邪馬台国と畿内説
あれあんた九州説じゃなかった?統合的に再度考えてみた結果畿内説でも問題が無くなった。以前の根拠との整合性が取れたせい。日本書紀に書かれていない点について畿内説でも問題が無くなった。畿内説最大の問題は、天皇家との関係になる。それがすっきりすればすべて畿内説に向くから。
どうやってすっきりさせたのか?これは私の以前からの立場になる。日本書紀は歴史書ではなく天武天皇によって編集されてる。ここに尽きる。結論から言うと、邪馬台国と大和王権には直接的な連続性はない。そもそも邪馬台国は強大な国家ではない。戦乱の中一時的な平和のために作られた連合政権に過ぎない。
そのため大帝国を打倒するようなストーリーが必要ないんだ。この点倭国大乱からの延長で見れば良い。大帝国を打ち破る戦争の記録が考古学的に発見されなくても問題はない。倭国大乱がずっと続いてる一時的な平和の時代と思っておけば良い。その次のいよも確か卑弥呼後の争乱から選出させて一時的に収まっただけ。
この流れならこの長い緊張状態からの勝者が大和政権だと考えればすっきりする。
じゃももそひめの存在は何なのか?それこそがずっと私が書いてきた日本書紀は都合の良いように編集されてるである。あれは魏志倭人伝を見た大和王権が行った匂わせ編集だ。そもそも大半の古代天皇は実在が認められてない。ももそのひめもその流れの1つでしかない。
かなり遡ったものに、剣に刻まれた王というのがあるが、あれも決定打とは言えない。多分この天皇だろうと言う弱いものだ。名前の読み方がやや強引なのだ。
じゃアマテラスは?無いね、皆この説を言う人に疑問がわくのだが、わざわざ神様だと定義したものを、どうして魏志倭人伝に残る明らかな人の女性にするのだ?ひみこの権威がーという人が居るが、それは神より上なのか?わざわざ皇室が神に設定したものを過去の人として匂わせたなら天皇家は神じゃなくて人の子孫って証拠を提示してしまう事になるんだ。
この手の話は連想ゲームに過ぎなくてあまり深い考えが無いのでおかしな話が多いんだ。
私の考える神武東征は、こんな感じだ。九州地域から出たそれほど大きくない集団があっちこっちで入植してそれらの分家がどんどん近畿に近づいていく開拓団の歴史を一人の人物の華々しい戦いの物語に書き換えてしまったとみてる。そのため天皇家は九州にルーツを持つ神話体系が多いのだ。
ある時突然吉備に生まれた特徴が方の小さい円墳が徐々に方が大きくなってヤマトにたどり着く。実際こうやって各地に古墳が残っている。
この前方後円墳がものすごく重要で、卑弥呼の時代にこれは近畿全体に広がっていた。じゃ区別できないじゃないか?箸墓は祖型に近いとみなす研究者もいて。明らかに巨大化していく方型部分が違ってるのだ。これはとても大きく、魏志倭人伝が円墳と勘違いした可能性を示唆している。これが邪馬台国と皇室に繋がりが無い理由の1つ。
なおかつ、前方後円墳はヤマトの外からやってきて広がっている。これは何を意味するか?と言うと前方後円墳=王権の連続性と見なせないのだ。
剣について触れたい。この剣から実在の天皇だとするとかなり面白い事が分かる。この天皇が豪族連合だったヤマト王権を中央集権的な王権にした人物になる。こうしてみると、それまでの流れと邪馬台国の流れに連続性を感じないだろうか?
え?それじゃ言ってる事矛盾してるじゃん。違う、雄略天皇が出るまでは小国家が盟主を決めて連合って形が続いてるって話。盟主が邪馬台国の卑弥呼やいよだったってだけ。
今まで鏡の弱さがずっと言われてきた。魏から送られてきたのに大半が日本製だった。でもそれが根拠として次点で良いなら?話は変わってくる。今一番の根拠は卑弥呼の古墳と推定される古墳の年代がほぼ卑弥呼没年代と重なる点。魏志倭人伝にも書いてある大きな墓がその墓しかない。
もちろん問題がある。箸墓の死体が男性なら邪馬台国畿内説は1から考えないといけないレベル。ただ掘ってみなければそれは分からない。宮内庁の非協力でこれが進まない。
後は箸墓が卑弥呼の物なら、これだけ巨大な墓のすまいも巨大なはずと考えられて纏向遺跡がこれに当たる。この墓と年代の特定がどれだけ大きいかわかると思う。そしてこの墓と前方後円墳に連続性が認められない事から天皇家による歴史編集があったと考える根拠になっている。
物部氏は同時に来たわけじゃない。小集団が畿内で九州の神話連合として合体したのが大和王権と見てる。すべて九州系だったのか?と言うと多分違うと思う。ただこれは他の系統が入りにくいのは、神話と言う重要な部分で連合を組んだ点にある。ここを変えてまで同じ勢力として連合を組むか?は疑問もある。
そもそも男性の王が納めていたのを、倭国大乱後まとめるためにたったのシャーマン的な政治を行ったひみことなる。また男性の王にひょっこり戻っても何も不思議はない。しかも、系統の違う古墳には100年ちょいの開きがある。
ちなみに前方後円墳の方が小さいは人によってはそう思わない人も多い。そこは安心を、ちゃんともう1つある。纏向にある祭祀の跡が突然消えてしまう。これが何を意味するか?古墳と総合的にとらえれば別の神話体系を持つグループによって新しい祭祀が行われるようになったのを意味する。
この2つを総合的に見る事によって、同じ畿内にありながら断絶があったとみなせる。まだまだ様々な意見は多いが、日本書紀の奇妙なまでの卑弥呼隠しに一定の説明はこれで可能だ。
崇神天皇、この人もキーになる。ただし家系図をそのまま認める事は出来ない。何故ならももそひめが卑弥呼の匂わせだとすると時代が近すぎる。断絶ならおかしな話になる。まあこの辺りは実在が疑われてるのでどうとでも出来るので無理に当てはめなくて良い。
大事なのはこの人が三輪山の祭祀を始めた点。纏向からこちらに祭祀が移った点。これは天皇家が残した記録が年代が合わなくても合致したとなる。なおかつ副葬品などから武器のたぐいが多くなっている。そもそもずっと男の王から一時的に二人の巫女女王が誕生しただけ。
これは、大雑把には文化が連続して、かつ同じ地域の王権が制度的にも血統的に連続性を持たなくても良い証となる。そうやって魏志倭人伝に書いてあるのだ。その通りに読めるように考古学的証拠も出ている。
突っ込みが入る点として、天武天皇が編集したならなんで日本書紀に箸墓がある纏向を匂わせる描写が無いん?箸墓だけ唐突過ぎる。天武天皇が編集したのは間違いない。でももっと前に王権の誰かが編集していたら?まあこれは纏向が完全に衰退して箸墓だけ残ったためこうなった可能性があるのでこれ以上は言えない。




