第20話:『石長比売計画』
翠は部屋の隅で自らの髪をしゃぶり続けており、今自分の目の前にある鏡には何の異変も起きていなかった。僅かな邪気は感じるものの、それが変化する事もなく、常に一定の状態を保ち続けていた。
これが呪いの一種なのは間違いない……だがどういう意図があるんだ? 下の階にはこれと全く同じ構図の部屋があった。多分そこに何か意味がある筈だ。それにもちろんこの姿見とコートハンガー、それに髪の毛もだ。髪みたいな人体の一部だったものは人の念が残りやすい。一番強い呪術的意味合いを持ってるのはこれか……?
試しに杖から畳へと熱源を伝えると、そこからコートハンガーを上らせて髪の毛へと移した。そこで少し加熱をしてみたものの、ただ熱されているだけで反撃の様な現象は一切発生しなかった。そのため更に強く加熱してついには発火させた。髪はいとも容易く燃えたかの様に見えたが、炎が消えたその場所には何も変わっていない髪の毛が残っていた。
どうなってる……何か結界みたいなのが張ってあるのか? もしそうなんだったら、翠の『四神封尽』が通用しなかったのも頷ける。あの子の力を超える程の強力な結界が存在してるなら、それも可能かもしれねェ。だとすると別のやつからやった方がいいのか……?
「……」
まだ翠が戻っていない事を確認すると、箪笥の一番下の段に入っていたミイラ化した手首を取り出す事にした。あれを見た際に不思議な安心感の様なものを感じたため、危険に感じすぐに閉じていたのだ。本来なら触れるべきものではないのかもしれないが、ここに入ってから一番違和感を与えてきたのはあの手首であったため、やらない訳にはいかなかった。
最下段を素早く開けて、念のため熱源を伝えておく。やはりそれは親子を思わせる二つの手であり、お互いを結ぶかの様にがっしりと指を絡める様にして手を繋いでいた。それを見てある考えが浮かんだ。
指を絡めてるって事は二つのものを結んでるって事だ。下にあった部屋もこの部屋と同じ構図だった。完全に同じ形にする事に意味があるンだとしたら、下の部屋にも同じ様な爪が入った小瓶や子供の歯、あの紙片、それにもう一組の手首が存在してる筈だ。上と下……まさかな……。
もしもの事を考えてスマホを取り出すと姉さんに電話を掛ける。こういった場所だと電波が届かない事が稀にあるが、問題なく繋がった。霊的な存在が居るという訳ではない事がこれで示された。
「もしもし、雅ですか?」
「姉さん、まずい事になってる」
「どうしたのですか?」
「実は……」
SNS上で見つけた呪いの家なるものを調べに行った事を話し、更に現在自分達が置かれている状況がどういったものなのかを語った。すると電話の向こうで姉さんが息を飲む声が聞こえてきた。
「雅……今すぐ翠を連れてそこから逃げなさい」
「え? どういう……」
「詳しくは後で話します、それより時間がありません。急いで脱出しなさい!」
姉さんが何にそこまで慌てているのかは分からなかったがいつもとは違った様子に違和感を覚え、翠の肩に手を回すと引き摺る様にしながら部屋を出た。翠を引っ張りながら階段を下りるのはかなり困難だったが、何とか一階に降りると被害者の死体を避けて侵入地点まで戻って来られた。そこから外に飛び出る様にして脱出したが、倒れた状態から目を開けてみるとそこはまだ家の中だった。自分達は居間に倒れており、目の前には割れた窓ガラスが見えた。
「姉さん……」
「雅、脱出出来ましたか?」
「それが、出た筈なんだけど戻ってきてる……」
「戻った……?」
「うん。位置がずらされたのかな。目の前にある窓から出た筈なのに居間に戻って来てる……」
「……手遅れでしたか」
「どういう意味?」
「雅、今から私が言う事をよく聞いてください。いずれにしてもその呪物を何とかしないと外には出られませんからね」
そう言うと姉さんは息を整えて話し始めた。何でも昔日奉一族にある計画が立ち上がったのだという。その名も『石長比売計画』。古事記などでも触れられている女神の名を冠した名称だった。大山津見神の娘であり、瓊瓊杵尊の所へと嫁いだが顔が醜かった事から石長比売は送り返されてしまった。これに怒った大山津見神は瓊瓊杵尊の寿命を縮め、日本書紀には石長比売の呪いのせいで人間は短命になったとも書かれている。そんな彼女の名を持ったその計画は日奉一族の内の一人に特殊な呪術を掛ける事によって、その精神を常世へと移動させて神の花嫁として捧げる事でより強力な力を賜り、精神体となったその人物によって怪異を一気に殲滅するという目的だったらしい。しかし失敗が続き、計画立案者はいつしか姿を暗ませて一族の前には二度と現れなかったらしい。そしてその呪術に使われていたのが、この家にある品々らしかった。
「じゃあまさか……」
「私も会った事がある訳ではありませんが、恐らく彼女は夜ノ見町に潜伏していたのでしょう。自らの理論を完成させるために」
「翠はそれに引っ掛かった……」
「いいえ。雅、貴方も引っ掛かったのでしょう」
「アタシも? ……まさかSNS自体が?」
「彼女がどこまで狙ってやったのかは知りませんが、その家を呪いの家として最初に広めたのは間違いなく彼女でしょう。年月を経ても噂は絶えず、こうして貴方達を誘い込む事に成功した」
「でも、アタシは何ともなってないよ?」
そう尋ねると姉さんはこの呪術の方法を説明し始めた。姉さん曰く、まず最初に血縁関係にある日奉一族の人間が娘に二つの名前を付ける。その内の一つは誰にも知られてはいけない名前であり、知っているのは母親だけらしい。その娘は人ならざる存在になるべく、幼少期から犬猫を切り刻んだりするなどの異常な教育が施される。そんな娘が10歳になった時には彼女の爪と秘密の名前を書いた紙を箪笥の最上段に仕舞い、13歳になった際には歯と名前を書いた紙を中段に仕舞う。そして娘が16歳になると母親が娘の髪を切り、それを姿見の前で食べる。これによってその精神を常世へと移動させるのだという理論だったらしい。しかしあまりに非人道的であり、効率が悪過ぎたため失敗が続き遂に計画は中止されたらしい。
「人ではない存在として育てられた娘の髪は常世へと繋がる食物になると計画者は考えていた様です。現世から解脱する黄泉戸喫の一種かもしれません」
「姉さん……アタシの質問への答えになってないよ」
「急いてはなりません。私が話した『石長比売計画』と貴方が見ているものとは違いがあるのです」
「手首の事だよね?」
「それと同じ構図の部屋がもう一つあるという点です」
姉さんによると一階と二階に同じ構図の部屋があるという事は、下の階が現世であり上の階が常世であるという事を示しているのではないかとの事だった。更に翠だけが影響を受けた理由は、彼女の年齢にあるのではないかと考えているらしい。昔は16歳という年齢は結婚しても何もおかしくない年齢だった。まだ体が若くて健康で、しかも子を作れる体になっている。神に捧げるには適齢期と言えるのだ。しかも母親が髪を食べる時の娘の年齢とも重なっている。そしてあの手首は常世と現世を繋げるという意味があるらしい。
「あの子は丁度16歳でしょう」
「……うん」
「雅、貴方が悪い訳ではありません。一族を抜けた彼女をそのままにしておいた私達の責任です」
「でも、どうすればいい……? 姉さんの話が本当なら、翠はもうあっちに行って……」
「いいえ。向こうに行ったとしても、神々の寵愛を受け取るかどうかはあの子次第です。まだ間に合うかもしれません」
「でもさっき……」
「あの時は翠の精神が向こうに行ってない事に賭けていただけですよ。今からでも助かる筈です」
「……どうすればいいの?」
助言を乞うと姉さんは一つの方法を示してくれた。それは先程やったのと同じ様にもう一度この家から脱出するというものだった。姉さんの理論によるとあの呪術はアタシも逃がすつもりは無いらしく、手首を使った呪いによってこの家と常世を繋いでいるらしい。つまり今自分は現世でもない常世でもない中途半端な狭間の世界に存在しており、何度も脱出を繰り返す内に常世へと近付いていくという。そこまで行く事が出来れば、翠を救出出来るかもしれないとの事だった。
「出来そうですか?」
「……出来る出来ないじゃないよ。アタシがやらないと」
「頑張ってください雅……」
翠を再び抱えると窓へと向かって外に飛び出した。するとやはり同じ様に家の中に戻ってきたものの、先程とは違って窓の外に蛍の様な何かが飛んでいるのが見えた。更に飛び出してみると今度は家の内装が綺麗になり、まるでかつての姿を取り戻し始めているかの様だった。
そうして何度も何度も繰り返している内に、遂にアタシと翠の肉体は屋内ではない不思議な場所へと放り出された。そこはどこかの草原の様な見た目をしており、空にはオーロラの様な光がうねっていた。生えている花も見た事がない種類のものばかりであり、ここが現世ではないという事がすぐに分かった。
「姉さん? 姉さん?」
何度も呼び掛けてみたものの、姉さんからの反応は返ってこなかった。当たり前と言えばそうだが、どうやらここでは電波が届かないらしかった。これ以上は自分でどうにかするしかないと感じ、スマホを仕舞う。
「……上等だろ」
翠の体を引っ張りながら少しずつ歩みを進める。どこを見ても建造物などは見られず、霧の様なものが出ているため遠くまでは視認出来なかった。しかし数分程歩いていると社と思しき建造物が見えてきた。入口へと続いている階段の最上段には白無垢を着た翠が背を向けて立っており、落ち着かない様子でキョロキョロとしていた。
「翠っ!!」
声を張り上げて名前を呼ぶと翠は驚いた様子でこちらを振り向いた。すぐにアタシだと認識したらしく、慣れない動きで階段を駆け下りると胸に飛び込んできた。あくまで精神体だからか、妙に軽かった。
「みやちゃんっ……私、私……っ!」
「よく頑張ったな……一応体も連れてきてるぞ」
「うん……」
翠は髪をしゃぶり続ける自分の姿を見て少し引いた顔をしたが、これ以上は見たくなかったからかすぐにその中へと入った。すると先程までの動きはピタリと止まり、こちらを見上げるとまた引っ付いてきた。今度は体温も感じ、確かにいつもの翠の姿がそこにあった。
「翠、大丈夫だったか……?」
「へ、変な女の人が居て……抵抗しようとしたんだけど、でも結界が上手く出せなくて……そしたらこんな格好させられて、あそこに居ろって……」
「翠、あの家にあったやつは日奉一族を狙ったものだったンだ。それに作った奴も……」
姉さんから教えられた話を伝えると翠は怯えた様子を見せ始めた。しきりに社の方を振り返っており、翠を連れ去ろうとした人物を警戒している様子だった。
「み、みやちゃん早く戻ろう……! あの人来るよ!」
「翠、よく聞いてくれ」
「え……?」
「いいか翠。翠の事を連れ去ろうとした奴は元日奉一族の人間だ。もし放っておいたらまた同じ事をする。それにここから出るにはそいつを倒す必要がある筈だ」
「無茶だよ! だってみやちゃんも分かってるんでしょ!? ここは私達が住んでる世界とは違うんだよ!?」
「無茶じゃねェよ」
前方の霧の中から人影が近寄ってくるのが見える。やがてしっかりと顔が見える程の距離になった。
その人物は40代程の女性であり、長い黒髪を後ろ手に結んでいた。薄汚れた着物を着ており、その瞳には偏執的な空虚さを感じた。翠は彼女の存在に気付き、怯えながらより強く抱き着いた。
「あら、もう一人の方もいらっしゃったのね」
「おう。来てやったぜ」
「ありがとう。やっぱり私の計算は正しかったのよ。貴方達がここに居るのがその証拠だもの」
女がこちらに近付いてきたため、杖の持ち手から手を離して棒状になっている部分を掴む。それに気付いたのか翠は支える様に踏ん張ってくれた。
「何かよ……勘違いしちゃいねェか」
「何かしら?」
「アンタ本気でアタシが花嫁とやらになるためにここに来たと思ってンのか?」
「それ以外に何があるの?」
杖の先端を女の顔に突きつける。
「この子を連れ戻しに来た。そンだけだ」
「駄目よ。それは駄目」
「アタシからアンタに優し~い三択をやるよ。まずその一、アタシらをすぐに元の世界に返す。その二、アタシに魂ごとぶっ殺されて全ておじゃんにする。その三、アタシらを元の世界に返した後に全部おじゃんにされる。選べよ」
「お、お願いです! 帰してください!」
「駄目駄目駄目駄目駄目。貴方もすぐに私が正しいという事が分かるわよ。そうすれば皆私達を認めてくれる」
その瞬間何かの気配を感じて横を向くと翠と同じ年頃の少女がこちらに飛び掛かって来ていた。咄嗟に翠を反対側に突き飛ばし、何とか巻き込まれるのを防ぐ事は出来たものの自分は草原の上に押し倒されてしまった。顔に手を掛けようとしてくるのを何とか杖で防いでいたが、その細腕からは想像出来ない程の力が出ており、押し切られるのも時間の問題だった。恐ろしく無表情な目とぼさぼさの髪が、彼女が既に人ならざる存在なのだと感じさせた。
「みやちゃんっ!」
「ほら……貴方達も受け入れればこの子みたいになれるのよ。そうすれば私達も認められる。日奉灰禰とその愛娘、日奉琥鐘は日奉の歴史に残るのよ!」
杖を握っている手から熱源を琥鐘の顔へと移動させて加熱する。どうやら出力が落ちている上に魂だけの存在になっている琥鐘相手にはあまり大きなダメージを与えられている様子は無かった。多少は熱さを感じているらしいが、唸り声を上げる程度でその手は今にも顔に触れそうになっていた。
「ほら、こっちに来なさい。貴方の力には目を見張るものがあるわ。きっと日奉の歴史にも名が残るわよ」
「やだ……」
「我儘言っちゃ駄目よ。貴方は才能があるもの」
「みやちゃ……」
「っ……翠、アタシの事は気にするな!! お前ェの本気を見せてやれ!!」
そう叫ぶと翠は目を閉じてその場に蹲る様な姿勢になった。その直後、アタシや琥鐘、そして灰禰の体は見えない何かに弾かれる様にして吹き飛んだ。何とか受け身をとる事に成功したため負傷は免れたが、強い衝撃の感覚が体に残っていた。
昔一度だけ見た事があった。翠は自分の力を上手く制御出来ない子だった。だから姉さんに折り紙を使った結界術を学んだ。形に意味を持たせる事で出力の方法を変え、更に一度瓶詰にされた折り鶴という媒介を通す事によって出力を大きく抑える。相当な集中力が必要になるが、あの子はそれを努力だけで成立させていた。もし、今みたいに折り紙も媒介も一つも無い状態で力を使えば、彼女以外の全てを弾く鉄壁の結界を作り出せる。どこまでも無制限に。
結界の影響で地面さえも抉れており、翠の体は空中に浮遊している状態になっていた。しかしゆっくりとその体は降下し、それに連れて結界も縮んでいった。その様子を見て翠に近付く。
「みやちゃん、私……」
「大丈夫だ。折り紙無くても大分制御出来る様になったじゃねェか」
「でも私……多分ここだからあの程度で……」
「翠、今はここから出る事だけを考えろ」
離れた所で倒れていた二人が呻き声を上げながら起き上がる音が聞こえた。
「素晴らしい……やっぱりその子天才よ!」
「ああ、自慢の妹だよ」
「分かってくれた!? ほら早く式の準備を始めないと……」
「ああ分かったぜ。テメェらには何言っても無駄って事がな」
「分かっていないのは貴方達よ。あの計画さえ成功すれば、祝福されるし恩赦だって……」
「やっぱ訂正するわ。テメェらに三つも選択肢いらねェな」
クレーターの様に窪んだ地面にいくつも熱源を流して、まだ無事な草原の方へと上らせていく。
「選択肢は一つだけだ。テメェとそこのバケモンみてェな娘、それにあの家、全部ぶっ壊す。拒否権はねェぞ。言葉の通じねェ奴にかけてやる情けは持ち合わせてないんでな」
返事が返ってくるのを待たずに全ての熱源を一気に加熱した。




