神さま、寝る。
時の精霊に頼んで司教の記憶を、ほんの数秒だけでも巻き戻すか。
そもそもアルベルトがこの部屋に来ないように、監獄塔全体の時間を巻き戻して、細工をするべきか……
表面上は無感情を貫きながらも、内心アルベルトへの殺意を渦巻かせつつ、どう対処すべきか考える。
「現御神様の真名を呼ぶとは、なんたる不敬を!
大罪の中で生きる霊魂の穢れたものが、易々とご拝顔してよいお方ではないぞ!
伏して出迎えろ!」
椅子に縛り付けられていて、イモムシにすらなれない。
そんな無様過ぎる格好をしているのに、現御神に扮する俺に失礼な態度を取ったと、アルベルトに向かって怒鳴り散らす司教。
見上げた根性である。
レンガ造りの監獄塔の床は、レンガで出来ている。
囚人を相手にする場所なので、カーペットやラグの類が敷いてある事は、当然ない。
俺に対して額を床に押し付けていたのに、アルベルトへとその顔を向けたせいで、その広すぎる額からは血が出ていた。
もう、行動が狂信的だよね。
自分の身を守るための思考が、働いて居ないんだもの。
普段と姿や雰囲気の違う俺と、普段よりも不機嫌そうな顔で睨むカノン。
空気を読めと言わんばかりに呆れている、アリアと騎士達。
そして飽きもせず、肺活量の続く限り怒鳴ってくる司教。
それらを見てアルベルトはキリッと真面目な顔になり、司教の横に並んだ。
そして……「大変申し訳ありませんでした!」と言って、土下座をかましてきた。
何がしたいんだ、コイツは。
俺が現御神に変装している事には、気付いていないのだろうか。
他人の空似で間違えたとか、本気で思っていたらどうしよう。
……稀にあるのが、尋問官が取調べをしている中で、宗教に取り込まれ洗脳を受けるってパターンだよな。
アルベルトも尋問をしていたワケでしょ。
教徒に影響を受けて、「現御神様、まんせー!」とか思ってたら、どうしよう。
正直、あまり頭の良い人とは言えないから。
精霊教の教えと、自分への批判を何人もの囚人から、何度も聞いていたのだとしたら。
繰り返しているうちに、自分が間違っているような気持ちになってしまうのは、脳の仕組み上仕方のない事だ。
カノンの薬で治るのかな、この混乱状態って。
だから尋問は最低二人、出来れば三人のペアで行うのが良いとされる。
アリア達の様子を見る限り、そういうマニュアルは無さそうだもんな。
尋問には悪い批判者役と、良い理解者役の二人が最低でも必要なのに。
尋問を受ける人に、一人が非難や侮辱的な態度を取り、もう片方がソレをたしなめつつ、共感や支援の態度を見せる。
怒鳴り人格否定をされ続けたら、批判役には次第に恐怖を覚えるだろう。
そのタイミングで批判役は席を外す。
そして理解者役は対象者に「実はあの人、俺苦手でさ……」「あんなに怒鳴らなくても良いのにね」そんな風に言葉をかける。
批判役が自分達共通の敵である。
そう思わせる為だ。
長時間の尋問に、度重なる否定の言葉。
そんな中で同士を見付けた対象者は、理解者役に強い信頼感を抱き、この人に協力をしなければ! と懐柔される。
すると理解者が望む情報を話すようになる。
簡単に言うなら、飴と鞭だね。
モチロン世の中はこんな簡単なやり取りで心開いてくれるような、単純な人ばかりではない。
演技だとバレてもいけないし、何日にも渡って恐怖を植え付け、信頼を構築していくのだ。
……んで、その時に理解者役をおバカさんがやると、逆に向こうに取り込まれてしまって大変な事になる、と。
アルベルトが一人で大人数からの聞き取りをやったのなら、疲れが溜まっていただろうし、一時の気の迷いで今みたいな態度を取ってしまっても、まぁ、致し方がないと言える。
疲れた脳は洗脳を受けやすいからね。
特に恐怖は脳を萎縮させる。
判断能力が著しく低下するため、思考の改造がし易い状態になってしまうのだ。
ストックホルム症候群なんかが、良い例だね。
誘拐事件や監禁事件の被害者が、精神的ストレスから、加害者に好意を持ってしまったり、救出者に反抗的な態度を取る、アレだ。
いくらアルベルトが屈強な男性でも、疲弊している所に、堂々とした態度で、かつ大声で怒鳴られたら、洗脳スイッチが入ってしまう事もあるかもしれない。
脳を鍛えるのって、ストレスを与え続けて慣れさせるしか、方法がないから。
いくら特訓を受けた事があるとはいえ、普段尋問とは縁遠い世界で過ごしていたら、耐性なんてあるワケがないのだ。
やはり、この見た目を利用して、俺がするべきだったのでは。
イヤ、現御神と俺が似ていると分かったのは、俺が尋問官から外されたからだもんな。
嘆いた所で仕方ない。
幸い、アルベルトは無害だし、無力化するのも容易い。
今から成果を上げれば良いのだ。
そうすれば、アッパラパーになったアルベルトも浮かばれると言うものだろう。
俺が現御神に間違いなく似ているのだと確証が持てたカノンは、恭しい態度で俺に接し、エスコートをして部屋の奥、司教の背後へと移動した。
自分よりも目上の者に尻を向け続けるなんてとんでもないと思ったのだろう。
しかし反抗的な態度を、これ以上アリア達に取るのもマズイと考えたらしい。
壁に背を向け、双方に頭を下げる形を取った。
国王と賢者が兄妹である事は、有名な話だ。
そんなカノンが俺を連れてきたのだ。
ろくな指示を受けないまま、国王暗殺を企てたのは、もしや早計だったのでは。
その考えに至り、顔色が非常に悪くなっている。
イヤ、単に燭台から遠い位置に移動したからかもしれないけれど。
俺が直接司教に言葉をかける機会は無かった。
あれだけ恐れ慄く態度を取るような相手なら、コレだけ近い距離で接する事すら、過去に無かったのではないかと思うんだよね。
なるべく遠くに移動したのは、俺が喋るターンが来た時の保険だった。
余りにも小さい声で喋るのは、燼霊の態度から逸脱している。
あの様子なら、声を張り上げたり、聞き取りやすいようにハキハキと喋るような事は無い。
無気力で、全ての事がどうでもいいという態度だから、自分の楽なように話すイメージだ。
スムーズに行われている尋問の合間に、ポソポソと辛うじて喋っている事が分かる、その程度の音量でカノンに適当な言葉を告げる。
そしてカノンが離れた人達に聞こえる声で、代理で喋る体を装い、自分の好き勝手に質問者をしていた。
司教は床に額を擦り付けたままなので、俺の姿は視界の端に映るか映らないか程度だろう。
仮装と呼ばれたこの不似合いな格好を、する必要があったのかと、疑問が生じてしまった。
そのせいで、集中力の糸が切れた。
単に女装をしただけで終わってしまったのなら、髪を染める手間が掛かっただけ損になる。
何か有益な情報は手に入ったのだろうか。
内政の話や、今の国と教会の関係なんて俺には分からないからね。
背景が分からない事には理解出来ない言葉や単語が盛り沢山過ぎて、正直飽きてきた。
「……ジムエス」
俺が飽きたのだ。
きっと現御神も飽きる頃だろう。
そう思い、用意された椅子から立ち上がる。
そして鑑定眼で見えた、司教の名前を口にした。
驚くと筋肉が縮み上がるからなのだろうか。
平伏した状態にも関わらず、名前を呼ばれるとピョンっと何cmか地面から浮いた司教は、「ははぁっ!」と時代劇に出て来る御隠居にするように、めり込みそうな勢いで、強かに額を地面へと擦り付けた。
偉ぶって尊大な態度で他者を見下す人の愉悦は、俺には理解出来ないなぁ。
ダサくて情けないオッサンがこんな事をしてきても、嫌悪感しか湧いて来ない。
「過不足無く、キチンと、話しなさいね」
「し……承知、致しました」
心拍数が跳ね上がっているが、現御神だと思い込んでいる俺から声を直接掛けられた事による、緊張からのものだ。
俺の言葉に疑念を抱いたからではない。
フォローをする必要は、無さそうだな。
そのまま立ち止まる事も振り返る事もなく、尋問部屋を後にした。
十分に部屋から離れたのを確認し、ふぅ、と息を吐き、階段に座る。
この季節なのに、地下だからか湿度が高い高いわカビ臭いわ。
正直よく今までガマン出来たなと自分を褒めたい。
アリアはよく長時間あんな所に居られるな。
仮にも国王だぞ。
国で一番偉い人だぞ。
何で自ら尋問に立っているんだよ。
偉いね〜とは思うが、あぁなりたいとは思わない。
暫くしてからカノンが追いかけてきた。
特に慌てた感じもなく、普段よりもゆったりとした動作で。
しかし俺の髪姿を確認した途端、般若のお面でも装備したのかと見まごうばかりの形相で、持ち前の足の長を活かして一気に距離を詰めてきた。
ちょっと怖い。
「なぜ途中で退室したのだ!」
小声で怒鳴るという、器用な事をしてのけるカノンに、俺はアクビで答える。
「……あぁ、成程。
とうに八の鐘が過ぎているのか」
八の鐘はだいたい二十時に相当するので、ぶっちゃけその程度の時間なら、何の問題もなく起きていられる。
しかし今日は王都からずっと空飛ぶ石版を使って、付かず離れずの距離で馬車を護衛した。
二度の襲撃の対応に手を貸し、その後休むヒマもなくダンジョンへ。
五人の教徒を回収したら、すぐにまた王都へ戻り侵入者捕縛の手伝いを。
そして燼霊とニアミスをかまして、街に戻り、女装して、カノンとまた王都に来て、慣れない演技をして、今である。
やる事が多過ぎて疲れたし、その上時間も時間なので眠い。
とても眠い。
恐らくもう、零時をとうに回っている。
眠くて当然だ。
あの場で船を漕いで椅子から転げ落ちなかっただけ、途中退室はマシな対応だったと思うんだ。
徹夜慣れしているカノンだが、子供は寝るものだと理解しているので、申し訳無さそうな顔をして謝罪をしてきた。
別に謝る必要は無いんだけどね。
仮眠だけで良いから取らせて欲しいだけで。
「もう、限界……」
そう言ってスヨスヨと眠り始めた俺が、頭を打たないようにだろう。
ため息を一つ吐いて、抱き上げられた。




