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8月事  作者: 高木 翔矢
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幼少期編~いつも5

今回も前回に引き続き、細かな場面転換がいくつもあります。


 久しぶりに――といっても三日ぶりだけど――裏庭に行くと、先客がいた。猫の事じゃない。いや、もちろん猫もいるけど、その他に猫と見つめ合うコトハちゃんがいた。猫を抱くでも、猫と遊ぶでもなくて、猫と見つめ合うコトハちゃん。

 僕は近寄ったり立ち去ったりしないで、影からそれを眺める。

 唐突に手を動かして、コトハちゃんは猫の頭を撫でようとした。でも途中で手を止めて、引っ込めてしまう。

 数分して、また頭を撫でようと手をそっと近付ける。だけどまた、猫に触れる前に手を戻す。

 コトハちゃんはそれを、太陽が沈み掛けて猫がいなくなるまで続けてた。結局、最後まで猫には触ってない。


 コトハちゃんは猫が去った後も、名残惜しんで猫が乗り越えた塀をじっと見つめてた。その目元は、よく見ると少し沈んでる。もしかしたらあまり寝てないのかもしれない。

 真っ暗になる前に、コトハちゃんは立ち上がってこっちに歩いてきた。別に僕に用があるとかじゃなくて、施設の中に戻るためだと思う。多分コトハちゃんは、僕が見てた事にも気付いてないだろうし。

 その予想は的中してたみたいで、距離が三歩分くらいまで縮まったところで、コトハちゃんは僕と目が合ってあからさまに驚いた。


「…………あ……」


 目をぱちくりさせてる。


「おはよう」


 もう夕方だけど。

 コトハちゃんは嫌いじゃないので(あまり笑わないから)、コミュニケーションを取る事に抵抗はない。積極的に取るつもりもないけど。


「……」


 一瞬僕を睨んで、コトハちゃんは早足に僕の横を通り過ぎていった。

 コトハちゃんに睨まれたのは初めてだ。だからどうってわけじゃないけど、なんか新鮮。コトハちゃんが誰かにあんな顔をするなんて、学校にいた時には想像できなかったからかな。まぁそれを言うなら、こんなところで会う事も想像なんてしてなかったけど。

 予定とは違ったけど暇も潰せたから、僕も施設に戻った。






 それからも僕は三日に一回くらいは裏庭に行ったけど、決まってコトハちゃんが先客として猫と一緒にいた。

 多分毎日来てるんじゃないかと思う。最近施設の中でコトハちゃんを見るのはご飯の時だけだし。

 憩いの場は奪われちゃったけど、裏庭は横に長いから少し離れた別の場所にいればばなんの問題もなかった。そこからはコトハちゃんと猫が見えたし、コトハちゃんからもこっちが見えてたけど、お互い話し掛けたりはしなかった。


 コトハちゃんは猫にネコジャラシを振ったり、毛玉を掴ませたりして一緒に遊んでた。施設で出たご飯で餌付けもしてて、コトハちゃんが猫が好きだって事は遠くから見てても簡単に分かった。なのに、コトハちゃんが猫に触るところは一度も見なかった。

 笑ってるところも見ない。

 それがなんだか、意外だった。

 触るのはアレルギーがあるのかもしれないけど、笑うのには別になんの問題もないはずだ。もちろん笑顔が見たいわけじゃないし、むしろ笑ってないいまの状態が一番いいけど、それでもコトハちゃんなら猫と遊んでれば笑うと勝手に思い込んでた。

 普段から笑ってるようなタイプじゃなくても、僕と一緒に給食を食べてた時はちゃんと笑ってたし。なのに結局、コトハちゃんは軽く表情を変えたりする事はあっても、一度も笑ったりはしなかった。ホント、なんでだろ?


 そういえば話が変わるけど、先生からまた学校に行ってみないかって訊かれた。

 ここで閉じこもってるより、もっと色んな人と接した方がいいから、みたいな説明だったはずだ。正直、あんまり覚えてない。ていうか、聞いてない。

 学校になんて行きたいわけがなかった。学校はここより、どこより、笑顔に溢れてる。嫌いな笑顔が三百六十度あって、そこかしこから笑い声が聞こえてくる、拷問部屋みたいな場所だ。まだこの施設の方が十倍くらいは居心地がいい。


 そんな事を考えてて、ふと思った。なんで僕は、学校に毎日行ってたんだろう? 嫌いで仕方ない笑顔ばっかりの学校に、毎日休まず通ってた理由ってなんなんだろう?

 適当に考え込んで、出た結論は簡単だった。行く事が当たり前だったから。行かない理由があっても、行かない選択肢みたいなのがなかった。だけどいまはもう学校に行く事が当たり前じゃないから、行きたくない。

 やっぱり時間って凄いな。時間が過ぎるだけで、色んな事があっさり変わってくんだから。


 先生の提案を無視し続けたら、そのままなし崩し的に学校に通わせられそうだったから、とりあえずそこだけは嫌がっといた。それでも先生はしつこく環境が変わる事の良さとかなんとかを語ってきたけど、十回くらい同じ事を言って拒否したら、笑顔で仕方ないねって言いながらいなくなった。

 そんな風にまた、いつか変わるはずの施設の暮らしを変わらずに過ごした。本読んで、ご飯食べて、寝て、裏庭行って、ご飯食べて、寝て、そんな生活。


 そういえば、お父さんってどうなったんだろう? 刑務所かな?

 そんな事も思ったけど、どうでもよかったからすぐに考えるのをやめた。いくら考えても分かるわけないしね。


 雲一つない晴れた日、いつも通り僕が憩いの場であるところの裏庭に行くと、コトハちゃんと猫の他に、先生がいた。

 なんとなく近寄りがたかったから、遠目からそれを眺める。

 コトハちゃんは俯いていて、先生はちょっと怒ってた。

 どうやら裏庭で猫を飼ってたのを怒られてるみたいだ。あれ、コトハちゃんが飼ってたわけじゃなくて、勝手に居ついてただけなんだけどね。まぁ餌付けとかしてたし、そう思われても仕方ないか。


 実はこうなるんじゃないかって、前から思ってた。だってコトハちゃん、毎日来てるみたいだったし。三日に一回とかならともかく、毎日ご飯の時にだけ顔を出してたら、どこかに行ってたんじゃないかって疑われるのは当然だ。外出は先生の許可なしじゃしちゃ駄目だから、探されて見つかるのは時間の問題だった。予想より遅かったから、もった方じゃないかな。

 あ、珍しくコトハちゃんが反論したみたいだ。先生もおとなしいコトハちゃんが口答えした事に戸惑ってる。


 それから三十分くらい口論して、というより、先生の説教をコトハちゃんが突っぱねて、結局先生は呆れて施設に戻って行った。

 とりあえずは、コトハちゃんの勝ちかな。今日の夜か明日にでも先生のリベンジがありそうだけど。


 コトハちゃんは猫を抱きかかえようとしたけど、寸前で思いとどまって、懐からネコジャラシを取り出して振り始めた。

 なんだか裏庭でゆっくりする気分でもなくなったから、僕も施設の中に戻る。

 施設じゃさっきコトハちゃんを怒ってた先生が、他の先生に何か言ってた。

 それがクラスメイトの告げ口みたいに見えて、大人もあんまり子供と変わらないように思えた。


 あの裏庭が閉鎖されたらどうしよう?

 居心地良かったんだけどなぁ、あそこ。






 次の日。コトハちゃんは朝ご飯の後、先生に呼び出されてた。きっとまた怒られるんだろうな。そして猫をどこかに捨てろってひたすら説得される。昨日の様子を見た感じじゃコトハちゃんがそれに納得するとは思えないけど、気が弱い性格だから押し切られる可能性もありそうだ。どっちにしろ関係ない話だけど。

 僕はコトハちゃんが怒られてる内に例の裏庭に向かった。昨日過ごさなかった分、今日はずっとあの場所にいるつもりだった。久しぶりにあの猫に話し掛けてもいい。どうせ三十分くらいはコトハちゃんも帰ってこないだろうし。


 近付くにつれて不快な声が聞こえてきたからなんとなく分かってたけど、裏庭に着いた僕はそれが間違ってなかった事をじかに確かめさせられた。

 僕より二つくらい年上の男子が、三人で猫をいじめてた。棒で殴って、足で蹴る。塀に上って猫が逃げようとしたら、思い切り叩き落とす。最初の内に足をやられたみたいで、猫は逃げる動きがぎこちなかった。


 不愉快な笑顔に笑い声。ここに来たのは間違いだったみたいだ。見ないために来たのに、僕の一番嫌いな笑顔がそこにある。

 踵を返して施設に戻ろうとしたら、僕の横を誰かが走って通り抜けた。


「やめて!」


 割って入ったコトハちゃんが猫を抱き上げて庇う。

 先生の呼び出しはどうしたんだろう? 押し切られないようにバックれたのかな? 中々頭のいい判断だ。

 けどいま出て行ったのは、とても頭がいいって言えないかな。ほら、男の子たちが遊び道具を取られて怒ってる。邪魔するべきじゃないんだって。触らぬ神にたたりなし。――って、あいつらを神様に例えるのはおこがましいか。じゃあ君子危うき近寄らずで。コトハちゃんも君子って柄じゃないけど、あいつらを神様にするよりはまだ合ってるだろうし。


 そういえば、あれだけ触る事を躊躇ってたのに、コトハちゃんはいま猫を抱いてる。なんでだろう? それにコトハちゃんが猫を庇ってるあの姿は、何かに似てる気がする。

 そんな事を考えてる内に、コトハちゃんが男の子から棒で殴られた。

 悲鳴を上げて、猫を抱えたままコトハちゃんが地面に倒れる。

 それを見て、いまよりずっと小さい頃から何度も見てきた思い出が浮かんできた。



 僕を抱きかかえながらお父さんに殴られるお母さん。悲鳴。笑い声。憎い笑顔。

 お母さんに守られて、お母さんの肩越しから見えてた光景に、間近で聞こえてきた声。



 いつも変えたいって思ってた。

 結局時間が変えてくれた。

 僕が、何もしないまま。


 それからは覚えてない。

 いつの間にか、男の子たちが地面に転がってた。

 代わりに右手や左手が熱くて、お腹や背中が痛かった。

 コトハちゃんが呆然と僕を見てた。

 先生がやってきた。

 僕を見て、驚いてた。




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