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8月事  作者: 高木 翔矢
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高校生編~変わった関係と変わらない本質2


 あれから八年が経った。

 母親が家を出てから。施設に入ってから。コトハがいなくなってから。八年の月日が。


 俺は中学を卒業するまでは変わらず施設で暮らし、中学から高校に上がるまでに、一年間フリーターをやって金を稼いだ。もちろん高校の学費の問題というのもあったが、それ以上に、施設を出て一人暮らしをするための蓄えが必要だった。一人暮らしをするなら高校に行けという施設の方針に従った結果でもある。高校に進学すればまた笑顔が溢れる学園生活が待っているのは分かっていたが、それはたとえ社会人になっても同じ事だ。笑顔はどこにだって溢れてる。むしろ社会に出てからの方が、接する事が増えるかもしれない。愛想笑いは社会人の基本スキル。感情すら偽らなきゃ生きてけない時代なのだから。


 元々勉強自体はできたので、バイトで碌に試験勉強をできなくとも大抵の高校には進学できた。その中でもそれなりに学力レベルの高い白晴高校に入学したのは、単に住む事に決めた家との距離と学費の問題だ。校風だとか偏差値だとかは別に気にしなかった。

 小中、高校一年と孤立しながら過ごしてきたが、なぜか中学からはある程度女子にモテた。それも一時の事で、全部袖にし続けたらすぐに悪い噂に変わったが。まぁどうせ媚を売るように笑い掛けてくる女子の笑顔は嫌悪の対象でしかなかったので、好都合ではあった。それでも物好きに近付いてくる少数派が朝に話し掛けてきた吉川だったりするのだが、それはもう気にしたところで仕方がない。無理に拒絶して厄介事を招いても面倒だ。


 高校に入っても、毎夜遅くまで年齢を偽ってバイトをした。高校生じゃ深夜のバイトはできない上、賃金も安くつくので年齢詐称は必要な措置だ。ばれれば首だろうが、そうなればまた違うバイトを探せばいいだけなので問題はない。だが本当は、深夜まで無理してバイトする必要などまるでなかった。一年のフリーター生活を経て、高校三年で必要な学費と当面の生活費は充分に蓄えられている。なのに平日七時間、休日十六時間前後といった闇金の返済に追われるような過密スケジュールで働いているのは、怖かったからだ。

 動いていないと、何かをしていないと、何かを失ってしまいそうで怖かった。もう失うものなんて何も持ってないはずなのに、それでも失う恐怖だけはずっと心の奥でくすぶっていた。恐怖心に急き立てるように休まずバイトをし続けて、その結果目的もないまま貯蓄だけがどんどんと貯まっていった。


 高校を卒業しても、俺はこんな生活を続けていそうだった。少なくとも、普通のサラリーマンなんかになる事はないだろう。ああいった場所は、笑顔が多すぎる。

 就職をしなくてもバイトだけで生活できる事は、一年のフリーター生活で充分理解できた。笑顔を作る必要がなく、極力笑顔を見ないで済む、そんなバイトを選べばこれかも生きていけるだろう。


 あれからどんな事にも心は動かなくなったが、笑顔への嫌悪感は変わらなかった。それだけは一貫して、子供の頃から何も変わる事がない。どんな人間のどんな笑顔であろうと、見ただけで反射的に嫌悪が湧き上がる。その中でも、嘲りと愉悦が混合した笑顔、そして泣きながらの笑顔に対する嫌悪は、一際強いものだった。両親の事はもうなんとも思っていないが、こべりついて乾いた泥は、もう落ちる見込みがまるでない。


 ちなみに考え方みたいなのは変わった。変わったというより、学習した。暴力は犯罪。盗み、恐喝、詐欺も同様。からかわれたり馬鹿にされれば怒り、褒められたり勝負事に勝てば人は喜ぶ。そういった、ある種常識みたいなものを、俺は施設で暮らしながら学んだ。そのおかげで、とりあえず普通には暮らせている。怒ったり喜んだりといった感情はあまり上手く掴めないが、それでもそういう感情の流れの常識を知っているのといないのでは、生活する上での生きやすさがまるで違う。少なくとも、それを知らずに学校に通ったりバイトをしていれば、何かしらの問題は起こしてしまっただろう。怒ってる相手になぜ怒ってるのか訊ねて、逆上しない人間はいない。思えば、それで子供の頃に何人もの大人を怒らせていたものだ。

 笑顔を見せる相手を無視する癖もなくなった。いまは嫌悪感を隠して流す事もできる。それでもやはり、見ずに済むならそれが一番である事に変わりはなかったが。


 結局、俺は嫌いなものから目を逸らしながら生きていくしかない。

 子供の頃にも思った事だ。

 生きるのは簡単でも、世界は酷く生きづらい。

 俺が何にも心を動かされずに生きていける場所は、この世界にあるのだろうか?




        ◆◇◆




 四月七日。この日は新入生の入学式だった。一日早く始業式を終え、すでに授業を始めている上級生にはそれほど関係のない行事ではあるが、部活動勧誘に熱を入れる運動部はその範疇に含まれず、その気合の入れようは見ていて暑苦しいものがあった。また一部の男子は可愛い女子が、一部の女子はイケメンの男子が、それぞれ入学してこないかと期待に胸を膨らませて雑談に興じている。どうせ入学してきても接点などできないだろうに、思春期の男女は妄想逞しいという言は、この光景を見れば大いに納得できる。


 ツキが自分の席に座りながらそんな感想を抱いていると、昨日と同じく吉川が声を掛けてきた。一年の頃は二・三日に一回くらいしか声は掛けられのかったのだが、この春休みに心境の変化でもあったのだろうか? だとすれば厄介な心変わりだが、だからといって吉川を邪険に扱うわけにもいかない。吉川は誰とでも壁を作らず接する明るい性格をしており、おまけに顔も悪くないのでクラスでは人気がある。クラスメイトと殆どコミュニケーションを取らないツキが、何人かの男子が吉川に告白して玉砕したという噂を耳にするほどの人気だ。その人気者にたびたび話し掛けられているのだから、羨望や嫉妬の感情がクラスメイトから自分に向けられているのは容易に想像がつく。それなのにもし吉川を無理に拒絶してしまえば、クラスメイトからのひがみが悪意や敵意に変わる可能性は低くなかった。

 そんな事情もあり、ツキはフレンドリーに接してくる吉川との距離を測りかね、正直持て余していた。


「塩見君、知ってる?」

「何をだ」

「今年の新入生代表って、すっごく可愛い女の子らしいよ」

「ふぅん」


 どうでもいい情報の提供がなされる。部活動に入っていないツキが下級生に関わる事など、これから一切ないだろう。


「私も一目見たんだけど、なんかお人形さんみたいな子だったよ。なんか可愛いっていうより綺麗な感じかな」

「よくそいつが新入生代表だって分かったな」

「先生に『代表の挨拶よろしく』って言われてたから。でも凄いよね。新入生代表って事は入試でトップだったって事でしょ。美人で頭いいとか、もうひがみの対象でしかないよ」


 そのフレーズは、若干違う部分はあれど、ツキには聞き慣れたものだった。ツキは顔の造詣が割と整っており、言うなればイケメンに分類される。そして成績も上位をキープしていたので、イケメンで頭もいいのに無愛想で性格最悪と、散々陰口を叩かれたものだ。


「それだけ優秀だと三年には生徒会長になってるかもね。いまの生徒会長も頭いいんだって」

「へぇ」

「爽やかな美形って感じだよね。あの生徒会長。まぁ塩見君には敵わないけど」


 ツキに爽やかさは皆無なので、おそらく顔の優劣を比べられたのだろう。褒められているのだろうが、至極どうでもよかった。そもそもツキは、生徒会長の名前も顔も覚えていない。


「そういえば、宿題は写し終わったか?」

「あ、うん。ありがと。ホント助かったよ」


 お礼を言って、吉川は自分の机からツキの宿題を持ってきて返却する。

 それをツキは机の中にぞんざいにしまった。


「だけど塩見君ってバイトばっかりしてるのに、よく勉強する時間あるね」

「授業を聞いてればある程度は理解できる。あとはそれを忘れないよう適当に復習するだけだ」

「それができたら苦労しないよ」


 盛大に肩を落とす吉川。子供の頃から勉強ができたツキとしてば、なぜできないのかが分からない。それでも昔ほど積極的に勉学に励んでるわけではないので、教師が授業でほとんど触れなかった問題などは解けず、トップ争いからは弾き出されているのだが。


「塩見君ってどんなバイトしてるんだっけ?」

「惣菜の品出し清掃員ペンキ塗り交通整理道路工事。他にもまだやってるが、全部言わなきゃ駄目か?」

「そんな、ダメとかないよ。……でも凄くいっぱいやってるね。大変じゃない?」

「別に」

「塩見君って平日も毎日バイトやってるけどさ、家に帰るのって何時くらいになってるの?」

「そこまで遅くはない」

「私アルバイトとかした事ないから、なんか憧れるんだよね。やっぱり楽しかったりする?」

「まるで」

「そう、なんだ……」


 基本的に素気ないツキの対応には慣れているとはいえ、否定的な返事を一言で、しかも連続して突き放すように言われれば、さしもの吉川も返答に窮するようだった。


「アルバイトに楽しさを求めるのが間違いだ。労働の代価として賃金を得る。それが全てだよ」

「そうだろうけど、バイトの先輩とかと付き合ってる子もクラスにいるよ。それは極端な話だとしても、人間関係が広がったりするのはアルバイトの良さじゃない?」

「人間関係が広がろうが、それがいい方に転ぶとは限らないだろ」

「人間万事塞翁が馬ってやつ? だけどそんな風に考えてたら、何もできないよ」

「だから確実な事以外は何も期待するべきじゃないんだよ。アルバイトをすれば給料をもらえる。学校に来て単位を取れば学歴を得られる。それだけが確かで、その他の事なんて分かるはずもないんだからな。考えるのも希望を抱くのも無駄だ」


 とことんマイナス思考というか、ある種俯瞰するようにしか物事を見ないツキの考えは、高校生の雑談には固すぎた。これがツキと話し慣れてる吉川以外なら引かれていただろう。現実に他のクラスメイトはそんなツキとの会話に嫌気が差して離れていった。しかしツキは、自分のそんな短所を自覚しながらも、直す気はさらさらなかった。必要性も感じてはいない。


「そういえば今日って、新しくクラス委員とか決める日だっけ。塩見君は何にするの?」


 ツキの達観した身も蓋もない言いようの対処として、吉川はこんな時すぐに話題を変えて気まずい空気を誤魔化す。

 それに気付いていながら、態度を改める事なくツキは答えた。


「別に。放課後時間を取られなきゃ、なんでもいい」


 ――あと人とあまり関わらなくて済むなら、か。


 学校だったりクラスだったりの仕事なのだから、コミュニケーションを必要としない役職の方が少ないのだろうが、適当に飼育係みたいな形だけの役職についておけば、実質的な仕事は皆無だろう。

 打算的に無気力な方針を決める。

 放課後学校に残るような役職になるのだけはごめんだった。

 バイトに遅れるとか以前に、笑顔の集まる場所には一秒だって長くいたくない。






 帰りのHRが終わり、即座に教室を出ようとしたツキはまたもや吉川に呼び止められた。こう頻繁にまとわりつかれると、さすがに嫌気が差してくる。


「塩見君、バイト行くの?」

「あぁ」

「校門まで一緒に行こう」


 ツキの許可を待たず、鞄を両手で持ちながら吉川は隣を歩く。


「部活じゃないのか?」


 確か吉川はバスケ部だったはずだ。ツキが名前も覚えていない彼女の部活を覚えていたのは、単に吉川がよく部活の話をするというだけの理由だった。


「今日は休み。入学式の片付けで体育館を使う部活は、筋トレか休みかどっちかになったの。その結果、バスケ部は(てい)のいいずる休みの口実を得たのでした」

「そうか」


 自分から訊いておいて、ツキは興味なさげに答える。断るために訊いたのだから、それも仕方ないと言えば仕方のない事だった。吉川からすれば理不尽な話だが。


「今日はどんなバイトなの?」


 どうせ校門まで数分だ。わざわざ突き放すより、話に付き合った方がいくぶん面倒も少ないだろう。


「清掃に交通整理」

「へぇ。でも交通整理って結構遅くまでやるんじゃない?」

「別に。そうでもない」


 十時以降のバイトは原則禁止されているので、ツキにはそう答える他なかった。正直に告げてどこからか学校側に漏れるような事態になっては、たまったものではない。


「私は家に帰ったら何しようかな。急に暇になっても、予定とかないから逆に困っちゃうよ」

「そうだな」


 気のない相槌を打ちながら、靴を履き替える。校門まであと一分も掛からないだろう。

 校舎から出ると、他にも帰宅しようとする生徒が多く歩いていた。その中には一年生もいるようで、これからどこかに遊びに行こうと、親睦を深めるための形式的な儀式に誘っている。一年前はツキも誘われたものだ。もちろん全て断ったが。


 ふと目線を正面に向けると、校門に寄り掛かって誰かを待つ女子がいた。

 遠目に見ただけで、美人だと分かる。

 腰まで伸びた黒髪に、白い肌。スカートから伸びる足はアイドルのように細く、コバルトブルーの制服は彼女のために仕立て上げられたかのように似合っていた。鞄を両手で持ちながら空を見つめる表情は物憂げで、その儚げな佇まいは神秘的にも映る。


「あっ。あの校門の子、朝言ってた新入生代表の子だよ」


 吉川からの報告が、耳から耳に流れていった。

 ツキにはあの儚げに立つ女子生徒が誰か、一目で分かっていた。

 面影なんて殆ど残っていない。髪は肩くらいまでの長さしかなかったし、顔はどちらかといえば綺麗というより可愛いに分類される造形だったはずだ。前髪だってちゃんと切り揃えてはいなかった。それに何より、あんな風に他人を振り向かせるような魅力的な雰囲気など、彼女は微塵もまとっていなかった。


 なのにツキは、あの女子生徒が自分の知っている少女と同一人物なのだと確信した。根拠はなく、ただ確信だけがあった。

 女子生徒がツキに気付き、校門から離れてこっちに向かってくる。

 すぐに目の前まで来て、ツキの瞳を見つめながら彼女はゆっくりと口を開いた。



「久しぶり、お兄ちゃん」



 隣で吉川が呆然と自分を見ているのが分かった。

 頭は何も考えられなくなっていたのに、なぜだろう。口は自然と、勝手に動いた。


「大きくなったな、コトハ」


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