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ある文之物語  作者: ここ
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ある先駆者之物語

 ある人は思った。殺人、姦淫、盗み、傲慢、強欲、憤怒、怠慢、虚栄心……、もはやここでは語り尽くせない程のこの世の悪徳は何から出たものなのか。


 ある人は考えた。善人は善行をし、悪人は悪行をするのだと。


 ある人は思った。何をもって善人と言い、何をもって悪人というのか。善人が善行だけをすることがあろうか。悪人が悪行のみをすることがあろうか。格好が善人であろうとも、心は汚れているかもしれない。いわば、羊の着ぐるみを(まと)った狼にもなり得る。姿が善人で、心もきれいかもしれない。しかし、心に抱く(はかりごと)の全てが正しいと誰が言えよう。その計略がかなっているとしよう。そして、成功するとする。人は成功から何を生み出すのか。この世の新しい流れを生み出すかもしれない。この世に革新を与えるかもしれない。しかし、それは一時的なものに過ぎず、生成される新しいものに飲み込まれる。時間の一部分を切り取り、その流れが自らのものだと断定することは不可能である。時間は無限的な流れにおいて断続なく続いていく。革新とはその以前の働きがなければ成り立たなく、以前の革新もそのまた以前の働きがなければ成り立つことはない。この遡りは興味深い。全ての歴史が断片として切り離されることを嫌っているのだ。様々なしがらみの中で変遷していく歴史は原点に遡らなければ俯瞰することは不可能である。いや、歴史はそのようにしてでしか俯瞰できないのだ。だから言う。「歴史は嘘をつかない。」


 忘れていた。今最も伝えたいことは善人が善人であることの矛盾性であった。人は時に成功する。しかし、見方を誤るとその成功は自尊心に立ち代り、傲慢へと変身してしまう。自らの革新に代わる新しいものが誕生したときにはそれに対して怒りを催すだろう。心の中の悪口とは、心の中における殺人である。つまり、自尊心は傲慢になり、傲慢は怒りになり、怒りは殺人となる。


 人は弱く、(もろ)い。だから、善人となるのは不可能である。ただし、善人となり得る人が存在する。それは、本物を知った人である。


 それを教えるために、私はこの書を書く。否。この短さでは書とも呼べない。(ふみ)とでも呼ぶとしよう。

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