わかがえりのかみさま
装丁は、おそらく何かの生物の皮革。色合いは赤黒い肉の色。
触り心地からは牛とも羊とも爬虫類の類とも異なる。
指先にへばりつくような不快感は、長く触れているのを躊躇われる。
どこの国の文字とも知れぬ禍々しいものが表面に刻まれており、
なぞると脈打っているようにも錯覚する。
中を開けば、何も書かれていない黒い頁が何百枚も続いている。
事前に受けた説明通りだと男は頷き、目的の儀式を始めた。
◆
回春の秘術ですじゃ。
売りつけてきた闇市場の老婆によれば、この書物を用いれば、
召喚主を若返らせてくれるものを顕現させられると言っていた。
傷を癒す、解毒を行う、熱を冷ます、そんな回復術は存在する。
失われた四肢や視力を再生する、それも数少ないが事例はある。
しかし、蘇生させるだの若返らせるだの、聞いたことがない。
いや、聞いたことはあるが、一つとして事実だったためしがない。
普通ならそんな話を聞かされたところで、
相手を怒鳴りつけるか、笑い飛ばすか、無視するかするだろう。
それをするにはこの書物に付けられていた価格は高額すぎた。
高額すぎるゆえに、信じてみる理由にもなる。
また、買った男にはその財力と権力、すがりたい理由もあった。
身体の節々が悲鳴を上げる。耳も悪く、目もかすむようになった。
よく咳き込む。好物が思うよう食べられなくなってきた。
高額な料金を払って受けた回復術もほとんど効かぬ。
弱者から奪い取り犠牲にし、強者との争いにも勝ち残り叩き潰し、
他人より旨味多き人生を過ごしてきたと思うが、まだ欲望は尽きぬ。
若き肉体を金で取り戻せるなら払ってやるとも。
嘘だった時は老婆に代償を払わせるだけだ。
◆
必要なものは、数種の生き物を焼いた灰。虎、鷲、鮫。
人間の血液も必要である。これは新鮮でなければならない。
金にものを言わせ、出どころを問わずかき集めた。
頁を一枚ずつめくり、灰と血液を混ぜて中に擦り付けていく。
ぺらり。べとり。
ぺらり。べとり。
ぺらり。べとり。
最後の頁まで擦り付け終えたら、書物を閉じて全裸で抱きしめる。
教わった長い長い呪文をひとつひとつ間違えぬよう唱えていく。
唱え終えた直後に目をやれば、書物は赤黒から肌色へ変色している。
血管のようなものが浮き出ており、鼓動も感じられた。
いや。
書物のはずが、男の腕には赤子がおり、男を白い瞳で見つめていた。
『なにをのぞむ』
口は開いていない。だが響いた声はこの赤子のものだと男も理解した。
「若さを。若さをくれ。もう老いたくない」
赤子はしばし目をつむる。
『おいなくてよいのか』
奇妙な確認だ。男はそう思ったが、その問いかけを深く考えなかった。
「勿論だ。老いないのならこれほどありがたい事はなかろう」
『そうか』
瞬間、男の体から何かが吸われていくような感覚があった。
驚いたが赤子を抱く手は離さない。なぜなら若返っていくからだ。
皮膚の染みは消え、刻まれた皴も失せ、たるんだ肉は張りを取り戻し、
目の焦点もはっきりとし、気だるさは微塵も感じなくなっている。
これだ。失われていたものはこれだ。
老年から青年へとなった男の高揚感は高まるばかりだった。
しかし。
代わりに抱いている赤子がどんどん大きくなっていく。
いや、自分が小さくなっている。青年が少年へ。幼年へ。
突然恐怖を感じた。だが抱く手は離れない。離せない。
「もう、いい。もうぼくわかいからこれでいい」
自分の発言に違和感かある。言葉が紡げない。頭が回らない。
『もうお主は老いることはない。若返り続けるだけだ。
お主の積み上げてきた知識と経験は、全て我が餐となる』
「やぁー!それ、やぁー!」
乳児は泣きわめく。もう不満があるとしか理解できない。
泣き声も少しずつ小さくなっていく。
◆
主人から絶対に入るな、と言われていた家令たちだったが、
さすがに丸一日が過ぎて、もう日が落ちる。
安否は確認せねばならない。
「旦那様、恐れ入ります。すでにご夕食の時間でございますが」
家令が扉の向こうから問いかけたが、何も返事はない。
意を決して扉をこじ開けさせたものの、そこには主人はいない。
あったのは赤黒い不気味な書物と、灰と血液で汚れた器。
その下敷きになった潰れた肉片のようなものだけだった。




