神さま、聞く。
街には、と言うか、大抵の集落には裁判所はない。
その代わりに、教会に所属している者や、その集落の長が調停者として動く。
街にはまだ教会は建てていない。
同然信徒も居なければ神父もいない。
なのでこの街で言うなら、ゴルカさんになるね。
これ以上ゴルカさんの仕事を増やして胃袋に穴が空くのも、痴情の縺れなんて大人のいやらしい事情で未成年者のフリアンくんを煩わせるのも、気が引ける。
まだ暫くは街に滞在している予定だから、何かあればこの屋敷に来るように言っておいた。
モチロン、今日と同じように光の精霊が常に玄関に聖加護の衣を張っている。
痛い思いをしたくなければ、突然屋敷の中に突入してくるような、アルベルトみたいなマネはしない事。
何度かノックしても出てこない場合は不在か、手が離せない状況だと察して欲しい。
今回みたいに何十階もドアを大音量で叩くような、無遠慮な行動はしない事を約束させた。
また出直す時には、再来訪の予定時間を手紙でもしたためて、ポストに入れておけと言っておいた。
コッチの都合で良いのであれば、簡単な相談内容を書いて‘’スファンクス‘’に来いと書いてくれれば良い。
あの面妖な石像は見たくないが、入れ違いになったり、向こうの都合とは言え、何度も来させるのは申し訳ないし。
「身内の不始末ですし、そうならないように努めます」
そう言ってイシュクは苦笑する。
だが閉ざされた空間だと、身近な人に恋愛感情を抱きやすいのは世界共通だ。
フランスでメゾン・ド・トレランス――国が認可していた娼館が生まれた背景は、性病の流行によるものだった。
国が全ての娼婦を囲って徹底的に管理していれば、性病が蔓延しないと考えたが故の処置だったらしい。
政府による管理の元での生活だった為に、娼館の敷地内という限られた空間のみでの生活を余儀なくされた娼婦達は、日々訪れる粗暴で無茶苦茶な要求をしてくる男共に嫌気が差した事もあり、同じ痛みや苦労を分かち合える理解者だった同僚と恋愛をする者が多かった。
もしくは、たまに外出先許可が降りた先で出会った、自分を金で買おうとしない、年下の男性とお付き合いする人も多かったとか。
買わないというか、金がないから買えないだけな気もするけれど。
自分を買わない、つまりは商品や物として見ていない。
なのにお相手のウブな男の子は自分を大切にしてくれる。
コレはつまり真実の愛なのよ!
……とでものぼせ上がってしまったのかね。
金払いが良く見目も良いのなら、年増の女性でも、まぁ、相手にしてやるか。
その程度の男が多かったと思う。
つまりはヒモだよね。
海千山千の人達は、ウブなネンネを相手にするのが好きなのかね。
娼館内でレズビアンに走る人の中には、入ったばかりの娼婦が、恋のお相手として人気だったそうだし。
理由の差こそあれども、‘’スファンクス‘’の従業員も、閉ざされた世界で生きている。
そのせいで、人間の従業員達は、同僚に愛を求めるようになったのかな。
半精神体の夢魔は寿命が長い。
精神体ごと滅ぼされない限りは死なないからね。
話を聞いている分には、どうやら地球人がこの世界に招かれる前から存在していたようだし。
そんな夢魔からしてみれば、人間の大人とて、経験値の浅い、色々と教え甲斐のある素人同然の扱いになるのだろう。
疑似恋愛をするのには、格好のお相手に違いない。
後ろに控えていた六人が‘’スファンクス‘’に所属している夢魔の全てでは無い。
だがあそこら辺に建てた宿屋の部屋数を考えると、割合としては結構多いと思うんだよね。
最低でも五分の一。
多いと三分の一位かな。
う〜ん……気配を探るに、今街に居る夢魔の総数が二十一人。
出払ってる人が居ないのなら、七分の二か。
今の所はそういう報告は上がって来ていないが、行き過ぎて許容を超えてしまい、人間側からレイプの被害が出て来る可能性が否定出来ない。
どんな変態プレイにも、楽しく応じてしまうのが夢魔なのだから。
趣味嗜好の範囲が、人間よりもかなり広くて深い。
そういう価値観の擦り合わせって、大事だけど疎かになりがちだ。
ましてや他種族同士。
そして夢魔からしてみれば、人間なんて家畜やペットのようなものだ。
可愛がるはしても、相手を理解しようとする事は、しないだろう。
言動を自分の都合の良いように解釈しそう。
ソレを考えると、お互い不幸になる前に、お別れ話をさせるのは悪くない選択肢なのだろう。
「責任取って結婚します!」と言うなら止めないが。
あ、イヤ、待てはさせる。
ヌリアさんとガルバの結婚が先だ。
大勢の客を見送って、静けさが戻った玄関から俺が向かったのは、自室ではなくリビングだ。
「まだ眠らないのか?」
「夢魔討伐隊の件、気になってんだろ?
腹の中に溜めてる事があるなら、スッキリしてから寝ろ」
先に歩き出せば、暫しの逡巡の後。
足音小さくついてくる。
魔物と思っていた討伐依頼を受けた相手が、実は人を害するような魔物じゃ無かったとか聞いたら、バカ真面目なカノンの事だ。
気にしているだろうなぁ、と思ったのだよ。
イシュク達はカノンの顔を知っているのに、カノンはイシュク達の顔を覚えていなかった。
何年前の話かは分からないけれど、対象の顔を認識出来ないレベルで無差別に一帯を攻撃したのか、顔を合わせた事はあっても、余程大昔のたった一度きりの邂逅で記憶に残っていないのか。
いずれにせよ、夢魔討伐の話自体は覚えているのだ。
顔を合わせて話し合いの余地があった相手だと分かった今、過去の取り返しのつかない己の所業を悔いているに違いない。
酒でも入れた方が口の滑りが良くなって、洗いざらいぶちまけられる気もするが、その気にはなれないようだ。
そう言うのは、酒が飲めるアルベルトに任せれば良いか。
とは言え、俺の場合はこの世界の常識に疎すぎて、本当に聞くだけしか出来ない。
ヘタに意見をすれば、トンチンカンな受け答えになってしまう。
カノンは話している最中、良い感じに相槌を打って同意していれば勝手にスッキリするようなタイプでは無いからなぁ。
でも、ついて来たって事は、話すだけでもしたいって意味だろう。
聞くだけ聞くさ。
だいたい二〇〇年くらい前。
カノンが両親の手を借りず、初めて受けた魔物の討伐依頼の対象が、夢魔だったそうだ。
当時の夢魔は近隣の村人――特に純潔な、異性を知らない若い人達の夢に入り込んで、官能的な夢を見させるのが流行っていたらしい。
それによって、多感な若者の中には、自分が見た夢を恥じて自死を選ぶような子まで出てしまったとか。
AVもエロ本もない世の中なので、そう言う事を教えるのは親族が多い。
もしくは早々に婚姻関係を結ぶ相手がいるのなら、そのお相手の男性側が親兄姉から学んで、お嫁さんに教えるパターンだな。
近親相姦までいったら後ろ指を差される事になるが、教育の一貫ならばどこの家庭でも有り得るので、問題ないらしい。
大抵が、成人を迎える頃には教わるのかな。
もしくは二次性徴――女性なら生理が来たら、男性なら精通を迎えたら、教わる事になる。
だからそんな清廉潔白な貞淑さを求める人なんて、殆ど居ない。
たまたまイタズラを仕掛けたのがそう言う人だったのか、余程エグい夢を見させたのか。
夢魔にはそんな意図が無かったとしても、実害が及んでしまったのなら、しかも前途洋々な若者をターゲットにされているとなれば、討伐対象になるのは致し方のない事だ。
ぶっちゃけ、それは冗談の通じない相手にちょっかいをかけた、夢魔が悪いとしか思えない。
食事だから、と言ったって、別に人間が相手じゃなきゃダメなワケではないのだ。
魔物を相手にしていれば良いのに、味が好みだからと、ヒトを食事としたのだ。
ソレが悪いとは言わない。
同じ腹を満たす行為なら、美味しいと思えた方が満足度が高いし幸せになれる。
その理屈は分かるが、せめて問題に発展しないヒトを選べ。
夢魔は任意の相手を強制的に眠らせる術や、催淫状態にするデバフをかけられる。
単純に肉体操作が出来るので、組合になれば力が適うハズもなし。
魔物の姿に化けるという話も聞いていた。
討伐隊として組まれたのは、複数の村の中でならやり手の若者や、夢魔によって子供を失った人達だった。
正直、戦力にはならない。
むしろ気持ちが昂っている分、ジャマとすら感じる。
初めての一人での討伐という事もあって、失敗をしたくなかったカノンは、夢魔の活動が大人しい日中に奇襲を仕掛けた。
夢魔が根城にしていると言われていたのは、列なる島々の中でも、比較的小さな孤島だ。
そのため、許可を貰い、そこに向けて、遠方から特大の精霊術を放ち、一掃した。
……つまり、無差別かぁ。
被害に遭っていた近隣の村からは、その後被害がピタリと止んだと報告を受けた。
お礼を言われ、被害者の墓を参り、何の憂いもなく帰路に着いた。
その後も特に被害の報告はどの地域からも上がって来ない。
そのため、夢魔は全滅させたと思っていたそうだ。
「まさか生き残りがいたとは……」
そう言って頭を垂れる。
が、ちょっと待て。
引っかかってた部分って、全滅させられなかった事に対してなの!?
共生しているのは、過去のそう言うやり取りがあっての今だから、当時の自分の選択も行動も、悔いては居ない。
いちいち「あの時あぁしていれば」なんて考えた所で、過去には戻れない。
反省は大事だが、後悔をしていては、今やるべき事、コレからやるべき事に取り組む時間が減ってしまう。
時間は有限なのだから、ムダな事はしない。
そうキッパリと言われた。
流石そうは見えなくてもお爺ちゃんだ。
ある意味達観していやがる。
実際それで、近隣の村は平穏を取り戻せたのだ。
人間視点では何の問題も無いんだもんね。
俺ですら、討伐隊が組まれた経緯を聞いて、「そりゃそうだ」と思ったもんな。
俺はすぐ、アチコチの意見を聞こうとしてダメだな。
カノンみたいに、一本ブレる事の無いスジを通さなきゃね。
「ただ……
それを巡る争いによって、出身地を滅ぼしたとする、夢魔の秘宝とやらは気になる」
「あぁ、ガオケレナって植物か。
ホント、薬の材料になりそうなモンには興味持つね」
「俺には……夢があるからな」
ほほう?
カノンは現実主義者で面白味がない、夢やロマンを語るようなタイプではないと思っていたのだが。
続きの言葉を待っていたが「……喋りすぎた」と言って、ティーカップを下げに行ってしまった。
焦らすなよ。
「お前、俺が皆に鍛えられて、人の心読めるようになってるの、忘れてない?」
「本当に読めて居るのなら、そうやって対象を思い浮かべさせるような言葉は言わんだろう」
チッ、バレてぇら。
元々風の精霊や時の精霊と交流があったからなのか、カノンの心ってとっても読み辛いんだよね。
言語化された表層の、言葉を発する直前の思考なら具体的に読めるんだけど。
それ以外は何となく、嬉しいのかな、悲しいのかな。
その程度の感情と、断片的な単語やイメージだけだ。
そのせいで、夢魔に対して抱いた勘定も、読み違えてしまった。
まぁ、世界を滅ぼしてやるぜ的な悪い夢では無さそうなので、隠しているうちは突っつかないで放置しておこう。
「ま、話したくなったら話してくれれば良いさ。
今度こそ、おやすみ〜」
「あぁ。
良い夢を」
「カノンも、良い夢を〜」
俺の使ったカップも洗ってくれると言うのでお願いして、自室に戻る。
やっとこさ眠れる! と思ったら、一気に眠気が襲ってきた。
お菓子を食べたけど、もう歯磨きをする余力もない。
途中で力尽きないためにも、今日はもうこのままベッドに入ろう。
「……死者の蘇生薬と言ったら、お前は笑うのか、それとも、呆れるのか。
どっちだろうな……」
水の流れる音によって、その言葉は俺の耳には届かなかった。




