婚活とメイド
「失礼します。遅くなり申し訳ございません」
家に帰ったのは、それから四時間後のこと。
邸に戻ると、父であるルーファス・リー・バルドールが自室で書類仕事をしていた。
本来ならもう少し早く到着しているはずなので、まずは謝った。父上は特に気にしていないようだ。
「構わん。そこに座りなさい」
言われるがままソファに向かうと、メイドのカタリナがお辞儀をしつつお茶を出してきた。
父上はメガネをしまうと、反対側のソファに座り、まずは軽い雑談をしてくる。
いろいろと質問されたけど、主に聞いてきたのは、夏休みの過ごし方についてだった。
俺は王立リューク学園、という学舎に通う一年生で、初めての夏休みを自分なりにエンジョイしていた。
父上が質問してきたのは、友達は出来たか、夏休みは楽しいか、勉強はこなしているか、そういうよくあるものだった。
で、俺もまたごく普通の返答を繰り返していた。
友達はいない、夏休みは筋トレし放題で楽しい、勉強はしていないなど。
「う……ううむ。お前は夏休み中、ずっと体を鍛えているのか」
「はい!」
「その返事たるや爽快なほどだが、正直言って心配になるな。しかし、今までにない明るい顔になってきた気がするのう」
俺は元々パワーファンタジーの悪役であり、陰気な子分気質だった。しかし前世を思い出した時、多分だが本当に変わってしまったのだと思う。
言うなれば、二つの人格が統合したような、そんな感じかもしれない。
前世の俺は真面目ではあったし、明るく振る舞おうともしていたけど、とても病弱だった。
だからなのか、こうして体を動かせることが楽しくてしょうがない。
父上は複雑な気分だったかもしれないが、時折不器用な笑顔を見せてくれる。
「まあ、元気なのは良いことだ。ところでガイよ、お前もそろそろだと思わんか」
「そろそろ……と言いますと?」
「ふむ。お前の歳でよくあることと言えば……結婚だ!」
「け、結婚!?」
なんてことだ。まだ十六歳の学生が、結婚だなんて!
……いや、そうでもないか。そもそもこの世界の婚活は早かった。
でもまさか、俺みたいなのが早々と婚活できるなんて、想像もしていなかったわけで。
「そうだ。ファティマもライアンも、もう婚約相手が決まっておる。ガイと同じ頃にな。まあ実際に結婚するのは、学園を卒業してからになるだろうが。相手は早くに見つけておいたほうが良い」
「はあ、そういうものでしょうか」
ライアンというのは、俺の兄でバルドール家次男だ。父と仲違いして家を出てしまったが、今は婚約者の家で立派に暮らしているらしい。
しかし、ガイのような一介の雑魚モブに婚約者なんていたかな?
擦り切れるほど読んだ原作の設定資料集には、ガイの結婚については記述がなかった気がするんだけど。
まあ、実際にそんな設定があったとしても、モブ中のモブにページなんて割かないか。
「そうだ! ここ最近思うのだが、お前は特に変わっておる。その風変わりな気質が、お茶目とか可愛いとか思われているうちに結婚するべきだ。歳を取ってからは全て短所に見られるぞ。中年以降なんて、地獄を見るに決まっておる」
「父上、なんだか酷くないですか。息子をどんな目で見てるんですか」
俺のどんな所を見ているのか知らないけど、失礼しちゃうわ。
「すまん、言い過ぎた。しかし結婚相手を早く見つけたほうがいいのは本当だぞ。しかも、お前は運が良い。これを見ろ!」
すると父上は、まるでこの時を待っていたかのように、両手を広げてオーバーなリアクションを取ってから、テーブルの上に手紙を置いた。
派手な動作をする割には、普通の手紙なんだけど。
「なんとなんと! あのシーダ・フォン・グローヴァ公爵令嬢が、お前と婚約を結んでくれる……かもしれんことが決まった!」
「え……」
この発言には呆気に取られていた。侯爵の三男に、公爵令嬢が会いにくるだって?
なんで俺みたいなのと?
驚いたのに気をよくしたのか、父はガハハと豪快に笑う。
「まあ、無理もないわ! ワシの人望があまりにも高まり過ぎてな。公爵令嬢とも見合いができるほど名を上げてしまったのよ」
「父上の人望が……まさか。何か悪いことをなさっているのでは……」
「お前も失礼な奴だ。ワシが外でどれほど慕われているのか知らんようだな」
文句は言われたが、父上はこの程度の発言ではブチギレない。
あまり貴族という感じがしないが、人望があるのは確かかもしれない……多分。
「と、いうのは冗談でな。なぜか向こうからお声がかかったのじゃ。理由は知らん」
「ええ。この俺とお見合いしたいと、向こうから!?」
「そうじゃ。しかし、一体どこでガイのことを知ったのであろう」
相手のほうから、この辺境オブ辺境にいる男に声をかけてくるとは、もう不思議を通り越して怖い。
当たり前だけど、接点なんてまさに一ミリも覚えがない。
「とにかくガイよ。これは千載一遇……いやそれ以上の好機かもしれんぞ。お前はこれ以上ないほどの美青年になりきり、逆玉の輿に乗るべきだ。分かるな?」
「は、はあ」
「お見合いは一週間後になる。それまで猶予はあるのだから、夏休みの宿題と一緒に女性の口説き方も学んでおきなさい」
なんていやらしい指示を出す人だ。そういえば夏休みの宿題を、この日までは全然やってなかったっけ。
「承知しました。筋トレと一緒に、夏休みの宿題と女性との交流についても学んでおきます」
「筋トレは別にしなくても良いが……まあいいだろう。しかし女性との交流については、先生をつけたほうが良いかもしれぬ。ワシとは違い、お前はあまりモテてはおらぬようだし」
「失敬な。俺だって少しくらいモテて……」
ぐぬぬ、と俺は歯噛みしてしまう。思い返してもモテてる記憶皆無だった。
父上だって若い頃モテてなかっただろうことは想像に難くないが、母上と結婚している以上、明確に俺より上であることは議論の余地がない。
ゼロとイチの大きな違いを痛感せずにはいられなかった。
「俺は筋肉が恋人です」
これが精一杯の強がりです。
「それはまずいな、実にまずい。では、誰かにレクチャーを頼まねばならんなぁ。誰がいいか」
ここで、モテない親子二人が同時に驚くことがあった。スッと、先ほどまで呑気に外の景色を眺めていたメイドが前に出る。
「ご主人様、もしよろしければ、わたくしが教師役を引き受けることが可能です」
「な、なに? カタリナ、お前が?」
「はい。わたくし、これでも多少は多くの方々と交流がございますので。ぼっちゃまの印象が少しでも良くなるよう、いくつか考えがございます」
「おお! 確かにお前は美人だしな。よし、暇な時でいいから、ガイに女心というものを教えてやれ!」
「かしこまりました」
なんか勝手に話が進んでる! え、え?
「ちなみに、ぼっちゃま。そのお姿は、なかなかに……」
あまりにも大胆なメイドが、こっちを見て戸惑っている。父上が「ん?」とこちらを見えているが、なんだか分からないらしい。
「ああ、これ? 鍛えられるから、たまにやってるんだ」
「む!? ガイお前、よく見たら座っておらぬではないか」
「いいえ、座っていますよ。空気という名の椅子に」
「「……空気という名の、椅子!?」」
二人が唖然としていた。驚きすぎて、性別や年代に地位、あらゆるものを超えてハモってしまったようだ。
実は会話している間ずっと、空気椅子をしていたんだけど。
僅かな時間でも、筋トレに勤しんでしまう俺であった。




