序章~笑顔
お父さんはいつも笑ってた。でもお父さんが笑ってる時、お母さんはいつも泣いてる。
僕はそれを襖の隙間や、覆い被さってくるお母さんのわきの間からずっと見てた。
僕は全然痛くなかったけど、お父さんに叩かれたり蹴られたりしてるお母さんは凄く痛そうだった。
お父さんがいなくなると、お母さんはいつも僕を抱きしめてくれた。
泣きながら笑って、「大丈夫、大丈夫だから」って頭を撫でてくれる。
お母さんが泣く時、絶対に誰かが笑ってた。
僕はお母さんが大好きだから、お母さんを殴るお父さんの事が嫌いだ。
だけどそれよりも、お母さんを泣かす『笑顔』が、大嫌いだ。
◆◇◆
僕のクラス、四年一組の教室の朝はいつも騒がしい。春が温かさを運んできたこの季節、程よい温もりを持った日光は、育ち盛りの小学生には活力の元だ(ってお母さんが言ってた)。昨日のテレビ番組、やっていない宿題、ゲームの進行状況、うるさいくらいの無邪気な明るさとか中身のない雑談で、教室の笑い声はいつも絶えない。
窓際から三番目、前から四番目の席に僕は座ってた。周りのクラスメイトは僕の事なんていないみたいに、みんな少し離れたところで話してる。でもそれは僕を嫌ってるからとかじゃなくて、仲のいい人同士で集まってるからで、きっと僕が挨拶すれば返してくれるだろうし、話し掛ければ会話にも混ぜてくれるはずだ。けど僕はそんな事しないから、結局関係ないんだけど。
「今日の休み時間、昨日のサッカーの続きしようぜ!」
「いいけど、今日は福がいないから五対四になっちゃうよ?」
「じゃあ誰か入れればいいんじゃない?」
「福のやつ、根性ないな」
狭い教室で、否応なしに聞こえてくるクラスメイトの会話。別に嫌なわけじゃないけど、やっぱりちょっと、居心地が悪い。
「誰誘う? 塩見とかいんじゃないか?」
自分の名前が出て、ドキッとする。
「駄目だよ。あいつ前にも何回か誘ったけど来た事ないし」
「え~、なんで?」
「知らないけど、なんか服汚れるのがやだって言ってた気がする……」
「女みてぇ」
僕が聞いてる事に気付かない四人のクラスメイト。教室から出て行きたかったけど、そうしたら当てつけみたいになっちゃいそうだったから、黙って机に突っ伏した。
目を閉じたら耳に入ってくる音がやけにはっきりと聞こえる。その大半は話し声で、その殆どが笑い声だった。それを聞く度に、胸の中がいつもちょっと重くなる。耳を塞げば聞こえなくなるけど、いつまでもそうしてる事なんてできるわけないから、結局意味がない。
本当に、どうして僕の嫌いな笑顔や笑い声は、こんなにも世界に溢れてるんだろう?