幼少期編~いつも3
久しぶりに高見先生と目が合った。向かい合って座ってるから当たり前なんだけど。
高見先生は怒ってた。なのに態度はどこかよそよそしくて、ちぐはぐな感じだ。
「なんで山岸君を殴ったの?」
へぇ、あの子山岸って名前だったんだ。
「殴れって言われたから」
久しぶりに喋った。僕の声って、こんな感じだったっけ?
「そんなわけないでしょ! 真面目に答えなさい!」
正直に言ったのに怒られた。一体先生は何が聞きたいんだろ。
「久保君の時もそう、なんで君は暴力を振るうの?」
なんでって、久保君の時は忘れたけど、今回のはいま言った通りなんだけどな。殴れって言われたから殴った。それだけなんだけど。
「君は一度病院に行った方がいいかもしれないわね」
病院? 別に僕、悪いところなんてないよ。
「幸い山岸君のご両親は大事にしないと言ってくれてるけど、塩見君のお母さんには、この事をちゃんと話すわ。いいわね」
「無理だと思いますけど」
「えっ?」
「お母さん、家にいないんで」
それとも先生はお母さんの場所知ってるのかな?
「何? 共働きに出てるの?」
知らないみたいだ。じゃあやっぱり無理か。
その後も先生はあれやこれや色々言ってたけど、僕を叱るというよりは責める感じだった。
結局お母さんとは連絡がつかず、代わりにお父さんが呼ばれた。その結果、僕は一週間学校に行かなくてよくなったそうだ。もちろん呼び出された腹いせに、お父さんに殴られた後で聞いた話だけど。もしかしたら転校するかもしれないとも言ってた。転校って、引っ越さなきゃ駄目なのかな?
とりあえず学校に行かなくなって時間が余ったから、その暇な時間は勉強して過ごした。
勉強が先生に教わるんじゃなくて、教科書で学ぶものになっただけで、あとは特に変わらない。強いて上げるなら、外に全く出なくなった。学校に行くから外出してたけど、行かなくていいと言われたら、外に出る必要がまるでなくなった。
気付いた事は、先生に教わるより自分で勉強した方が実ははかどるって事。だから勉強時間がちょっとだけ少なくなった。その分の余った時間は、万が一を考えて荷造りに使う。ほら、転校して引っ越すかもしれないから。
そんな生活が三日くらい続いて、夜中に突然家の電話が鳴り響いた。
最近はあんまりよく眠れなくて睡眠不足になってたから、音が鳴ってすぐ目が覚めた。寝ぼけ眼を擦って、ベッドから起き上がる。ちなみにお父さんはまだ帰ってきてない。お母さんがいなくなってから、お父さんは夜中遅くまで出掛ける事が多くなってた。
「もしもし」
電話を取って、お決まりの挨拶を口にする。
『こちらは○○警察署のものですが、そちらは塩見さんのお宅で間違いないでしょうか』
警察?
「はい」
『君は息子さんだね。お母さんに代わってもらってもいいかい?』
声で子供だと分かったみたいで、電話の向こうの声が急に気安くなった。
「お母さんはいませんけど」
『いない? 仕事か何かかな?』
「いえ、うちにお母さんはいません」
『……父子家庭なのかい?』
「どういう意味ですか?」
『あぁごめん。お母さんがいなくて、お父さんと二人で暮らしてるのかって事だよ』
「そうですね。じゃあ父子家庭です」
『そうか。それじゃあいまから君の家に行ってもいいかい? 夜分遅くに済まないが、君のお父さんの事で話さなきゃならないことがあるんだ』
「分かりました。待ってます」
電話を切る。
時計を見てみた。深夜の二時半。こんな遅い時間に一体なんだろう?
面倒だから電気はつけないでソファに座って待ってたら、三十分くらいでチャイムが鳴った。
どうせさっきの人だろうから、インターフォンに出ないで鍵を開ける。
「○○警察署の上田です」
「同じく、高岡です」
最初に名乗った上田っていう大人の男の人にしてはあまり身長が高くない人と、隣の高岡っていう上田さんより背の高い女の人が警察手帳を見せながら挨拶してくる。
「こんばんわ。塩見月です」
挨拶を返して、とりあえず中に入ってもらう。
来客という事で電気をつけた。
眩しくて目がくらむ。少し痛いくらいだった。
警察の人にはソファに座ってもらって、僕は一人掛けの方の椅子に座った。
「夜遅くにごめんね。どうしても話さなきゃいけない事があったの」
高岡さんが前屈みになって、僕と視線を合わせながら切り出してくる。
「それは電話で聞きました」
僕の言葉に、二人は驚いて一度お互いを見合った。何も変な事は言ってないと思うけど、どうしてだろう?
「ところで……お母さんは、その、亡くなったの?」
聞きづらそうに、高岡さんが質問してくる。
「死んでません」
これにも率直に答える。
「なら離婚しちゃった?」
「離婚って、離婚届っていうのをどこかに出すんですよね?」
「そうよ。それで子供はどちらかの親に引き取られるの」
「じゃあ離婚はしてません」
お父さんもお母さんがいなくなって驚いてたから、離婚届は書いてないはずだ。
「んと、実家に帰ってるとかかな? おじいちゃんかおばあちゃんが病気とかで」
「分かりません」
警察の二人は眉を寄せて難しそうな顔をした。
「お母さん、お仕事に行ってるわけじゃないんだよね?」
「はい」
「じゃあお母さんどこにいるの?」
「分かりません」
なんだか、ちょっと困ってる?
「お母さんが最後に家にいたのっていつ?」
あれ、いつだっけ? 少し考えてみる。
「覚えてないです。一か月以上前だと思いますけど」
「お母さん、何か言ってなかった?」
「何も言ってません。ただ……」
僕は引き出しにしまっておいた紙を高岡さんに渡した。
「これが置いてありました」
それを見て、警察の二人は目を大きく開いて押し黙った。
話してないと、眠くなるんだけどな。
「ツキ君。私たちがここに来たのは、電話でも言った通り君のお父さんについて話すためなの」
表情を険しくして、高岡さんが固い声で語り出した。
「君のお父さん――塩見堅吾さんは、今日の……いえ、もう昨日ね。昨日の十一時半頃、お酒に酔った勢いで喧嘩をして、その喧嘩相手を殺してしまったのよ」
「……」
「わざとじゃなくても人を殺してしまった以上、もうお父さんはこの家に帰ってこられないわ。いえ、帰って来れたとしても、ずっと先の事になるって言った方が正しいわね」
高岡さんの説明を聞いて、そっか、と思った。お父さん、僕やお母さん以外も殴ったんだ。
「そうですか」
お父さんが帰ってこれないなら、ご飯どうしよう? お金ないけど、お父さんの部屋にあるかな?
生活の心配をしてたら、上田さんが戸惑った様子で訊いてくる。
「そうですかって、それだけかい? 君のお父さん、うちに帰ってこれないんだよ。ちゃんと分かってる?」
「分かってますよ。それがどうしたんですか?」
上田さんと高岡さんは揃って驚いてた。本当にどうしたんだろう?
「どうしたって、君のお父さんだろ。心配じゃないのかい?」
「心配ですよ。お父さんがいなくて、ちゃんとご飯が食べられるか分からないですし」
「そうじゃない。お父さんの事が心配じゃないのかって訊いてるんだ」
「心配? お父さんが? なんでですか?」
言ってる意味が分からない。何を言ってるんだろう? この人。
上田さんと高岡さんは、僕に聞こえないようにひそひそと二人だけで話し始めた。
それをじっと待つ。本当、眠い。
「ねぇツキ君。君、お父さんの事好き?」
高岡さんが僕の目をしっかりと見て訊いてきた。
「嫌いですよ」
「じゃあお母さんの事は好き?」
「好きです」
「お母さんは心配?」
「別に。心配じゃないですけど」
「……」
考え込んだ後、高岡さんは椅子から下りて僕に近付いてきた。
「ツキ君、お父さんとはどんな事して遊んでた?」
「遊んだ事ないです」
「遊んでくれないからツキ君はお父さんが嫌いなの?」
「違いますけど」
「じゃあなんで?」
「お父さんがお母さんを殴るから」
高岡さんの後ろで、上田さんが大きく息を呑んでた。
「そしてツキ君は」
これ以上ないくらい真剣な表情で、高岡さんが続けた。
「お母さんがいなくなってから、お父さんに殴られるようになったの?」
「はい」
頷く。
そしてなぜか、服をまくられた。
それから、パトカーに乗せられた。