神さま、白い目で見る。
大穴の底で助けを求める三人も大概だが、ソレを助けようとして落ちる、ラウディとフィブレスもアホだと思う。
見事に俺が見付けるまでの流れを、目の前で実演してくれた。
メイスを差し伸べたラウディが、レイラ、リュレルと順調に引き上げ、最後にトリストを持ち上げようとした時、脆い落とし穴の淵がボコッと崩れた。
そのまま真っ逆さまに落ちそうになったラウディを、フィブレスが咄嗟に掴む。
だが二人一緒に、穴の底へと転がり落ちた。
フィブレスの方が、体格的にも装備的にも軽いのだ。
踏ん張れる地面がなく、筋力も劣るのなら、当然の結果だな。
流石に俺が見ている上に、一度二人を見捨てて酷い目に遭っている青年三人。
どうにか上に引き上げられないか画策するが、ただ手を伸ばしても届かないし、レイラの杖やリュレルの弓幹では強度が足りない。
ワタワタとするだけで解決策を出せずにいる。
せめて次また落ちてしまった時はどうするか、対抗策を講じておくべきだったろうに。
ソレすらしていないのか。
この三人は冒険者には不向きだな。
リュレルは気配感知が出来るようだが、周囲を見ないし、欲に駆られて罠に掛かるなんて、居ない方がマシだろ。
足を引っ張る所か、仲間を危険に晒してしまったのだから。
斥候としての役割を果たす以前の問題だ。
恐らく、ラウディとフィブレスの二人でダンジョンに挑んだ方が、任務を滞りなく遂行出来たと思う。
魔物を運び出すのが、少人数だと心もとないだろうが。
「トリストは地属性の術で落とし穴の壁に階段を作ったり、底を持ち上げたり出来ないの?
リュレルの風精霊術で二人を浮かせるでもいい。
レイラが落とし穴を水で満たしてもいい。
精霊術は何も、魔物を攻撃する為だけの力じゃ無いんだ。
頭働かせろよ」
俺の言葉に虚を衝かれたような顔をして、三人一気に俺が言ったことを試そうと落とし穴に押しかけたものだから、重さに耐えられなかった穴の端が崩れ、再び底へと落ちて行った。
……頭から落ちたけど、死んではいないな。
底にいる二人が、砕けた土塊の直撃を受けながらも受け止めてくれたおかげだね。
今度こそ感謝しておけよ。
だがお礼を言う前に、我先にと精霊術を一斉に発動させてしまった。
そのせいで、よく掻き混ぜられた大量の泥水のプールが、底に出来ていた。
コレは……霊力が足りない以前の問題だ。
我欲を満たす為に精霊術を使うような人間は、いずれ他者を傷付ける。
取り上げるべきだろう。
イヤ、ある意味既に傷付けているな。
この程度の霊力だから、よく撹拌された大量の泥水が生成された程度で済んだ。
しかしヘタをしたら、落とし穴に満たされた水が渦潮の如く螺旋を描いて、中の五人全員が小石や岩にぶち当たりながら、細切れにされていた事だろう。
ジュースミキサーを思い浮かべると、そうならなくて良かったと心底思う。
そんな状態の処理なんてしたくないもの。
この階層ごと、無かったことにしたくなる。
水を蒸発させるとなると、泥が固まってしまって身動きが取れなくなるだろう。
ただでさえ膝上まで泥水で浸かっているせいで、バランスを崩して顔面から転んだレイラが、ハチャメチャにキレ散らかしている。
その原因の一端はお前なんだがな。
カルシウム不足だろうか。
月の物が来ていてホルモンバランスが崩れているのだろうか。
いずれにせよ、八つ当たりは良くない。
宥めようとして殴られたフィブレスが仰向けに倒れて泥水が跳ねた。
……泥んこプロレスだったかレスリングってあったよなぁ。
暫しの間、泥の掛け合いと取っ組み合いを眺めてみる。
ポロリこそあったが、肌蹴るのは野郎の筋肉だけだ。
傍観してても何の面白味もないので、サッサと助けよう。
コレだけ水分が含まれている土だと、底上げするのは大変だ。
浮かせて丸洗いするのが手っ取り早い。
……水の精霊にまたお小言を言われるのか。
一瞬思い止まるが、まぁ、苦言程度で済むなら良いか。
気分はカジキの一本釣りだ。
泥から釣り上げると言っても、重量があり過ぎるし、ムツゴロウ釣りとは多分、感覚が違う。
地面に助け上げた後も、鼻に泥が入ってしまったようで、レイラは涙目になって顔を洗っている。
わざわざ長ったらしい詠唱をして、両手に水を溜めて、だ。
一般と俺やカノンの霊力がだいぶかけ離れているのは、流石に理解している。
だがもしかして、冒険者と教会の連中も、実力がかなり離れているのだろうか。
冒険者の場合、自分で感覚的に発動させられる術以外の精霊術を誰かに教わるとしたら、たまたま巡り会った他の冒険者からになる。
あとは稀に出没するカノンか。
そうなると実践的な、なるべく簡略化された、しかし威力はソコソコ以上あるものが口伝されていく。
そして改良が重ねられ、次世代に受け継がれていく。
神経を研ぎ澄ませなければ、魔物が蔓延る、常に危険と隣合わせの世界では生きていけない。
霊力も増やさなければ、生きられる手段を増やせない。
そんな己が身ひとつで困難から逃れ続ける生活を、死ぬまで続ける事になる冒険者と違い、精霊教に所属する人間は、精霊教会という組織に所属する。
大きな街の中という外壁に守られた場所で、雨風を凌げる教会という建物の中で過ごす。
外出には許可がいるし、割り振られたお務めや学習要項はあるものの、衣食住が保証される。
精霊術や精霊そのものに対する姿勢が違うのだから、使い方もそりゃ違うか。
冒険者にとっては精霊術は生きていく為の有用な手段で、精霊はその力の大元だから、自分を生かしてくれる感謝すべき信仰対象になる。
現に旅の道中、精霊の石像をお地蔵さんみたいにアチコチに建てまくったら、結構手を合わせている冒険者を見かけたもんね。
粗野なイメージのある冒険者だが、誰に言われずとも、率先してそういう感謝を伝える行動を取れる所は、とても立派だと思う。
対して精霊教徒の皆さんは、精霊術は暗記して唱えれば発動する、便利な手段のひとつでしかない。
生きていく為に覚える、というのは冒険者と同じだが、冒険者みたいに、覚えなければ、発動させられなければ今日の命すら危うい、みたいな状況で学ぶワケでもないし。
覚えられなくても、教会にとって有用ならば追い出される事もない。
だから、そう。
ぬるいんだよね。
精霊に対する姿勢も、術に対する向き合い方も。
真剣さが足りないから、祈りの言葉である詠唱も感情が乗っていなくて精霊に届き辛い。
だから長い詠唱に対して、威力が伴わないのだろう。
アレだけ賛美する言葉を挙げ連ねているのだ。
レイラが両手一杯に出した水量も、同じ言葉を諳んじたならば、俺だとこのフロア全域水没させられる位の水が、どこからともなく襲ってくる事になるだろう。
今現在、街で精霊術を形骸化する為に、詠唱文を考えて改良を重ねている最中だ。
だが本当に、精霊そのものへの向き合い方や考え方によって威力が変わると言うのなら、全く信仰していないような連中にも試して貰う必要が出てくる。
街に住む人達は、俺やカノンに救われた人が多い。
そしてその際に、精霊術の威力を見ているし、なんなら精霊そのものの姿を見ている人も居る。
精霊は半透明の姿をしていて存在が朧気だが、まとっている霊力がキラキラと輝き、とても美しく見える。
見る人によっては、神々しさを感じる事だろう。
かくいう俺も、初めてカノンが精霊を召喚した時はその美しさに目を奪われたものだ。
そんな姿を見ている街の住民は、精霊を信仰……まではいかないだろうが、有難い存在として認識はしている。
大きな石像を建てずとも、畑の出入口の所に水の精霊と地の精霊の手作りの像を作って、豊作のお祈りをしている人がいるとか。
恐らく同じ詠唱を唱えた時に、精霊教徒より霊力の総量が少なかったとしても、街の住民の方が術の威力は高いと思う。
ただ、街で精霊術の発動に成功している人数は実は少ない。
霊力がゼロの状態から始まっているからね。
生まれながらにある程度の霊力を持っていた人とだと、スタート地点が違うのだ。
扱い方が自然と身に付いた人と、意識して身に付けなければならない人だと、どうしたって後者の方が習得までに時間がかかる。
街の住民は精霊術そのものに興味を持ってくれているから、コツさえ掴めばどうにでもなりそうだけど。
有難い事である。
不発に終わったとしても、微々たる量だとしても、霊力の循環が行われれば、精霊の皆の力になるからね。
だがせっかく霊力を世界に巡らせる手伝いをしてくれるのだ。
相応の結果を与えてやりたい。
そのために詠唱文を、あぁでもない、こうでもないと論じている。
精霊の皆の事を考えると、どっちの方がいいのだろう。
信仰心が伴わなくても問題ないなら放置すれば良い。
だけど、大量の霊力を消耗しているクセに、気持ちがこもって居ないせいで、少ししか結果をもたらせない精霊教徒の連中に力を貸す事は、精霊にとってプラスになっているのだろうか。
精霊の皆を見ていると、人間と同じ、とまでは言わない。
感覚が少しズレている部分はあるが、心理学者マズローの五段階欲求説が通じる、人間らしい部分があるように思える。
やり甲斐を感じなければ、承認欲求を埋める事ができないのであれば、霊力という報酬が過多の現状は、納得がいかないのではないだろうか。
もしそうなら、教会の在り方から改革をしなければならないが……
う〜ん……とてつもなく面倒臭いな。




