カタリナとシーダ
私にカタリナという名をつけてくださったのは、ある修道院のシスターでした。
物心がつくまでの間、よくある一般的な名称で呼ばれたことはありません。
試験体11267号、と呼ばれて……いろいろな訓練を受けさせられていたのです。
私の記憶にあるのは、実験という名の拷問ばかりの日々でした。
一体あの施設は何なのか、よく分かりませんが怖くて仕方がなかったことを覚えています。
ある時、うっすらと予感が生まれました。このままここにいたら、殺されてしまうと。
同じ試験体と呼ばれる子どもたちは大勢いたのですが、いつの間にか知っている子はいなくなり、代わりに新しい子が入ってくることの繰り返しでした。
そして今にして思えば、あの施設で私達に過酷な訓練を強いていたのは、人間ではありませんでした。
言葉どおりの意味で、世間でいう魔族という存在でした。人に近いけれども、全く異なる性質を有した者達だったのです。
ある夜の日、兼ねてから計画していた脱走をした時のことは、ずっと記憶に焼きついています。
逃げ出したのは私だけではありませんでした。十人はいたのですが、途中で散り散りになってしまい、無事に出て行けたのかは定かではありません。
それからどれだけ知らない世界を、魔物だらけの危険な大地を歩き続けたことか。
子供だった私が、そのような地域で生き抜いてこれたのは、皮肉ですが訓練の成果によるものでしょう。
やがて辿り着いた場所は、小さな村でした。ボロボロだったこの身を助けてくれたのは、孤児院の皆さんです。
初めはどう接していいのか分かりませんでしたが、誰もが親身になって面倒を見てくれました。誰もが幸せそうに暮らしていました。
この時、いろいろな生活に必要な知恵を教えてもらったのです。簡単な料理や掃除、身だしなみから作法まで。
メイドになる為の基礎を教えてくれた大切な場所でした。そこで私は、修道院という場所にも足を運ぶようになります。
自分の名前を告げた時、誰もが怪訝な顔をしたことを覚えています。
最初に出会った時に身につけていたボロ布には、名前だけはしっかりとしたものが縫い付けられていて、それを目にしてなぜか泣く人もいました。
君にはちゃんとした名前が必要だ。そう言われて、みんなが私の名前を考えてくれたのですが、決めることができずにいました。
名前がこれほど必要だと思われることが、私にとっては意外で、みんなが悩んでくれることに驚きました。
村のみんなは日課として、修道院でお祈りをしていて、初めて出会ったシスターが私のことを色々と質問されたことを覚えています。
そこで、かつてこの地で慈愛の賢者として伝承に残っている存在、カタリナという名をつけてくださったのです。
なぜかは分かりませんが、私はその名が一番しっくりくるような、不思議な気持ちになったことを覚えています。
それから九年という年月が経ち、すっかり大人になった私は、お世話になった村を去ることを決めました。
理由は上手く説明ができません。ただ、ある大陸に向かわなくてはならない、という強い衝動が、日増しに強くなっていくのでした。
村のみんなは、私が華やかな世界で仕事をしたいと思ったようです。誰もが別れを惜しむとともに、たまには帰ってこいと約束を求めてきます。
私は必ずまた会いにくることを約束し、ここユーガスト大陸へとやって来ました。
この大陸に何かがある、なぜだか分かりませんが、そんな気がするのです。
私は人と比べて、なぜか直感に優れるところがありました。この直感のおかげで、何度命を救われたか分からないほどです。
でも、この時に感じていたのは、危険な予感というものではありませんでした。
それから、大陸にあるいろいろな街を訪れましたが、何かが違うと感じてすぐに出ていくことを繰り返していました。
もしかしたら、今まで感じていた衝動は、ただの勘違いのようなものかもしれない。だとしたら、なんて恥ずかしいことをしたのだろう。
今からでも遅くない、村に帰ろうか……そう思っていた時でした。
ある邸が目にとまり、なぜだか強い興味が湧いて、しばらくその外観を眺めていました。
少しして、庭で一人の男性が走り回っていることに気づきました。
彼こそ今のぼっちゃまである、ガイ・リー・バルドール様です。
私は当初こそ、彼に対して何の感情も持ち合わせていませんでした。
でも、庭を走り回ったかと思えば、ひたすらに体を鍛え続けているその瞳の、なんとも言えない輝き。
私はいつの間にか、彼の姿に夢中になっていました。
次第に胸が感じたことのない疼きに襲われ、どうしてもお話がしたいと思うようになります。
気がつけば私は、邸の扉を叩いていました。以来バルドール家で、メイドとして働きながら、ぼっちゃまと過ごすことに不思議な喜びを感じています。
この感情は、自分でもよく分かりません。日に日に、彼を独占したいという衝動に駆られていくのです。
そして、もしかしたらこの大陸に惹かれていたのは、ぼっちゃまがいたからではないか、とさえ思うようになっていました。
先日、グローヴァ家のお嬢様が誘拐された時のことは、よく覚えています。
あの時、不謹慎ながらぼっちゃまに抱き上げられたことは、今でも忘れられません。
私は日を増すごとに、あの人に夢中になっています。
◇
どうして、彼は私が誘拐された場所が分かったのかな。
今思い返しても謎でいっぱい。
あの人は具体的に答えては下さらなかった。一見して単純なようで、謎に満ちている不思議な人。
私にとって彼……ガイ・リー・バルドールという人は謎だらけだった。
兄様が死んで以来、光の紋章を継いでしまったこと。ただの平民でありながら、グローヴァ公爵家の養子とさせていただいたこと。
この小さな身には、あまりにも過ぎた大役のような気がする。
でも逃げるわけにはいかなかった。光の紋章は誰にも継がせることができない。なぜかは分からないけれど。
子供に恵まれなかったグローヴァ家の後継ぎとしても、恥ずかしくない存在にならなくては。
私の人生には多くの課題があり、これからはきっと多くの戦いが待っている。
貴族との競争、魔族や魔物との殺し合い、いかにして領民に認めてもらえるか。
それら全てを一人で達成するのは、どうしても不可能な気がして、信頼できる仲間を作りたいと願っていた。
ガイの噂を聞いた時、私はこの人こそ求めていた存在だと感じて、お父様に無理を言ってお会いさせていただいた。
でも、彼は私の想像なんて軽く超えていた。むしろ、私なんかが一緒にいて良いのだろうかと思うほど、能力的にも人格的にも優れている。
そしてあの時、ドールという凶悪極まりない魔族に誘拐された私を助けてくれた。
彼の戦う姿に、言いようのない衝動を覚える。
草原で語り合った楽しいひととき、命を救ってくれた勇ましい姿。この小さな胸に刻まれた、新たな宝石を思わせる光。
魔族から救出していただいて、馬車に帰るまでのあいだ……胸が高鳴って仕方なかった。
一体この気持ちはなんだろう。よく分からないけれど、確実に言えることが一つだけ。
私は必ず、彼に会うことになる。それもごく近い未来に。
それまで、ほんの短い間だけではあるけれど……手紙を送ってみる。
今では私の頭に中に、彼が住んでいた。どこかお兄さまに似ているような気がする。
お兄さまのことを思い出すだけで、今でも涙が浮かんでくる。両親や兄が殺された記憶は、ふとした時に甦ってきて、体が八つ裂きにされそうなほど苦しくなる。
でも、ガイのことを思い出すと、少しだけ気持ちが明るくなる。
そして前向きになれるような気がした。
もっと強くならないと……きっと強くなれる。もっと自分を信じよう、彼のように。
今は机に座って、ガイに宛てた手紙を書いている。
迷いや悩み……そしてまだよく分からない感情の昂りが、自然と手紙に乗り移っているような気がした。




