高校生編~間違った生き方4
放課後、コトハが掃除当番で遅くなるとの事だったので、時間潰しに図書室にでも行こうかとツキが考えていると、男子生徒からの呼び出しが掛かった。
これによって時間を潰す必要はなくなり、ツキは男子生徒と共に人気のない校舎裏に歩を進める。
そこにはいつも通りのメンツが揃っていた。ツキの他に三人。コトハに好意を抱く三年生が一人に二年生が二人。三年は大滝、二年のツキの見学中にコトハに告白した方が仲条、全く見知らぬ方が照屋。名前は彼らが呼び合っていたので自然と覚えた。。
三年の大滝に無言で頬を殴られる。
鈍い痛みが走るが、よろけるだけでツキは倒れなかった。
今度は二年の片割れ、照屋に腹を蹴り飛ばされる。
衝撃を緩和しきれず、ツキは校舎の壁に打ちつけられた。
「お前は全然懲りねぇな!」
大滝が今度は逆側の頬を打つ。
それを契機に仲条と照屋が両側から殴り掛かってきた。
ツキは抵抗せず、全ての拳や蹴りを受け入れた。
「早く立原から離れろよ! ムカつくんだよ! テメェさえいなけりゃ上手くいくんだ!」
何を持って上手くいく確信があるのかは分からないが、懲りないのは同じなんじゃないかと、ツキは殴られながら酷く冷静に考えていた。こんな事をするくらいなら、コトハにアプローチでも掛けた方がよほど効果的だろうに、未だに三人が飽きる様子はない。大滝と照屋の表情から察するに、目的がストレス発散に変わってる可能性すらあった。
「立原さんは純粋なんだよ! それなのに、君は。君がいるから……!」
唯一目的が変わっていなさそうな仲条が、手前勝手な妄想を叫ぶ。
それにどんな反論をぶつけようとも、もはや無駄だろう。彼らにとってコトハを惑わすツキこそが悪。そうやって自分達を正当化しているのだ。悪者であるツキが何を言おうと、聞く耳を持つわけがない。
この正義と名を変えた腹いせ暴力は、週に一度の頻度で行われていた。後で知った事だが、この三人は全員陸上部に所属しているそうだ。二年二人に三年一人とは妙な組み合わせと思っていたが、同じ部活なら納得がいく。つまりは部活内のいじめと、やっている事は同じなのだ。ただ対象が外にいるだけ。場所など関係なく、敵さえいれば集団はまとまる。そしてまとまる事で罪悪感は薄れ、建前という言い訳は力を持つ。それを恨まれているツキの言葉で止める事は不可能だった。
一通り殴って疲労したのか、暴力が止む。
全身からの痛みに膝が笑う中、それでもツキは壁に凭れ掛かって立ち続けた。
「相変わらず気持ち悪い野郎だ。謝るでも泣くでもなく、ただ殴られやがる」
大滝が顔を歪ませながら毒づく。
「おい照屋、あれ持って来い」
「はい」
照屋が走ってどこかに消える。
そして大滝はツキの嫌いな笑顔を見せた。
「そんな澄ました顔できねぇようにしてやるよ」
一分もしない内に照屋が戻ってくる。その手には金属バットが握られていた。
「へへっ、もう何されるか分かるよな」
「……」
ツキは恐怖もなくそのバットを眺めた。
そういえば滅多になかったが、あの父親も道具を使う事があった。それは灰皿だったりリモコンだったりしたが、総じて素手で殴られるよりも激しい痛みを伴った記憶がある。
「どうにもお前は反省の色が見えねぇからな。きついお灸を据えてやるよ。これで立原からも離れたくなるだろうぜ」
金属バットを持った大滝が不快な笑顔で近寄ってくる。
「ほ、本当にそこまでするんですか?」
仲条が青ざめた表情で大滝に問う。
「あん?」
大滝は止められた事が不快だったのか、目を細めて振り返った。
「そんなの使って殴ったら、もう怪我じゃ済まない……ですよね」
睨まれて萎縮した仲条が、おずおずと確認する。
そんな仲条を大滝は鼻で笑った。
「だからなんだよ?」
「えっと……」
視線逸らす仲条。その時点でこの問答の決着はついていた。
「ビビってんなら帰れよ。お前の立原への気持ちはその程度だったって事だ」
「っ……!」
好意を向けている相手の名を出され、仲条は黙る。
それに満足したのか、大滝は再びツキに向き直った。
「いまならまだ間に合うぜ」
大滝がバットを上段に構えて最終警告を行う。
「手遅れですよ。あなたも俺も、コトハもね」
ツキが返答したのと同時に大滝のバットが振り下ろされ、ツキの左の肘に激突する。
骨の折れる嫌な音が響き、食いしばった歯からツキの苦しみに満ちたうめきが漏れる。しかし、叫び声は上がらなかった。それどころかツキは膝をつきもしない。ただ患部を右手で押さえ、苦痛に顔を歪ませる。左手の肘は本来あり得ない方向に曲がっており、身体中から汗も噴き出ていたが、ツキは黙って痛みに耐えていた。
そんなツキの様を、大滝は嘲笑う。
「はっはー! どうだ塩見? これで少しは懲りたんじゃないか?」
右隣では照屋がいい気味だと大滝と同じ笑みを浮かべていたが、逆隣りの仲条は顔面蒼白になっていた。
痛みよりも二人の笑顔への嫌悪を強く感じながら、ツキはふっふっふと、断続的な呼吸を繰り返す。
「どうするか? もう片方の腕もいっとくか?」
「それもいい気がしますね」
ツキの目の前で、大滝と照屋が不穏当な会話を交わす。
「じゃあやるか」
「やりましょ」
「何をやるんですか?」
大滝達とは火と水ほどの温度差がある、絶対零度の声が割って入った。
気がつけば、数メートル離れた場所に当の女子生徒が佇んでいた。
「立原……」
大滝が呆然と乱入者の名前を呟く。
コトハは叫ぶでもなじるでもなく、無表情にツキと大滝達を見ていた。
そして無言で近付いていく。
「おい立原、勘違いすんなよ。俺達はお前のためにやってるんだぜ。腹いせとか恨みとかじゃなく、お前のため……」
言い訳などに一切聞く耳持たず、距離をつめたコトハは大滝の顔面をグーで殴りつけた。
華奢で物静かなコトハのいきなりの乱行に、大滝は反応できず後ろに尻餅をつく。
コトハの行動はそれで終わらなかった。目を丸くして驚いている照屋と仲条にも、それぞれ蹴りと拳を食らわせる。二人が大滝と同じく尻餅をつくと、もう三人には興味がないとばかりに踵を返して、コトハはツキに近寄った。
「大丈夫、兄さん?」
心配しているようには聞こえない無機質な声。しかしツキには、コトハがどれだけ動揺しているのかが激痛の中でも見て取れた。
「骨折、程度だ。問題、ない」
途切れ途切れに、強がりを言い切るツキ。
そんなツキの身体に手を回しながら、コトハはわずかに顔を歪ませた。
「病院に行きましょう」
急がず、傷に触らない程度の速度で歩き出す二人を、ようやく自失から立ち直った大滝が制止する。
「おい、待てよ!」
ツキとコトハが首だけで振り返る。その表情は無表情というよりは、ハエや蚊を相手にしている顔に近かった。怒っているでも憎んでいるでもなく、煩わしいのがきたとでも言いたげな、わずかに面倒臭がる態度。
それになおさら怒りを感じたのか、それとも相手にされない事でプライドを傷付けられたのか、大滝が感情任せに怒鳴る。
「俺達はお前のためにやってやったってのに、何しやがんだ!」
身勝手な言い分をがなり立てる大滝に、コトハは軽蔑の視線を返す。
「私のため? あなた達は兄さんに八つ当たりしていただけでしょう? 自分に気持ちのいい言い訳を作ってそれを押しつけるのはやめてください。不愉快です」
「なっ……!」
「もう二度と、兄さんに手を出さないで。もしまた兄さんに何かしたら、私はあなた達を許さない」
一方的に言い切って、コトハはツキと共に歩みを再開する。
紛いなりにも好きな人のために行った行動がその当人に否定され、大滝のわずかに残っていた感情のタガが完全に外れる。
「ふざけんなぁあぁぁぁ!」
駆け足に二人に近寄り、バットを振り上げる。
「何をしている!」
致命的な一撃が二人を襲う寸前で、またも乱入者の声がそれを止めた。
その場の全員が声の主に視線を向ける。
一瞬で注目を集めた、生徒会長の指谷修一は厳しい目つきで大滝を睨んでいた。
「君は確か三年の大滝君だね。そのバットをどうするつもりだ?」
「べっ、別に、なんもしねぇよ……」
一度止められた事で熱が冷めたのか、大滝はバットを下して視線を泳がせる。
指谷は状況を確認するよう一人一人に目を遣り、途中ツキの左手に視線を固定した。
「その手、どうしたんだ!? 折れてるじゃないか」
驚愕に目を瞠る指谷とは対照的に、ツキは大した事じゃないとでも言うように、簡素な答えを返す。
「別に。関係ないだろ」
こんな時にまで態度を変えようとしないツキに、指谷が歯噛みする。
「立原さん、これはどういう状況なんだ?」
質問する対象を変え、指谷は状況の把握に掛かる。
問われたコトハは、指谷と目を合わせないまま返答する。
「私も来たばかりなので知りません」
立場的には中立であるが、被害者側に寄ろうとしている人間に対して協力の姿勢を一切見せない二人に、指谷は何かを言い掛け、そのまま口を閉ざした。ここで二人を責めるのは筋違いだと理解したのだろう。その代わり指谷の非難の対象はバットを持つ大滝と、その後ろの二人に向けられた。
「君らかい? 彼に怪我を負わせたのは?」
「いや。違う」
さっきの問答の時間で落ち着きを取り戻した大滝が首を横に振る。
「じゃあ何があったか見ていたかい?」
「さぁな。俺達もいま来たところだ」
白々しい嘘をついて笑う大滝。ツキが無言を貫くのを見て、白を切る事に決めたのだろう。
「君は陸上部だったね。なぜ野球のバットを持っている?」
「草野球チームでも作ろうと思ってな。それでこいつらも誘ってたんだよ」
いけしゃあしゃあと出任せを言う大滝に、ツキは何一つ口出ししなかった。それが指谷の焦りを加速させる。たとえ出鱈目だと分かっていても、大滝を糾弾する証拠も証人も、この場にはなかった。
「なるほど。状況は分かった」
「そうか? じゃあ俺達は部活があるからな、もう行くぜ」
引き際を心得、仲条と照屋を連れて去ろうとする大滝を指谷は呼び止めた。
「待ってくれ」
「なんだよ、まだあるのか?」
「君らがなぜここにいたのかは分かったけれど、さっき君が彼らにバットを振り上げてた理由の説明を聞いていないよ」
「それは……」
言いよどむ大滝。
「さっきの話から察するに、野球の勧誘を断られた事に腹が立ち、逆上して襲おうとしたってところかな?」
「そんなんじゃねぇよ。勘違いすんな」
「じゃあどういう事だい?」
「……」
咄嗟に言い訳を用意できずに大滝は黙り込む。その隙を見逃さず、畳み掛けるように指谷は強い口調で命令した。
「事情は先生も同伴の元、生徒相談室で聞かせてもらう。僕は先生を呼んでくるから、君らは先に行って待っているように」
「なにっ……?」
「逃げれば立場が悪くなるだけだ。分かるよね?」
「チッ」
大きく舌打ちして、大滝は素直に校舎の入り口に歩いて行った。その途中、一度立ち止まって振り返る。
「絶対に後悔させてやる」
不穏当な捨て台詞を吐き捨て、今度こそ大滝は立ち去る。仲条と照屋もそれに続いた。角を曲がる間際、大滝は鋭く三人の方を睨んできたが、その怒りからくる敵意が誰に向けられたものなのか、痛みで余裕のなくなっていたツキは気付かなかった。
なんとなくその場に留まっていたツキとコトハも病院に向かおうとして歩き出し、けれど指谷はそれを制止した。
「待ってくれ」
足を止め、二人は目だけを指谷に向ける。
「救急車は呼ぶが、立原さんは残ってくれないか。未遂とはいえ、被害者側の意見もほしいんだ」
「お断りします」
にべもなく、コトハは辞退した。
「私は兄さんに付き添って病院に行くので」
「じゃあせめて言質をくれ。塩見君、君のその怪我は彼らにやられたんだろう?」
「お前には関係ない」
「くっ……」
さっきと同じ台詞を繰り返すツキ。今度は指谷も反論を口にした。
「そうやって善意を拒絶して、悪意を受け入れて、君は何がしたいんだ?」
「……」
「その生き方がこんな状況を作ったんじゃないのかい? もしそうなら、その怪我には少なからず君の責任も含まれているんだよ」
腕の折れている相手に、容赦なく厳しい言葉をぶつける指谷。
「前にも言っただろう。君らの生き方は間違ってる。そんな生き方じゃ、必ず不幸になるって。これがその証明なんじゃないのか? これ以上いまみたいな生き方を続けたら、この先もっと酷い目に遭うぞ」
「それこそ、お前には関係のない事だ」
今度こそツキとコトハはその場を去った。
指谷は説得できなかった事に歯を食いしばり、救急車を呼ぶために電話を取り出す。
そうして誰も、物陰から一部始終を見ていた者の存在には気付かなかった。
◆◇◆
「クソッ、ふざけやがって……」
生徒相談室を出て廊下を歩きながら、大滝は一人毒づいた。
結局暴行未遂という事で反省文を五枚も書かされた。塩見と立原の二人が何も言わないのを見て、咄嗟に適当な理由をでっち上げたまではよかったが、あの生徒会長が予想以上にしつこかったのは誤算だった。
教師をまじえた事情の説明にもあいつが余計な口を挟んできたせいで、最後まで誤魔化し切る事ができなかった。仲条と照屋と口裏を揃え、あれは本当に殴るつもりじゃなく脅しのつもりだったとごり押しはできたが、それも罰則を科せられては最良の結果とは言えない。
忌々しく舌打ちをし、大滝は先の出来事を振り返る。
あの生意気な塩見に焼きを入れるだけのつもりが、予想外の事が多すぎた。そもそも目撃者を作らないためにあの校舎裏を選んだのに、なぜ関係ない奴が二人も同じ時にやって来るのか。もしかしたら、塩見が隠れて連絡でもしていたのかもしれない。それならば立原が来た事にも合点が行く。生徒会長とも知り合いだったようだから、あり得ない話ではないだろう。
だがまぁ、塩見の事はいい。腕を折った事で、あいつへの気は晴れている。
そしてあの生徒会長様にもいずれ借りは返すつもりだが、いまはそれより優先するべき報復対象がいる。
立原言葉。
モデル並の美貌とスタイルを誇る一年女子。告白し、玉砕した相手。事もあろうに、好意に対し暴力を返してきた女。
あれほどの美人が、多少顔がいいだけの塩見に甲斐甲斐しく尽くすのはどう考えてもおかしい。そう思って、助けるために塩見を殴ってやったというのに、立原はそれを仇で返して拒絶した。しかも不愉快だとか許さないだとか、言いたい放題に嘯いて。
「ふざけんなよ……」
こっちは立原のためを思ってやったってのに、見返しがないだけならまだしも、顔面を殴るだと?
「絶対に許さねぇ……」
こんな屈辱は初めてだった。女、それも好きと告白した女に拳で殴られるなんて、漫画でもそうそうあるもんじゃない。それをあの女は、俺にしやがった。
「どうやって償わせてやろうか」
頭の中でいくつか手段を考えていると、校門に誰かが凭れ掛かっているのが見えた。
おそらく知り合いでも待っているのだろう。見覚えのない女だった。
しかしその女子生徒は、大滝に気付くと校門から背を離して、こちらに向き直った。
そして笑う。
その笑みはあまり気持ちいいものとは言えなかった。
しかし大滝は、自分と同じ臭いをその人物から嗅ぎ取った。




