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8月事  作者: 高木 翔矢
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幼少期編~ヒーロー3


 とにもかくにも、人の願い事っていうのは叶わない。


 サンタクロースにプレゼントをお願いしても、赤色のおじさんは現れない。運動会の前の日にテルテル坊主を作っても、土砂降りの雨が降る。神様にお母さんが泣かないように頼んでも、お母さんは変わらず笑いながら泣く。


 分かり切った事だった。この世に願いを叶える存在なんてものがいても、それはひと一人のちっぽけなお願いを聞いてくれるような、律義で気の利いた存在じゃない。少なくとも、こんなちっちゃな国のちっちゃい子供なんかには目もくれない。


 昼休みにまた、給食を一緒に食べようとコトハちゃんに誘われた。高見先生がこっちを見てるのには気付いてたけど、僕は断るしかなかった。コトハちゃんはまたがっかりして席に戻って、先生は大きなため息をついておでこに手を当てるのが見えたので、ごめんなさいっていつもみたいに心の中で謝る。


 でも、僕にどうしろっていうんだろう? 僕は人の笑顔が嫌いで、だから避けてるのに、それを悪い事だって怒られる。我慢しなきゃいけないのかな。人の笑顔を。お母さんが泣くのを。そういえばテレビで、我慢を知って痛みを覚えるのが大人になる事だ、ってよく見る俳優さんが言ってた。なら僕はまだ子供だけど、大人になるために我慢しなきゃいけないのかもしれない。そんなの無理だって思うけど、それでも、頑張らなきゃダメなのかも……。


 俯いてそんな事を考えながら学校を出たら、クラスメイトの久保(くぼ)君と、久保君と仲良しの男子四人に話し掛けられた。


「塩見。ちょっと待てよ」


 帰り道を遮られる。呼び止め方もちょっと怖かった。


「サッカーやるんだ。お前も来いよ」


 誘いじゃなくて命令だった。なんだか今日の久保君は、いつも教室にいる時と雰囲気が違う気がする。


「ごめん……僕、服汚したくないから」


 視線を逸らして通り過ぎようとしたけど、久保君はまた前に回り込んで妨害してくる。


「待てって。誘ってやってんのに、何勝手に帰ろうとしてんだよ」


 睨まれて、身体が固まる。正直、気が強い久保君は苦手だった。


「お前いっつもそうだよな。一人でつまんなそうだから、一緒にやろうって言ってやってんのに、服汚したくないからやらないって自己中すぎだろ」

「……」


 なんだか理不尽だと思ったけど、そういう負い目がなかったわけじゃないから、咄嗟には言い返せなかった。


「なんなんだよお前。男のくせになよなよして、気持ちわりぃよ」

「言いすぎだよ。大輝(だいき)


 久保君の吐き捨てるみたいな言い方に、隣にいた(さし)(たに)君が慌てた様子で窘める。


「チッ!」


 大きく舌打ちして、久保君は悪役の捨て台詞みたいな言葉を大声で僕に怒鳴った。


「もう絶対誘ってやんないからな!」


 そう言って帰ってく久保君(と男子四人)は、漫画っぽいのにあまり格好良くなかった。主人公じゃなくて、悪役の方の台詞だったからかな。


「はぁ」


 ため息が漏れる。帰宅路で憂鬱になるのはいつもの事だったけど、今日は特別気が重かった。

 なんでみんな、放っておいてくれないんだろう。一人でいる事が、そんなにいけない事なのかな。


 ふと思い出して、今朝先生からもらった参観日のプリントを取り出す。来てくれないって諦めてても、まだどこかで期待は捨てきれてなかった。

 家に着いて、音を立てないように扉を開ける。


「ただいま」


 誰にも気付かれないように家に入るのが癖になったのは、いつからだったっけ?

 足音を殺しながら廊下を歩いて、慎重にリビングのドアを開ける。

 中の様子を確認して、安心する。

 そして音を気にせずリビングに入った。

 洗濯物を畳んでいたお母さんがこっちに気付いて、笑い掛けてくる。


「おかえり、ツキ」

「ただいま」


 二度目の挨拶をし、お母さんの隣に座る。


「学校は楽しかった?」

「うん。楽しかったよ」


 半ば条件反射で、嘘をついてしまう。


「そう、良かったわね。でもたまにはお友達と遊んできたりしていいのよ。ツキはいつも真っ直ぐ家に帰ってくるんだから」


 今度は嘘をつく事もできずに曖昧に頷く。

 昨日のみたいに、お父さんがこの時間に帰ってきてる事は珍しい。いつもは日が暮れて、太陽が落ちるか落ちないかという時間帯に帰ってくる。だから僕がリビングで遊んでいる時にお父さんが帰ってきたら、お母さんは隣の和室に僕を逃がす。それからは、ゲームのリプレイみたいに同じ光景の繰り返し。僕が襖の隙間から、それを黙って見てるのも変わらない。その後に遊ぶ余裕なんてあるはずなくて、だから僕には、お母さんと遊べる放課後の時間が何より大事で大切だった。


「お母さんは今日何してたの?」

「いつもと変わらないわよ。洗い物して、洗濯して、お買い物して、洗濯物を取り込んでたわ。ツキがおねしょしなくなったから、洗濯もずいぶん楽になったわね」

「四年生にもなっておねしょなんかしないよ」

「そうかしら? 去年も同じ事言ってたけど、確か……」

「あーーー!」


 大声を出して続きの言葉を遮る。

 頬を膨らませてお母さんを見上げた。


「おねしょなんかしないったら」

「ふふふ、ごめんなさい」


 全く悪びれずに謝るお母さん。


「そういえば昼にツキが好きだったテレビの再放送やってたわよ。録画したけど、一緒に見る?」

「うん」


 洗濯物を膝の上に置いてるお母さんの代わりにリモコンを取る。

 テレビを操作して、目当ての番組を探した。


「これ?」

「それよ」


 ツーカーって感じで確認して、再生のボタンを押す。

 僕の好きだったバラエティ番組が、テレビの画面に映し出された。

 お母さんは洗濯物を畳みながら、僕は何もせずソファに座ってそれを見る。

 お母さんと一緒に何かしてなくても、お母さんと一緒にいられるこの時間は大好きで、それだけで満足だった。


「この芸人さん、ネタはあんまり面白くないのに話は面白いのよね」

「こっちの芸人さんは逆に、ネタは面白いけど話す事は全然面白くないよ」

「あっ、この俳優さん私好き」

「うんと、刑事の役やってた人だっけ?」

「そうよ。決め台詞が格好良くって、お母さんすぐにファンになっちゃった」


 時々そんな会話を交えながら見終えて、テレビの電源を切る。


「面白かったわね。なんでこの番組終わっちゃったのかしら」

「本当だよ。テレビってわけ分かんない」


 わけが分からないのはテレビに限った事じゃないけど、それは言っても仕方ないし、どうでもいい事だから黙ってる。


「だけどテレビって凄いわよね。殆ど二十四時間ずっと番組がやってるんですもの。編集もあるはずなのに、どうやったらそんな事できるのかしら?」

「どういう事?」

「時間をどうやってやりくりしてるんだろうって、そういう話よ」


 よく分からんかったけど、納得したフリをして頷いた。面倒くさがられたくないし。


「そういえば今日はツキの好きなドラマが入る日よね。録画しておくから、明日一緒に見よっか」


 夜に入る番組を、僕もお母さんもリアルタイムで見られない。お父さんがテレビを見てるか寝てるかしていて、万が一にでも機嫌を損ねるような事したら、またお母さんが殴られちゃうからだ。だからこうやって、見たい番組がある時は録画して、昼に二人で見る事にしていた。


「あのさ、お母さん」

「ん?」


 言うか迷ったけど、一応伝えるだけ伝えようって決めて切り出す。


「来週の日曜日に、その、参観日があるんだけど……」


 言いながら、ポケットに入れておいたプリントを取り出す。

 お母さんはそれを受け取って、内容に目を通した。


「別に絶対来なきゃダメってわけじゃないんだけど、できればっていうか、みんなのお母さんとかも来ると思うから、その、えっと……」


 必死に説明して、でも言葉が出なくなった僕の頭の上に、お母さんの手が置かれた。


「来てほしい?」


 真っ直ぐ目を合わせてお母さんが訊いてくる。

 気まずくなって、僕は視線を床に逸らしながら頷いた。


「う、うん……」

「そう」


 手を後頭部に移して撫でて、お母さんは笑った。


「じゃあ、絶対行くわ」

「ホント!?」


 予想外の答えに、思わず大きな声が出る。


「えぇ。楽しみにしてるわ」


 嬉しくて笑いそうになり、慌てて堪える。

 俯いてお母さんの顔を見ないようにした。もし見ちゃったら、多分笑っちゃう。

 それでも嬉しいって気持ちは止まらなくて、身体が震えた。


 これ以上ここにいたら絶対に笑顔になっちゃうと思って、俯いたまま立ち上がった。


「僕、勉強してくる」


 それだけ言って、リビングを出て自分の部屋に走った。

 慌ててたせいで階段に膝を打って、涙目になりながら部屋に戻った。




       ◆◇◆




「給食、一緒に食べない?」


 コトハちゃんが昨日も一昨日も断られてるのに、また誘ってくれる。答えを予想してるはずなのに、そうやって何回もめげずに誘ってくれるのは、正直嬉しい。


「いいよ。食べよっか」

「えっ? ほ、ホント?」


 断られると思っていた様子のコトハちゃんが、僕の返事に戸惑う。僕も自分の言葉にちょっとだけ驚いた。昨日から気分は良かったけど、まさかお母さん以外の人とご飯を食べるなんて、自分でも思ってもみなかった。


「机どうしよっか? 僕がくっつけに行く?」


 だけどそんな事もあんまり気にならなかった。


「ううん。私がくっつけるから、ツキ君は待ってて」


 そう言って、コトハちゃんが踵を返して歩いてく。教室の隅で、先生が嬉しそうにこっちを見てるのが分かった。

 その後、言葉通りコトハちゃんと一緒にご飯を食べた。コトハちゃんは食事中に話しながらはにかんで笑ったりしたけど、なぜだか僕はその笑顔を見ても嫌な気持ちにならなかった。




        ◆◇◆




 次の日教室に入ったら、雰囲気がいつもと違ってた。

 いつもなら男女それぞれのグループに分かれて雑談をしてるクラスメイトが、話もしないでクスクス小さな声で笑ってる。


 教室に一歩入った場所ではコトハちゃんが立ち尽くしてた。それをなんでか考える前に、僕が入った瞬間みんなが一斉にこっちを見た。

 そしてまたこそこそと小さく笑う。

 首をかしげて教室全体を見渡したら、なんでこんな事になってるのかがようやく分かった。


 黒板に僕とコトハちゃんの関係をからかった落書きがびっしりと書かれていた。


 相合傘だったり、塩見言葉だったり、お似合いだとかラブラブだとか、とにかくそんなような事が黒板中に書いてある。

 多分、昨日一緒に給食を食べたせいだ。男女二人でご飯を食べるのって、割と珍しいから。


 妙に落ち着いてそんな予想を立ててたら、後ろでコトハちゃんが泣き出した。

 慰めろとか、そんな野次がクラスメイトから飛んでくる。

 僕は何もしないで、その場に立ってた。立ち尽くしてたんじゃなくて、ただ立ってた。


 そうしてる内に高見先生がやってきて、泣いてるコトハちゃんに驚いて駆け寄った。黒板の落書きを見ると目を大きく見開いて、先生は珍しく怒鳴り声を上げる。


 僕は黒板を見ても、コトハちゃんが泣いてる姿を見ても、先生が怒るのを見ても、何も感じなかった。ただクラスメイトが笑ってるのだけが、たまらなく不快だった。




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