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8月事  作者: 高木 翔矢
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幼少期編~ヒーロー4


 その日の一時間目の算数は先生のお説教で中止になった。匿名で誰かを攻撃する卑怯さとか、人の関係をからかうのがどれだけいけない事なのかを、先生は一時間ずっと語り続けてた。


 その説教の最中、先生はたまにチラチラと僕を見てきた。多分、これでまた僕が一人で給食を食べるようになるのを心配してるんだと思う。昨日コトハちゃんと一緒に食べたのは気まぐれだったから、こんな事がなくてもまた一緒に食べる事なんてなかったと思うんだけど、きっと先生はそう思ってくれないんだろうな。


 コトハちゃんは保健室で休んでる。まだ泣いてるんだと思うけど、正直どうでもよかった。先生の話も、誰が犯人なのかも特に興味ない。そもそもなんでコトハちゃんが泣き出したのかが、僕には分からなかった。クラスメイトにからかわれたのが、そんなにショックだったのかな。それともいじめられたと勘違いしたとか。からかいといじめに大した違いなんてない気もするけど、それでも言葉が変わっただけで印象が全然変わるし。


 先生もお説教なんかしないで授業をしてくれればいいのに。こういうのは大袈裟にするほど止まらくなるって、テレビで見た事がある。こんなの軽いいたずらなんだから、深刻になる事なんて一つもない。お母さんにいいところを見せるために勉強したい僕からしたら、この時間はひたすら無駄で、内容だって殆ど聞こえてこなかった。

 先生のお説教は算数の時間を丸々潰した。コトハちゃんは一時間目が終わったところで早退したみたいで、僕は給食をいつも通り一人で食べた。先生が心配して声を掛けてくれたけど、そもそも僕は、まるで気にしてない。


 興味はなくても、あの落書きをした犯人ならもう分かってる。多分久保君だ。だって久保君とその友達だけ、笑い方が他の人と少し違った。あまりうまくは言えないけど、他のクラスメイトはただ面白半分で笑ってただけで、久保君達は何かすっきりした感じの笑いだった。刑事もののドラマみたいに証拠なんてないけど、帰り際にまた話し掛けられて嫌味みたいな事言われたから、間違いないと思う。


 でもだからって、やり返そうとかそんな気持ちは湧いてこない。むしろ何をやり返せばいいか分からない。あれって本当に、怒られるような事なのかな。正しい事だとは思わないけど、別段間違ってるとも思えないんだよね。

 間違ってる行動っていうのは、多分、僕がやってる事。ううん、やってない事。


「お母さんはさ、なんでお父さんと結婚したの?」

「どうしたの? 急に」


 リビングでトランプをしながら、僕はお母さんにずっと疑問だった事を訊いた。


「だって結婚って、好きだからするものなんでしょ。あんな事するお父さんなんて、お母さん嫌いだよね?」


 当然頷いてくれると思った質問に、お母さんは困ったように笑った。


「好きか嫌いかで言われた、どうなんでしょうね。確かに結婚した時と比べてたら好きじゃないかもしれないけど、それでも嫌いとは言えないわ」

「どうして?」


 意味が分からなかった。あんな事をされても嫌いじゃないなんて。


「ツキがいるから」


 トランプを引きながら、お母さんが答える。


「お父さんがいなきゃ、ツキも生まれてこれなかったのよ。そう考えたら、お父さんを嫌いになんてなれないわ。――暴力は嫌いだけどね」


 目線をトランプから僕に移して、優しいけど真剣な顔になる。


「だからツキは、絶対に誰かを殴ったりしちゃダメよ。そんな事したら、お母さん許さないからね」

「しないよ。絶対」


 照れ隠しにトランプを出しながら、だけどすぐに返事する。


「うん。ツキが素直ないい子に育ってくれて、お母さん嬉しいわ」

「か、からかわないでよ」


 顔が熱くなるのが分かったので、手持ちのトランプで煽いで冷ます。


「だけどなんで結婚の事なんて知りたかったの? あ、もしかして好きな人でもできた?」

「そんなわけないでしょ!」

「慌てるなんて、怪しい。……そうね。参観日の日にはツキの好きな子も探してみようかしら」

「だからいないって」


 このままだといもしない片思い相手を自白させられそうだったので、慌てて話題を逸らした。


「そういうお母さんは子供の時どうだったの? 好きな人とかいた?」

「そりゃあいたわよ。これでもお母さん、昔はモテたんだから」


 鼻を高くするお母さん。


「大学生の頃は美女コンテスト優勝したし、高校生の頃は一か月に一回は告白されてたわ」

「嘘でしょ。さすがに」


 一か月に一回告白されてたら、卒業までに三十六人から告白されてたって事だ。それがあり得ないって事くらい、子供の僕でも分かる。


「そんな事ないわよ。ホントに凄かったんだから。モテモテで」

「そうなんだ」


 胸を張って自慢されなくても、かなりモテたんだろうなって事はなんとなく分かった。だってお母さんが美人なのは、生まれた時から近くで見てる僕が一番分かってる。クラスメイトの女の子にも、お母さんより綺麗な子はいない。けどそれなら、やっぱりどうしてお母さんはお父さんと結婚したんだろう? お父さん以外にも、いい男の人がいっぱいいたはずなのに。


「モテすぎて困ったのよ。友達の片思い相手に告白されて、それでその友達と気まずくなっちゃったり、ミスなんたらって囃し立てられて、ストーカーされたり。まぁそれも、いまじゃいい――っていうか、面白い思い出だけどね」


 遠い目をして話すお母さんは、なんだか僕の知ってるお母さんとは少し違う気がした。雰囲気っていうかなんていうか、とにかく何かが違う。


「そんなモテまくりのお母さんの子供なんだから、ツキがモテるのも必然なのよ」

「ひつぜん?」

「当たり前って事」


 人差し指を立てて言葉の意味を説明するお母さんは、もういつものお母さんだ。


「その証拠に、ツキはこんなに可愛いもの」

「……」


 男の僕に、可愛いは褒め言葉じゃない。ムスッと唇を尖らせて、反論する。


「僕、モテたりなんかしてないよ」

「それはみんなが奥手なだけよ。小学生なんだから仕方ないわ」


 なんだか子供である事を馬鹿にされてるような気がして、僕は面白くなくてそっぽ向いた。


「どうしたの? ツキ」

「なんでもない」


 こういうところが子供だって頭の中では分かっていても、それをやめられない僕はやっぱり子供なんだと思う。

 それを誤魔化すためにトランプを場に出して、勝利宣言をした。


「はい。これで僕の勝ち」


 お母さんが手札として残ってるトランプをテーブルに置いて残念がる。


「負けちゃった。ツキは強いわね」


 トランプを集めながら、僕はお母さんに訊いた。


「次は何しよっか?」

「ツキは何がやりたいの?」

「なんでもいいよ。何やっても僕が勝つし」

「あら、言うじゃない。お母さんも甘く見られたものね」


 トランプを切る僕に不敵な笑いを見せるお母さん。お母さんのこんな笑顔も、嫌いじゃなかった。


「じゃあ花札にしよっか?」

「うっ、それはやだ」


 僕は花札でお母さんに勝った事がない。花札ってなんだか昔の遊びのイメージがあるから、それが関係してたりするのかな。トランプとかUNOとかと一緒にお母さんに教えてもらったからルールはちゃんと知ってるけど、役ってところが、昔というか大人な感じだ。


「人生ゲームは長すぎるから今日はもう無理ね。なら一昨日もやったけど、UNOがいいかしら?」

「それでいいんじゃない」

「なんだか投げやりね。そんなに勝てる自信があるの?」

「別にそんなわけじゃ……いや、負けるつもりはないけどさ」


 実を言えば、ゲームはなんでもよかった。だってお母さんと遊べれるならなんでも楽しいし。


「じゃあUNO取ってくるわね」


 お母さんが席を立って和室の方に入っていく。

 和室にはいい思い出がないので反射的に目を逸らしたら、お母さんが使ってるアイポットが目に入った。僕が学校から帰ってくると、お母さんはよくこのアイポットで音楽を聴きながら家事をしてる。今日もお母さんは掃除をしながら使ってたけど、僕が帰ってきてすぐにトランプを始めたから、片付けられなくてテーブルに置きっぱなしになってたみたいだ。


 暇を潰すために、そのアイポットに手を伸ばして操作する。といってもイヤホンを耳にはめて、電源を入れて再生ボタンを押すだけだ。それだけで、お母さんらしいしっとりとした心地のいいクラシックが、左右から流れ込んでくる。森の中で寝てるみたいな居心地の良さがあって、凄く落ち着く。

 瞼を閉じて聞き入ってたら、いつの間にか後ろに忍び寄ってたお母さんが、大きな声を上げて驚かせてきた。


「ワッ!」

「うわぁ!」


 耳元でいきなり聞こえた大声に驚いて、思わずアイポットを離す。反射的に身体が跳ねた勢いで、アイポットは真下じゃなくて上に飛んだ。イヤホンも跳ねた拍子に外れて、空を飛んだアイポットがまるで狙ったみたいに、テーブルの上のジュースの入ったコップに入った。


 僕もお母さんもビックリしてそれを見てたけど、まずいって気付いて慌ててアイポットをコップから救出した。

 さっきまで光っていた画面は暗くなってて、電源ボタンを押しても何も反応しなかった。


「嘘、嘘でしょ……」


 画面を何度叩いても、また光ったりはしない。

 怒られる、と思った。

 嫌われる、とも。

 咄嗟に身体が震えるのが分かった。お母さんに嫌われたら、どうすればいいの?


「ツキ」


 両肩が跳ね上がった。胸が妙にうるさい。


「それ、壊れちゃったの?」


 お母さんの声の調子はいつもと変わらない。それにちょっとは安心したけど、答えるのはやっぱり怖かった。


「見せてみて?」


 振り向いて、でもお母さんの目は見ないようにしながら持っていたアイポットを渡す。

 お母さんは電源ボタンを押したり何度か叩いたり、僕と同じ事をして確認すると、ため息をついた。


「壊れちゃってるわね。どうも」


 僕は目を瞑って叱られる覚悟を決めた。けど、嫌われるのだけはどうしても怖かったし、その覚悟だけは決まらなかった。


「ま、仕方ないわ」

「えっ?」


 予想外の言葉に思わず顔を上げる。そんな僕に構わずお母さんは続けた。


「こうなったのお母さんのせいだしね。また買えばいいわよ」

「怒らないの?」


 恐る恐る訊く僕に、お母さんは笑った。


「なんでツキに怒るの? むしろ謝るのは、ツキを驚かせたお母さんでしょ」


 変なところで潔癖ね、とお母さんは何も気にした様子はなかった。

 その後も何回か無意味にボタンを押し、お母さんはアイポットをごみ箱に捨てた。


「さ、UNOしましょ。今度はお母さん、負けないから」


 本当に怒っていないお母さんの声にすっかり安心して、僕は自信満々に答える。


「僕が勝つに決まってるでしょ」


 笑わなかったから、むきになってるみたいに聞こえちゃったかもしれない。

 それでも、お母さんは変わらず笑顔だった。




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