巨大ゴリラを圧倒
草原を疾走する巨体は、まさに迫力満点だ。
奴の体は小山のようで、筋肉は歪なほど盛り上がり、目は殺気に満ちていた。
ジャアックコングと呼ばれるゴリラの魔物と、俺ガイ・リー・バルドールは向かい合い、やがて激突した。
それは馬鹿馬鹿しいほど体格に差がある、一人と一匹の体当たり。一直線に向かってくる怪物に、こちらも真っ向からぶつかっただけ。
「おりゃあああああ!」
「グゥオオオオオーーー!?」
大柄過ぎるくらいデカいのに、ぶつかった時の衝撃はほぼなかった。
コングは目を丸くして、草原の遥か向こうにぶっ飛んでいく。そして一番近くにあった山からデカい音と煙が噴き上がっている。
勝負あった。人里を襲いかけた魔物は沈黙し、もう動き出すことはない。
普通の人だったら、この結果を理解できないだろう。本来ならば人間如きが太刀打ちできる相手じゃない。
だが俺は普通ではなかった、それだけだ。
……といっても、これだけでは何の説明にもならないので補足しておくと、要するに俺はこの世界で、ひたすらにパワーだけを鍛え続けていたからだ。
「ふぅ。さーて帰るか」
このとき草原にいた何名かの民は、こちらを見て目を白黒させていた。無理もないことだと思いつつ、俺は本来やるべきだった日常に戻っていく。
「が、ガイ……」
馬に跨って家路に着こうとしていたところ、背後から声をかけられた。青い顔になってこちらを見つめていたのは、兄のファティマ・リー・バルドール。今年で二十一歳になるイケメン。
ガイこと俺とは、約五年ちょっと年の差があった。
「おや? 兄上……いらしていたのですね」
「侯爵家の跡継ぎとして、魔物が領地に侵入した以上、じっとはしていられないからな。本来ならば、我らの部隊で殲滅する予定だったのだが」
チラリと、兄は横目で背後に控えているゴッツイ騎士団に目をやった。
今回出番を奪っちゃった形になったことは、悪いと思ってる。でも、ぶっちゃけ彼らに任せていたら人的被害は確実に発生していた。
そういう歴史であることを、俺は知っている。
「面目を潰してしまった、ということでしょうか。すみません、ここにはたまたま通りかかったんです。そうしたら化け物が村に迫ってて、見過ごせなかったっていうか……」
「いや、それは問題ない。むしろこちらとしては、礼を言うべきだ。そう言うことではなくてだな……お前、一体どうなっているのだ?」
「はい?」
はて、なんの話だろうか。俺が首を傾げていると、兄上はずり落ちかけた眼鏡を直して、一つ深呼吸した。
「つまりだな。先ほどお前は確かに、真っ向からあの巨大な魔物と体当たりをしたように、私の目からは映ったのだ。間違いないか」
「あ、そのことですか。はい! 間違いありません」
「で、ではやはりおかしいではないか! なぜジャアックコングが吹っ飛んで、お前が平気でそこに立っているのだ?」
兄がこんなに狼狽えているのは、初めて目にする光景だった。
何か不安というか、疑いの目を向けられている。でも俺としては、何も隠すことなどない。
堂々とありのままを伝えればいいのだ。
「簡単な話ですよ。俺はこの夏休みの間中、ずっと筋トレをしていたんです」
「……筋……トレ?」
「ええ、こういうやつです」
ちょうど良かった。兄上に上達した俺の腕立て伏せを見てもらおう。すぐに二つの腕で体を支え、上下運動を始める。
「そ、それ……を。ずっとやっていたということか。この一ヶ月?」
「ははは! そうです! 簡単でしょう。兄上もいかがですか? すぐにパワーが身につきます。いやはははー!」
喋っている間も、ひたすら上下に、正しい姿勢で行うことを注意しながら続けている。
「ふん! ふん!」
ああ、なんて気持ちいい鍛錬の日々。体を鍛えるってことが、こんなに素晴らしいなんて。
兄上もどうやら感動しているようだ。プルプル震えている。
「そ……そんなわけあるかぁあああ!」
「おお!? ど、どうされました?」
めちゃくちゃな勢いで叫ばれたので、ちょっとビックリ。でもここでやめたら勿体ない。もっと負荷をかけないと。
「と、とにかくガイよ。父上の元へ行ってこい。お前に大事な話があるらしい。筋トレのことも、今回の魔物のことも話すなよ。ややこしくなるから」
「あ、はい。では先に戻ります!」
いやぁ、なんていうか。随分と奇異の目で見られちゃってるなぁ。
それはしょうがないんだけど。この時、俺は自分がやり過ぎちゃってることは自覚していた。
でも、ただのモブ貴族なんだから、別に大丈夫だろうと。この時は楽観的な気持ちでいたんだ。
◇
帰り道は馬に乗り、ゆっくりと草原を進んでいく。
長閑な所が多くていいなぁ。俺の前世なんて、マジでみんなギスギスしてた。
暖かい陽光を浴びながら、ふとかつての自分を思い出した。この健康な体ではない、前世の自分を。
実は一ヶ月ほど前、俺は自分が転生していた身であることを知った。なぜかは分からないが、唐突にかつての記憶が蘇ってきたんだ。
それまでの俺は、どちらかといえばウジウジして、自分より弱いやつに嫌がらせをすることばかり考える小悪党だった。
一応は悪役貴族だが、決してメジャーな存在じゃない。
ここは昔大好きだったゲーム【パワーファンタジー】と全く同じで、ガイはある悪役の子分的な存在でしかない虚しき男だった。
しかも学園のいさかいに巻き込まれ、無惨に斬り殺されてしまうという運命付き。
なんて恐ろしい未来だろうか。記憶が蘇ると同時に、俺の心は恐怖に包まれたほど。悪役なんてやらないつもりだけど、脅威がなくなるとは限らない。
でも大丈夫。その恐ろしい日まで、まだあと二ヶ月ちょっとはある。俺自身が生き延びる力を得るまで、そうかからないはずだ。
実は父上と会いにいく前に、ちょっとだけ寄り道をしている。
バルドール家の屋敷が遠くに見えているが、ちょっとだけ西のほうへと馬を走らせた。
やがてただっ広い草原の真ん中に、奇妙な石碑がある場所へと辿り着いた。俺は馬を降りてそれに近づいていく。
「精霊よ、我が呼びかけに応じよ」
石碑の近くには祠があり、片膝をついて声をかけてみる。
すると……ポウッという音と共に、祠が輝き出した。まるで蛍の光に包まれているような感じだ。
『汝、何を求めるか』
「スターを手に入れた。これで成長率を上げる。スターボードを出してくれ」
こういう祠は、パワーファンタジーの世界では至る所にある。
お金を払って体力を回復させたり、セーブをしたりできるのだが、一番はスターを使えることだ。
スターというのは、強敵を倒した時に一定確率で手に入るキラキラとしたアイテムのこと。
祠でだけ使用できるこのアイテムは、戦闘勝利時に任意のステータスを上げやすくする【成長率アップ】というものに必要なんだ。
そのために、パワーファンタジーの世界にはスターボードというものが存在している。
ちなみにパワーファンタジーには、レベルという概念はない。
戦いに勝つとランダムで能力値が上がっていく仕組みになっている。
いずれもこの世界では常識で、みんな当たり前のように理解している。
スターによってバトル勝利時の成長率を高めることは、戦いに生きる者にとって必須なんだ。
そしてほぼ全ての人が、スターをいろいろな能力値に均等に割り振っていた。
だがこれは間違っている。正しいやり方はこうだ。
「よし、これで頼む」
『……良いのか。随分偏っているが』
「問題ない」
『本当に良いのだな? 後で変更できんぞ』
「大丈夫。やってくれ」
最近は祠の精霊にも念押しで確認される。このゲームでは正解の割り振りだと説明しているのに、一向に理解されない。
『今、スターをパワーに割り振った』
「お! ありがとう。おおっし、バッチリだ」
『……まあ、お前が良ければいいが』
精霊が割り振ってくれたステータスは、こんな感じだ。
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ガイ・リー・バルドール
バルドール侯爵家三男
HP:☆
MP:-
パワー:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
マジック:-
タフネス:☆
スピード:☆
クレバー:☆
ラック:☆
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これでまたパワーの上昇率が上がる。順調順調!
ちなみに俺は魔法を覚えないので、MPとマジックには割り振ることができない。まあ、魔法を使えても割り振るつもりないけど。勿体ないじゃん。
とにかく、こうするのが脳筋RPGと言われる、パワーファンタジーの醍醐味であり最適解なんだ。今のところ誰も信じてくれないけど。
パワーがより高まるという期待が膨らんできた。とっても気持ちが良い。
また筋トレしたいわーという衝動に駆られつつ、そろそろ戻らなきゃなので父の所へと急いだ。




