第30話:冤罪被害者、あるいは……
不審者事件以降、あの二匹の妖怪の姿は確認されてなかった。もちろん不審者情報そのものが無くなるという事は無かったが、それはどれも人間によるものであり怪異はどこにも関わっていなかった。翠はあの時のアタシの反応を見て過去の事を聞きたそうにしていはいたが、自分にも後ろ暗いところがあるからか結局聞かれるところは無かった。数日は気まずい空気が漂っていたが、やがてお互いにいつもの日常へと戻っていった。
そんなある日、姉さんから電話が掛かって来た。何やら外部で問題が発生したらしく、それに関する質問がされた。
「姉さん、どうしたの?」
「実は新たな怪異が発見されまして、聞きたい事があるのです」
「聞きたい事?」
「……最近、知り合いが増えたという事はありませんか?」
「えっと……どういう意味?」
「ある街で一人の男性が逮捕されました。そこで素性を調べたのですが、知り合いの数が多過ぎるのです。その中には一族の人間も含まれていました。当初は無関係を主張していたのですが、数日後には知り合いと言い出したのです」
姉さんが話した事によると、ある街で一人の男性が冤罪で捕まったらしい。その人物は殺人罪で捕まってしまったものの、真犯人による偽装のせいで罪を擦り付けられただけらしく犯人は既に逮捕された。しかしその際に身元を調べると、その男性は異常な量の人間と関わりを持っており、全く知り合いでもなかった筈の一族の人間とも関りを持っているという情報が出てきたそうだ。
「多分増えてないと思う。その人は今どこに?」
「それが、追跡調査をしている一族によると今そちらの町に向かっているそうです」
「……それは、何の目的で?」
「分かりません。正直、彼の経歴は異常です。警察をやっていた事もあれば、自衛隊経験者でもあり、芸能マネージャーでもあり……数えれば切りがありません」
「……分かった。アタシらが調べればいいんだね?」
「頼めますか? 現在、一族の一人である碧唯が追跡中です。彼女と協力してもらえますか?」
「分かったよ。場所は?」
姉さんによると碧唯さんは電車に乗っているターゲットを追跡中らしく、しばらくすればこの町に到着するらしかった。アタシや翠の事は既に伝えられているらしく、駅に居れば向こうから声を掛けてくれるらしかった。
話を聞き終えると電話を切り、すぐに準備を始めた。翠にも詳しい概要を伝えて準備をさせて家から出た。まだ昼時ではない上に休日という事もあってか、外は出かけている人々で賑わっていた。空気は寒くなり始めており、少し厚着をしなければならなくなっていた。
駅へと辿り着き、改札前で待っていると大勢の人々の中から一人の女性がこちらに近寄って来た。落ち着いた藍色の服を着ており、綺麗な黒髪を後頭部でまとめていた。そこまで長い髪という訳ではなく、活動するのに邪魔にならない程度のものだった。
「君達が雅ちゃん、翠ちゃんね?」
「ええ。碧唯さんですか?」
「うん。日奉碧唯、警視庁刑事部異常事件対策課の所属よ。よろしく」
「ええ、こちらこそ」
「あ、えっとこちらこそ」
碧唯さんはアタシと翠両方と握手をするとすぐに駅の外へと出て歩きながらターゲットにしている人物について話し始めた。
ある殺人事件で誤認逮捕された七紫野権平という人物の素性調査をした際に、その異常な経歴が明らかになったらしい。その経歴が真実がどうか調べたものの、彼の事を覚えている人間は居てもそれを立証する証拠がどこにも存在していなかったらしい。
「じゃあ何か認識に干渉する力を持ってるんすかね?」
「その可能性が高いわ。でも、その理由が不明なの。どうしてそこまで自分の事を記憶させてるのか……」
「ね、ねぇみやちゃん。認識干渉系なら、これ使った方がいいんじゃ……」
そう言うと翠は白い折り鶴を手渡してきた。これは所有者の認識能力を補強する力を持っており、少なくとも翠が意識を保っている限りは常に発動し続ける簡易結界媒体だった。碧唯さんにも渡そうとしたが、手で制止された。
「護符を貼ってるから大丈夫。茜さんから教えてもらったものだし、大丈夫だと思う」
「そんなのあるんですか? アタシ教えてもらった事ないっすよ」
「翠ちゃんが居るからじゃない? それよりほら、あそこに入っていくわ」
碧唯さんの視線を追ってみるとラーメン屋へと入っていく一人の男性の姿が見えた。横顔しか見えなかったが、あまり特徴のない顔をしており、どこにでも居る様な人間だった。後を追って中に入ってみると既に席についていたため、監視が出来る席に座って食事をしながら監視を行う事にした。
「あ、あの人なんですか?」
「ええ。妙に特徴のない顔してるでしょ。普通はどこかしらに特徴があるのに、それが無いの」
適当にラーメンを注文して監視を続ける。七紫野は運ばれてきたラーメンを啜りながら食べており、本当にどこにでも居る市民という雰囲気だった。特に異常な行動も見せておらず、最終的に店を出るまでの間に何かが起こるという事は無かった。
急いで食べ終えると追跡するためにすぐに店を出た。しかしその姿はどこにも無く、いつの間にか追跡を撒かれてしまった様だった。しかし、碧唯さんはその場に屈み込むと地面を数秒凝視するとすぐに立ち上がり、鼻をすんすんと鳴らして歩き始めた。
「あ、碧唯さん!? どこ行くんですか?」
「どこってホシを追うのよ。方向は分かったから」
「今ので分かったんすか?」
「ええ。そうね……一緒に行動するんだし、話した方がいいかしらね」
そう言うと碧唯さんは歩きながら自分の力について話し始めた。
彼女が持っている能力は『痕跡を観測する力』らしい。対象が残した足跡や体臭、拭き取られた血液、肉眼では見えない指紋などを観測出来るらしい。どうやらさっき地面を見ていたのは足跡を追跡しようした様だった。しかし足跡は確認されなかったため、匂いを基に追う事にしたという事だった。
やがてアタシ達は四方平通りにある植物園前に辿り着いた。縁と出会った場所であり、休日という事もあってか人でそこそこ賑わっていた。
「ここね」
「ここに逃げたんすか?」
「ええ、匂いがここからするもの。でも足跡は見えない。裏口から入った……?」
碧唯さんと共に受付まで行くと、受付担当者に警察手帳を見せた。どうやら警察としての権限を利用して裏口から追跡するつもりらしい。確かに相手がこちらに気付いていたとしたら、正面から入るのは危険な行為であるため、これが一番安全策と思えた。
裏口であるスタッフ専用通路を歩いている最中も碧唯さんは時折床を見ていたが、やはり足跡は確認出来ないらしく匂いを嗅ぎ続けていた。
「碧唯さん良かったんすか?」
「何が?」
「いや、アタシ警察に詳しい訳じゃないですけど、碧唯さんの所属してる課って多分表向きには隠されてるやつっすよね?」
「ああ、一応表向きは捜査一課って事になってるのよ。何かこういう異常存在が関わってる事件があったら、各地に動員される訳」
「一番しんどいやつっすね……」
「まあね。……そろそろ園内に出るわよ。怪しまれない様にね」
碧唯さんが目の前の扉を開くと植物園の一般公開が行われている場所へと出てきた。親子連れや友人連れと思しき人が多く、まさに隠れるにはうってつけの場所だった。そんな中でも碧唯さんは足を止める事なく歩き続け、一人のスタッフの前で足を止めた。その人物はこちらに背を向けて植物に水をやっており、背後に立たれている事には気が付いていない様子だった。
「七紫野さん」
「はい?」
「私の事を覚えてらっしゃいますか?」
「ああ刑事さんじゃないですか! その節はどうも。今日はどうかされたんですか? 後ろの方はお知り合いですか?」
「……貴方の経歴を調べました。随分と多種多様なお仕事をしてらっしゃる様で」
「あはは、まあ飽きっぽいと言えばそれまでなんですがね。色々やってみたい事があるんですよ」
七紫野は何の邪気もない笑顔で照れ臭そうに答えた。その様子からは悪人といった雰囲気は感じられなかったが、姉さんの話からすれば異常な存在である事に違いなかった。
「少しお話があるんですが宜しいですか?」
「え? ええ、僕で良ければ」
碧唯さんは七紫野にバックヤードに行く様に促し、先頭を歩きだした。アタシと翠は逃げられない様に七紫野の背後を取り、何かあった場合すぐに対応出来る様にしていた。
しばらく歩き、そろそろ先程のスタッフ専用口に到着しそうになった瞬間、突然園内から悲鳴が上がった。振り返ってみると人々が出入り口に向かって逃げ始めており、その反対側を見てみると園内の奥の方から何か赤い光が発されている様に見えた。それと同時に天井に付けられていたスプリンクラーが一斉に作動し始め、園内はパニックに包まれた。
「み、みやちゃんこれ!」
「火事だろうな……翠、離れるなよ」
「っ!? ホシは!?」
碧唯さんに言われて見てみるといつの間にか七紫野が居なくなっていた。すぐに周囲を見渡すと一瞬だったが七紫野と思しき人物が入り口の方へと走っていくのが見えた。表向きは園内のスタッフであるため避難活動という名目で逃げる事も可能であり、事実この状況だと身の安全を優先するのは何もおかしくなかった。
「まずいっすよ碧唯さん。今は避難が先です」
「……先に逃げなさい。警察としての仕事もあるから」
そう言うと碧唯さんは一人で走り出し、逃げ遅れている人々の避難誘導を開始した。自分達がここに居ても仕方がないため、一旦言われた通りに入り口へと向かい避難する事となった。
火事はスプリンクラーのおかげかすぐに鎮火し、幸いにも死傷者は出ていない様だった。碧唯さんは現場の他スタッフから詳しい事情を聞き出し、火元を特定しようとしていた。その間、七紫野を探そうと見回してみたがそれらしい人物はどこにも居らず、近くに居る一人のスタッフに聞いてみる事にした。
「あの、すみません」
「あっお客様、お怪我は?」
「いえ、全然。えっと、七紫野さんって方がどこに居るか分かりますか? ここで働いてるんすけど」
「すみません。どこに居るかはちょっと……どこかに居ると思うのですが……」
「そうですか。ありがとうございます」
七紫野がここのスタッフに認識されているのは間違いない。だが場所までは流石に分からないか。あのパニックがようやく収まった状態だ。消防車も来てるし、このごたごたの中で一般人が探すのは無理だろうな。
聞き込みを終えた碧唯さんはアタシと翠に付いてくる様に言うと再びバックヤードへと入った。どうやら監視カメラを使って火元を確認するとの事だったが、実際は七紫野がどのルートから逃走したのかを確認するつもりらしい。碧唯さん曰く、七紫野は既にこの場から居なくなっており、匂いは既に違う場所へ行った事を示しているらしい。
「す、すぐ追った方がいいんじゃ……」
「いいえ、場所はすぐ分かるからそこは問題じゃないの。問題はホシがどうやって逃走したかよ」
「確かにラーメン屋から出てすぐに消えたのも妙ですよね」
「あ、あの碧唯さん、スタッフの方はいいんですか?」
「表向きは捜査一課よ。余計な事されない様にって理由をつけて外で待機させてるわ」
ある部屋へと案内されて置かれているモニターを見てみると、園内に設置されている監視カメラの映像が一定周期で切り替わっていた。碧唯さんはその画面をじっと見つめ、しばらくすると映像を止めた。
「ここが火元ね」
そこには突然植物が発火する様子が映されていた。近くには丁度誰も居らず、人為的に着火を行った風では無かったのだ。しかし碧唯さんはその画面上の床面を指差した。
「見えなかったかしら。今、タバコがここに落ちてたわよね」
「えっわ、私には見えなかったですけど……」
「すみませんアタシにも見えなかったです」
「本当に一瞬だったのよ。数フレーム程度と言ってもいいわね」
「そ、そんな事まで分かるんですか?」
「言ったでしょ。私は『痕跡を観測する力』があるって。そこに事件に関連する証拠があるなら、見逃したりしないわよ」
碧唯さんは複数回その場面を巻き戻してくれたが、やはりアタシや翠にはタバコの姿は認識出来なかった。碧唯さん曰く、タバコが現れて一瞬にして火が点いたらしく、本来ならここまで早い着火は有り得ないらしかった。
そこからしばらく画面を見て七紫野がどこに行ったのか確認していると、丁度映像内にある背の高い植物の裏に走っていくところで姿を見失った。他のカメラの映像ではそれ以降七紫野の姿は確認出来ず、どうやらこのタイミングで完全に姿を消したらしかった。
「アタシらが見失ったのと同じタイミングですね」
「ええ。一つだけ気付いた点があるわ」
「何ですか?」
「この最後にホシが映っている映像と他の映像を見てみてある点がおかしいと思ったのよ」
そう言うと碧唯さんは全く同じ時間に撮影された映像をカチカチと連続で切り替えた。
「ホシが消えたこの時、誰も彼を見ていなかったのよ。逃げている客もスタッフも私達もカメラも、誰一人として見ていない状態だったの」
「つまり……?」
「もしかしたらだけど、ホシは誰かに見られていると消えられないんじゃないかしら。誰からも目視されていない状態じゃないとその場から離れられないのかも」
「じゃ、じゃあ上手く誘導出来れば……」
「可能性はあるわね。行きましょう」
碧唯さんはモニターをそのままにしてアタシ達と共にバックヤードを後にした。外には消防車だけでなくパトカーも来ていたが、碧唯さんは彼らに簡単な事件の経緯を話すと、その場を任せて匂いを嗅ぎながら追跡を再開した。その足が向かっているのは様々な店が立ち並ぶ、暮見通りだった。




