神さま、名乗る。
好機の神様であるカイロスには前髪しか無いという。
つまり後頭部はツルッツルだ。
どんな髪型だよ。
奇抜すぎるだろ、そのファッションセンス。
我が道を行く風貌に巻き込まれ事故を起こしているのは、幸運の女神・フォルトゥナである。
ギリシャ神話とローマ神話の違いもあれば、男女の性別も違うのに、『幸運の女神には前髪しかない』という詩の一説のせいで混同され、無関係なフォルトゥナまで後ろ髪のない姿で描かれることがあると言う。
完全なる貰い事故。
髪は女の命というのに、後ろ髪を毟ってハゲにするなよ。
その一説は『チャンスは訪れたそのときに掴まなければならない』という意味になる。
今が好機と思ったら、躊躇わずに飛び込む思い切りの良さが大事なのだ。
そう説いている。
「……つまり、改名するなら今しかないと思うんだよね」
気心知れた、旅の同行者である二人を前にして、俺はいつになく神妙な面持ちで告げた。
右に魔王を打ち倒し、世界を平和に導いたとされる三英雄。
そのうちの二人の子供である、‘’賢者‘’やら‘’王の権能‘’やら、二つ名が歳の数だけあるんじゃないかと言うくらいに大渋滞しているカノン。
左には反乱により没落したお貴族様の末子で、出奔してから始めた冒険者業が同業者連中の間では、結構有名なアルベルトがそれぞれ座っている。
ココは王都からほど近い場所に位置する、新興の街・オルトゥス。
真新しい建物が整然と建ち並ぶ、美しく整えられた街並みから外れた街の奥に、ヒッソリと佇む、かなりの豪邸。
その大きな建物の一室だ。
ロウソクに灯った火が時折揺れて、物々しい雰囲気を演出している。
話しているのは、あくまで俺の名前についてだが。
やっぱり雪の中、知らない道を突き進むのはムリがある。
そう判断して、旅の途中ではあるが、始まりの街であるオルトゥスまで戻ってきた。
スゴロクの‘’ふりだしに戻る‘’のマスに止まった気分である。
とは言っても、瞬間移動をするための目印になるモノを、旅の道中、各所に設置してきているから、完全にスタート地点まで戻されたワケじゃないんだけどね。
目印が破壊されない限りは、いつでも思い描いた場所に移動出来る。
とっても便利。
精霊と敵対する勢力である、燼霊や魔物達がどういう行動に出るか判断がつかない以上、悠長に構えていられない。
逸る気持ちはモチロンある。
だけど、猛吹雪の中移動するのは、流石に命が幾つあっても足りないって思うレベルでヤバかった。
八甲田の雪中行軍ってきっとこんな感じだったんだろうな、と要らん疑似体験をさせられたよ。
氷点下の前が見えない程の吹雪の中旅をするなんて、キ〇ガイもいい所だ。
アカン。
アレはアカン。
精霊術があっても、どれだけ高性能な装備を身に付けていても、どうにもならないことがある。
よくもまぁ、ロクな装備もない中、あの無謀な軍事訓練において、生還者がいたものだと感心する。
今は火の精霊のトップであるイグニスが、深い眠りについてしまっている。
そのため、気を使って自動で周りを暖めてくれるような、気の利く精霊が身近にいないのだ。
精霊の皆は各属性で一番偉い立場にいるから、そういう存在を顎で使う、俺の事が怖いらしい。
そう見えているだけで、高圧的に命令なんてしていないし、傲慢な態度もとった覚えは無い。
皆厚意でやってくれてるだけだ。
なのに理解しようと近付いてすら来てくれないのは、結構物悲しい。
最近は少しずつ慣れてきた精霊も、中にはいるけどね。
俺が霊力の緻密な扱いを出来るようになったのも、理由としてあげられるだろう。
だがそれでも、阿吽の呼吸で自由自在にとはいかない。
つまり今、火属性の精霊術が思うように使えない。
そのせいもあり、一旦退くことを選んだ。
どうせ交代するなら、自分たちが興すだけ興して放ったらかしになっている街の様子も見たいし、自分の家もあるしと思って街まで戻って来た。
それが昨日のことだ。
風呂に入ったり飯を食ったりとはしたけれど、街の外れにあるため、街の連中は誰一人として、俺達が戻ってきていることに気付いていない。
そして街の住民は皆、俺の正体も名前も知らない。
アルベルトが俺の偽名を呼んでいるのを聞いたことがある人位ならいるだろうけれど、それも極々少数に留まる。
どうせこの世界で本名は名乗れないのだ。
ならばノリと勢いで決めた通称ではなく、シッカリとした名前が欲しい。
「今まで通り、レイムじゃだめなのか?」
食後のお茶をすすりながら、アルベルトが聞いてくる。
ダメに決まっているだろう。
精霊の皆に留まらず、地球人で俺の事を知っているヤツらに会う度に、なんで偽名を使っているのかを聞かれ、由来を聞かれ、大爆笑されるまでがセットなんだぞ。
絶対にイヤだ。
あの時の俺は、どうかしていたんだ。
この世界に来たばかりで、地球人が少なくない人数存命であることとか。
俺が殺した人達が精霊になって生まれ変わっているだとか。
そういう諸々を知らずに、俺だけ生き残ってしまったんだと思い込んでしまったのだ。
そしてカノンの妹がアリアだと聞いた。
二人ともクラシックが由来の名前なのだと知って、レクイエムを由来にした名前を名乗ってしまうのは、致し方が無いだろう!?
何故か助かってしまった余生を、自分のモノではなく、奪ってしまった命のために使う誓いを立てたって、いいじゃないか!!
なのに笑われるんだよ!!!
完全に俺の中で黒歴史になっている。
その誓い自体は、今でも胸にある。
だから精霊の皆と、破滅に向かうハズだった地球を救い上げてくれた、この世界の神様の願いである、「幸福に満ちた幸せな世界」にするために、これからも奔走しようと思っている。
罪を直接皆に赦されたが故に、拾った余生を楽しむことにも全力を尽くすけれども。
そのためにも、指をさして笑われるこの名前とは、おサラバしたいのだよ。
懐かしい顔に会いたいと思うのに、この名前のせいで、いちいち躊躇してしまう事になるのが嫌なのだ。
「今まで通りって言うなら、本名を名乗りたいんだけどね」
「辞めた方がいいだろうな。
お前の名は、魔王の名前で通っている。
英雄達の名前と同様、子に命名してはならない名前の一覧に記載されている。
無用な混乱を招く事を避けるのであれば、別の名にすべきだ」
茶菓子を遠慮なくバリバリ食いながら、それでも所作が美しいのを見ると、ふとした瞬間に、そう言えばコイツって王様だったわと思い出す。
へぇ、英雄や魔王の名前を付けようとすると、命名権の濫用をしていると判断されるんだ。
自分の名前なのに、名乗ることすら禁止されているなんて。
どいひー。
まぁ、相応の事をしたのだから、致し方ない。
それだけ恐れられ、嫌悪されるという事は、英雄達の名声が世界に轟いている事実に結びつく。
悪役になった甲斐があるというものだ。
死んだ後の自分の名誉なんてどうでも良い。
むしろどうぞ罵ってやって下さい。
力の限り嫌ってやって下さい。
そう思っていたから、徹底してヒールを演じたし、恨み辛みが俺に向くように細工もしていた。
まさか、死んだハズのその後の世界で生きる事になるなんて、思ってもみなかったからな〜。
そのせいで今苦労しているのだから、因果応報と言う言葉しか思い浮かばない。
カノンは地球での出来事を両親から聞いていたために、俺が言い伝えにあるような極悪非道な人物ではないと知っている。
アルベルトは……あまり深く考えないタチなのもあり、歴史上どのように伝えられていたとしても、目の前の俺を見て、悪人に非ずと判断した。
なので二人とも俺が魔王本人だと知っても、変わらずに接してくれている。
だがソレは、一般人には通用しない。
ナマハゲや黒いサンタクロースのように、悪い子供をしつける時に名前が利用される位には、根深く恐れられ、嫌悪対象にまでなっている。
名乗らない方が良いと言われるのは、仕方ないか。
「‘’明けない夜はない‘’なんて、詩的できれいな名前なのにな」
「そりゃどーも。
俺も‘’明夜‘’の名前自体は気に入ってんだけどね。
諦めるさ。
……んで、なんかない?」
「人に丸投げするな」
だって、この世界の常識、俺の、地球の非常識なんだもん!
付けちゃいけない名前が沢山あるなんてことだって、今知った。
その判断が、俺には出来ないのだ。
キリストとか悪魔とか、地球で付けてはいけなかった名前は、この世界でなら問題なく付けられるだろうし。
付けんけど。
それこそメシアなんて名乗ったら、「お前は一体何様だ」と地球人に怒られてしまう。
石を投げられたらイヤだし。
自分を戒める意味を込められる、なんかいい名前があればいいんだけどね。
気を抜くと、異世界を楽しむばかりの生活になってしまいそうだから。
過ちを犯さないためにも、そういう路線で付けたいんだよね。
古代ローマで言うならブルータスとカシウス。
前漢時代ならば呂布――別名、飛将。
日本ならば明智光秀――後の天海という説もある。
だけど日本名は、この世界だと浮くな。
喋る言葉は日本語なのに、皆日本語表記の名前じゃないんだもん。
そうなると、ブルータスか、カシウス……両方とも、英雄ガイウスの暗殺を遂行した裏切り者だ。
俺も英雄を殺そうとしたとして有名なワケだし。
ブルータスやカシウスが適しているか。
ヒゲも生えてないしマッチョでもないけれど。
……ブルータスにしたら、地球人に「お前もか」とネタをぶっ込まれる可能性があるが出てくるか。
半分自死をしているようなものだし、二人とも自決している。
そういう共通点もあるし、なら笑われる要素がないカシウスかな。
あぁでも、死ぬ間際に三英雄とキスをしているんだよな。
「スキル」を奪うためだけど。
ユダもイエス・キリストを裏切る時に、接吻をしている。
その行動に着目するなら、ユダも悪くない。
バカにされ笑われるようなネタも無さそうだ。
世界で最も有名な裏切り者の代名詞と言えば、イスカリオテのユダだし。
イエス・キリストを銀貨三〇枚、つまりは奴隷一人分の値段で売ったとされている。
裏切った相手が取るに足らないヤツだった、と言っているように思われるかなぁ。
全く逆なんだけど。
大切だからこそ生かすために裏切ったのだけど。
うぅ〜ん……
どれも決定打に欠けてしまう。
地獄の最下層組の中なら、どの名前がいいだろうか。
Brutus 、Cassius、Judas……
候補を紙に書いて悩んでいたら、二人にのぞき込まれた。
「ブルータス、カッシウスにジューダスのどれかで悩んでいるのか」
あ、カノンってそう言えば、英語ちょこっとなら読めるんだった。
ローマ字読みになることが多いけど。
「イヤ、ジューダスじゃなくて、それユダ……「ブルータスもカッシウスも、イカつい印象受けるし、その三つの中ならジューダスがいいな」
「即決出来ないと言うのなら、それでいいんじゃないのか?
ジューダスなら、禁止されていない名だぞ」
イヤ、だからそれ、ユダって読むんですけど……
施設では音楽のような娯楽もなかったから、ジューダスと名乗ったところで「イヤ、プリーストかよ」と笑われることもない。
ならば、せっかく選んで貰ったことだし、ジューダスで、いい、か。
なし崩しに決定してしまったことで、コッソリその様子を見ていた精霊の皆からは、結局笑われることとなった。
でもまあ、今後会うかもしれない地球人達から指さされて笑われる心配は、コレでしなくて済むだろうし、良いとしておこう。