夏休みのトレーニング
次の日、俺は早朝からベッドを抜け出し、屋敷の外を走っていた。
お見合い? 的なことが決まっても、日課を変えるつもりはない。
さすがは辺境貴族ということもあって、バルドール家の敷地は本当に広い。
五キロかそこらの距離を走ることなんて、いくらでも可能だった。
ちなみに五キロのランニングを終えた後は、短距離を走るトレーニングもしてる。
それから屋敷に戻って、メイドにあれこれ身の回りの掃除とかをしてもらったり、服を用意してもらったりする。
こういうのって、別に自分でもできるんだけど。ちょっと不満だったが、以前兄上からは彼女達の仕事を奪ってはいけない、と注意された。
不満だけれど、従う他はなさそうだ。でも自分ができることは、極力自分でやりたい。
この気持ちは前からずっとある。むしろ、前世の頃から強く願っていたものだ。
どうしてかというと、動きたくても動けず、悔しい思いをすることが多かったから。
前世は地球の日本人だった俺は、まだ十代の時に病気を患い入院した。それからはずっと寝たきりとなり、体は衰弱していく一方だった。
どうしてこんな目に遭うのだろう。満足に歩くこともできなくなり、体は枯れ木のように細くなっていく。
入院して半年経っても、いつ退院するのか分からない。だが本当は理解していた。もう出ることはできないと。
ベッドから動けなくなり、元気に走り回っていた頃ばかり思い出していた。そして、あの頃に戻りたいと切に願った。
枕をどれだけ濡らしても、望みは叶わなかった。
かつてテレビで見たスポーツ選手に憧れ、あんなお兄さんになりたいと夢見ていた自分が懐かしかった。
友達とくだらないこと遊びをしたり、テレビゲームに夢中になる日々が恋しかった。
結局長々と苦しんだ末に、俺は病死したようだ。死ぬ間際のことは記憶に残っていない。
見舞いに来る度、両親が隠れて泣いていることを知っていた。友人が悲しんでいることも分かっていた。
実は転生していて、かつての記憶がまざまざと蘇ってきた時、しばらくは泣いてまともに過ごせなかったほどだ。
要するに俺は、前世で叶えられなかったことを、今世で努力して叶えたいんだ。
テレビ画面で憧れていたお兄さん達のように、すげー肉体になってみたい。
それと単純に、体を動かしていることが気持ち良くてしょうがない。
特に筋肉痛になっている時、ああ生きてるなー! と感じられることがよくある。
ただ、どうしても心残りなのは、両親より先に逝ってしまったこと。
こればかりは悔やんでも悔やみきれない。そして今やどうしようもないことだった。
親不孝者になってしまった俺は、今世ではせめて人の助けになりたいと思う。
もう会えない悲しみと、後悔の念を少しでも晴らすためには、この世界でまっとうに生きて世に貢献する方法しかない気がする。
でも、最終的にはスローライフがいいなぁ。筋トレして仕事はちょっとだけの毎日。
この世界の名前はパワーファンタジーだから、パワースローライフ。
やりたいこととゴール地点は決まっている。そして夏休みの間は時間が有り余っていた。
俺はよく街の図書館に行くといって、邸を出るようにしている。これは結果的には嘘じゃない。最後に行くのは図書館だ。
だが、何処に寄り道をしているかまでは、今の家族や使用人、執事には教えていない。
家から出て、まず向かうところは東。ちょうど海に阻まれるようにして、遠くの島が見える場所がある。あの島に用があった。
「うおおお!」
俺は助走をつけて、勢いよく崖からジャンプした。普通に見ると自殺行為だけど、鍛えに鍛えた跳躍力なら問題はない。
ぎゅーんという音と一緒に、風がこの身を爽快に包んでくれる。
この世界では、人は鍛えれば何処までもジャンプ距離が伸びるんだ。
少しして、微かにしか見えなかった島が大きくなり、やがて圧巻のスケールにへと変わっていく。
無事に島に着地した後、まずは深呼吸。空気が美味い。
ここはパワーファンタジーに登場する、俗にトレーニング島と呼ばれる隠れスポットだ。
この世界は街や村、都以外は何処にだって魔物が登場する。
そして魔物達は場所によって、大体どんな強さの奴が出てくるかは決まっているんだ。
でも、このトレーニング島だけは、他とは違う作りになっている。
まず、島の入り口にある魔道具を操作しない限り、魔物が登場しない。
俺はいつものように、祭壇のような魔道具に近づき、手をかざしてみる。
すると、青い柱のような光が浮かび上がってきて、『Lvを選択してください』と言われるんだ。
このLvというのは、難易度にあたるもの。つまりトレーニング島というのは、難易度を設定することで、その強さにあった魔物が登場するようになっている。
これは原作でも同じで、プレイヤー達が冒険に詰まってしまった時や、クリア後のお楽しみ要素の一つとして用意していたらしい。
前世の記憶が蘇った時、自分が作中でどの辺りにいるのかがすぐに分かった。手っ取り早く鍛えるために、ここを利用しない手はないと考えた。
「この前は70まで上げてたっけ。じゃあ今日は80でいこう」
スマホみたいに光に指で触れてみる。最初は1になっていて、+と−を使って難易度を調整できる仕組みだ。
+を長押しすると、あっという間に80になる。まだまだ上があるけど、地獄を見たくはないのでここまでにしておいた。
『難易度80に設定しました』
祭壇型魔道具の声がした後、周囲に禍々しい声が響き渡る。恐ろしい魔物が島中に現れたことを意味していた。
「よぉーし! 今日も戦うか」
俺は準備運動を終えて、島の中を走り出す。
難易度は一日一回設定することができて、一定時間を経過すると魔物は消えてしまう。不思議な作りだが、これも原作のままだった。
だから、あまりダラダラと動いているのは勿体ない。俺は走りながら、魔物の集団を見つけては戦っていた。
でも、今回の魔物はやっぱ強そうだ。
砂浜で見つけたのは、二足歩行のサメ連中だった。片目に黒いアイパッチをして、剣を持っていたり、かぎ爪みたいなのをつけてる。
サメ海賊っていう魔物だったっけ。それから人間より大きなカニが、横歩きしながらこっちに迫っていた。
この浜辺だけで三十匹はいる群れだ。普通に一人で戦ったら到底敵わないよなぁ。
でも大丈夫。パワーファンタジーの必勝法、パワー極振りを続けているのだから。
「だあああーー!」
「ギャウウウーーン!?」
囲まれると大変な気がしたので、その前に勝負をつける。簡単に言えば、突撃して体当たりをしたり、投げたりしまくる。
海の海賊風なサメ達は次々とぶっ飛び、カニもまた投げ飛ばして星に変えていく。
するとわりかしあっさりと魔物の群れは消えてなくなった。
「お! またスターゲット!」
倒した後、キラキラとした小さな星が俺の前に現れて消えた。消えたように見えるけれど、ちゃんと保存されているから不思議だ。
このスターを祠で使えば、また成長率を上げられるぞ。
俺は夏休み中、このトレーニングを繰り返し行っていた。でも最初は苦労したなぁ。
まず、ジャンプ力が足りないので島に楽に上陸することができなかったっけ。
イカダを作ろうとか、泳いでいけないかとかいろいろ考えたけど、どれも困難だった。
トレーニング島は波の流れがあまりにも激しく、海からは誰も近づけない作りになっていたからだ。というか、泳ぐには遠すぎるし。
とりあえず、領内で魔物が出るところで鍛えては、祠で成長率を上げてたんだけど、いつも命懸けだった。
何しろ、力以外はちょっとずつしか成長しないので、自然とペラペラな防御になっちゃうんだよね。怖い怖い。
でも、実はパワーを上げ続けることで、最終的には他の能力値だって問題なくなるのだ。
この辺りは後で語るとして、とにかく俺は死にかけのスリルを楽しみながら鍛え続け、トレーニング島に辿り着いたってこと。
そして今はもっと鍛えまくっている。
これが終わったら図書館に行って勉強と夏休みの宿題をし、帰ったら筋トレだ。
前世の頃とは違う、体をいっぱい動かせる幸せな生活だった。




