二分目
「佐伯は、北高か」
「はい」
笑顔で答えると、担任は満足そうに頷いた。
「北高は近いし、お前の成績なら妥当なところだろう。成績を落とさず、頑張れよ」
「ありがとうございます」
三分で面接を終えて出てくると、廊下で順番待ちしていたよっちゃんに驚かれた。
最近は、成績に見合った公立よりもがっつり大学受験指導してくれる私立を希望する子も増えているようで、先生の進路指導も大変そうだ。
将来の夢は、小学校の頃から既に決まっていたので、進路を迷うことはなかった。
母のイタリアンレストランを継ぐことが私の夢だ。
中学を卒業したら、すぐにでもイタリアへ修行に行こうと思ったけれど、高校だけは出ておけと言われたので、自転車で20分の北高を受験することにした。
調理科のある学校に進学する気はない。
母を手伝う方が、経験的にも経済的にも有利な気がしたからだ。
進路指導面談のおかげで、午前授業だったので、母親の店に寄っていくことにした。
高級住宅街の中にある隠れ家風な一軒家が母のイタリアンレストランだ。
店名は、リストランテ・ビアンコ。
イタリア語で、白いレストランという意味なんだけど、名前通りに店の壁は全て真っ白だ。
午後1時を少し過ぎたばかりだったけれど、店の前には行列ができていた。
裏口を開けると、厨房の中はちょっとした戦場だった。
シェフである母親は、私に目もくれずに最近入った室井君を叱り飛ばしている。
他の従業員も黙々と調理に没頭している。
昼時の忙しい時間で、私の存在に反応してくれる人なんか、ひとりしかいない。
厨房窓からホールを覗いたけれど、大きな背中が見当たらないので、きょろきょろしていると、太くて毛むくじゃらの腕が私を背後からぎゅっと抱きしめた。
「チヒロ!オカエリ!」
見上げると、丸いフレームの眼鏡をかけた陽気なイタリア人がにこにこ笑っていた。
「ただいま、ステファン」
「ガッコは、どーだったカナ」
「楽しかったよ。モルト・ベーネ」
「Molto bene! チヒロは、ものおぼえがヨイネ」
「ありがと。また、イタリア語教えてね」
ステファンは、覚えたての指きりげんまで約束してくれた。
カメリエーレ(給仕スタッフ)のステファノがホールに戻ると、私は厨房の隅でひたすら洗い物をした。
まだ下準備も手伝わせてもらえないけれど、厨房に入れてもらえるようになっただけ、快挙だ。
一心不乱に洗い物をしていると、母に声をかけられた。
「休憩時間よ。そろそろ家に帰って、勉強しなさい」
「お腹すいちゃった。まかない食べてから帰ってもいい?」
「いいわよ」
ホールでは、従業員達が遅めの昼食をとっていた。
皆にまじってトマトベースの海鮮パスタを食べていると、カランカランとドアが開く音がした。
「申し訳ありませんが、今は休憩時間なんです」
様子を見に行ったバイトのカオル君の声が聞こえた。
「いえ、食事ではないんです。佐伯さんはいらっしゃいますか」
「シェフのお客様ですか。大変失礼いたしました。こちらにどうぞ」
しばらくすると、知らないおじさんが入ってきて、母が慌てて立ちあがった。
「祐二さん!」
祐二さんといやらは、真っ直ぐ母の前に来ると、いきなりひざまずいた。
「香織さん。待たせてしまって、申し訳ない。もう嫌われてしまったかもしれないけれど、これだけは言わせてください」
祐二さんは、スーツのポケットから小さな箱を取り出すと、唖然としている母の前でパカッとばかりに開いた。
小さな箱の中から、燦然と輝く巨大なダイアモンドがついた指輪が現れると、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
「あなたが好きです。どうか、結婚してください」
母が涙ぐみながら頷いた時、私に生まれて初めての父親ができた。