朝からデート
そんな感じでわりと楽しい夏休みを過ごしていたが、筋トレと魔物退治ばかりをしてもいられない。
シーダと会うことが決まり、俺はお見合いの特訓をすることになっていた。
特訓の内容については、領内一の美少女メイドと噂されているカタリナに一任されたらしい。
ちなみにかのメイドは俺より一つだけ年上であり、実はパワーファンタジーで仲間にできるキャラだ。
しっかり育成できれば最後まで戦える伸び代があり、彼女を最後までパーティに入れていたプレーヤーは多い。
特技は索敵能力であり、魔物との戦いを避けたり、逆にレアな魔物やお宝を見つけ出すことに長けている。
でも、なぜここに?
そもそも彼女は、バルドール家には来ないはずなんだけど……?
なぜか夏休みの最中にやってきて、以後ずっと働いてるという、いろいろと謎だらけの女子である。
ってか、メイドに頼む時点でうちの両親はヤバいと、今更ながらに思っていた朝のこと。
「……ちゃま。ぼっちゃま」
まだベッドで眠っていた俺は、誰かの囁くような声で目を覚ました。
「お目覚めになられましたね。おはようございます。ではお着替えと、外出の準備をいたしましょう」
「おはよ……ってか早くない?」
けっこう早朝なんだが。しかしどこか懐かしさすら覚える黒髪メイドは、小さく首を横に振っている。
「早朝でしかできない訓練もございます。さあ、お着替えと支度を始めましょう」
なんだか厄介なことになっちゃったなぁ。
このとき俺は朝のランニングをしたくて堪らなかったんだけど、お見合いはすぐなので、そっちを優先しないといけなかった。
とにかく頭を切り替える。すぐに着替えを終えて、歯磨きとかを始めた時、ふとメイドがいなくなった。
「あれ? もしかしてメイド長にでも呼ばれたか」
うちのメイド達の朝は早い。仕事もいっぱいあるので、そっちを手伝いに行ったのかと思ったが、少しして扉が開く音がした。
「ぼっちゃま、お待たせしました。では、外に行きましょう」
「あ……いたんだ。ってか、凄い格好してない?」
なんとまあ、オシャレドレスに身を包んでるんですけど。
訓練って、そこまで本格的にやらないとダメなのか。
俺が呆気に取られていると、オシャレメイドはいつもの氷みたいに無表情な顔に戻り、すすっと近づいてきた。
「ぼっちゃま、もう訓練は始まっていますよ。凄い格好……という表現では、私はどう評価をされたのか分かりません」
「あ、そだね」
「女性とその日初めて会った時は、服装についてちゃんと触れてあげましょう。いかがですか、今日の私は」
さらにずいっと迫られたので、少々怯む俺。
前世でも若い女性にはほとんど接したことのない陰の者にとって、かなりハードルが高い。
「なんていうか、うん。いいんじゃない?」
「……いいんじゃない、とは?」
まだ納得のいく答えじゃないらしい。でもこういうの、どう言ったらいいんだろ。
「うん。可愛いと思う」
言った直後、やべ! 失敗したかも? とすぐに思った自分がいた。
ここはもう少し、貴族らしく優雅な例えでもしておくべきだったか?
そう悔やまれていたし、事実カタリナは少しの間黙っていた。
うわ……ここで注意されちゃったりするのか。
今回彼女は父上から、メイドであっても息子に厳しく注意してよろしい、なんて権限を与えられちゃってるし。
でも、想像していたようなキツイダメ出しは来なかった。むしろ、なぜか下の方を向いてる。
「……そうですか。シーダ様には少し違う表現をしたほうが良いですが、ひとまず後にして……参りましょうか」
うん? 白い頬がうっすら桃色になってるぞ。なんか妙だな。
「そうだな! ところで朝からどこに行くんだ?」
「領内にあるカフェです。あそこは早朝であれば、テラス席が利用できますし、本番の舞台に近い感覚を体験できます」
「え? 本当に外に行くのか」
てっきり庭でテーブルとか用意して始めるのかと思ってたわ。
「はい。シーダ様との交流についても、バルドール邸ではないとのことです。ルーファス様としては、領内にある素晴らしい店の数々を、宣伝したいというお考えがあるようです」
まあ、お見合いかもっていう話だけど、父上にとっては格好の宣伝機会だもんな。そういうプランになるのも頷ける。
「分かった。じゃあ行こう!」
実を言うと今回、俺はシーダと親しい仲になるつもりはなかった。
だって公爵家なんて入っちゃったら、今よりずっと大変だろうし。ほどほどで切り上げれば問題ないはず。
まあ、このようなモブに本当に心惹かれているとは思えないけれど、とにかくカタリナと一緒に、邸から歩いて出て行ったんだ。
◇
「か……カタリナ、こ……これは」
「はい? どうかなされましたか」
どうかなされましたか、じゃないだろ!
カフェまでの道中で、めちゃくちゃカタリナに密着されてるんだが。
腕が細い手にしっかり握られ、マジでカップルみたいになってる。
「いや、結構その……近いなって」
「ええ。あと五分ほどで到着します」
いやいや、そっちじゃなくて。君と俺の距離だよ。しかも当たっているのは、手とか肩とかだけじゃない。
彼女の意外にも大きなアレが、片方あたってるんだけど。もう歩く度に、揺れてるのが分かっちゃうくらい。
そう、おっぱいである。大抵の男を理性ごと葬り去る、最も危険な魔物である。
頭の中に煩悩が浮かんでは暴れてくる。俺はあまりの事態に、もしかしたら自分が野獣と化すのではないかという危険性すら感じていた。
「待てよ。そうか、これが訓練……」
カタリナはこの間にも、気を遣って色々と語りかけてくれる。しかし、俺の頭の中はおっぱいでいっぱいだ。
だがしかし! これが訓練なのだ。
カタリナはわざとこうして胸を当てることで、俺のエチエチ耐性を鍛えようとしてくれている! ……と思う。
そんなことを考えていたら、いつの間にか店内に入っており、かつテラス席に腰掛けていた。
「ぼっちゃま、メニューはどうなさいますか」
「え? ああ……」
ようやく強敵から解放された俺は、お腹がぐーぐー鳴っているほど空いていた。
「腹が減ってるからなぁ。俺はこの肉料理全部と、パスタと、それからパンもひととおり——」
「いけませんぼっちゃま」
ピシャリ、とメイドの制止が入る。
「シーダ様との食事は、そのようにガツガツと頼みまくろうものなら引かれてしまいます。まずは女性に好みを聞きつつ、程々に注文をすることが大事です」
「マジかよ、だるいな」
「というわけで、私と同じものを注文しましょう」
カタリナが注文したのは、パスタとサラダと食後にデザートと……というよくあるものだった。無難が一番らしい。
料理がやってくると、普段は冷たく感じられるメイドの表情が緩む。
「ふふ。ぼっちゃまと一緒にお食事をするのは、今回が初めてですね」
「だな! ってか、これで足りるかなー。超回復できるか心配だわー」
「ちょうかいふく、とは何でしょうか」
「ああ、超回復っていうのは——」
ここで俺の説明魂に火が着いた。
筋力トレーニングによって傷ついた筋肉に、十分な栄養と休養を与えることで、以前よりも筋繊維が大きくなるという説明を、初心者にも分かりやすく噛み砕きまくって教えたのだ。
だが途中から、カタリナがぽけーっとした顔になっていた。
「ぼっちゃまは本当に、身体を鍛えるのがお好きなのですね」
「そうだな。で、だいたい筋トレしてから三十分以内に食事を摂ることで、より効果が望めるらしいんだよ」
「そ、そうですか」
「実は朝の準備でも筋トレしてたんだ。いやー、早朝筋トレってマジ気持ちいいよ」
クールメイドが唖然としてる。やべ、なんかまずいこと言ったかな。
「と、とにかく。体を鍛えることは、今は置いておきましょう。今日はこの後も、しっかり練習をしますよ」
「え? まだ続くのか」
そう。この日は食事だけでは終わらなかった。ショッピングから何から、よくあるデートみたいなことを一日こなしたわけで。
気がつけば邸に戻るのは夕方になっていた。
「ぼっちゃま、この調子で明日も訓練しましょう」
「え? 明日も!?」
なぜか楽しそうにしているカタリナを他所に、俺はどうにも不思議な毎日を過ごすことになるのだった。




