↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

歴史とDNA

邪馬台国と畿内説

作者: とびうお君
掲載日:2026/03/17

 あれあんた九州説じゃなかった?統合的に再度考えてみた結果畿内説でも問題が無くなった。以前の根拠との整合性が取れたせい。日本書紀に書かれていない点について畿内説でも問題が無くなった。畿内説最大の問題は、天皇家との関係になる。それがすっきりすればすべて畿内説に向くから。


 どうやってすっきりさせたのか?これは私の以前からの立場になる。日本書紀は歴史書ではなく天武天皇によって編集されてる。ここに尽きる。結論から言うと、邪馬台国と大和王権には直接的な連続性はない。そもそも邪馬台国は強大な国家ではない。戦乱の中一時的な平和のために作られた連合政権に過ぎない。


 そのため大帝国を打倒するようなストーリーが必要ないんだ。この点倭国大乱からの延長で見れば良い。大帝国を打ち破る戦争の記録が考古学的に発見されなくても問題はない。倭国大乱がずっと続いてる一時的な平和の時代と思っておけば良い。その次のいよも確か卑弥呼後の争乱から選出させて一時的に収まっただけ。


 この流れならこの長い緊張状態からの勝者が大和政権だと考えればすっきりする。


 じゃももそひめの存在は何なのか?それこそがずっと私が書いてきた日本書紀は都合の良いように編集されてるである。あれは魏志倭人伝を見た大和王権が行った匂わせ編集だ。そもそも大半の古代天皇は実在が認められてない。ももそのひめもその流れの1つでしかない。


 かなり遡ったものに、剣に刻まれた王というのがあるが、あれも決定打とは言えない。多分この天皇だろうと言う弱いものだ。名前の読み方がやや強引なのだ。


 じゃアマテラスは?無いね、皆この説を言う人に疑問がわくのだが、わざわざ神様だと定義したものを、どうして魏志倭人伝に残る明らかな人の女性にするのだ?ひみこの権威がーという人が居るが、それは神より上なのか?わざわざ皇室が神に設定したものを過去の人として匂わせたなら天皇家は神じゃなくて人の子孫って証拠を提示してしまう事になるんだ。


 この手の話は連想ゲームに過ぎなくてあまり深い考えが無いのでおかしな話が多いんだ。


 私の考える神武東征は、こんな感じだ。九州地域から出たそれほど大きくない集団があっちこっちで入植してそれらの分家がどんどん近畿に近づいていく開拓団の歴史を一人の人物の華々しい戦いの物語に書き換えてしまったとみてる。そのため天皇家は九州にルーツを持つ神話体系が多いのだ。


 ある時突然吉備に生まれた特徴が方の小さい円墳が徐々に方が大きくなってヤマトにたどり着く。実際こうやって各地に古墳が残っている。


 この前方後円墳がものすごく重要で、卑弥呼の時代にこれは近畿全体に広がっていた。じゃ区別できないじゃないか?箸墓は祖型に近いとみなす研究者もいて。明らかに巨大化していく方型部分が違ってるのだ。これはとても大きく、魏志倭人伝が円墳と勘違いした可能性を示唆している。これが邪馬台国と皇室に繋がりが無い理由の1つ。


 なおかつ、前方後円墳はヤマトの外からやってきて広がっている。これは何を意味するか?と言うと前方後円墳=王権の連続性と見なせないのだ。


 剣について触れたい。この剣から実在の天皇だとするとかなり面白い事が分かる。この天皇が豪族連合だったヤマト王権を中央集権的な王権にした人物になる。こうしてみると、それまでの流れと邪馬台国の流れに連続性を感じないだろうか?


 え?それじゃ言ってる事矛盾してるじゃん。違う、雄略天皇が出るまでは小国家が盟主を決めて連合って形が続いてるって話。盟主が邪馬台国の卑弥呼やいよだったってだけ。


 今まで鏡の弱さがずっと言われてきた。魏から送られてきたのに大半が日本製だった。でもそれが根拠として次点で良いなら?話は変わってくる。今一番の根拠は卑弥呼の古墳と推定される古墳の年代がほぼ卑弥呼没年代と重なる点。魏志倭人伝にも書いてある大きな墓がその墓しかない。


 もちろん問題がある。箸墓の死体が男性なら邪馬台国畿内説は1から考えないといけないレベル。ただ掘ってみなければそれは分からない。宮内庁の非協力でこれが進まない。


 後は箸墓が卑弥呼の物なら、これだけ巨大な墓のすまいも巨大なはずと考えられて纏向遺跡がこれに当たる。この墓と年代の特定がどれだけ大きいかわかると思う。そしてこの墓と前方後円墳に連続性が認められない事から天皇家による歴史編集があったと考える根拠になっている。


 物部氏は同時に来たわけじゃない。小集団が畿内で九州の神話連合として合体したのが大和王権と見てる。すべて九州系だったのか?と言うと多分違うと思う。ただこれは他の系統が入りにくいのは、神話と言う重要な部分で連合を組んだ点にある。ここを変えてまで同じ勢力として連合を組むか?は疑問もある。


 そもそも男性の王が納めていたのを、倭国大乱後まとめるためにたったのシャーマン的な政治を行ったひみことなる。また男性の王にひょっこり戻っても何も不思議はない。しかも、系統の違う古墳には100年ちょいの開きがある。


 ちなみに前方後円墳の方が小さいは人によってはそう思わない人も多い。そこは安心を、ちゃんともう1つある。纏向にある祭祀の跡が突然消えてしまう。これが何を意味するか?古墳と総合的にとらえれば別の神話体系を持つグループによって新しい祭祀が行われるようになったのを意味する。


 この2つを総合的に見る事によって、同じ畿内にありながら断絶があったとみなせる。まだまだ様々な意見は多いが、日本書紀の奇妙なまでの卑弥呼隠しに一定の説明はこれで可能だ。


 崇神天皇、この人もキーになる。ただし家系図をそのまま認める事は出来ない。何故ならももそひめが卑弥呼の匂わせだとすると時代が近すぎる。断絶ならおかしな話になる。まあこの辺りは実在が疑われてるのでどうとでも出来るので無理に当てはめなくて良い。


 大事なのはこの人が三輪山の祭祀を始めた点。纏向からこちらに祭祀が移った点。これは天皇家が残した記録が年代が合わなくても合致したとなる。なおかつ副葬品などから武器のたぐいが多くなっている。そもそもずっと男の王から一時的に二人の巫女女王が誕生しただけ。


 これは、大雑把には文化が連続して、かつ同じ地域の王権が制度的にも血統的に連続性を持たなくても良い証となる。そうやって魏志倭人伝に書いてあるのだ。その通りに読めるように考古学的証拠も出ている。


 突っ込みが入る点として、天武天皇が編集したならなんで日本書紀に箸墓がある纏向を匂わせる描写が無いん?箸墓だけ唐突過ぎる。天武天皇が編集したのは間違いない。でももっと前に王権の誰かが編集していたら?まあこれは纏向が完全に衰退して箸墓だけ残ったためこうなった可能性があるのでこれ以上は言えない。



26/4/20追記:

 またかと思われるけど、九州説に戻す。理由は最近鏡を理由に近畿説にする派閥がごっそり消えたから。もう1つが決定的当時の海岸線今と違う。これは科学的調査によるものでその調査によると魏志倭人伝の航路かなり正確で九州以外ありえない。


 問題は墓。だがこれよく読めばわかるが、墓鏡を届けた使者の記述と時系列が違う。多分これ中国直接見てない伝聞だと思う。大和の墓と勘違いしたか、日本の使者(何度か交流があった記述がある)が盛った可能性。大和の墓と勘違い?中国はこののちもどうも九州の権力者と大和王権をずっと勘違いしてる可能性がある。


 九州王朝説じゃない、そっちはそっちで問題が多すぎる。ただ自治権が異常に強かったとみてる。それゆえ大和の墓と九州の墓を混同する前提がある。追記でそれでも纏向は別勢力だと思う。天皇家は初期かなり王権が弱いので、纏向が別勢力でも驚かない。



26/6/1追記:

 追記で九州説に戻すと実は厄介な事がある。纏向と三輪山の祭祀の違い説明できない。ヤマト王朝の連続性で説明する必要があるから。機内なら邪馬台国から大和って便利な説明がある。九州説に戻してこれを放置しておくのは都合がよくない?うん放置した。


 今からちゃんと話すことにする。どうも大和王権は大陸の香りに満ち溢れた神話体系だけどその根底には縄文色がかなり強い。明確に外来民族による征服王朝は全否定できる。その説を唱える人は神話に関してあまりに無知すぎる。騎馬民族がどうして縄文色の濃い神話を持ってるんだ?


 騎馬民族説はこの辺り全く考えてなさすぎる。しかも縄文の神話体系ってぶっ飛んでいて、世界でも日本で唯一ぐらいオリジナリティが高い。世界観が独特過ぎる。どこかの影響による派生じゃない。唯一無二ぐらい変な世界観。それゆえにこれを根底に持ってる民族が騎馬民族のわけがない。


 逆に言えばそれだけ騎馬民族系の神話体系と酷似するのが大和王権なのだが、矛盾してない?してない。綺麗じゃないが融合してる。


 三輪山の祭祀から縄文の神話が復活した。これが纏向と三輪山の変化になる。そしてこの異変考えてみると崇神天皇の夢のお告げと時期的にもほぼ一致する。じゃ崇神の前の天皇はいたのか?なら可能性はある。ただ史実の天皇とは違うかもしれない。


 じゃ何故嘘をついたのか?ならまず皇紀を馬鹿みたいに長くしたせい。当時全く分かって無かったので弥生初期から始まったと言うあほな設定をしたせいで確実にこれ嘘だと分かってしまった。普通に書けばよかったと思う。次に崇神より前多分天皇家記録がない。じゃいなかったのでは?


 これは分からない崇神天皇がいろいろやりすぎて残ったのかも。そもそも欠史8代って業績が薄くて適当過ぎるって指摘があって、これ実際そういう人だったので記録が残らなかった可能性がある。纏向から三輪山まで連続してるなら多分天皇家は崇神天皇より前の人いたと思う。


 崇神天皇がいきなり権力を持つのがおかしいからになる。その唐突な強権の経緯が全く書いてない。描くわけがない、実際事実崇神天皇より前の天皇がいたんだろう。その基盤の上で強権政治を行ったとみてる。崇神天皇はこの宗教的変化で、別の王権が立ち上がったと言われるが、私はそう思わない。


 そこが縄文に対して無知すぎると言ってる。大和王権は確かに騎馬民族系の神話体系を持つグループが作り上げた政権。でもこの九州系メンバー皆根底に縄文系の神話が繋がってる。接ぎ木のようになってるが、それは今の私たちが勝手に縄文弥生と区切ってるから。


 本人たちにしてみれば歴史の連続性に過ぎない。当たり前のように縄文から弥生または騎馬民族系の神話の流れが自然に歴史の流れとして積み重なっている。おそらく地元グループからの突き上げで三輪山の神話体系の復活が行われたのだが、それを天皇家も嫌々やったとは思ってない。


 大和王権の九州系の神話体系の根底には畿内の縄文系と繋がる縄文神話体系を持ってるんだ。普通ならこれは疫病によって縄文神をないがしろにしたたたりだと言われて反乱のようになる。だがならない、そうかもしれないと同意できる面を根底に大和王権は持ってるんだ。


 最後にもう一度言うが、完全否定された騎馬民族征服説だが、最近またちょいちょい出てきてる。ただこれは考古学遺物よりも大陸から来た騎馬民族が縄文の神話を自分たちの神話の土台にしてるわけがない。これが何よりの答えだ。何故土台なのか?普通に日本人として縄文時代から弥生を迎えてるので神話が前の神話の上に載ってるからだ。


 縄文神話が世界を作って弥生に繋がってるんだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。