神さま、出直す。
病人の個人情報を保護する、なんて意識はこの世界にない。
むしろ病人が出たらそれをシェアしなければならない、とすら思っているフシがある。
なにせ抗生物質が存在しないからね。
回復薬や治癒術はあっても、病気の種類によってはソレらの治療法は効果がない。
そのため自分達のコミュニティを守るために、そういう弱者を隔離し、場合によっては切り捨てる必要がある。
その可否を決めるためにも、いつ頃から症状が出ているか、身内に似たような症状の者はいないか。
そんな情報は隠しても目敏く共有され、直ぐに拡散される。
他の集落ではね。
街はこの世界の中では、かなり医療が発展している街だと自負している。
カノンが作る回復薬は品質が高い事で有名だ。
‘’賢者‘’印の回復薬となれば、豪商や貴族が出張ってくるレベルの代物になる。
神経が傷付いたような怪我でも、負傷してから時間が経過していなければ直接かければ元に戻る。
魔物による咬傷なんて毒が含まれていたとしても、かけて飲んでの二段構えで対処すれば問題無くなる。
使用期限内なら、薄めて使ってもソコソコの効果――擦り傷や軽度の切創なら一瞬で治る程度――が得られるのだ。
二〇〇ミリリットル程度の量で、金貨何枚、何十枚の値段がつく。
ホント、この世界って医者要らずだと思わせられる。
実際には、回復薬も万能ではないけれど。
だけどカノンも日々研究を重ねているからね。
その内、心臓が停止しても何分以内なら復活します、なんて薬を作ってしまいそうだ。
その為には先入観のない、色んな視野があればより発展するだろう。
そんな思惑もあり、また街の特産品にしようと、回復薬のレシピの一部は、希望者に限るが特別授業として学校で教えている。
更に俺の「知識」の流用によって、取り入れやすい医学に関する雑学程度なら学んでいる。
そのため、この世界でのレベルで言うなら、かなり高いランクで医学・薬学に精通している人間が多いと言える。
なまじ回復薬や治癒術なんかがあるせいで、ケガをしたらまずキレイな水か生理食塩水で洗い流す。
発熱したらこまめな水分補給を心掛けて、体力に余裕があり湯冷めをしないのなら風呂に入るべき。
……な〜んて地球では当たり前の事を知らないからね。
濡れタオルや氷嚢で頭を冷やすな、とは言わないよ。
著しく高い熱が出た場合は、脳ミソが固まらないように冷やすのは大切だからね。
だけど上がりすぎた体温を下げたいのなら、もっと太い血管が通っている、脇の下や股間を冷やす方が余程重要だ。
男性は特に、子種が無くなったら困るような人だと、玉を冷やすのは重要だよ。
実際、高熱のせいで一過性とは言え無精子症になる人も居るのだから。
発熱を甘く見てはいけない。
あぁ〜、おたふく風邪の場合は、例外か。
一過性じゃ済まない場合がある。
おたふく風邪――流行性耳下腺炎の病原体であるムンプスウイルスが精巣に炎症を起こす場合があるのだが、その際、片タマだけが被害に遭ったのなら、まだ望みはある。
しかし両方の睾丸が萎縮してしまうと、厄介なのだ。
精子の数が減る乏精子症や、精子の運動率が低くなる精子無力症になるならまだマシで、最悪一生涯子供が作れない無精子症になる場合がある。
ムンプス精巣炎の二割ほどが両方の炎症を起こし、更にその中の数%の患者しか完全な無精子症になる人は居ない。
しかしムンプス精巣炎に掛かると、着床率が下がったり、子供に遺伝子欠陥を及ぼす可能性を高める事に、変わりはないからね。
無菌性髄膜炎も怖いし、ワクチンを打てるなら打っておくに越したことはない。
そのムンプスウイルスが、この世界にもあるのなら、麻疹や風疹も含めた混合ワクチンの接種を義務付けたいよなぁ。
麻疹なんて、罹患したら今まで獲得してきた免疫機能を全部リセットしてしまうじゃない。
そんな極悪ウイルス、異世界にまであって欲しくはない。
だがもしあるのなら、撲滅したい。
鎧牛とか牛っぽい魔物がいるワケじゃん。
牛疫ウイルスが起源らしいし、無いとは言い切れないんだよね。
病原菌の一覧とか、無いのかしら。
「こちらに書かれている名前は、確かに‘’ スファンクス‘’の従業員の名前ですね」
個人情報保護とか言っていたら話が進まないため、外部には秘匿する事を約束させて、ヌリアさんがイシュクへと資料を手渡す。
精査するように鋭い目付きでその資料を捲りながら、眉間に皺を寄せる。
ソコにはそれぞれ相談に来た人達の名前に年齢、症状の他に、どんな処置を施したのかも書かれている。
大抵は回復薬の処方になるが。
一番相談に訪れる頻度が高い人が、人間の中で人気を伸ばしている女性になるそうだ。
風営法なんて無いので、当然のように本番アリだし、やはり性病の類になるのだろうか。
しかしソレは否定された。
街名義で避妊具の装着を徹底するように指導している為、店側も人間の従業員には、使い方も含めて教育をしてある。
社則として通達しており、破れば相応の罰則を与えると申し伝えてあるそうだ。
余程の理由が無い限り、進んで破る者はいないだろう。
新興の街で周囲との摩擦もなくスンナリと定住出来た上に、ダンジョンが近いためか精力も霊力も旺盛な冒険者が、店を数も量も多く利用してくれる。
夢魔の移住者全員が、仲間内で争奪戦を繰り広げる事もなく、平和に連日食事にありつけるような場所は、早々無い。
そのため街の顰蹙を買うのだけは避けたいと、支給した避妊具の数と、使用済みのゴミ箱に入れられた数が一致しているのか、毎回チェックしているそうだ。
管理を徹底しているにも程がある。
物的証拠もあるのなら、確かに性病のリスクは低いか。
口でしたり何だりでも伝染る時は伝染るから、可能性はむだ否定出来ないが。
夢魔は直接触れ合わないと食事が出来ないために避妊具は使えないが、接客者によってサービスが違うといったクレームは、今の所、客側から言われた事はない。
そのため今後も徹底していくと約束してくれた。
それ自体は有難いな。
性病の流行は不名誉だし、何よりタチが悪い。
誰としたか、いつしたかなんて秘匿したがるものだしね。
原因や発生源がなかなか突き止められなくて、広がるのが早いんだよ。
しかし今回症状を訴えているのは、スタッフの人間だけだ。
性病に罹患していたとしても、客に広がって居ない以上、管理を徹底していると言う言葉に、嘘がない事が分かる。
今後も約束通りしてくれれば、次があっても対処し易い。
……とは言え、キッチリ治ったと言えるまでは、スタッフを休ませる事になる。
仕事に穴は開かないだろうか。
それは何の問題も無いと、キッパリ否定された。
ココでの接客を味わったら他の店には行けないと、皆大満足で帰って行く。
接客者が男でも女でも、夢魔でも人間でも、何の問題もない。
それこそ、病気が出たからだと噂が広がったとしても、客は戻って来る。
イヤ、そもそも他店に浮気するような客は居ないと自負している。
イシュクは胸を張って言った。
討伐対象になっても、その性に特化した能力で生き残ってきた夢魔だもんね。
人間にはおおよそ真似出来ないような事もして退けるのだろう。
そうなれば、他では満足出来なくなる人が居るのは当然か。
上を経験すると、下には戻れないよね。
それは分かる。
……が。
しきりに頷いているアルベルトが鬱陶しい。
「飢える心配がなくなったので、そんな病状が出る程に生命力を貪るようなことは、殆どないと聞いているのですが……
あくまでそれは、お客様に対してですしね」
「殆どって言うセリフが気になるんだケド」
「余程味が気に入った時や、色々とみなぎっている方なんかだと、遠慮を忘れる時があるとか。
アル様はどちらも備えているので、嬢に大人気ですよ」
「アルベルト、良カッタネ〜」
「え、いや、その……む、夢魔って、男夢魔と女夢魔といるんだろ?
客として来た男夢魔を人間の従業員が相手をしてそうなったってことはないのか?」
言葉を弾ませながら暴露するイシュクに、一瞬ニヨリと口の端を持ち上げたが、即座に誤魔化すようにどもりながらも、ごもっともな質問をするアルベルト。
嬉しいなら嬉しいって、素直に言えば良いのに。
やはり女性にもてはやされるのは、男ならば名誉な事なのだろうし。
今回病状が出ているのは女性で‘’スファンクス‘’に勤めている人だけだ。
なら、客側に夢魔が居たのなら、症状がスタッフ側に出た事の説明がつく。
だがイシュクは「有り得ません」と即座に否定した。
夢魔という生き物は、そもそも性別という概念が曖昧なのだそうだ。
肉体の変化が容易と説明したその変化の部分には、性別も含まれる。
趣味嗜好や味覚、またどちらかと言うとコッチの性別の相性が良い、程度のものならあるが、あくまでその程度だ。
人間が麺類を食べる時に、フォークを使うか箸を使うかみたいな感じか。
使う食器の形状や材質によって、味蕾の刺激のされ方が代わると言うし。
つまり‘’スファンクス‘’の従業員は、系列店の中で使い回しが利く。
何せ客が求める姿形に、その都度変化させて接客をしているのだ。
前回と同じ子で、と言って、その相手を思い浮かべれば、その姿の夢魔が現れる。
実際は別の夢魔だったとしても、見てくれが同じなのだから、客側は問題を感じる事が出来ない。
外観や趣が建物によって違うため、例えばSM趣味のない夢魔がそういう店に行く事はないようだが、自分の味覚の傾向がまだ掴めて居ないスタッフや、特に拘りがない場合は、アッチコッチ掛け持ちをしたり、ローテーションを組んで移動したり、結構好き勝手やっているみたいだ。
誰も不幸にならないし、キッチリ納めるモン納めて、約束事さえ守ってくれれば、俺は問題ない。
利用者であるアルベルトはショックを受けているが。
まぁ、女性向けの店で裸蝶ネクタイで喘がせる側のマッチョが、次の日ボンキュッボンの蠱惑的なお姉さんになって自分の下で喘ぐ側に変身してたら、と考えるとイヤだよね。
「あなた様は……不思議な身体をしていらっしゃいますね。
とても、興味深い…………あの、言われなくても、何もしませんよ?」
ニヤ〜リと浮かべた笑みに、再び左右と後方が色めき立つ。
しかし殺気を放たれる前に、イシュクが即座に降参のポーズを取ったために、皆大人しく元の位置に戻った。
「人間のスタッフって、他の店にも居るんだよね?
そうなると、なんでココの店だけ体調崩す人が出るんだろ」
「お前が創ったのだから、建物自体に不具合は無いだろう?」
「そうだね。
有り得ない」
カノンの質問に、キッパリと断言した。
なにせ神様の「スキル」ですから。
アスベストによる中皮腫や肺癌被害だとか、揮発性有機化合物によるシックハウス症候群だとかの話だろ?
そもそもが「スキル」によって創られた、全く新しいオリジナルの建築資材を使っているから、健康被害が起きるスキがない。
未知の物質だから危ないかすらも分からない、と本来ならば考えるべき所かもしれない。
しかしなにせ「スキル」を使って創り出した物だ。
「万物創造」の名に相応しく、「不具合の生じない建物」を創造すればその通りに出来上がる。
とっても便利。
だが、あくまでそれは建物の箱に限定される。
「スキル」で創った以外の部分が原因なら、装飾部分――あの馬鹿デカイ石像とかを起因とした健康被害は起こり得る。
花崗岩、砂岩のようなシリカを含む天然岩石の粉塵によって、肺組織を石のように変えてしまう致死性の病気がある。
彫刻家やレンガの製造者、建築作業員を悩ませた塵肺症だ。
この店の調度品は焼物や絵画よりも、彫刻が多い。
血痰や爪の色の悪さと言った症状は聞いていないが、微熱が続いたり風邪が治りにくかったり、共通する症状は確かにある。
可能性は否定出来ない。
病状を訴えた人――特に、つい最近相談に訪れた人や、何度も繰り返し回復薬を貰いに来ている人相手なら、もしかしたら病状が鑑定眼に表示されるかもしれない。
カノンのせいでトラウマを刺激された夢魔が大量欠勤している今日、健康診断とは言え、人間まで接客に回れなくなれば店の信用問題に関わる。
ならば今日これ以上出来る事は無い。
後日、なるべく早いうちに出直させて貰うことにしよう。
相談したら、「同族には‘’血雨の惨劇‘’は繰り返さないと伝えておきますので、いつでもどうぞ」と返された。
‘’血雨の惨劇‘’とはなんぞや? と意味を聞いたら、夢魔の一斉討伐の悲劇そのものを指す言葉でもあり、またそれを先導した‘’賢者‘’の仲間内での蔑称なのだと、コッソリ教えてくれた。
カノン、本当に二つ名が多いね。