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8月事  作者: 高木 翔矢
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新天地編~運命3

前回が多かった事もあり、今回はかなり少なめとなっております。


 ツキが予想していたよりも、再会は早かった。

 文絵という女性に五十万を渡した三日後の夕刻、バイトが終わり帰ろうとしたツキの前にあの人は現れた。


「よぉ。少し話そうぜ。ツキ」

「二度と顔を見せないでくださいと言伝したはずですが」

「正確には二度と近付くな、だったな。まぁそうつれない事言うなよ。家族だろう?」


 まるで悪びれた様子のない父の笑みに、ツキは反論を諦める。どうせ意味がない事は初めから分かっていた。


「場所を変えましょう。どうせここでは話しにくい事でしょう?」

「そうだな。前の公園に行くか」


 父に連れられて場所を移す。

 会社裏の公園は、時間のせいというより場所のせいで、人気はまるでなかった。


「それで、なんの用ですか?」

「用がなくちゃ……」

「無駄な建前はいりません。俺はあなたと世間話をするつもりはありませんから」


 ツキの牽制に、父は苛立たしげに舌打ちする。自分の思うように話を進めなければ気が済まないのだろうが、ツキにつき合う義理はない。


「随分と捻くれた成長をしたんだな」

「えぇ。おかげ様で」


 皮肉にこめかみを震わせながら、父は本題に入った。


「ツキ。俺と一緒にあの街に帰るぞ」

「……なぜですか?」

「お前はただ黙って俺についてくればいいんだよ」


 有無を言わせない迫力がある父の凄味。

 しかしツキは即座に拒否した。


「お断りします」

「なに……?」

「俺はあなたについて行く気はありません」


 はっきりと拒絶の意思を口にするツキ。

 しかし父がそれを許すはずがない事も知っていた。怒声にどう対応するか考えていたツキに、父は一歩近付く。

 目を合わせ、ツキは直感する。


 この感じは、昔よく見た――


 思考を吹き飛ばすように、父の右拳がツキの頬を打ち抜いた。

 勢いを殺し切れず、ツキは雪の地面に転がる。四つん這いになって殴られた頬を押さえるが、再び立ち上がる間もなく脇腹を蹴られた。堪らずツキは苦悶の声を漏らし、仰向けに倒れる。


 全く容赦のない暴力。自分の拳が痛む事など考慮に入れない、全力の打撃。

 奥底に眠っていた記憶が強制的に揺り起こされる。実際にツキが暴行を受けていたのは精々一か月程度のはずだが、驚くほど鮮明に記憶は蘇った。

 どこという概念もなくなって全身から発せられる痛み。食らう度に焼けそうなほどの熱を伴う患部。耳障りな笑い声。視界の隅にチラつく嫌な笑顔。


 憎しみはない。理不尽も感じない。ただ嫌悪だけが募る。


 身体の痛みとは別に、心が切り離されているような感覚が懐かしい。身体の悲鳴に心は反応せず、心の体温は身体の熱を冷まさない。

 このまま殴られ、動けなくなって雪の上で眠ってしまえば、死ぬかもしれない。そんな考えが頭をよぎるが、なんの恐怖も湧いてこなかった。


 憎しみも理不尽も恐怖も、感じる心は壊死している。

 喜怒哀楽は子供の頃に勝手に削ぎ落ちて、身体の中に残った見えないものは嫌悪と依存心だけ。そして自分がこの人に向けるのは、いまも昔も嫌悪しかない。

 降ってくる拳や踵の嵐が止み、ツキは蹲りながら父に問い掛けた。


「終わりましたか?」


 答えの代わりに蹴り飛ばされる。

 ボロボロになった身体で抵抗などできるわけもなく、衝撃のままにツキは吹き飛んだ。

 もはや立ち上がる力も湧いてこず、ツキは横になったまま視線だけを動かして父を見る。


「考え直したか?」


 答えようとしてくぐもった呻き声だけが漏れた。

 そんなツキに父は近付き、髪の毛を掴んで強引に目を合わせた。


「俺と一緒にあの街に帰るよな?」


 肯定が前提の問い。

 この人は断られる事を微塵も考えていないのだろう。

 苦痛に顔を歪ませながら、ツキは途切れ途切れに返事する。


「一人で、お帰り、ください」


 父の顔が怒りで紅潮し、空いていた方の手でまたも頬を殴られる。

 もはや身体の一切に力が入らず、ツキは冷たい雪の上で完全に脱力した。

 頭の上から、父の怒鳴り声が降ってくる。


「一週間後までに百万用意しとけ! 逃げたらどこまでも追い掛けてぶっ殺してやる!」


 雪を蹴る音がし、それが遠ざかっていく。

 足音が聞こえなくなってツキは立ち上がろうとしたが、意思に反して身体はピクリとも動かなかった。

 このままだと寝てしまう。眠ってしまえば死ぬかもしれない。死ねば金を用意する事もできなくなるというのにアフターケアもなしとは、あの人もとんだ考えなしだ。

 そんな事を冷静に考えながら、ツキは冷たい雪のベッドに身体を預け続けた。視界を埋める白色に所々赤いものが滲んでいるのは、自分の血だろうか。痛みは全身から吹き出し、どこから出血してるのかも分からなかった。


 あの人は自分の意思が変わらないと悟って金を要求してきたようだが、これで終わりではないだろう。きっと首を縦に振るまでつきまとって、応じなければ金をせびり続けるはずだ。逃げたとしても追い掛けて来るのは弁の通り。もし万が一にでも見つかれば、自分はおろかコトハにまで危険が及ぶ。

 どん詰まりだった。絶望につながると分かっていた道の終着地点が、目視できるところまで迫っている。

 そんな中で、ツキは確たる決意もせず、なんとなしに考える。


 ――殺すしかないか。


 たとえ人殺しとして警察に捕まったところで、自分もコトハも死ぬわけじゃない。それに死体さえ上手く処理できれば、そうそう捕まる事はないはずだ。あの人がいなくなる事で騒ぐ人間など、文絵とかいう女以外にはいないだろう。そしてその文絵も、あの人にそう執着があるわけではない。それは自分を誘惑してきた事からも明らかだ。


 二か月前に母親を捨てたように、今度は父親を切り捨てよう。

 俺が持っていなきゃいけないものなんて、一つしかないんだから。




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