第二話 『バードウォッチング』
「――ぷはっ!」
水面から顔を出し、僕は酸素を求めて激しく咳き込んだ。
次の瞬間、僕は想像を絶する危機に見舞われる事となる。それは予想もしていなかった非常事態で、生命を脅かすほどの――、
「足づっだぁぁぁああああああああああああああああああああああ!?」
しかも両足。完全に詰んでいた。
「だ、だすげっ!? じぬ! 足、ぢょーいだい!?」
必死に助けを求めても、僕に手を差し伸べてくれる者は一人としていない。
ああ、ここで僕は一生を終えるのだろうか。せめて最後に一度だけ、キミに顔を埋めたかったよ、僕の愛しい『アナ』。
「おい変態。足着くぞ、ここ」
「誰が変態か!? ……あ、ほんとだ」
思わず叫んでから気付く。僕の足はあっさり水の底に着いていた。
水面は腰の辺りまでしかなく、思っていたよりもかなり浅い。
「――って、その声は?」
「ああ、俺だ」
聞き覚えのある声に振り向くと、すぐ隣に僕のよく知る男がいた。
濡れて額に張り付いた前髪、顎から滴り落ちる水滴、メガネをふく為にまくられた上着の下からは、見事に割れた腹筋が顔を覗かせている。
誰が見ても、十人が十人、吐き気を催してこう言うに違いない。
「うっわ、ブサイク」
「もういちど溺れてみるか?」
そう言って脅してくるのは、メガネをかけ直すブサイク――屑稲誠だ。
その滑稽な脅し文句に、僕はやれやれと肩を竦めて鼻から嘆息。
「溺れるのは『アナ』にだけで十分だよ。それよりも、ここはどこさ?」
「分からん。少なくとも、俺たちがいたあの山ではないな」
僕たちがいるのは、周囲を木々に囲まれた泉の中心だ。
一見すると特に何も変わっていないように思えるけど、よく周囲を観察してみれば、ここが全く見知らぬ場所だという事実が見えてくる。
泉は足が底に着くほどに浅く、周囲の地形は全く異なり、この泉を取り囲む木々は全く見たことのないものばかりだ。
そして、何より――、
「あの鳥、やけに大きいね」
「ああ。大きいというよりは、巨大という表現の方が正しいな」
見たことのない木に、こちらをジッと見つめる巨大な鳥がとまっていた。
その巨体は成人男性より一回り大きく、体を支える足は異様に発達していて血管が浮き出ている。こちらを見つめる瞳は何やら星のようなマークだ。
強いて表現するなら、フクロウとダチョウを足したようなビジュアルである。
すると不意に、その巨鳥は大きく羽を広げ――、
『――HEY!!』
「うん。僕の記憶にある鳥の鳴き声とは一切合致しないね」
「個性的なシャウトをカマしてくる鳥だな。出会い頭に殴られた気分だ」
などと二人で感想を述べていたら、急に木から飛び降りた巨鳥がそのまま物凄い速度で走り去って行ってしまった。
「飛ばないんだね」
「重くて飛べないのかもな」
『――ウホッ』
「うん。今、ゴリラみたいなのが僕のお尻を高速で撫で回してから生物の限界を超えた超スピードで走り去って行ったね」
「それは災難だったな。ちなみに俺は耳元で舌打ちされたぞ」
…………。
「さて、そろそろお前も気付いていると思うが」
「うん、ここは……」
――日本じゃない。
「原因はおそらく、あの光り輝く泉に飛び込んだことだろうな」
「未開拓の無人島、とかかな……?」
「いや、そもそも俺たちのいた世界ではないのかもしれない」
「どういうこと?」
首を傾げつつ問うと、マコトはメガネを押し上げながら、
「つまりここは、俺たちのいた世界とは別の世界かもしれないということだ」
「いや、それはいくらなんでも……」
「だが、俺たちが別の場所に転移したことは紛れもない事実だ。空間転移が可能なら、世界を越えることも可能だろう。女神が実在したとなれば、尚更な」
懐疑的な僕にそう言ってから、マコトは「それに」と続け、
「無人島だなんてスケールの小さい可能性より、ここが俺たちの知らない世界……異世界だと思う方が、何だかワクワクしてくるだろ?」
と、心の底から嬉しそうな顔でニヤリと笑った。
マコトの『未知』好きにも呆れたものである。ここの泉は光っていないので、もう元の世界に帰れないかも、とか不安にならないのだろうか。
「それはそうと――」
「?」
「お前、足はもう平気なのか?」
「ああ、そのこと?」
たしかにさっきまで死ぬほど痛かったけど、今はもう大丈夫。
だって、既に――、
「なんか痛すぎて、足の感覚なくなったから」
「なるほど。それはたしかにもう安心だな」
「でしょ?」
ともあれ、現在の僕たちが置かれた状況は把握した。
だけど、一つだけまだ分からないことがある。
僕はあの女神様を追いかけて咄嗟に光り輝く泉に飛び込んだ。だからここに来てしまったのは分かる。でも、なんで当然のようにこの男までいるのだろうか。
「なんだ、俺がここにいるのがそんなに不思議か?」
「平然と人の心を読まないでよ!?」
「分かりやすい表情をしているお前の顔面が汚い」
「ああ、そういう……え? 今、途中からいきなり僕の美顔を酷評しなかった?」
聞き間違えかと首を傾げつつ殺意を滾らせていると、陸に上がったマコトがニヤリと笑いながら告げた。
「あの状況で飛び込まないなど、それはもはや人間ではないだろ?」
「マコトの中の人類の定義が僕にはイマイチ理解できないよ……」
げんなりしつつ、僕もマコトに続いて陸に上がる。
二人して濡れた衣服を絞りながら、とりあえずここからどうするか話し合った。
「まずは移動だな。こんな所にいても仕方がない。それに、お前の『宝』を持ち逃げした女神もここに来ているかもしれん」
「それじゃ、まずはあの女神様の捜索からだね!」
ちゃんと『アナ』を返してもらって、元の世界にも帰していただこう。
今後の方針を簡単に決めた僕たちは、さっそく移動を開始した。