シーダを探して
シーダ・フォン・グローヴァは帰りの馬車の中で、一人物思いに耽っていた。
これから自らが為すべきこと、するべき多くの物事に考えを巡らせ続けている。
そうしているうちに、一人の男性が脳裏に浮かんだ。
(お兄ちゃん……)
かつて魔物から自分を助けるために、死んでいった兄。同じくして亡くなってしまった両親。身寄りなく彷徨っていたところを救ってくれたグローヴァ家夫妻。
あらゆる人々への想いが、彼女の胸の中に去来している。珍しくないことであった。
しかし今日、シーダの心に新たな風が吹いた。
以前から気になっていたガイ・リー・バルドールのことを、今日は度々考えてしまう。
彼女にとって、彼は今までにない特別な何かを感じさせた。どうしても仲間にしたい、という以前からの思い。
それとは別にして、微妙に違う感情も芽生えていた。
(楽しかったな……)
彼女は元々は貴族ではなく、町民の娘である。今は貴族としての作法を必死で覚えているが、根本としては普通の女子だった。
ガイと草原で語り合った時間は、いつになく楽しかった。もしかしたら彼女は、彼の中に兄の面影を見たのかもしれない。
それといくつか、ガイについて謎を感じたこともあった。
光の紋章のことを事前に知っていたようだし、兄のことも覚えがある様子で、何かを隠している気がする。
この謎については、すぐに答えは出ない。でも謎のままで終わらせるつもりはなかった。シーダは必ず、ガイと再会するつもりでいた。
「……何かな」
あらゆる考え事に忙殺されていたせいか、彼女は外で騒ぐ音に気づくのが遅れていた。
誰かが叫んでいる。何かがぶつかっている音がする。もしかしたら……胸騒ぎが起こった頃、馬車の扉をノックする音が聞こえた。
「どなた?」
「シーダ様、シーダ様。護衛の者でございます。今我らは賊に襲われております故、避難する必要がございます」
「なんですって!」
まさか、という気持ちだった。グローヴァ家の精鋭騎士達に囲まれたこの馬車に、襲撃をかけてくる者がいるとは。
しかも、馬車から逃げなくてはならないほど追い詰められているとは、到底想像できない事態だった。
「お急ぎください。さあ、扉を開けてくださいませ」
「わ、分かりました」
慌てて馬車の扉を開く。するとそこにいたのは、護衛の騎士などとは似ても似つかない、黒いフードに包まれた老人だった。
「え? あな……た……」
霧のような何かが馬車に吹き込まれる。シーダはあっという間に気を失ってしまう。
この時、グローヴァ家一行はバルドール家領内にある、馬車の休憩地点に差し掛かったところであった。
魔物や賊なら誰よりも早く察知し、片付けることができた騎士や関係者達が、誰一人としてこの誘拐に気づかない。
それほどに、黒いフードの男は厄介な魔術使いであった。
休憩所に到着した後、グローヴァ家は大騒ぎとなった。
◇
深淵を覗いているかのような室内だった。
シーダが目を覚ましたのは、誘拐されてから一時間と経っていない頃である。
冷たい冷気が何度も頬に触れ、彼女はようやく目を覚ました。徐々に自分が異常な状況に陥っていることが分かる。
「こ……ここは? 誰か! 誰か!」
必死に叫びながら、同時に気づいた。自分は誘拐されたのではないかと。
ぼんやりしていた頭が冴えてくるほどに、事態の深刻さが露わになる。どうやらここは知らない場所で、体は椅子に拘束されていた。
一体ここはどこなのだろう。誰がこの身を拐ったというのか。
少しずつ恐怖が湧き上がるとともに、漆黒の闇にゆらゆらと何かが映っていった。
壁掛けランプが一つずつ灯されていく。ここはもう誰も足を踏み入れようとしない廃屋である。
彼女の周囲には何もなく、ただ虚しく広い。まだ見えぬ闇の向こうから、軽い足音が聞こえてくる。
「お目覚めになられましたかな。未来の英雄殿」
黒いローブに包まれた老人が、踏みしめるようにこちらに近づいてくる。馬車の扉を開いた先にいた男であった。
「あなたは……」
「これは失礼。まだ名を名乗っておりませんでしたな。我が名はドール。魔族王ギラン様の下僕……とお伝えすればご理解いただけるかな」
「ギランですって?」
かつての魔族王の名を聞き、背筋が震える。ギランとは初代の魔族王……つまり魔王と称されていた男であり、この世界における光と闇の戦いを生み出した張本人だ。
かの王は千年も前に誕生し、そして数年の後に敗れ去った。以来、光の紋章と闇の紋章を持つ勢力が、今もなお現れては戦っていたのだ。
「ええ、ええ。そうですとも、千年前から今に至るまで、永きに渡りギラン様の復活だけを夢見てきたおいぼれでございます」
「そんな馬鹿なこと……」
信じがたい話だと思う。魔族は人間と対をなす存在であり、今もって謎が多い。しかし、千年も長生きできるなど聞いたことがなかった。
「信じていただかぬとも結構。我が命も、我が渇望も、自らが知っておれば良いこと。さて、あなたをここに連れ込みましたのは、一つの要件があるからでございます。光の紋章は、今もあなたの手にある……間違いありませんな」
「……」
シワだらけのドールの醜悪な顔が近づき、シーダは顔を背けた。精一杯の抵抗を示しているつもりだった。
「光の紋章を持つ者が現れた。それはつまり、先に闇の紋章を持つ方が降臨されたということ。いやはや、めでたいことでございますな。しかし、このままいつもの如く、二人を戦わせるなど。いささか勿体ないことでしょう」
「どういう意味?」
クックと笑うドールの指が、少女の顎に触れる。強引に顔を向かせた。
「永きに渡り、この戦いを見届けてきた者とすれば、紋章を持つ者を潰すよりも、手に入れることのほうが簡単だと申し上げています。そうすれば脅かされることもない。まだまだ未熟な小娘などが継承者となれば……これほどの好機はありません」
シーダの顔に焦りが浮かぶ。一体何をするつもりかは分からないが、恐ろしいことが始まることは間違いない。そんな予感が確かにあった。
「そしていずれはその身に、ギラン様の魂を向かい入れる……というのはどうかと。あくまで一時的な肉体ですがね。卑小な身ながら考えていたのでございます。つまり今日、あなたの心をいただく。その為に、いくつかの術を施す必要があるのです」
「何を……そんなことはさせない!」
シワだらけの老人は、なんとも愉快そうに笑っている。
「今のあなたに、何ができますかな? さあ、始めるとしましょうか。お前達」
いつの間にか部屋の四方から、四つの影が近づいてくる。いずれも三角形の被り物をしている。体格の良い者から細身の者まで様々だった。
手には様々な拷問器具が握られている。
「まずは心を無に近い状態まで削らせていただく。その後に抵抗をなくしたところで、我が術を施し、新たな人格へと生まれ変わっていただく」
「く……」
どうにかして椅子から脱出しようとするが、両手足が縛られてどうにもならない。四人の男達は、彼女を囲むように立った。
「さあ、まずは正面にいるお前からやるのだ」
「御意……」
「ま、負けない」
シーダは精一杯の強がりをした。そうして気持ちを鼓舞するしかなかったのだ。
なんと正面にいる男は、手にしているナイフで白い頬を切り裂こうとしていた。何も白状する必要などなく、ただ痛ぶられるという、理不尽だらけの行い。
ドールという魔族を含め、この連中は狂っている。自分がいかに喚こうが、抵抗しようがお構いなしだということは明白だった。
だから、彼女はただ瞳を閉じて、その瞬間を耐えることに決める。全身に力が入り、涙が溢れ出す。
いよいよ最初の拷問が始まろうとしている矢先であった。男が手にしていたナイフが飛ぶ。
いや、彼女に触れるはずだったナイフだけではない。二メールはゆうにある巨体が、何かにぶつかって飛んでいた。
そして壁に直撃し、大きな振動が生じている。どうやら岩が投げつけられていたらしく、男は岩と壁に挟まれる形で倒れていた。
「誰だ!」
老人の叫びが闇の中に響く。返事がくる代わりに、幾つもの岩があらゆる方向から飛び、少女を囲んでいた怪しい集団は一人残らず吹き飛んだ。
「ここに来る途中、人が死んでたんだけど。あれもお前らがやったんだよな」
その声には静かな怒りがこもっている。老人は闇の奥からやってくる何かに杖を向けていた。
シーダはハッとして顔をあげた。この声には確かに聞き覚えがある。
絶望すら感じていた心に、希望の明かりが差した。
ガイ・リー・バルドールの姿がそこにはあった。




