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ススキ野原の向こう側

作者: 和音

 肩程まであるススキを掻き分けて、進んでいた。

 秋に差し掛かった季節とはいえ、まだまだ太陽に照り付けられていると、暑さを感じる。

 うっすらと額に滲む汗を手で拭いながら、正志は後ろにいる息子を振り返った。

 まだ、十歳の春登は生い茂るススキに埋もれていた。顔に掛かかってくるススキの花穂を鬱陶しそうにその手で払いながら、父親の後を付いてきていた。


「父さん、まだ?」


 振り返った父親に気づいた春登が、気だるそうに尋ねてきた。


「あ、ああ。この辺だったんだと思うんだけどなぁ」


 立ち止まり、周囲をきょろきょろと見回しながら、正志が答えた。


「本当に、滝なんてあるの? 川からも離れてるし、音とかも聞こえないよ」


 かれこれもう二時間以上、歩き続けているせいか、不機嫌そうに、抗議と疑いの混じった視線を春登から受けて、正志は言葉に窮する。


「いや、父さんが小さい頃に父さんの父さん、去年死んだお祖父ちゃんと一緒に来たんだよ」


 幼い頃の記憶を呼び起こしながら、正志は尚も、辺りを見回す。

 正志は妻と息子である春登と一緒に、秋の連休を利用して、彼の実家へと帰ってきていた。正志の父親の一周忌の為である。

 一年前、正志の父親は癌であっけなく、この世を去った。癌が見つかってからたった半年後の事だった。七十も過ぎ、孫の顔も見れたのだから、決して不幸な人生ではなかったはずだと正志は考えていたが、それでもやはり大きな寂しさを感じていた。

 今、こうして、正志が息子と道なき道を進んでいるきっかけは、その亡くなった彼の父親だった。

 正志がまだ、春登くらいの年の事だった。日曜に家でごろごろしていた彼を父親が、冒険に行こうと誘ってきた事があった。何でも、父親も幼い頃に自身の父と見つけた滝を探しに行こうと誘ってきたのだった。

 まだ、幼かった正志は冒険という言葉に心が躍り、二つ返事で承諾し、その滝を探しに出かけた。

 それから長い時を経た今、父は亡くなったが、今度は自分の息子と共にその滝を目指していた。前日に、法要を終え、時間を持て余していた春登を冒険に行かないか、と誘ったのであった。

 子供の頃の正志と同じ様に、冒険という言葉に目を輝かせ、二人して実家から、滝を目指して繰り出したのだった。


「あの時も、今くらいの時期でススキだらけだったけな……」


 懐かしそうに、正志は目を細めた。まだ背の低かった彼には、目の前にススキしか映らなかった。きっと、同じ光景を春登も見ているのだろうと、苦笑した。


「親父はこんな光景を見ていたのか……」


 正志は改めて、周囲を見渡す。

 何の変哲もない、山あいの風景である。一面にススキが広がり、その奥には林が見える。風に吹かれ、ススキの頭がゆらゆらと揺れていた。

 かつては、川に沿って、バーベキューが出来る河原があったり、小さな池ではボートなどが乗れた。だが、今ではその様な施設も閉鎖され、すっかり人の気配も無くなってしまっていた。

 ここに至るまでに、かつてのボート乗り場のテントが骨組みだけが、錆びついてわずかに残っているのみであった。放置された河原には、不法投棄と思われる家電が転がっていた。

 時の流れを感じた正志であったが、何故か、このススキの広がる一帯だけは何も変わってない様な気がしていた。


「父さん?」


 周囲を黙って見回す正志に、春登が声を掛けた。迷子にでもなったかと、不安そうな面持ちとなっていた。


「すまん、すまん。近くまで来てると思うんだけどな」


 正志は春登の頭に手を乗せて、笑顔を見せた。

 彼は、春登に一つ、黙っている事があった。実は、正志は、子供の頃に結局、滝を見る事は出来なかった。見つける事が出来なかったのだ。正志の父は今の正志と同じ様に、周囲を見渡し、子供の頃に見たという滝を求めたが、ついには辿り着く事が叶わなかった。


「でも、楽しいね。本当に、なんか未知の世界を目指して冒険しているみたい」


 都会で暮らす春登には、新鮮な体験の様である。正志の笑顔に、春登も白い歯を覗かせた。


「そうだな。父さんも子供の頃、冒険気分を味わったなぁ」


 正志は頷いた。滝は見れず、歩き疲れはしたが、楽しかったのは今でもはっきりと覚えている。

 空の太陽が傾き始めていた。すでに夕方へと差し掛かっている。

 そろそろ帰らなければならない、正志はそう思い始めていた。


「春登、すまんが、今日はもう引き上げるか。そろそろ暗くなる時間だし、あまり遅くなると、母さんやお祖母ちゃんも心配するだろうから」


 残念に思いながらも、時間切れを息子に伝える。


「滝、見つからなかったね」


 春登は、名残り惜しそうに、空を見上げた。


「そうだな」


 正志も空に沈みつつある太陽を恨めしそうに眺める。


「そうだ。春登が大きくなったら、また探せばいい。今度は、春登が先頭に立って探すんだ」


 そう言った正志は思い出す。子供の頃、滝を見つけられずに、帰る間際に父親が言った言葉。今、自分が春登に言った言葉と同じ事を言っていた、と思い出した。


「うん!」


 春登は大きく頷く。

 それを、見て正志も、笑顔で頷き返した。


「じゃあ、帰ろうか」


 正志と春登の冒険は終わりを告げる。元来た道を再び歩き始める。

 正志はまたもや、滝を見れなかった。残念ではあったが、悔しさは無い。

 そもそも、彼の父親も、その父と本当に滝を見つけたのだろうか、と正志はススキの広がる向こうにある山林を振り返る。もっとも、今さら、確認出来ない事ではある。


「でも……、楽しい冒険だったよ、親父」


 正志は小さく呟いた。

 滝が本当にあるかどうかは、分からない。だが、滝を探す小さな冒険は懐かしく、そして新鮮にも思えた。

 そんな彼の耳に、一瞬だけ、小さく滝の音が聞こえた様な気がした。


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