に消滅した。
「それで、どうするの?」
「とりあえずはこれで良しとしよう。階段は姉さんに頼んで上手く封じる必要がある。下手に結界で封じて階段ごと消えたらまずいからな」
「他のは?」
「昼間に騒ぎになってないって事は夜しか活性化しないって事だ。なら抜け道を封じればいいだけだ」
「そう」
「助かったよ」
「別に」
翠が折り紙を片付け終わると三人で抜け道を通って敷地外へと出た。今思えば人体模型は助けを求めていたのかもしれない。翠が超常的な結界の力を見せた事で『ぶくぶくさん』を何とかして欲しいと頼んでいた可能性がある。もちろんその逆で、あの場所へと誘導して被害者を増やそうとしていたとも言えるが。
縁は全身が濡れて汚れてしまったため、一旦家で預かる事になった。本人は別にいいと言っていたが、彼女の様な幼い見た目の人間が全身を濡らして彷徨っていたら、そっちの方が騒ぎになると伝えると渋々家に行く事を了承してくれた。
家へと着くと美海は既に居間で眠っており、翠はすぐに縁を風呂場へと連れて行った。それを見送ると夜中に失礼かもと思いつつも姉さんへと電話をした。すると意外な事に姉さんはすぐに電話に出た。
「雅、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ姉さんごめん。知ってるんだね」
「ええ、真白さんから聞きました」
「え? あの人には言ってないけど……」
「縁が話したそうですよ」
日奉一族の関係者だという事を知っていて話したのだろうか。
「それでどうでしたか?」
「ああうん。えっとね」
今日発見した『学校の七不思議』と噂される異常存在について一通り話した。やはりどこの学校でも似た様な噂は語られているが、それが本物の怪異になっているのは夜ノ見小学校だけらしかった。更に一部の学校では噂に差異があるようだが、ある特定の噂だけは必ず一致しているとの事だった。
それは『トイレの花子さん』と『段数が変わる階段』の噂だった。これはどこの小学校でも必ず語られており、どれも似た様な内容である事が確認されていた。
「……変だよね? そんなに似る事とかあるかな?」
「有り得ないとは言い切れません。先程雅が話した内容が合っているのだとすると……」
「『花子さん』と『階段』は必ず誰かが話す様になってる……?」
「もし並行世界、多元宇宙が実在するのなら、それらもその世界に存在している事になります。そして実在の怪異ではない噂ですらも一般人に知られている。これはつまり、この二つは我々人間の脳内に生まれつき刻まれている情報知性体であり、あらゆる世界線を渡り歩いている存在なのではないかと思うのです」
「どうなんだろ……普通の怪異じゃないのは間違いないけど、まだ情報が少な過ぎるよ」
「ええ、まだ確証は持てません。今は情報収集と早急な対処が先でしょう」
「うん。それでその事なんだけど」
学校内の設計や怪異の配置を姉さんに教えると、やはり他の怪異は抜け道を塞ぐだけで対処し『花子さん』と『階段』は工事をしているという名目でトイレと階段を封鎖して、新しいトイレと階段を作る事で何事も無かったかの様に繕う事で対処するとの事だった。
「一族と関わりのある業者を明日には向かわせます。雅、お疲れ様でした」
「うん……それと黄泉川の事だけど、明日には病院に帰すから」
「それですが、真白さん曰くもう検査は終わったそうですよ。後は細かい分析をやるだけなので帰さなくても良いとの事です」
「あー分かった。じゃあえっと……うちに泊めればいい感じ?」
「難しい様でしたら私の所でも構いませんよ」
「本人に聞いてみるよ。じゃあおやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
電話を切ってふと廊下に視線をやると翠が立っていた。どうやら縁は一人で体を洗っているらしく、風呂場からはシャワーの音が鳴っていた。
「とりあえず後は姉さんに任せる感じだ」
「そっか……じゃあ安心かな?」
「まだはっきりとしてない事もあるが、アタシらが出来る事はやっただろ。後は他の人に任せるしかない」
「だね……他の宇宙なんて本当にあるのか分からないもん」
「あってもおかしくはねェがな。幽霊も居て妖怪も居て、よく分からん怪異も居て、超能力者も居て、それで並行宇宙だけ無いってのも変だろ?」
「あはは……出来ればこっちにあれこれしないで欲しいけどね」
縁が風呂場から出てくるまでの間に資料に追加しておこうと居間へと向かい、隣で翠が美海を撫でる中白紙を広げた。
一つ一つ書いていったが、やはりまだ判明していない部分が多く、更に学校という施設そのもので発生している以上、迂闊に封印する事も出来なかったためこれからも要注意対象とした。そして『ぶくぶくさん』について書いている最中にある事に気がついた。それは縁が言っていた「誰かが取り込まれれば、誰かが解放される」という点だった。
やっぱりだ……この特徴は『七人岬』によく似てる。確か四国で活動している怪異で、妖怪の一種としても語られる事がある。接触した人間を自分達の列に取り込んで、先頭を歩いている奴が解放されるという事を繰り返している怪異だ。確信は持てないが『ぶくぶくさん』は『七人岬』の一種なのかもしれない。
資料を見てみると『七人岬』の事も載っていたがどうやら既に封印されているらしく、この町からは離れた場所で封じられている上に『箱入り鏡』とは別の呪物で封じられているため、まだ封印されている状態らしかった。
「あっお疲れ様。気持ち良かった?」
翠の声に反応して廊下を見てみるとダボっとした服を着た縁が立っていた。どうやら翠が普段来ているものを貸してもらったらしく、彼女が前に着ていた服とは大きくセンスが違っていた。しかし小柄な体格もあってか、端から見れば可愛らしく似合ってはいた。
「他に無いの?」
「ごめんね。小さい時の服はあか姉の所に置いてきちゃってて……」
「ん……ならいいよ」
「なァ、君が良ければなんだが、明日からもここに居ないか?」
「……どうして?」
「真白さんのとこでの検査はもう終わったらしい。後は分析するだけだから戻らなくても大丈夫らしいぞ」
「…………後で考える」
そう言うと縁は部屋の隅の方へと行くとこちらに背を向ける様にして寝そべった。それを見てか、翠は近くに寄るとそっと毛布を掛けて隣で横になった。もしかしたら基礎体温が異常に低い彼女には、この時期でも毛布は必要無かったのかもしれないが、毛布を掛けられても隣で横になられても逃げようとする素振りは見せなかった。
七不思議全てを書き終えると、最後に「要注意」と付け加えてファイルに収めた。その後適当に毛布を引っ張り出すと美海も寒くない様にと一緒に寝転ぶ。
これで良かったのかは分からないが、今出来る最善手は打てただろう。夜にしか活性化せず、七番目の『ぶくぶくさん』を封じられたのだから上手く対処出来た方だろう。後は姉さんや他の人に任せるしかない。
子供を優先的に狙うアレを封印出来て良かった。これでアタシや翠が知っている七不思議通りになったのだ。もうあの学校のプールで人が死ぬ事はないだろう。
『学校の七不思議』の七番目は正体不明で語られないままが丁度いいのだ。




